2019年6月27日木曜日

浅見真州の《隅田川》~京都観世会例会

2019年6月23日(日)京都観世会館
観阿弥祭《通小町》《鵜飼》からのつづき
能《隅田川》シテ狂女 浅見真州
 子方・梅若丸 味方遙
 ワキ渡守 宝生欣哉 旅人 野口能弘
 杉市和 大倉源次郎 國川純
 後見 大江又三郎 味方玄
 地謡 片山九郎右衛門 浦田保浩
    古橋正邦 浦田保親 浅井通昭
    橋本忠樹 大江泰正 河村浩太郎



浅見真州師はリアリズム的・演劇的な演出を好まれる方だと思う。
随所に工夫が凝らされ、舞台にドラマ性豊かなメリハリがある。それでいて「能」としての品位を損なわないギリギリの範囲にとどまっているところが、真州師の舞台の醍醐味だと思う。

一流どころをそろえたこの日の《隅田川》。各役の芸も光り、総合的にきわめて上質な舞台だった。



《隅田川》の役別の感想
【シテ】
真州師独自の演出かな? と思われる箇所がいくつか。

1つは、『伊勢物語』の歌「名にし負はばいざ言問はむ都鳥わが思ふ人はありやなしやと」のあと、立廻リのような所作が入るところ。
古歌の引用のあとに、笛の音とともに舞台を半周することで、在原業平が抱いた恋慕や郷愁と、わが子を追い求めるシテの思いとがしみじみと重なり、狂女の心のうちが滲み出て舞台にあふれてくる。


2つ目は、わが子の死を知った狂女が、塚の前で泣き崩れるところ。この日の舞台では「道の辺の土となりて」で、杉市和さんの笛が入った。

パリ公演の《砧》でも、クライマックスで妻の亡霊が夫に怨みのたけをぶつけたあと、市和さんの笛が入り、夫(宝生欣哉)が数珠で合掌、長い「間」のあと妻が成仏する、という演出が加えられていた。

シテ、ワキ、笛ともにこの日と同じ配役だったが、シテの激情が昂る前後に名手の笛が入り「間」を取ることで、舞台変化や心理描写がより鮮明に伝わってくる。


そのいっぽうで演劇的表現が「能」の枠を逸脱しているように思える部分もあった。

たとえば、渡守が梅若丸の最期を語るところでは、シテは肩で息をするように身体を震わせて、心の動揺を表現していたが、ここまでいくと芝居的要素が強すぎて「やりすぎ」のように感じた。


逆に、「さりとては人々この土を返して今一度この世の姿を母に見せさせ給へや」と、塚の前で両手を思いっきり広げて土を掘り起こす所作をするところは、死者をよみがえらせる呪術儀礼のように見え、ドラマティックな表現が功を奏していた。


塚の中から梅若丸の声が聞こえてきたときの狂女の興奮や、わが子の亡霊が腕の間をすり抜けていく表現なども秀逸で、生身の女性の胸を掻きむしるような哀哭や絶望がリアルに伝わってきた。



【後見
シテの水衣や縫箔の裾がはだけた時の後見の対応が名人芸!
とくに味方玄さん。
舞台進行の邪魔にならないよう絶妙なタイミングを見計らって、針で水衣を縫い留め、糸をハサミで切る……その間、わずか2秒。ほとんど目にも留まらぬ早業だった。後見の鑑ですね。


【ワキとワキツレ】
宝生欣哉さんの渡守を観るのはこれで3度目だろうか。
おなじみの桜模様の紺地素襖上下に、青・黄土・白の段熨斗目。
最初は上から目線で狂女を侮っていた渡守が、しだいに教養の豊かな相手に心を寄せ、やがて絶望の淵にいる彼女を親身にいたわってゆく、その過程、心の動きを欣哉さんは丹念に描く。好きだな、共感能力の高い欣哉さんの渡守。

野口能弘さんの旅人役もよかった。うまくなりはった。



【お囃子】
シテの登場楽・一声は、悲劇の予兆を感じさせるような物悲しいお囃子。
市和さんの笛と源次郎さんの小鼓は、もうそれを聴いただけで、ぎゅっと胸が締めつけられるよう。繊細かつ精巧な、デリケートな音色。
國川純さんの大鼓、なつかしい。パリ公演の映像では絶好調だったけれど、この日は湿度のせいだろうか、音色がやや不調だったかも。



【地謡】
私自身が無宗教でひねくれ者だからかもしれないが、「さあ、泣いてください!」と言わんばかりの子方を出す演出など、《隅田川》はどちらかというと苦手な曲だった。

でも今回の舞台では、観客の涙腺を刺戟するような「あざとさ」を地謡が希釈していて、《隅田川》っていい曲だなぁと心から感動できた。

あざとさがピークに達するのが、「南無阿弥陀仏」と唱えるところ。ここが特に苦手だったけれど、高音で謡う念仏のきれいなこと! 
謡の声そのものが弔いの鐘のような清浄な響きを持っていて、「あざとさ」を感じる私の心を解きほぐし、純朴な東人たちが無心に祈る念仏唱和の輪のなかに、いつしか自分も入っていくような心地さえした。


