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2019年6月4日火曜日

大倉流祖先祭~大槻能楽堂改修記念

2019年6月4日(火) 大槻能楽堂
番組(拝見したもののみ記載)
舞囃子《高砂》分林道治
 赤井要佑 社中の方 木村滋二 中田弘美
 味方玄 寺澤幸祐 武富康之

舞囃子《花月》大槻裕一
 赤井要佑 社中の方 上野義雄
 上野雄三 上野雄介 上野雄吾

舞囃子《玉之段》赤松禎友
 斉藤敦 社中の方 辻芳昭
 大槻文蔵 武富康之 大槻裕一

舞囃子《淡路》金剛龍謹
 斉藤敦 社中の方 山本哲也 中田弘美
 金剛永謹 種田道一 惣明貞助

《水無月祓》味方玄×桂吉坊

舞囃子《蓮如》青木道喜
 杉市和 社中の方 木村滋二 中田弘美
 片山九郎右衛門 味方玄 分林道治

舞囃子《鷺》大槻文蔵
 赤井啓三 社中の方 辻芳昭 三島元太郎
 上野朝義 上野雄三 長山耕三

舞囃子《自然居士》味方玄
 斉藤敦 社中の方 山本哲也
 片山九郎右衛門 寺澤幸祐 大槻裕一

舞囃子《卒都婆小町》金剛永謹
 斉藤敦 社中の方 辻芳昭
 種田道一 金剛龍謹 惣明貞助

舞囃子《安宅・瀧流之伝》梅若紀彰
 赤井啓三 社中の方 山本哲也
 片山九郎右衛門 青木道喜 寺澤幸祐

舞囃子《放下僧》梅若猶義
 赤井啓三 社中の方 上野義雄
 梅若紀彰 分林道治 大槻裕一

舞囃子《船弁慶》金剛永謹
 杉市和 社中の方 上野義雄
 種田道一 金剛龍謹 惣明貞助

舞囃子《三輪》大槻文蔵
 杉市和 社中の方 山本哲也 三島元太郎
 梅若紀彰 梅若猶義 赤松禎友

舞囃子《班女》上野雄三
 赤井啓三 社中の方 上野義雄
 上野朝義 上野朝彦 上野雄介

舞囃子《安宅》金剛龍謹
 杉市和 社中の方 辻芳昭
 金剛永謹 種田道一 惣明貞助

舞囃子《邯鄲》片山九郎右衛門
 左鴻泰弘 社中の方 山本寿弥 上田悟
 青木道喜 味方玄 長山耕三

ほか、舞囃子、居囃子、一調など多数。



ひと言でいうと、すっごい会だった。
好きな能楽師さん、超一流の能楽師さんたちの真剣立合勝負。
とくに片山九郎右衛門vs梅若紀彰vs味方玄という、今を時めく舞の名手の三つ巴の激突がとにかく、凄まじかった。

九郎右衛門さんと梅若紀彰さんの対決で思い出すのは、4年前の佳名会・佳広会(亀井忠雄・広忠師社中会)。
あのときは、九郎右衛門さん、紀彰さんがそれぞれ舞囃子を2番ずつ舞われて、「犬王・道阿弥vs世阿弥の立合もかくやらん」と思わせるほど、わが観能史に残る名試合だった。
あの日の感動をさらに上回るような舞台に出逢えるなんて!!

以下は、簡単なメモ。


舞囃子《高砂》分林道治
この日はじめて気づいたけれど、分林さんの《高砂》は、九郎右衛門さんの芸風によく似ている。緩急のつけ方も、足拍子のタイミングも、型の微妙な角度まで。片山一門の中堅は皆さん見応えがあります。

赤井要佑さんの笛を聴くのははじめてかも。赤井啓三さんの御子息かな? 美しい音色の良い笛。関西の笛方さんはほんと粒ぞろい。



《水無月祓》味方玄×桂吉坊
さすがは源次郎さんのお社中、上手い方が多い。
なかでも桂吉坊さんは米朝一門だけあって、長唄・三味線・笛・太鼓だけでなく、小鼓も相当な腕前。音色もきれいだし、掛け声も見事。謡のお師匠様は味方玄さんでしょうか? 本業だけでも超多忙なのに、それぞれの芸事をこのレベルまでお稽古されるなんて……努力家で多才な方なんですね。



舞囃子《蓮如》青木道喜
青木道喜師作曲の《蓮如》。
盤渉早舞っぽい舞事が入ります。詞章はあまり聞き取れなかったけれど、蓮如の功績や教義的なものが織り込まれていたような。来年あたり、本願寺の能舞台で上演されるのでしょうか。



舞囃子《自然居士》味方玄
味方玄さんの舞台は、能よりも舞囃子が好きだなあ。味方さんの能は感動する時と、そうでないふつうの時があるけれど、舞囃子はほとんどすべて素晴らしい。
そしていつも思うのは、片山一門のなかでいちばん「幽雪」的なものを感じさせるのが味方玄さんだということ。恐ろしいくらいの集中力と、舞台に対する妄執ともいえるくらいの、燃えたぎる執念と情念。舞台に立ったときの目つきと気迫が、幽雪師の生き写しのよう。




舞囃子《安宅・瀧流之伝》梅若紀彰
東京を離れるときに心残りだった能楽師さんの一人が、梅若紀彰さん。
関西ではめったに拝見できないから、最初に番組をいただいたときは狂喜乱舞したくらい。ずっと、この日を心待ちにしていた。

4年前の佳名会・佳広会の時は、《安宅・延年之舞》と《邯鄲》を舞われたけれど、この日は《安宅》の「瀧流之伝」。深緑の色紋付と黄土色の袴という、いつもながらおしゃれな出立。

「瀧流」では、盃に見立てた扇を目付柱の前に投げ、盃を流れに浮かべる型を見せたり、橋掛りへ行く代わりに(舞囃子なので)脇正で水の流れを見込み、曲水を流れる盃を目で追いかけたりするなどの所作が入る。

次はいつ拝見できるだろう?
そう思うと一瞬一瞬が貴重で、一瞬一瞬を心に刻み付けるように味わっていた。舞囃子1番では足りないくらい。《三輪》の地頭もされていたけれど、紀彰さんの神楽物、観てみたかったな。
また、関西にも来てくださいね。

(紀彰さんの舞台でいちばん感動したのが、第一会紀彰の会の《砧》。あのときの太鼓は観世元伯さんだった。元伯さんを最後に観たのも、紀彰さんの社中会だった。東京の能楽師さんを拝見すると、懐かしさとともに、悲しい思い出もこみあげてくる。せつなくて、胸が苦しくなるけれど、こうして思い出して書き記すことが、きっと最高の供養になると思うから。)




舞囃子《邯鄲》片山九郎右衛門
九郎右衛門さん、凄かった!!
切戸口から舞台に入って来た時から、殺気めいた気迫がみなぎっていて、なにかもう、ここではない、別の次元にいた。
おおげさではなく、怖れというか、畏怖の念すら覚えた。
もはや立合ではなくなっていた。
比較対象が存在しない。
ただひとり別次元の高みで君臨する、無双の王者だった。

その姿を前にして、
わたしの身体がまばたきを拒否していた。
全身が「目」となって、ただただ、貪欲にその姿を追っていた。
まばたきを忘れているのに、
目が乾く間もなく、涙があふれてくる。

ストーリーの展開も、意味も、もうどうでもよかった。
ただもう、異次元の凄いものを目の当たりにして、その感動で跳ね飛ばされそうになりながら、必死でしがみつくように舞台を凝視していた。

お菓子を食べていた前列の女性グループも、おしゃべりしていた年配の団体も、ポカンと口を開けて舞台に見入っていた。
見所全体が九郎右衛門さんとともに、ここではない別の次元に運ばれて、意識が遠のくような美しい夢を見ていた。

わたしの理想とする、言葉も意味も超えた舞台。

この感覚をいつまでも覚えていたい。
ありがとうございました。






2018年3月2日金曜日

新演出《玉井・龍宮城》後場~国立能楽堂企画公演

2018年2月28日(水)18時30分~21時 国立能楽堂

能《玉井・竜宮城》シテ豊玉姫 梅若紀彰
   海龍王 梅若実(玄祥改め)玉依姫 川口晃平 
   彦火々出見尊 福王和幸
   栄螺の精 野村又三郎 鮑の精 松田高義
   板屋貝の精 藤波徹  蛤の精 奥津健太郎
   法螺貝の精 野口隆行
   杉信太朗 大倉源次郎 國川純 観世元伯→小寺真佐人
   後見 梅若長左衛門 小田切康陽 山中迓晶
   地謡 観世喜正 山崎正道 鈴木啓吾 角当直隆
      佐久間二郎 坂真太郎 中森健之介 内藤幸雄


《玉井・龍宮城》前場からのつづき

【後場】
〈ワキの出、シテ・ツレの出→天女の舞〉
出端の囃子で、龍宮城の引廻シが下され、シテ・ツレが登場。

龍宮城の中で床几に掛かるホオリは、皇室の祖であることを示す高貴な紫の狩衣姿。
珍しいワキの中入での物着は、豊玉姫の懐妊によるホオリの神話的立ち位置の変化をあらわすためでしょうか。

(それにしても、ワキが大小前の宮のなかでずっと床几に掛かっているという演出は、福王和幸さん以外では成り立たないかも……絵的に。)


後シテ・ツレは、いずれも泥眼の面に緋色の舞衣、天冠龍戴、黒垂。
前場では、シテは増、ツレは小面で、装束の文様にも違いがあり、シテとツレの格の区別が明確だったのですが、後シテはほぼ同装。


天女の舞は、最初から最後まで相舞だったけど、途中からシテ単独の舞にして、シテの存在を際立たせるやり方のほうがよかったかも。
(その場合、装束も豊玉姫の装束をツレと同装ではなく、白地金紋の舞衣にして。)

とはいえ、ツレの川口さんの舞も以前にも増して丁寧できれい。久しぶりに拝見できてよかった!



〈海龍王の存在感!〉
龍王は、通常は大ベシで登場するところを、今回はシテ・ツレの後に続く形で橋掛りに出現。

ド迫力の牙悪尉の面に白頭、大輪冠(大龍戴)、狩衣、半切、鹿背杖。
この出立、玄祥改め梅若実以上に似合う人はいないっていうくらい、玄祥改め梅若実そのもの。
とくに牙悪尉の面には威力があり、生半可な役者では太刀打ちできないような強さ・怖さがある。
梅若実師だからこそ使いこなして、わが身と一体化させることができる、そんな力強い悪尉です。

この姿を見て、やはり今回の演出には梅若実師は欠かせなかったのだと妙に納得。

だいぶお痩せになり、足腰も不安定なのでお身体を心配したのですが、この存在感、カリスマ性、全身から立ち昇る気迫。
それだけで十分すぎるほどの説得力を持ってしまう。

新演出のあれこれが必然だったのだと、海龍王の姿を見て、なんとなく腑に落ちたのでした。





〈付記〉
観世元伯さんのお名前が公演チラシに載るのも、おそらくこれが最後。
(プログラムではもう小寺真佐人さんのお名前になっていた。)
ひとつの時代が終わり、
わたしにとっても、ひとまず、この公演がひとつの区切り。















2018年3月1日木曜日

《玉井・龍宮城》前場~近代絵画と能~水底の彼方から

2018年2月28日(水)18時30分~21時 国立能楽堂



復曲狂言《浦島》シテ浦島 野村又三郎
   アド孫 野村信朗 アド亀の精 奥津健一郎
   地謡 奥津健太郎、野口隆行 伴野俊彦

能《玉井・竜宮城》シテ豊玉姫 梅若紀彰
   海龍王 梅若実(玄祥改め)玉依姫 川口晃平 
   彦火々出見尊 福王和幸
   栄螺の精 野村又三郎 鮑の精 松田高義
   板屋貝の精 藤波徹  蛤の精 奥津健太郎
   法螺貝の精 野口隆行
   杉信太朗 大倉源次郎 國川純 観世元伯→小寺真佐人
   後見 梅若長左衛門 小田切康陽 山中迓晶
   地謡 観世喜正 山崎正道 鈴木啓吾 角当直隆
      佐久間二郎 坂真太郎 中森健之介 内藤幸雄



日本近代洋画でいちばん好きな《わだつみのいろこの宮》をテーマとする企画公演。

新演出《玉井・龍宮城》は、舞台全体がゴージャスで、風流能の醍醐味がいかんなく発揮され、天津神の高貴な眩さを前面に押し出した、青木繫の傑作にふさわしいつくり。
道具・作り物にも種々の工夫が凝らされ、現行よりも詞章の内容を忠実に映像化した演出と緻密な構成でした。

ただ、紀彰さんのシテが目当てだった者としては、年に一度の国立能楽堂主催公演の貴重なシテの機会なのに、ツレ的扱いだったことが惜しまれます。
昨年の《二人静》も出番がめちゃくちゃ少なかったし。
天冠舞衣姿での天女の舞を拝見できたのはうれしかったけど……。
(舞台自体は新演出にもかかわらず緊密で緩みがなく、十分に満喫。やっぱり能楽鑑賞はたのしい。)




【前場】
大小前に、緋色の引廻シで覆われた龍宮城(一畳台+小宮)の作り物。
正先には、幤を張り巡らせた井筒の作り物。
通常は脇座前に置かれる桂の立木はカットされ、代わりに井筒の右端に桂木をセット。
(こういう省略・兼用の工夫もセンスがいい。)



〈ワキの出:半開口→名ノリ笛〉
常の《玉井》では半開口(置鼓)でワキが登場しますが、今回の演出では、半開口の音取置鼓部分はカットされ、それに続く名ノリ笛で登場。
とはいえ、笛の独奏だけでなく、源次郎さんの置鼓ノ地っぽい(?)小鼓も入り、この源次郎さんの小鼓がとても素敵でした。

ワキのホオリの出立は、狩衣・白大口・唐冠という、常の《玉井》と同じ。
(ワキツレは省略。)



〈シテ・ツレの出〉
登場楽は真ノ一声が、一声に変更。
「はかりなき齢をのぶる」から「清き水ならん」もカットされるため、橋掛りで向き合うことなく、シテ・ツレはそのまま舞台へ。

豊玉姫は亀甲文の唐織、玉依姫は鱗文の鬘帯という、龍宮城の姫君たちの正体(大鰐(鮫)などの海洋生物)をほのめかす出立。

ここのシテとツレの連吟が耳に心地よい。
シテの音域を補い、その良さを巧く引き出すような、ツレの謡。
川口さんの謡は以前から好きだったけれど、やっぱりいいですね。
良い意味でハモるような美しい連吟。
詞章もはっきり聞き取れ、シテ・ツレ連吟にありがちな冗漫さを感じさせない。
(成人後にこの世界に入って、これだけ謡のうまい人はあまりいないのではないでしょうか。音感の良さはもとより、きっと相当努力されているのでしょう。)