演者がいて、観客がいて、《隅田川》の世界があって、それらが念仏唱和のなかでひとつに溶け合ってゆく。

悲しい物語だけれど、この空間にいることがたまらなく幸せだった。





2019年6月25日火曜日

京都観世会六月例会《通小町》《粟田口》《鵜飼》

2019年6月23日(日)京都観世会館
観阿弥祭からのつづき
能《通小町》シテ深草少将霊 河村晴久
 ツレ里女/小野小町 味方團
 ワキ旅僧 江崎正左衛門
 左鴻泰弘 吉阪一郎 河村大
 後見 杉浦豊彦  吉浪壽晃
 地謡 河村和重 河村博重 越智隆之
    片山伸吾 田茂井廣道 深野貴彦
    大江広祐 樹下千慧

狂言《粟田口》大名 小笠原匡
 太郎冠者 山本豪一 すっぱ 泉槇也
 後見 安田典幸

能《隅田川》シテ狂女 浅見真州
 子方・梅若丸 味方遙
 ワキ渡守 宝生欣哉 旅人 野口能弘
 杉市和 大倉源次郎 國川純
 後見 大江又三郎 味方玄
 地謡 片山九郎右衛門 浦田保浩
    古橋正邦 浦田保親 浅井通昭
    橋本忠樹 大江泰正 河村浩太郎

能《鵜飼》シテ尉/閻魔 吉田篤史
 ワキ旅僧 江崎欽次朗 和田英基
 アイ所の者 泉槇也
 森田保美 曽和鼓堂 河村裕一郎 前川光長
 後見 井上裕久 分林道治
 地謡 橋本光史 大江信行 林宗一郎
    松野浩行 梅田嘉宏 宮本茂樹
    河村和貴 浦田親良




能《通小町》
河村晴久さんが描く深草少将像には、優雅な品がほのかにあり、貴公子らしさがさりげなく滲み出る。

多くの貴婦人が胸をときめかせたであろうエリート青年が、小町に出会ってしまったがために、悲恋に身を焦がし、妄執にとらわれて夭折する……その過程がシテの姿からおのずと浮かび上がってくる。

百夜通いを再現するところでは、笠で顔を隠し、ゆっくりと歩を進める。その重みのある一歩一歩から、小町にたいする深草少将の命をかけた深い思い、真剣な心が伝わってきた。

ツレの小町はすらりとしたエレガントな姿で、謡が素敵だった。



狂言《粟田口》
《粟田口》といえば、山本東次郎さんの印象が強いからだろうか、流儀が違うので比べるべきではないかもしれないけれども、大名とすっぱの心理戦を丁寧に描いた山本東次郎家の舞台に比べると物足りなさを感じた。小笠原匡さんはうまい方だと期待していただけに、少し残念に思う。

たとえば、すっぱと二人きりで、山のあなたの粟田口所有者のところへ行こうとする場面。

みずから太刀を持っていざ出かけようとするとき、東次郎さんは自称・粟田口(すっぱ)をぐっと見こみ、「粟田口、お立ちゃれ」と威厳に満ちた口調で言い放った。その時の間合いや緊迫感は今でも印象に残っている。万が一、自称・粟田口が嘘をついていたら、ぶった斬ってやる!といった殺気だった気迫が感じられた。


この日の舞台ではそうした緊迫感は薄く、「粟田口、お立ちゃれ」のセリフもさらりと流れていった。同じ曲でも和泉流と東京大蔵流とでは、扱いが異なるのかもしれない。


最後の、「粟田口、粟田口」「御前に候」の掛け合いも、この日の舞台では絶妙とはいえず、冗漫だった。それにたいして東次郎家の掛け合いには、打てば響くような当意即妙感があり、自称・粟田口に心を許して、太刀を預けてしまう大名の心の変化がすんなりと理解できた。


同じ曲を他家の舞台で観てみると、山本東次郎さんの凄さをあらためて実感する。東次郎さんのシテで《粟田口》だけでなく、《木六駄》も観た、《月見座頭》も何度も観た、数々の名曲を拝見した。そのどれもが心に刻まれる舞台だった。
いつか関西でも、感動できる狂言の舞台に出逢えるといいな……。




能《鵜飼》
泉槇也さんの間狂言がよかった! 
猛烈な睡魔に襲われて意識を失っていたが、間狂言でハッと覚醒した。良い芸には睡魔を祓う力がある。
どういう方なのかプロフィールは知らないけれど、前途有望。これからが楽しみな狂言方さんだ。


浅見真州の《隅田川》につづく



2019年6月23日日曜日

観阿弥祭・仕舞《芭蕉》など ~京都観世会館六月例会

2019年6月23日(日)京都観世会館
ロビーに飾られた観阿弥祭のお供え
能《通小町》シテ深草少将霊 河村晴久
 ツレ里女/小野小町 味方團
 ワキ旅僧 江崎正左衛門
 左鴻泰弘 吉阪一郎 河村大
 後見 杉浦豊彦  吉浪壽晃
 地謡 河村和重 河村博重 越智隆之
    片山伸吾 田茂井廣道 深野貴彦
    大江広祐 樹下千慧

狂言《粟田口》大名 小笠原匡
 太郎冠者 山本豪一 すっぱ 泉槇也
 後見 安田典幸

能《隅田川》シテ狂女 浅見真州
 子方・梅若丸 味方遙
 ワキ渡守 宝生欣哉 旅人 野口能弘
 杉市和 大倉源次郎 國川純
 後見 大江又三郎 味方玄
 地謡 片山九郎右衛門 浦田保浩
    古橋正邦 浦田保親 浅井通昭
    橋本忠樹 大江泰正 河村浩太郎