〈クリ・サシ・クセ〉
輝くばかりに美しいホオリに出逢った豊玉姫は、釣針を探すという口実で、父母に引き合わすべく、ホオリを龍宮城へ誘います。
(育ちのいいイケメンは得という、ミもフタもない話。)


ここで正先の井筒が撤収され、舞台正面の視界がスッキリ開けたところで、新演出のポイントのひとつ。
クリ・サシ・クセでは、通常はシテが正中下居するところを、ワキが正中で床几に掛かり、シテは脇座で下居します。

シテのセリフをワキが謡うのですが、あらめて詞章を見ると、
クセでは、ホオリが釣針を探しに来たいきさつが地謡によって語られるので、ワキを正中に据えて、その語りを地謡が代弁する、という形も成り立つのかも。

(個人的には紀彰さんが脇座に控えるのではなく、正中にいてほしかったのですが。)



〈中入〉
この中入も趣向が凝らされていて、ワキが龍宮城の作り物に入って物着。
シテ・ツレは、来序で橋掛りから中入。
来序冒頭のシテの足遣いがきれいでした。

ここで、替間《貝尽し》となります。
通常の《貝尽し》よりも短めですが、やんややんやの楽しい酒宴。



《玉井・龍宮城》後場につづく






2017年7月9日日曜日

《二人静》前半・国立能楽堂普及公演~音阿弥没後550年

2017年7月8日(土) 13時~15時40分 国立能楽堂
狂言《入間川》からのつづき

能《二人静》シテ菜摘女 梅若万三郎
      ツレ静の霊 梅若紀彰
   ワキ勝手宮神主 福王和幸 アイ神主の従者 茂山逸平
   松田弘之 幸清次郎 亀井広忠
   後見 加藤眞悟 松山隆之
   地謡 伊藤嘉章 馬野正基 青木一郎 八田達弥
      長谷川晴彦 梅若泰志 古室知也 青木健一



初世万三郎と二世梅若実の兄弟がいかに気が合っていたかを示すエピソードとして、二人静の相舞のことが『亀堂閑話』と『梅若実聞書』にそれぞれ語られている。

万六時代の再来のような、両家の名舞手どうしの共演か!?
と思ったが、今回は相舞ではなく、《二人静》の小書「立出之一声」(静の霊が橋掛りから菜摘女の舞を操り、のちに二人の相舞となる演出)の祖型となった観世元章の試案を上演するというもの。

プログラムによると、これは、観世文庫の「小書型付」にもとづく演出で、通常はシテとなる静御前は前半に少し登場するのみで、今回シテとなる菜摘女が後半(クセも序ノ舞)も一人で舞い通すとのこと。

つまり、本来の《二人静》は憑き物の曲だったが、のちに相舞が加わり、現在は相舞のほうがはるかにメジャーになっているのを、音阿弥特集にちなんで、おそらく音阿弥が舞ったであろう形(《二人静》の古態?)での上演を試みる、ということなのかもしれません。




〈ワキの神主登場→アイの神主の従者に呼び出されてシテの登場〉
若菜摘の神事を行うので女たちに申し付けよ、との神主の命を受けて、従者が菜摘女を呼び出す。

一声の囃子で登場したシテの菜摘女は、白水衣に縫箔腰巻の出立。
手には若菜を入れた籠。
面は出目満永の小面。
無垢な可愛らしさよりも、憑依体質というのだろうか、いかにも霊に魅入られ、その媒介者になりやすそうな「美しい器」を思わせる顔立ち。


幕から出たシテの姿には生気がなく、橋掛りをゆくハコビも小刻みで弱々しい。
以前よりも背中が屈んで見える。
不調なのだろうか。  それとも……。

この日のシテは絶句する場面も多く、前半は、生の無常を感じさせた。
(それでも、後半には万三郎師ならではの耽美的な世界が展開します。)


〈静の霊登場〉
女が若菜を摘んでいると、どこからともなく、呼びかける声が━━。

揚幕の奥に佇む静御前の霊。

紀彰さん、やっぱりきれいだ……。

見所のごく一部にしか見えない、鏡の間との境目くらいの揚幕の奥にいる段階から、ツレはすでに、まぎれもなく静御前の霊になっている。
いや、実際には美しすぎて、静御前以上になにか高貴な存在に見え、怖ろしいくらいの気品が漂ってくる。

幕から出ると、その気品がさらに香り立つ。

(たぶん)桜と扇の文様がちりばめられた豪華な唐織に、面は河内の増。
紀彰さんには玲瓏な増女がよく似合い、所作やたたずまいがその美しい顔にじつにふさわしい。
声や謡も、あの世から彷徨い出たような、深い思いのこもった愁いのある響き。

(面・装束も両家のものだろうか。こちらの競演もため息もの。)

静御前の霊は、我が身の罪業が悲しいので、一日経を書いて弔うよう社家の人や村人たちに頼んでほしいと菜摘女に言伝をして、かき消すように消え失せてしまう。


ツレの静御前の霊は、橋掛りだけのわずかな登場。
それでも、この時だけはシテの影が薄れるほどの神秘的な存在感を示し、忘れがたい印象を残したのだった。



《二人静》後半へつづく



2017年2月16日木曜日

《錦木・替之型》後場~近代絵画と能・国立能楽堂二月定例公演

2017年2月15日(水) 13時~15時40分 国立能楽堂
《錦木・替之型》前場からのつづき

能《錦木・替之型》シテ男の霊 梅若紀彰
  ツレ女の霊 松山隆之
  アイ丸山やすし ワキ高安勝久→休演
  ワキツレ→ワキ原大ワキツレ丸尾幸生
  一噌幸弘 吉阪一郎 河村眞之介 上田慎也
  後見 梅若長左衛門 小田切康陽
  地謡 梅若玄祥→休演 観世喜正 山崎正道 角当直隆 坂真太郎
     永島充 谷本健吾 中森健之介 小田切亮磨
  働キ 川口晃平
 


【後場】
後シテの出〉
ワキ・ワキツレの待謡のあと出端の囃子で、
後見座にクツロいでいたツレが立ち上がって謡い出す。

つづいて塚のなかから、「あら有難の御弔いやな……」と、シテの謡。

地の「現れ出づるを御覧ぜよ」で引廻しが下ろされ、
塚の中で下居した後シテの姿が現れる。

出立は緑の色大口に、御舟の《錦木》の白い衣を思わせる、輝くような象牙色の水衣。
面は、憂悶の表情をした三日月。

あとの黄鐘早舞で、シテは水衣の袖を華麗に巻き上げて翻す。
あのフワッとした袖を勢いよく巻き上げるには、かなりの技術が要るのではないだろうか。
水衣の下に比較的しっかりした生地のものを着ていたのも、そのための工夫なのかも。


〈機を織る女の家を再現〉
「出で出で」「昔を現さんと」で、シテは塚から出、
「女は塚のうちに入りて」で、ツレが塚に入り、「機物を立てて機を織れば」で下居。

「夫は錦木を取り持ちて、さしたる門をたたけども」で、門に見立てた錦木を扇で叩き、
「きりはたりちやう」で、今度は機物に見立てた錦木を扇で叩く。

ツレは塚から出て、脇座で下居(ワキ・ワキツレは地謡前で下居)。


錦塚が女の家に変わるこの場面、
オレンジ色の灯りがともる家のなか、機を織る女の姿がぼうっと浮き上がり、
暗い男の姿が門を叩く、影絵のように印象深いシーン。

きり、はたり、ちやう、ちやう、というシテとツレの掛け合いが、
どこかで通い合う男女の心を感じさせる。



〈クリ・サシ・クセ〉
クセの「夫は錦木を運べば」で、シテは床に置いた錦木を再び手にして、
脇座にいる女のもとへ運んでいく。
ここがちょうど、御舟の《錦木》に描かれた場面。
白い水衣をまとったシテの姿が絵から抜け出たよう。


ツレの前に錦木を置くけれど、女は微動だにせず、草の戸は閉じられたまま。
「夜はすでに明けければ」で、鶏鳴をあらわすように小鼓がコンコンコンと打ち、
シテは立ち上がって、すごすごと帰り、
「恋の染木とも、この錦木を読みしなり」で、左袖を取り、読む所作をする。


シテ謡「思ひきや、榻のはしがき書きつめて」から、扇を開いて舞グセとなり、
シテは恋の苦悩にあえぐ舞を舞う。


そして、苦悶の果てに、
女の前に置かれた錦木を取り上げ、
「あらつれな、つれなや!」で昂った感情をあらわすように
錦木を思いっきり後ろに投げ捨て(錦木は脇座前から一の松手前まで飛んだ)、
情感のこもった男泣きの激シオリ!
替之型らしい独創的な演出だ。

しかし、絶望の淵に突き落とされた瞬間、サッと光明が射し、
錦木が千束になり、今こそは「閨の内見め」「うれしやな!」
世阿弥作らしい、奈落の底からの急展開。

シテは女と盃と交わした気持ちをユウケンであらわし、悦びの舞を舞う。



〈黄鐘早舞→終曲
もうここからは、紀彰さんの真骨頂!
袖をキリリッと巻き上げるところなど、清冽な型が冴えわたる!

小書により、常よりも早い早舞だったようだけど
(一噌幸弘さんの笛だと小書きなしでも早くなりそう)、
三段ではあっという間で、ほんとうは十三段くらい舞ってほしいくらい。


早舞後の「立つるは錦木」で閉じた扇を、要から突き立てるようにグッと立て、
「有明の影恥ずかしや」で、左手の扇で顔を隠し、
「錦木も細布も夢も破れて、松風颯々たる」から地謡が急調になり、


最後の「朝の原の野中の塚ぞとなりにける」で、
《石橋》のクライマックスに一畳台の前でワン、ツーと足拍子して飛び安座をするように、
塚の前で、右、左と足拍子してから塚に入り、くるりと正を向いて飛び安座。

その瞬間、地謡も囃子もピタッと止まり、

鮮やかな静寂が見所に沁みわたった。






近代絵画と能 《錦木・替之型》前場~梅若紀彰、御舟、世阿弥

2017年2月15日(水) 13時~15時40分 国立能楽堂
国立能楽堂二月定例公演《鐘の音》からのつづき
速水御舟《錦木》、絹本彩色、1913年、『巨匠の日本画』より

能《錦木・替之型》シテ男の霊 梅若紀彰
  ツレ女の霊 松山隆之
    アイ丸山やすし ワキ高安勝久→休演
  ワキツレ→ワキ原大 ワキツレ丸尾幸生
    一噌幸弘 吉阪一郎 河村眞之介 上田慎也
  後見 梅若長左衛門 小田切康陽
  地謡 梅若玄祥→休演 観世喜正 山崎正道 角当直隆 坂真太郎
     永島充 谷本健吾 中森健之介 小田切亮磨
  働キ 川口晃平


昨年の《菊慈童・酈縣山》(菱田春草《菊慈童》)に引き続き、紀彰さんによる「近代絵画と能」シリーズ第二弾。今回は速水御舟の《錦木》がテーマ。


世阿弥が書いた《錦木》は、御舟だけでなく、アイルランドの詩人イェーツにも霊感を与えた(『鷹の井戸』の着想源となった)。

また、《錦木》は多様な解釈が成り立つ不思議な曲でもある。
シテの男とツレの女が結ばれたのは、死後であるともとれるし、生前であるともとれる。
男が三年も通い続けた女は、たんなる人間の女ではなく、「人生で追い求めるもの」の寓意とも読み取れる。
世阿弥は、陸奥の珍しい風習を採り入れただけでなく、芸道に邁進する者の心構えのようなものをこの曲に込めたのではないだろうか。


速水御舟の人物画にはなぜかグロテスクなものが多いなか、彼が19歳の時に描いた《錦木》には、御舟自身の自画像のような、愁いのある美青年が描かれている。
この絵を仕上げた数か月後に、画家は母方の「速水」姓を名乗り、画号を「御舟」と改めた。
ゆえにこの絵は、世阿弥が《錦木》に込めた意味を汲み取ったうえで描いた、みずからの画業への御舟の決意表明とも受け取れる。

恋する女性を追い求めるように、絵の道を追求していく。
そうした真摯でひたむきな思いがこの絵からは強く伝わってくる。


梅若紀彰さんの《錦木》はどちらかというと、情念の葛藤を表現した舞台だったが、御舟の《錦木》に見られる品のある清潔感が漂い、とくに後シテの装束などに工夫が凝らされ、御舟の絵と共鳴しつつも、紀彰さんならではの創意が随所に感じられた。



前場】
ワキ・ワキツレ登場〉
高安勝久さんの代演でワキを勤められる原大さんは初めて拝見する。
関西で活躍する中堅の方なのだろうか、ハコビがきれいで、謡も、視線の表現もうまく、ワキツレの丸尾さんとともになかなか好いワキ方さんだった。
ワキ方は、佇まいがスッとしているのが大事。



〈シテ・ツレの登場〉
ワキの着きゼリフのあと、次第の囃子でシテとツレが登場する。

河村眞之介さんの大鼓が、音色も掛け声も熟成を増していて、喉の奥でゴロゴロと、音なき音を立てるような掛け声が渋い。
石井流には、苦みばしった芸風の大鼓方さんがそろっている気がする。


幕から先に出たツレは、可愛らしい小面に紅入唐織という出立。
腕には、狭布の細布をあらわす白い装束を掛けている。
松山隆之さんは過去に仕舞などを拝見しただけで、ツレで観るのは初めてだけれど、今回、美しく下居する姿(とくに後見座でクツログ姿)や立ち居振る舞い、謡のうまさから、相当実力のある方だと思った。
恋焦がれられる若い女性役を意識されたのか、謡はオペラのテノールっぽい声質で、女らしさを醸していた。


続いてシテが登場。
落ち着いた緑灰色の水衣にグレーの無地熨斗目着流。
手には、紅サンゴのような錦木。
直面だけれど、現実の男ではなく、亡霊の化身としての男という、この世とあの世のあいだを漂うような絶妙なハコビ。



〈シテ・ツレ同吟→シテの語リ→中入〉
舞台に入った男女は、錦塚をはさんで向き合い、報われぬ恋の苦しみをうたいあげたシテ・ツレの同吟がつづく。
この部分がけっこう長く、節も比較的単調で、間を持たせて見所を引き込むのは誰にとっても難しそう。
シテ・ツレとも立ち姿がきれいなので一幅の絵になり、耳よりも、目に美しい。