仕舞・観阿弥祭
《芦刈》  井上裕久
《自然居士》浦田保浩
《芭蕉》  片山九郎右衛門
《猩々》  大江又三郎

能《鵜飼》シテ尉/閻魔 吉田篤史
 ワキ旅僧 江崎欽次朗 和田英基
 アイ所の者 泉槇也
 森田保美 曽和鼓堂 河村裕一郎 前川光長
 後見 井上裕久 分林道治
 地謡 橋本光史 大江信行 林宗一郎
    松野浩行 梅田嘉宏 宮本茂樹
    河村和貴 浦田親良



いつものとおり開場直前に行ったら、すでに長蛇の列。しまった! 油断してもうた!(>_<)
この日は1階はもちろん満席で、2階の学生席もかなりの入り。今年になってから毎回ほぼ満席じゃないかな。今年度からHPもリニューアルしたし、ツイッターや字幕サービスも始めたし……京都観世会、絶好調!
公演自体も、詰めかけた客の期待を裏切らない充実した内容で、とくに浅見真州さんの舞台は私が見たなかで最高の《隅田川》だった。


ところで、冒頭の画像にある通り、この日は観阿弥祭。
観世流の祖・観阿弥の命日(5月19日享年52才)を新暦に直して、6月に行われるそうです。観阿弥祭なのに何故《芭蕉》や《猩々》が舞われるのだろう?と思ったら、かつて観阿弥作と考えられていたため、昔からの習わしとして継承されているとのこと。

この日の中盤に行われた観阿弥祭では、流祖に敬意を表して、シテも地謡も裃姿で登場。
仕舞4番のシテはそれぞれ名家の当主で、舞のうまい方ばかりだけれど、九郎右衛門さんの《芭蕉》はやっぱり、なんか、ぜんぜんちゃうっ!


切戸口をくぐって舞台に入ってきた瞬間から、堂内の空気が一変する。
夜明け前の寒稽古のような、ピンと張りつめた空気、清浄で、侵しがたい空気があたりを支配する。


ハコビの一足一足からは人間的な要素が漂白され、精霊のような、森の魂のような、露のように儚い女の美の名残りのようなものが漂い出る。

仕舞《芭蕉》は「水に近き楼台は」から「立ち舞ふ袖しばしいざや返さん」までの舞グセの部分。

禅竹らしい「露」や「虫の音」といった詞がちりばめられ、詞章からも、九郎右衛門さんの舞からも、「存在のはかなさ」が、まるで半透明のガラス越しに見るように見え隠れする。無相真如、諸法実相といったとらえどころのない思想を、型や形を超越した、とらえどころのない抽象的な舞が描いてゆく。


九郎右衛門さんの舞を観るたびに、同じものをふたたび見ることのない、一度かぎりのかけがえのない舞台という思いが強くなる。
もう二度と観ることのない舞台。

九郎右衛門さんのシテでぜひとも拝見したい能はたくさんあるけれど、そのなかでとりわけ《芭蕉》が観てみたい。ほとんど悲願に近いこの願いが叶うことがあるのだろうか?


《通小町》《粟田口》《鵜飼》《隅田川》につづく








2019年6月19日水曜日

《水無月祓》《賀茂》《春栄》~賀茂社がつなぐ縁・河村青嵐大会

2019年6月16日(日)河村能舞台
河村能舞台のお隣・俵屋吉富「夏越の祓・水無月」

番外仕舞《海士キリ》河村紀仁
    《夕顔》  樹下千慧

本日の曲目について 河村晴久

番外独吟《賀茂》田茂井廣和

番外仕舞《水無月祓》河村晴道

番外舞囃子《春栄》 河村晴久
 赤井要佑 曽和鼓堂 石井保彦

ほか舞囃子、独吟、仕舞など



この日の演目は、下鴨神社にゆかりが深く、この時期にぴったりの《賀茂》と《水無月祓》、そして、新元号「令和」にちなんだ《春栄》。

奇遇にも、数日前に読んだ本に河村家と下鴨神社との不思議なつながりや、樹下千慧さんがこの道に入ったきっかけがつづられていた。

その本というのは、村上春樹作品の英訳者として知られるハーバード大名誉教授のジェイ・ルービン氏のエッセイ『村上春樹と私』。ルービン氏が、能楽(謡曲)研究者でもあることも同書ではじめて知る。


少し長くなるが、この日の演目とも関係するので『村上春樹と私』に書かれた経緯をかいつまんで説明すると;


河村家では、毎年正月元旦の早朝6時から下鴨神社の橋殿で謡・仕舞の奉納する。
そのため大みそかには、橋殿の大掃除を行うのが習わしで、1990年代初めの大晦日にも河村家の人々は橋殿を掃除していた。そこへ声をかけてきたのが、河合亨という人物だった。

河合亨氏が大晦日に下鴨神社に来た理由は、その前日にまでさかのぼる。

河合さんが12月30日に下鴨神社に参拝した折、自分と同じ名前の河合神社という摂社があったため、賽銭を入れようとしたところ、間違って財布ごと賽銭箱に投げ込んでしまった。

あわてた河合氏は、賽銭箱に手を入れて財布を取り出し、賽銭を入れてから帰宅したが、一度神様に差し上げたものを取り戻すのは良くないと思い直し、翌日、再び下鴨神社に参詣した。その時、掃除中の河村晴久さんと出会ったという。


以来、河合亨さんと河村晴久さんとの交流が始まり、河合さんのいとこで仏教大企画課の樹下隆興さんとも親しくなって、晴久さんは同大学の講座「能へのいざない」を担当されるようになった。
また、樹下さんの御子息で当時小学生だった樹下千慧さんも、晴久さんのもとへお稽古に通うようになる。

樹下千慧さんは長じてプロの能楽師となり、現在は若手のホープとして活躍。

河村晴久さんがルービン氏と知り合ったのも、「能へのいざない」の受講者から、当時京都に在住していたルービン氏の講演のことを聞いて聴講したのがきっかけだった。
(河村家の人々はのちにハーバード大に招かれ、レクチャーやデモンストレーションを行っている。)


河村晴久さんは言う、
「下鴨神社は鴨川と高野川の合流点で、川が合うところから、古来、人に出会う場所です。能でも《班女》《水無月祓》《生田敦盛》などでは、下鴨に行って尋ねる人に出会います。本当に現在も出会いがあるわけで、これも賀茂の神様のお導きです。」と。


……たまたま読んだ本に、この日の演目にからんだエピソードが書かれているなんて! これも何かの縁かもしれない。
晴久さんの会を拝見していて、感慨深さもひとしおだった。



番外仕舞《海士キリ》河村紀仁
《夕顔》  樹下千慧
河村紀仁さんの舞はお父様の晴道さんゆずりの品の良さ。
樹下千慧さんは、「いったいこの身体のどこから出てくるのだろう?」と思うくらい、年齢以上に深みのある謡だ。
《海士》も《夕顔》も、今年三回忌を迎える故・林喜右衛門師への追善を込めたものだという。
《夕顔》の最後、「雲のまぎれに失せにけり」で、ふう~っと紫雲にまぎれて消えてゆくようにフェイドアウトする地謡と、身体に力をためながら徐々に膝を折り美しく下居するシテの所作から、追慕の念が伝わってきた。



番外独吟《賀茂》田茂井廣和
田茂井廣和さんははじめて拝見する。廣道さんのお父様なんですね。
「石川の、瀬見の小河の清ければ」で始まる謡は絶品! 糺の森を流れる清流に心が洗われてゆく。しみじみと胸に響く。もっと聴いていたかった。

「流れはよも尽きじ、絶えせぬぞ手向けなる━━」
この独吟もまた、お手向けの謡。



番外仕舞《水無月祓》河村晴道
仕舞は、茅の輪くぐりの御利益を語る地謡に合わせて舞うところ。
夏越の祓をする人は千年の寿命を保つ、と地謡が謡い、「お祓いのこの輪をば越えたり」で、シテは茅の輪をまたいで越える所作をし、「悪しき友あらば祓い除けてて交へじ、身に祓いのけて交へじ」で、幣を祓うように、扇をもつ右手を左右に振る。

最後は、「いざや神に参らん、この賀茂の神に参らん」で、扇を置いて合掌。

巫女の清らかさを感じさせる、品格のある舞。
身も心も浄化され、祓い清められる清々しさ。

下鴨神社の目と鼻の先にあるこの能舞台で、下鴨神社とゆかりのあるシテ方さんたちの舞を観るという、この上ない贅沢。



番外舞囃子《春栄》河村晴久
新元号・令和は、万葉集・梅花の歌序「初春令月、気淑風和」がもとになったとされているが、今回、河村晴久さんが《春栄》を番外舞囃子に選んだのは、詞章のなかに「令月」という言葉があるからだという。

「令」には「神様のお告げ」の意味もあるから、河村家にまつわる賀茂社での不思議な出会いや、不思議な縁ともリンクする。

舞囃子の詞章にはその「令月」の箇所が含まれていて、地謡が「嘉辰令月とはこの時を云ふぞめでたき」と謡う。調べてみると、「嘉辰令月」とは、「めでたい日と月」のことらしい。

弟・春栄の助命が叶い、さらに権守の養子に迎えられ、これから栄えてゆく未来を祝して、シテが晴れ晴れとした舞を舞う。

河村晴久さんの男舞は、余裕とゆとりのある殿様然とした、物腰の豊かな舞。舞台も見所も、めでたく晴れやかな気分に包まれる。

来週の観世会例会の《通小町》では、どんな妄執ぶりを見せてくださるのだろう。

赤井要佑さんの笛も素敵だった。
この方の笛は同じ森田流でも、東京の寺井家、それも、寺井政数系の笛を思わせる。これからが楽しみな笛方さんだ。


社中の方々もお上手な方が多く、とくに仕舞《山姥クセ》を舞われた方がすばらしかった。






2019年6月12日水曜日

色ばかりこそ、むかしなりけれ ~大津市伝統芸能会館の《杜若》と囃子Labo

大津市伝統芸能会館主催・能《杜若》のチラシ

なんて素敵なフライヤーなんだろう!
はじめて手にしたとき、思わず見惚れてしまった。

余白をたっぷり取り、紫のぼかしを加えた背景に佇む、杜若の精━━。
精緻な模様が織り込まれた紫長絹に杜若の花を挿した初冠をかぶり、緌をつけ、日陰の糸を垂らし、飾太刀を佩いている。
写真のポーズは、キリの「蝉の唐衣」で左袖を愛おしそうに見つめるところだろうか?