その後、正中下居のシテによる錦木・細布の故事と錦塚のいわれの語リが続く。

男女は、ワキの旅僧を錦塚まで案内したのち、ツレは後見座でクツロギ、シテはサシコミ・ヒラキの後、身をひるがえすようにクルリと回って、塚のなかへと消えてゆく。



間狂言
鳥の羽で織られた細布には、鷲にさらわれないよう幼子を守る働きがあり、女が細布を織っていたのもそのためであることがほのめかされる。
また、錦木の男は思いが叶わず死に、それを聞いた女も間もなく亡くなたため、二人を憐れに思った女の両親が、朽ちた錦木とともに二人を錦塚に埋葬したことが語られる。


《錦木・替之型》後場へつづく





2016年10月14日金曜日

第三回紀彰の会 花の饗宴《半蔀・立花供養》後場

2016年10月12日(水) 18時15分~21時15分  梅若能楽学院会館
第三回 紀彰の会《半蔀・立花供養》前場からのつづき

日本刺繍講師の鍔本寛子氏が制作した前シテ装束
(紀彰の会チラシより)

能《半蔀・立花供養》シテ梅若紀彰
   ワキ森常好 アイ山本東次郎
   杉信太朗 大倉源次郎 亀井広忠
   後見 梅若長左衛門 山中迓晶 松山隆之
   地謡 梅若玄祥 松山隆雄 山崎正道 小田切康陽
      鷹尾章弘 鷹尾維教 角当直隆 川口晃平



【後場】
〈後シテ登場〉
後シテは前場と同じ面に、夕顔の蔓に見立てたような金色の蔦模様をあしらった輝くばかりの白地長絹。
露は色大口と同じ黄蘗色。

全体的に花の精というよりも、白い花の女神のような気品のある神々しさを感じさせる。
ボッティチェリの描くフローラのような憂いを含んだ面影。
そして微かに狂気を秘めた、とらえどころのない艶やかさ。



シテは一の松に置かれた半蔀の作り物のなかでしばらく床几にかかったのち、「さらばと思ひ夕顔の」で立ち上がり、「草の半蔀押し上げて」で、右手にもった閉じた扇で半蔀を押し上げる所作をして、作り物から出て舞台へ。



〈クセ〉
源氏との思い出を語るクセのはじめ、シテはしばらく大小前に立ち続ける。

いつもながら紀彰師の静止の姿はまことに美しく、静止の状態も、能の舞の流れの一部であることを強く感じさせ、強力な磁場のように観る者を引き寄せる。
(静止の姿の美しさ・誘引力は、とりわけ芸の力に比例すると思う。)



「今も尊き御供養に」で、ワキに向かって下居合掌、
「(その時の思い出でられて)そぞろに濡るる袂かな」で、二度シオリ、
「(惟光を招き寄せ)あの花折れと宣へば」で、右手の扇で幕のほうを指す。

「源氏つくづくと御覧じて」から舞に入ってゆく。



〈序ノ舞〉
シテの舞う舞いそのものが、清らかな白い花の美の世界。

花の命の短さ、儚さ。
儚さゆえの一瞬のきらめき、輝き。

それらすべてが凝縮された優艶な序ノ舞。


舞の途中、三段目あたりでシテとワキが舞台の対角線上に向き合い、スーッと美しく二人揃って下居し、おごそかに合掌。


この能全体が、この日の舞台そのものが、立花供養という厳粛な儀式なのかもしれない。

夕顔の君は白い花の女神の仮の姿であって、
僧の供養に感謝して女神自身がこの世に降臨したようにわたしには思われた。



舞い終えたシテは半蔀のなかへ、そして花の世界へと還っていった。








2016年10月13日木曜日

第三回 紀彰の会~《半蔀・立花供養》前場

2016年10月12日(水) 18時15分~21時15分  梅若能楽学院会館
第三回 紀彰の会「花の饗宴」~仕舞・連吟からのつづき

東田久美子氏による、凛とした精神性を感じさせる見事な立花
終演後、舞台に置いたままにしてくださったので撮影会状態に

能《半蔀・立花供養》シテ梅若紀彰
   ワキ森常好 アイ山本東次郎
   杉信太朗 大倉源次郎 亀井広忠
   後見 梅若長左衛門 山中迓晶 松山隆之
   地謡 梅若玄祥 松山隆雄 山崎正道 小田切康陽
      鷹尾章弘 鷹尾維教 角当直隆 川口晃平


《半蔀》は二か月前に同じ能楽堂で観世宗家のものを拝見したばかりだけれど、「立花供養」の小書つきということもあり、今まで観たどの《半蔀》とも違う、梅若紀彰独自の唯一無二の《半蔀》だった。

【前場】
〈立花供養の準備〉
誰もいない能舞台に、四方正面の立花が二本の竹棒に挟まれて運び込まれ、豪華な着物に身を包んだ東田久美子氏が切戸口から入場し、立花の前でお辞儀をして、花々の調整をする。

その後、タイミングよくお調べが始まり、上演開始となる。

囃子方は去年の広忠の会《定家》と同じメンバー。
杉信太朗さんは東西をまたにかけて御活躍されているだけあって、同じメンバーで聴いてみると上達の度合いがよくわかる。


「立花供養」の小書のためか、囃子事も異なり、最初は小鼓だけが床几に掛かり笛とともに演奏し、大鼓はしばらく床に座ったまま。
音取置鼓ではないけれど、宗教儀式としての立花供養の厳かさを感じさせる。


ワキの僧侶(森常好)は、アイの寺男(山本東次郎)に立花供養の用意を命じる。
この間、ワキは後見座にクツロギ、寺男が準備が終えると正中下居、「敬って申す」と立花供養を始め、ここから囃子が入る。


東次郎さんの水衣の紫の染めが素敵だった。
上質の染料が使われているのだろう。ああいう好い色は今ではなかなか出せない。



〈前シテの登場〉
驚いたのは、前後シテともに逆髪が使われていたこと!(*追記)
その意図は最後まで分からなかったけれど、とにかく斬新な《半蔀》だ。

この女面は黒目の部分が小さく、どこか精神の安定を欠くような危うさを秘めている。
どちらかというと、五条で源氏と出会ったころの可憐な夕顔というよりも、廃屋で物の怪に取り憑かれ半ば狂気に喘ぐ夕顔の印象だろうか。


正面を向くと物凄い美人で、斜めや横から見ると危険な女性。
美が刻々とうつろってゆく。
美そのものの本質をあらわすような逆髪の面。



装束は、日本刺繍講師の鍔本寛子氏が一年以上かけて制作したもの。
重厚な唐織とは違い、余白を生かした意匠で、黄昏を思わせる薄い渋金地に白い夕顔の花が大胆にあしらわれている。
着付けたとき唐織よりも、紀彰師の身体の線に優美に沿っていた。



〈中入→間狂言〉
通常の《半蔀》の間狂言の内容のほかにも、ワキがアイに問われて、立花供養の謂れ(「千草の花を集めて仏に供せしより始まれり」)を語る場面もある。

また、アイに五条のあたりに行くよう勧められて、ワキが「おことも後より来り候へ」と言い、アイが「心得申し候」と言うので、てっきりアイも後場に登場する珍しい演出なのかと思いきや、アイは通常通り間狂言が終わると切戸口から退場した。




紀彰の会~《半蔀・立花供養》後場につづく


*追記)
このように書いたものの使用面については自信がなくなってきました。
どなたかご存知の方がいらっしゃれば、ご教示いただければ幸いです。





 

第三回 紀彰の会「花の饗宴」~仕舞・連吟

2016年10月12日(水) 18時15分~21時15分  梅若能楽学院会館

ロビーにもお花がいっぱい!