このチラシをひと目観ただけで、能《杜若》の世界がダイレクトに伝わってくる。
デザインした人は美的センスがあって、曲趣をよく理解している方なのだろう。

写真のモデルは味方玄さんだが、来月7月15日の本公演でのシテは、片山九郎右衛門さん。
「素囃子」の小書付きなので、おそらく序之舞がなくなるのが少し残念な気もするけれど、どんな舞台になるのか、今からワクワクしている♪




ちなみに、大津市伝統芸能会館の公演日(7月15日)の夜には、京都の若手囃子方さんたちが主催する囃子Laboがあります。

ゲストに太鼓方観世流の井上敬介さん、シテ方金剛流の金剛龍謹さん、宇髙竜也さんをお招きして、金春流と観世流の太鼓流派の比較や、一調、居囃子などがあり、盛りだくさんな内容。

太鼓の前川光範さんは《杜若》と掛け持ちなのですが、私も頑張ってかけ持ちする予定。
当日はおそらく猛暑日だろうからバテバテになっていて、体力がもつかどうか(せめて台風やゲリラ豪雨はありませんように!)。。。こちらもとっても楽しみです。😊





四国五郎展 ~シベリアからヒロシマへ

2019年6月8日(土)大阪大学総合学術博物館


山崎正和先生のフォーラムに向かう途中、かつて医療技術短大だったところが博物館になっていたので、立ち寄ってみた。企画展「四国五郎展~シベリアからヒロシマへ」は、たしか日曜美術館のアートシーンでも紹介された展覧会だ。

シベリアに抑留されていた四国五郎は、帰国後、故郷広島で弟が被爆死したことを知り、反戦を訴えるべく、絵と詩の制作を決意したという。

シベリア抑留体験を描いた絵画としては、香月泰男の《シベリア・シリーズ》が有名だが、今回はじめて観た四国五郎の一連の作品も衝撃的だった。


なかでも印象深かったのが、1993年に描かれた《墓標建立(コスグラムボ)》だ。

この絵の構図と風景と配色は、ピーテル・ブリューゲルの《雪中の狩人》を思わせる。
画面左下の前景には、雪に埋もれたシベリアの森が大きくクローズアップされ、「日本人拘留者 鎮魂の墓標」と記された墓標が立ち、墓標の前には缶詰や花や菓子袋が供えられている。

墓標を取り巻くように、シベリア抑留者らしき防寒具に身を包んだ男たちが、巨大な斧や鋸を手にして立っているのだが、痩せ細った男たちのなかには、防寒帽の下にあるべき顔がない者や、死神のごとく髑髏のような顔をした者も混じっている。
画家のタッチは粗く、荒涼とした空気が漂う。


いっぽう画面右上の遠景には雪はなく、秋の野山のようなのどかな風景が広がり、そこに集った人々はまるでピクニックに来たようにリュックを背負い、それぞれが思い思いに腰を下ろしたり、楽しげに写真を撮ったりしている。


どうやら墓標のまわりに佇む一団は、抑留者たちの亡霊らしい。彼らの魂はまだシベリアに抑留されたまま、寒さと飢えにあえいでいる。

それにたいし画面右奥に描かれている人々は、かつての抑留地を訪れた、豊かで平和な時代の観光客だろうか。
過去と現在、あの世とこの世、地獄と平穏が、一枚の絵のなかで交錯し、折り重なる。

鎮魂と称して、墓標の前に花や缶詰を供えつつも、そこを訪れる行為自体が、人々にとって一種のレジャーとなっている。

過酷な環境に身を置いたことのない現代人に、その苦しみを分かれというのは無理な話だが、その「悪意のない無邪気さ・無感覚さ」を、画家は犠牲者の視点から描いたのかもしれない。



同様の制作意図を感じさせたのが、同じく1993年に描かれた《1946年埋葬者を搬ぶ私を写生する1993年の私》だった。

1946年のシベリア抑留時代に、犠牲になった仲間たちの遺体を運ぶ列。その列のなかの自分を、1993年の自分が描いている。

犠牲者の遺体を運ぶ列を傍観する人々のなかには、四国五郎のほかにも、1990年代の日本人や外国人も描かれ、みな観光地を訪れたツアー客のようにカメラを掲げて埋葬者の列を物珍しげに撮影している。

安全な「平和の高み」から、かつての過酷な現実を見下ろす人々。

画家は自戒と自責の念もこめて、この作品を描いたのだろうか。

いまでもサイパンなど世界各地で慰霊碑ツアーが行われ、自然災害の被災地でさえ観光地化している場所もある。悲惨な過去を持つ土地が娯楽化されていないだろうか? 訪れた人たちの思いは真剣でも、そこにさまよう亡霊たちの目に、その姿はどう映っているのだろうか? 


広島の原爆を描いた代表作の絵本『おこりじぞう』も、温かくて、残酷で、怖くて、悲しくて……多くの人に読んでもらいたい作品だった。

思いがけず、良い画家に出会えた。



全長7メートルのマチカネヤマワニの化石のレプリカ
(本物は3階に展示)



2019年6月10日月曜日

万能を一心につなぐ ~山崎正和名誉教授文化勲章記念フォーラム

2019年6月8日(土)大阪大学会館・講堂
プログラムには、天野文雄先生による「能楽研究から見た戯曲《世阿弥》」なども


ひさしぶりの母校。
東京暮らしが長かったから、キャンパスを歩くとほとんど浦島太郎状態。

在学当時、山崎正和先生は文学部の「看板教授」だった(当時、天野文雄先生は演劇学助教授で、日本学科には妖怪学の泰斗・小松和彦先生もいた)。
わたしの専攻は演劇学ではなかったけれど、山崎先生の演劇学演習を受けていて、能をはじめて観たのもこの講座を通してだった。

学生時代の未熟なわたしには山崎正和先生が著した世阿弥の美学や芸術論は、読んでもピンとこなかった。でも、いま、お能に触れながら御著書を再読してみると、「ああ、こういうことだったのか」とすんなり飲み込めるようになってきた(かな?)。

たとえば、「秘すれば花なり」「万能を一心につなぐ事」について。

山崎先生によると、世阿弥は意識と無意識の対立と統一という観点から演技を説明しているという。

役者は舞や演技の部分部分を、最初は意識してつくっていく。
しかし、舞や演技を意識して行えば、それはぎこちなく「クサい」ものになってしまう。

そこで、表現を行いながらも、その表現意識を「われにも隠す」、つまり、無意識化するという徹底した自己抑制と自己訓練が必要となってくる。

稽古に稽古を重ねて、ひとつの表現がほとんど無意識的に役者の肉体から出るまで、訓練を積み重ねていく。

そうすれば、役者は表現を操作するのではなく、表現の自動的な流れによって、自分が運ばれていくような状態に達する(これが「万能を一心につなぐ事」)。

そうして観客が乗せられている陶酔の流れに、役者もまた乗せられゆく。
ここではじめて、分裂していた表現者と鑑賞者はひとつに融合することができる━━。


山崎正和先生によるこうした世阿弥の芸論解釈を再読して思い至るのは、先日、大倉流祖先祭で観た片山九郎右衛門師による舞囃子《邯鄲》だ。


私が目にしたのは、まさに徹底した自己抑制と自己訓練の果てに実現した究極の舞であり、その陶酔の流れのなかで、表現者と鑑賞者がひとつに融合した状態ではなかっただろうか。



フォーラムの鼎談では、教授会の裏話がメインだったけれど、配布された能楽学会編による山崎先生のインタビュー記事は一読の価値あり。

記事では「力なく見所を本とする」という世阿弥の言葉についても語られている。
「力なく」というのは、「やむを得なく」ということ。
世阿弥は、「どんなにがんばっても、役者というものは観客に理解されなければどうしようもない」「それが役者の宿命であり、やむを得ないことである」ということを嫌というほどわかっていて、その宿命を受け入れたうえで、この問題に対する戦略として数々の理論書・伝書を書いたのだろう。

山崎先生が29歳の時に書いた戯曲《世阿弥》(*)にも、元雅のセリフにこんな言葉がある。

「役者の命は見物です。人気です」

「見物ほど世に気まぐれなものはありませぬ。何が面白いのか、私自身わからぬ私に手を叩く。そうかと思うとつかの間に、人気は私を見放している。私は喝采などというものを、一日も真に受けたことはありませぬ。そのくせ私という男は、見物のあの喝采の中にしか命はないのだ」



*戯曲《世阿弥》が俳優座で上演されたときの演出助手が観世栄夫。その縁から、山崎先生は銕仙会と親しくなり、観世寿夫と『冥の会』をつくって、能の伝統と西洋の演劇を結びつける仕事もされたという。




2019年6月7日金曜日

大阪能楽養成会研究発表会《殺生石》など&終了セレモニー

2019年6月6日 大槻能楽堂

能《殺生石》シテ 寺澤拓海
 ワキ喜多雅人 アイ善竹隆司
 槌矢眞子 成田奏 山本哲也 中田弘美
 後見 赤松禎友 西野翠舟
 地謡 齊藤信輔 上野雄介
    大槻裕一 浦田親良

仕舞《敦盛キリ》金春飛翔
 金春穂高 金春嘉織

小舞《貝尽し》小西玲央
 善竹彌五郎 善竹隆司 上吉川徹

舞囃子《巻絹》高林昌司
 貞光智宣 清水皓祐 山本寿弥 中田一葉
 高林白牛口二 高林呻二

舞囃子《松虫》西野翠舟
 貞光智宣 清水皓祐 山本寿弥
 大槻裕一 浦田親良 寺澤拓海

終了セレモニー




大倉流祖先祭の余韻冷めやらぬまま、ふたたび大槻能楽堂へ。
大阪能楽養成会にうかがうのは半年ぶりでしたが、以前にも増して熱気があり、若いエネルギーが炸裂。レベルの高さをあらためて実感しました。どれも見応えがあって、お世辞抜きですごかったです!



能《殺生石》
びっくりするくらい、よかった!
シテの寺澤拓海さん、うまいですね。
冒頭から、手ごたえのあるシテの出。唐織姿がスーッとしていて美しく、かつて鳥羽院の寵愛を受けた絶世の美女にふさわしい。妖しい雰囲気さえ漂っている。
面を掛けていても、よく通る声が聴きとりやすく、謡も見事。

大小鼓の息もぴったりで、成田奏さんの艶のある掛け声と槌矢眞子さんの笛が、那須野の原の荒涼とした風景を描写する。

中入直前、「石に隠れ失せにけりや、石に隠れ失せにけり」で、クルクルッと素早くまわって石の作り物に消えてゆくシテの姿が、狡猾で敏捷なキツネの影と重なって見える。
妖狐の本性が見え隠れする瞬間。


物着も装束付は研修生の方々。前シテの唐織着流もピシッと決まっていたけれど、後シテもきれいな着付。


後場の山場、三浦・上総両介の軍勢に追い詰められ、射伏せられる場面は難しい型の連続。ここが観ていて爽快なほど型のつながりが流麗で、どの瞬間をとっても身体の線が崩れず、きれい。
「御僧に約束固き石となって」で、飛び返りで下居して、左袖を頭上で返し、ビシッと決めポーズ。最後は、左袖をまいて留拍子。