仕舞《小袖曽我》シテ梅若紀彰 ツレ松山隆之
  《舎利》  シテ山中迓晶 ツレ梅若紀彰
   地謡 山崎正道 小田切康陽 角当直隆 川口晃平

連吟《安宅》角当行雄 松山隆雄 鷹尾章弘 鷹尾維教

仕舞《二人静》シテ小田切康陽 ツレ梅若紀彰
  《龍虎》 シテ角当直隆 ツレ梅若紀彰
  《鐘之段》梅若長左衛門

連吟《琴之段》梅若玄祥 山崎正道 川口晃平

能《半蔀・立花供養》シテ梅若紀彰
   ワキ森常好 アイ山本東次郎
   杉信太朗 大倉源次郎 亀井広忠
   後見 梅若長左衛門 山中迓晶 松山隆之
   地謡  梅若玄祥 松山隆雄 山崎正道 小田切康陽
      鷹尾章弘 鷹尾維教 角当直隆 川口晃平


 
2年前の第一回紀彰の会《砧》がとても良くて、あの時のような紀彰師がこだわり抜いた美の世界をずうっと待ち焦がれていた。
梅若の能楽堂は自然光が特徴だけど、太陽光が入ると日常性が介在してしまうため、わたしは心落ち着けて非日常性を味わうことのできる夜能のほうが断然好き。
そんなわけで待ちに待ったこの日がとうとうやってきた。



まずは、仕舞・連吟から。
それにしても、シテで能を舞う前に、相舞とはいえ仕舞4番を舞われるなんて凄い!
わたしのように紀彰師の舞姿に惚れ込んで来ている方が多いだろうから、観客のニーズを心得ていらっしゃる。おそらくご自分でも舞うのがお好きなのだろう。



【仕舞】
相舞4番とも紀彰師の舞に釘づけになって、一瞬たりとも目を離すのが惜しいくらい。
非の打ちどころがどこにも見当たらない。

ふつうはあまりにも完璧すぎると、逆に心に引っかかるものがなくて物足りなく思えたりするけれど、紀彰師の場合は一瞬ごとに惹きつけられる。一瞬ごとを心に刻みつけておきたい。


相舞としてバランスが良かったのは、山中迓晶さんとの《舎利》。
迓晶さんは型が端正で体軸も腰もしっかりしていて、紀彰師とともに韋駄天と足疾鬼の迫真のバトルを展開。最後の飛び返りもピタッと美しく決まって、見応えがあった。




【連吟】
《琴之段》
玄祥師と、玄祥師の謡をよく受け継ぐ山崎さん・川口さんによる連吟。

「夜寒を告ぐる秋風」の低音から、「七尺の屏風は」や「荊軻は聞き知らで」の高音までいったいどれだけの高低差があるかと思うほど、わたしのような素人が聴いても難しそうな曲。
その難所難所で見所を魅了し、最後の、「ただ緩々と侵されて眠れるがごとくなり」では子守唄のようにそっと、やさしく、暗殺者が眠り込むのも無理はないと思わせる見事さ。
梅若らしい謡の妙を堪能した。



第三回 紀彰の会~《半蔀・立花供養》前場につづく





2016年4月21日木曜日

梅若会定式能4月《熊野・読継之伝・村雨留》終曲まで

梅若会定式能4月《熊野・読継之伝・村雨留》花見の道中まで」からのつづき

能《熊野・読継之伝・村雨留》シテ熊野 梅若紀彰
      ツレ朝顔 山中迓晶 
      ワキ平宗盛 舘田善博 ワキツレ 野口能弘
      藤田貴寛 幸清次郎 亀井実
      後見 梅若長左衛門 川口晃平
      地謡 会田昇 山崎正道 鷹尾維教 内藤幸雄
         鷹尾章弘 松山隆之 土田英貴 梅津千代司



花見の酒宴で中ノ舞・村雨留】
牛車から降りた熊野は、母の病気平癒を祈願して「清水の観音さん」に合掌。
そこへ花見の酒宴が始まったとの報らせが入る。

熊野はけなげにも宴を盛り上げようと脇正を向き、ほろ酔い気分の宴客に向かって、「さあ、この見事な桜を歌に詠みましょう!」と呼び掛ける。

ここからクリ・サシ・クセ。

サシの「花前に蝶舞う芬芬たる雪」が花下の舞を予告する鐘のように響き、
シテの微動だにしない典麗な下居姿の、黄金比で造形された彫刻のようなフォルムが観客を魅了する。


この美しい彫刻をうっとりと鑑賞するなか、諸行無常を説いたクセが流れ、
平家の栄耀も、熊野の容色も、衰亡の定めを免れないことが示される。


清水寺の酒の宴。
何もかもすべては、うららかな春の日のひとときの夢。


立ちい~でて峰の雲~


雲霞がたなびくように咲き誇る桜に、滅びの予感をしのばせながら、
熊野は静かに立ち上がり、舞い始める。

扇を上げて酒を汲み宗盛に酌をして、「深き情けを人や知る」でシオリ、立ち上がって橋掛りへ行き、二の松でしばし立ち止まり、戻りながら中ノ舞へ入ってゆく。

ここの足拍子のほとんどがやや強めだったのは、熊野の胸の内の焦燥感、「今この瞬間にも母の命が消えてしまうかもしれない」という焦りや苛立ちの表現だったのでしょうか。


とつぜん降り始めた村雨に花が散らされ、熊野は中ノ舞二段でぷっつりと舞い止める。
観客の心に、熊野の影が陽炎のようにまだ舞い続けているような余韻を残して。



【短冊ノ段→終曲】
正中下居したシテは、左袂から縦に三つ折りした白紙の短冊を取り出して開き、右手に持った閉じた扇を筆に見立てて、床上の墨に筆先を浸けるべく、沈思黙考するようにゆっくりと、優雅な所作で扇を床に下ろしてゆく。

そして短冊にさらさらと何かを書きつけ、右手で扇を開き、扇に短冊を載せて立ち上がる。


短冊のアシライが急ノ舞のようなアップテンポに変わり、熊野は自作の歌を宗盛に捧げる。
(テンポの速い囃子と熊野の真剣な行為とのミスマッチがなぜかコミカル。
→ここで急展開になるからこういう囃子なのかな?)


いかにせん都の春も惜しけれど、なれしあづまの花や散るらん  


熊野の歌に心打たれた宗盛は、君がそこまで言うのであれば、と熊野の帰省を許す。

熊野の望みを叶えてあげたい気持ちと、彼女を手放したくない思いとの間で揺れ動きつつも、最後は男気を見せた宗盛。
舘田さん演じる宗盛にはそうした心の動きがさりげなくあらわれていた。


喜んだ熊野は立ち上がっていったん幕前まで行き、一の松に戻って雲ノ扇で「明けゆくあとの山見えて」と山をのぞみ、「東に帰る名残かな」と都の春への心残りをちょっぴり滲ませながら東路を急ぐ。


宗盛に対する熊野の気持ちは最後までとらえどころがなく、永遠の謎。

二人にとってはこれが今生の別れとなり、
彼女が再び京の都を訪れることはなかったのだろうか。






2016年4月18日月曜日

梅若会定式能4月《熊野・読継之伝・村雨留》花見の道中まで

梅若会定式能4月《熊野・読継之伝・村雨留》シテ登場まで」からのつづき

能《熊野・読継之伝・村雨留》シテ熊野 梅若紀彰
      ツレ朝顔 山中迓晶 
      ワキ平宗盛 舘田善博 ワキツレ 野口能弘
      藤田貴寛 幸清次郎 亀井実
      後見 梅若長左衛門 川口晃平
      地謡 会田昇 山崎正道 鷹尾維教 内藤幸雄
         鷹尾章弘 松山隆之 土田英貴 梅津千代司