この若さで、このクオリティ。拍手喝采を送りたい。




仕舞《敦盛キリ》
奈良の金春流は型のスタイルも謡の節も他流とはあまりにも違うので、わたしにはよく分からないのですが、どういうわけか不可思議な魅力があって、強力な磁石に吸い寄せられるように、舞台に引き込まれてしまう。

金春飛翔さんの舞と地謡の謡にはいつもながら強い呪力があり、敦盛の最期を再現することでその霊を弔う「鎮魂の儀式」を観ているよう。

独自の芸風、他流では味わえない独自の魅力。
この方の舞を観るのが、大阪養成会の楽しみのひとつ。



小舞《貝尽し》
《玉井》の華やかな舞台を思い出しますね。
この日は、小西玲央さんの養成会修了式。その晴れやかな門出にふさわしい晴れやかな曲。


 
舞囃子《巻絹》
これもよかった!
シテの高林昌司さんは相変わらず謡がいい。
そして、立ち上がって構えたときから、巫女らしい清らかなしなやかさと柔らかみがあり、舞姿がとても優雅。

神楽は、下掛りなので五段六節たっぷりある本五段。
笛の貞光智宣さんが最初は苦しそうだったけれど、ベテランの清水皓祐のリードもあって徐々にテンポを増し、後半の七つユリからさらにアップテンポとなり、トリップ感が高まって、こちらの気分も盛り上がる! これだよね、五段神楽の醍醐味は!

最後の「神はあがらせ給ふと云ひ捨つる」で、放心したように安座したシテの身体から、憑依した神がふう~っと抜けていった。
ここの表現がとりわけ見事でした。





舞囃子《松虫》
西野翠舟さん、この方も上手い!
緩急のつけ方にセンスがあるし、舞姿がキリッと引き締まってかっこいい。
終了セレモニーで知ったけれど、一般公募で研修生になられた方なんですね。それでこんなに上手いなんて驚きです!

お囃子もいい!
大鼓の山本寿弥さんがノリにノッテいて、黄鐘早舞のような曲がお好きなんだろうなあと思う。先日の片山九郎右衛門さんが舞った《邯鄲》の大鼓も気合が入っていて、凄くよかった。音色もとてもきれい。
貞光さんの笛にも躍動感があって、こちらの胸も高鳴ってくる。



大阪能楽養成会修了式
最後は、舞台上で修了証書の授与式。
大槻文蔵師や成田達志さん、会長さん(?)たちから修了生へ授与。

終了された方々は、専科(お家の子弟)が浦田親良さん、大槻裕一さん、寺澤拓海さん、一般公募生が小西玲央さん、西野翠舟(みふね)さん。
いずれも精鋭ぞろい。
今後のご活躍がほんとうに楽しみ。

おめでとうございます!



2019年6月4日火曜日

大倉流祖先祭~大槻能楽堂改修記念

2019年6月4日(火) 大槻能楽堂
番組(拝見したもののみ記載)
舞囃子《高砂》分林道治
 赤井要佑 社中の方 木村滋二 中田弘美
 味方玄 寺澤幸祐 武富康之

舞囃子《花月》大槻裕一
 赤井要佑 社中の方 上野義雄
 上野雄三 上野雄介 上野雄吾

舞囃子《玉之段》赤松禎友
 斉藤敦 社中の方 辻芳昭
 大槻文蔵 武富康之 大槻裕一

舞囃子《淡路》金剛龍謹
 斉藤敦 社中の方 山本哲也 中田弘美
 金剛永謹 種田道一 惣明貞助

《水無月祓》味方玄×桂吉坊

舞囃子《蓮如》青木道喜
 杉市和 社中の方 木村滋二 中田弘美
 片山九郎右衛門 味方玄 分林道治

舞囃子《鷺》大槻文蔵
 赤井啓三 社中の方 辻芳昭 三島元太郎
 上野朝義 上野雄三 長山耕三

舞囃子《自然居士》味方玄
 斉藤敦 社中の方 山本哲也
 片山九郎右衛門 寺澤幸祐 大槻裕一

舞囃子《卒都婆小町》金剛永謹
 斉藤敦 社中の方 辻芳昭
 種田道一 金剛龍謹 惣明貞助

舞囃子《安宅・瀧流之伝》梅若紀彰
 赤井啓三 社中の方 山本哲也
 片山九郎右衛門 青木道喜 寺澤幸祐

舞囃子《放下僧》梅若猶義
 赤井啓三 社中の方 上野義雄
 梅若紀彰 分林道治 大槻裕一

舞囃子《船弁慶》金剛永謹
 杉市和 社中の方 上野義雄
 種田道一 金剛龍謹 惣明貞助

舞囃子《三輪》大槻文蔵
 杉市和 社中の方 山本哲也 三島元太郎
 梅若紀彰 梅若猶義 赤松禎友

舞囃子《班女》上野雄三
 赤井啓三 社中の方 上野義雄
 上野朝義 上野朝彦 上野雄介

舞囃子《安宅》金剛龍謹
 杉市和 社中の方 辻芳昭
 金剛永謹 種田道一 惣明貞助

舞囃子《邯鄲》片山九郎右衛門
 左鴻泰弘 社中の方 山本寿弥 上田悟
 青木道喜 味方玄 長山耕三

ほか、舞囃子、居囃子、一調など多数。



ひと言でいうと、すっごい会だった。
好きな能楽師さん、超一流の能楽師さんたちの真剣立合勝負。
とくに片山九郎右衛門vs梅若紀彰vs味方玄という、今を時めく舞の名手の三つ巴の激突がとにかく、凄まじかった。

九郎右衛門さんと梅若紀彰さんの対決で思い出すのは、4年前の佳名会・佳広会(亀井忠雄・広忠師社中会)。
あのときは、九郎右衛門さん、紀彰さんがそれぞれ舞囃子を2番ずつ舞われて、「犬王・道阿弥vs世阿弥の立合もかくやらん」と思わせるほど、わが観能史に残る名試合だった。
あの日の感動をさらに上回るような舞台に出逢えるなんて!!

以下は、簡単なメモ。


舞囃子《高砂》分林道治
この日はじめて気づいたけれど、分林さんの《高砂》は、九郎右衛門さんの芸風によく似ている。緩急のつけ方も、足拍子のタイミングも、型の微妙な角度まで。片山一門の中堅は皆さん見応えがあります。

赤井要佑さんの笛を聴くのははじめてかも。赤井啓三さんの御子息かな? 美しい音色の良い笛。関西の笛方さんはほんと粒ぞろい。



《水無月祓》味方玄×桂吉坊
さすがは源次郎さんのお社中、上手い方が多い。
なかでも桂吉坊さんは米朝一門だけあって、長唄・三味線・笛・太鼓だけでなく、小鼓も相当な腕前。音色もきれいだし、掛け声も見事。謡のお師匠様は味方玄さんでしょうか? 本業だけでも超多忙なのに、それぞれの芸事をこのレベルまでお稽古されるなんて……努力家で多才な方なんですね。



舞囃子《蓮如》青木道喜
青木道喜師作曲の《蓮如》。
盤渉早舞っぽい舞事が入ります。詞章はあまり聞き取れなかったけれど、蓮如の功績や教義的なものが織り込まれていたような。来年あたり、本願寺の能舞台で上演されるのでしょうか。



舞囃子《自然居士》味方玄
味方玄さんの舞台は、能よりも舞囃子が好きだなあ。味方さんの能は感動する時と、そうでないふつうの時があるけれど、舞囃子はほとんどすべて素晴らしい。
そしていつも思うのは、片山一門のなかでいちばん「幽雪」的なものを感じさせるのが味方玄さんだということ。恐ろしいくらいの集中力と、舞台に対する妄執ともいえるくらいの、燃えたぎる執念と情念。舞台に立ったときの目つきと気迫が、幽雪師の生き写しのよう。




舞囃子《安宅・瀧流之伝》梅若紀彰
東京を離れるときに心残りだった能楽師さんの一人が、梅若紀彰さん。
関西ではめったに拝見できないから、最初に番組をいただいたときは狂喜乱舞したくらい。ずっと、この日を心待ちにしていた。

4年前の佳名会・佳広会の時は、《安宅・延年之舞》と《邯鄲》を舞われたけれど、この日は《安宅》の「瀧流之伝」。深緑の色紋付と黄土色の袴という、いつもながらおしゃれな出立。

「瀧流」では、盃に見立てた扇を目付柱の前に投げ、盃を流れに浮かべる型を見せたり、橋掛りへ行く代わりに(舞囃子なので)脇正で水の流れを見込み、曲水を流れる盃を目で追いかけたりするなどの所作が入る。

次はいつ拝見できるだろう?
そう思うと一瞬一瞬が貴重で、一瞬一瞬を心に刻み付けるように味わっていた。舞囃子1番では足りないくらい。《三輪》の地頭もされていたけれど、紀彰さんの神楽物、観てみたかったな。
また、関西にも来てくださいね。

(紀彰さんの舞台でいちばん感動したのが、第一会紀彰の会の《砧》。あのときの太鼓は観世元伯さんだった。元伯さんを最後に観たのも、紀彰さんの社中会だった。東京の能楽師さんを拝見すると、懐かしさとともに、悲しい思い出もこみあげてくる。せつなくて、胸が苦しくなるけれど、こうして思い出して書き記すことが、きっと最高の供養になると思うから。)




舞囃子《邯鄲》片山九郎右衛門
九郎右衛門さん、凄かった!!
切戸口から舞台に入って来た時から、殺気めいた気迫がみなぎっていて、なにかもう、ここではない、別の次元にいた。
おおげさではなく、怖れというか、畏怖の念すら覚えた。
もはや立合ではなくなっていた。
比較対象が存在しない。
ただひとり別次元の高みで君臨する、無双の王者だった。

その姿を前にして、
わたしの身体がまばたきを拒否していた。
全身が「目」となって、ただただ、貪欲にその姿を追っていた。
まばたきを忘れているのに、
目が乾く間もなく、涙があふれてくる。

ストーリーの展開も、意味も、もうどうでもよかった。
ただもう、異次元の凄いものを目の当たりにして、その感動で跳ね飛ばされそうになりながら、必死でしがみつくように舞台を凝視していた。

お菓子を食べていた前列の女性グループも、おしゃべりしていた年配の団体も、ポカンと口を開けて舞台に見入っていた。
見所全体が九郎右衛門さんとともに、ここではない別の次元に運ばれて、意識が遠のくような美しい夢を見ていた。

わたしの理想とする、言葉も意味も超えた舞台。

この感覚をいつまでも覚えていたい。
ありがとうございました。