朝顔とともに宗盛邸に着いた熊野は暇を乞うために、母からの文を宗盛に見せようとする。

読継之伝の文之段】
通常ならば宗盛が、「故郷よりの文と候ふや、見るまでもなしそれにて高らかに読み候へ」と、素っ気なく言うところを、「なにと老母の方よりの文と候や、さらばもろともに読みて候べし」となり、熊野と2人で(実際には交代で)手紙を読むことになる。

ワキが独特の抑揚(節)で朗々と謡い、シテもよく響く声でしっとりと謡いあげて、オペラを思わせる情感のこもった音楽的なやり取り。


ワキの舘田さんは、大好きな熊野と何でも一緒にしたい、彼女と一緒にいると幸せなんだ!みたいな、熊野へのぞっこんぶりが伝わってくる愛すべき宗盛像を演じていらっしゃって、熊野と向き合って文を受け取る時の熱い視線などもじつに表現力豊か。
観客も二人の男女の心の交流に引き込まれてゆく。


ワキは地謡左端前で正面を向いて「老い鶯逢ふ事も、涙に咽ぶばかりなり」まで読み、正中下居したシテが宗盛の肩越しに文をのぞきこむようにして、「ただしかるべくはよきように申し」から引き継ぐ。


「読継之伝」の小書ってほんとうによくできていて、これで小書なしの時の暴君・宗盛のイメージがガラリと変わり、熊野の潜在意識のなかにも別れがたさと母への思いとの葛藤のようなものが芽生えたように感じとれるのだ。



車出シ→花見の道中
この春の桜はこの春一度きり、その桜を君と一緒に楽しみたい、どうか見捨てないでくれ。
そう言って宗盛は、花見車を出すよう従者に命じて、熊野を車に乗せて清水寺に向かう。
宗盛を襲うこの無常感は、自らの行く末を漠然と感じとったものなのかもしれない。


でも、誰にとっても桜は「この春ばかりの花」であり、自分も桜も、この世のすべてが明日どうなるかさえわからない。
だからこそ今この時を楽しみたいという彼の気持ちは痛いほどよく分かる。


威勢のいい車出シアシライで花見車の作り物が角に出され、熊野だけが車に乗り込み、朝顔はその後方に控え、宗盛は脇座前に立ち、ワキツレがその後ろに控える(牛車に同乗している設定)。


「東路とても東山せめてその方なつかしや」と、花見の道中が謡われるなか、シテが作り者の左前のポールを握って、脇座の方(東方向)に懐かしげに目をやりシオル型や、「四条五条の橋の上……色めく花衣袖を連ねてゆくすえの」で脇正にうつろな目を向けて、華やかな都の情景と憂いに沈んだ自分の心の対比とを表現する場面など、見どころの多い道中のシーン。


会田昇師率いる地謡も梅若らしさが存分に発揮され、美しい都の春のにぎわいが観客の脳内に再現される。



この道中の詞章が熊野の気持ちとリンクするように非常に巧く書かれていて、詞章を頼りに、宗盛・熊野一行の道中を現在の地図でたどってみると、


平宗盛邸(左京八条四坊五町)を出て、鴨川沿いに北上する際に、四条五条の橋の上をゆく花見客の華やかな装いを眺め、車大路(現在の大和大路という説もあるが、たぶん松原通の鴨川以東の道)を出たところで右折して東に進み、六波羅の地蔵堂(おそらく六波羅地蔵・西福寺?)を伏し拝み、六道の辻とされる愛宕の寺(六道珍皇寺)を過ぎ、右手に鳥辺山を望みながら清水坂を進み、産寧坂の角にある経書堂を目にして、子安塔(かつては仁王門のすぐ近くにあった)を過ぎ、清水寺境内に入ってゆく。



六道珍皇寺にはその昔、小野篁が夜毎に地獄に下りて閻魔大王に仕えた際に通ったとされる「冥土通いの井戸」が今でもあって、六波羅密寺とともに異界感あふれる場所。

松原通も、わたしが関西にいたころは観光汚染されていない昔ながらの京の町の風情が残っていて、とても好きな通りです。


冥界のイメージが濃厚なこの地を通り過ぎる時、熊野の心に母の身を思う気持ちがさらに深まり、暗い影を落とす。
紀彰師演じる熊野のふうっと翳りのある表情が、そんな彼女の気持ちを物語っているようでした。



梅若会定式能4月《熊野・読継之伝・村雨留》終曲まで」につづく





梅若会定式能4月《熊野・読継之伝・村雨留》シテ登場まで

梅若会定式能4月《朝長》・仕舞からのつづき

能《熊野・読継之伝・村雨留》シテ熊野 梅若紀彰
      ツレ朝顔 山中迓晶 
      ワキ平宗盛 舘田善博 ワキツレ 野口能弘
      藤田貴寛 幸清次郎 亀井実
      後見 梅若長左衛門 川口晃平
      地謡 会田昇 山崎正道 鷹尾維教 内藤幸雄
         鷹尾章弘 松山隆之 土田英貴 梅津千代司


相当期待していたその大きな期待をもはるかに上回る驚きと感嘆に充ちた紀彰師の舞台。何度も反芻して心に刻みつけておきたい《熊野》でした。


【ワキの登場→ツレの登場】
名ノリ笛で、ワキ・ワキツレ登場。

ワキは風折烏帽子、朱色の露がアクセントになっている深みのある緑地狩衣に白大口。
このところ、わたしのなかではワキ方注目度No.1の舘田さん。
この日も人間味のある宗盛を好演されていた。

熊野と「この春ばかりの花」を見たいがために老母の病気のことは知りながら、都にとどめおいている旨を宗盛が告げると、次第の囃子に乗ってツレがもったいぶらずにサクッと登場。

ツレの朝顔は、朝露のように爽やかな秋草模様の灰緑地唐織に朱の鬘帯。
病母から託された文を懐中にしのばせた彼女は、いったん常座まで出て、熊野を迎えに遠江国(静岡県)から都に上ってきたことを述べ、橋掛りに戻って道行を謡ったあと、熊野宅に着いた態で幕に向かって案内を乞う。
迓晶師の朝顔はそつがなく、シテに影のように寄り添う献身的な女性のイメージ。



【シテの登場
シテの登場の囃子はアシライ出シ。
《熊野》はアシライ尽くしの曲で、このアシライ出シでは掛け声を長く引き延ばし、コミをたっぷり取る囃子、車出シアシライでは軽快な囃子、短冊のアシライではしっとりしたアシライから、扇を広げて宗盛に短冊を渡す段になるとテンポの速い急調に転じるなど、囃子の聴かせどころが多い。

大小鼓は2人のベテラン。
大鼓の亀井実師は派手さはないのですが、姿勢のきりっとした、いぶし銀の渋い演奏で、シテの謡の邪魔をすることなく(こういう大鼓方は貴重な存在)、文字通り「はやし」方として舞台を引き立てていました。


そのアシライ出シに乗って、熊野の登場!
紀彰師はいつも登場とともに観客の目と心を惹きつけ、虜にする方なのですが、このときも、ただただその美しさにため息。感嘆。

泉鏡花が「絶代の佳人」と呼んだのはこういう女性のことではないだろうか。
時の権力者が夢中になるのも無理はないと思わせる、説得力のある美しさ。

面は、増系の女面だろうか(それとも古風な若女?)。
花見車に見立てたような御所車と花をあしらった白銀とプラチナゴールドの段替唐織。
並みの人間では着こなしが難しそうなゴージャスな唐織を、紀彰師はシックでエレガントにまとっている。
こういう装束も意表をつくし、センスが好い。
ご自身の引き立て方、面・装束の引き立て方を研究し、熟知したうえでの着こなし、佇まい、微妙な所作。

シテは三ノ松で立ち止り、朝顔から渡された老母からの文を読む。
(「老母」ってこの時代だからたぶん40代くらい?)
母の容体が危ういことを知り、動揺を隠せないかのように文を持つ手をかすかに震わす。

いつも思うけれど、紀彰師が面をかけ操ると、面に生気が吹きこまれ、人が面をつけているのか、面から手足が生えているのか分からなくなるほど、シテと面が一体化し、観客は生身の美女を観ているような錯覚に陥る。


意を決した熊野は、もう一度暇を乞うべく、朝顔とともに宗盛邸に赴く。




梅若会定式能4月《熊野・読継之伝・村雨留》花見の道中まで」につづく


2016年2月5日金曜日

国立能楽堂2月企画公演 復曲再演の会《菊慈童・酈縣山(てっけんざん)》

国立能楽堂2月企画公演 復曲再演の会 復曲狂言《若菜》からのつづき

菱田春草《菊慈童》部分、『別冊太陽・菱田春草』平凡社より

謡曲を主題にした近代絵画を、その着想源となった能作品に絡めて上演するという面白い企画。

とはいえ、絵画作品の展示はなく、画像がプログラムに掲載されているだけなので、絵の複製でもいいからロビーに展示されていたらよかったかなー。



さて、今回上演される《菊慈童・酈縣山》(村上湛・小田幸子両氏の協力により梅若会が10年前に復活させた)と、現行観世流《菊慈童》との主な違いは以下の通り。

(1)前場が復活
  周の穆王の枕を跨いだ罪で、慈童が深山へ流刑されるシーンが復活。

(2)二場構成になったので、間狂言(立シャベリ)が挿入された。
      新規に作成された間狂言(村上湛氏執筆)が加えられた。


(3)二場構成になったため、作り物のなかでの物着がある。

(4)後場でシテ「さて穆王の位は如何に」とワキ「今、魏の文帝前後の間」の詞章あいだに、周・秦・前漢・後漢の歴代王を列記する詞章が挿入された。
 国立能楽堂プログラムによると、これにより周から魏に至るまで、釈迦直伝の偈とともに王権が継承されたことが暗示されるとのこと。

(5)「楽」の前に、クリ・サシ・クセが挿入された。
  周の穆王が8頭の駿馬が引く馬車に乗って天竺に赴き、霊鷲山での釈迦の説法の席に連なり、釈迦から四海領掌の偈(帝王の偈)を授かることが謡われている。

 周の穆王は釈迦と同時代人。
 当然ながら、この時代には中国に仏教はまだ伝わっておらず、ましてや法華経が漢訳されるのはもっと後の時代なので、現行の《菊慈童》では穆王が慈童の枕に偈を記すことが可能である理由が不明だったのだが、クセの挿入により、周の王が法華経の文言を知り得た背景が分かるようになった(釈迦の説法をライブで聴いていたとは!)。

《菊慈童》の原典が『太平記』第13巻だというのもわたしは今回初めて知った。
(ちなみにこのクリ・サシ・クセの部分は、喜多流などの他流には現行《枕慈童》に入っている。)

朦朧体で描かれた菱田春草《菊慈童》全体(前掲書より)
深山幽谷を流れる水、移ろう季節のなかで、慈童の時間だけが止まっている

《菊慈童・酈縣山》の感想

前場
正先に菊花に縁取られた一畳台。
台の中央には(おそらく)菊の生花が敷かれている。

庵の作り物が笛座前に設置されたため、大小前に作り物を置く現行《菊慈童》よりも舞台が広く感じる。
(このほうが、物着の際の雑多なあれこれも観客からは見えにくい。)

作り物の装飾にも白菊の生花。


幕があがり、菊慈童を載せた輿と、周の穆王の官人が登場。
やや後ろに控えた2人の輿舁が、慈童の頭上に輿を差し掛けながら、
一行は刑場に向かうように静々と進んでいく。


頭巾を被り、右手に数珠をもつ慈童は、尼僧のようでもあり、
中性的、あるいは両性具有的な存在に見える。


寄る辺のない、打ちひしがれた様子で、
赤子を抱くように枕をさも大事そうに、愛おしそうに抱いていて憐れみを誘う。

なんて幼気で、か弱いのだろう!
悄然としたシテのハコビに胸が締めつけられる。


シテの面は、龍右衛門作「童子」。
いつも思うけれど紀彰師が面を掛けると、それが名品であればあるほど、
そこに血の通った生気が宿り、人が面をつけているのではなく、
面から身体が生えているようななまなましい感覚に陥る。

シテと面が気を通わせて、たがいに力を与えあっているような、そんな感じだ。

見る者の目と脳は魔法をかけられたように、
そこに、絶望の淵に立たされた無垢な慈童のリアルな幻影を見る。



深山に入る橋の手前で、輿から下ろされた慈童は震える声で哀願する。


いや待てしばし情けなし……かけたる橋も一筋に聞きし三途の橋なるべし
とても冥途に行く身なれば、なき身となりて渡らばや、憂きを思ひて何かせんと


この橋を渡るのは、生きながらにして三途の橋を渡るようなもの。
それはあまりにも無情だと涙ながらに訴えるが、官人に追い立てられ、
慈童は泣く泣く橋を渡る。

さらに官人は太刀を抜いて、慈童が戻れないよう吊り橋の縄を切るという念の入れよう。

シテはがっくり膝をついて、深くモロジオリ。
無限の孤独のなかに取り残されたのだった――。


この前場、素晴らしい! 「ブラヴォー!」と喝采したいほど。
恐ろしい悲痛な体験な境遇を経て、何百年もの(実際には1200年)歳月ののちに仙人になるという壮大な時間の奥行きが前場によって生み出される。

この奥行きや深みは紀彰師だから表現できたのかもしれない。


全体を通じて思ったのは、この復曲ヴァージョンを舞うのは巧いシテ方限定で、
並みの人がやると、ひたすら冗漫で眠気を誘うだけになるかもしれないということ。

そういう危険性があったから、現行のようにいろいろカットされたのだろう。



後場
などと思っているうちに間狂言が終わり、
物着も済んで(この日は後見が二人も休演して、
山中迓晶師が地謡と物着後見を兼務したりと大変そうだった)、
次第の囃子とともに、魏の文帝の臣下(ワキとワキツレ2人)が登場。

ここからしばらく現行《菊慈童》と同様に進行する。



それ邯鄲の枕の夢。楽しむこと百年。
慈童が枕はいにしへの思ひ寝なれば目もあはず。


庵の作り物のなかから声がして、引廻が外され、
現れたのは七百歳の齢を得た慈童。

ただしこの慈童は、
遠い昔、山に捨てられ、嘆き悲しみ怯えていた慈童ではなく、
姿は童子でも俗念が洗い清められ、どこか神がかっている仙界の住人だった。


後シテは頭巾から黒頭に替え、渋い金地の半切にサーモンピンクの法被をつけ、
手には唐団扇をもっている。
面は前場と同じ「童子」だけれど、同じ面とは思えないほど趣きが異なって見える。


肉体は若いまま、精神は年長けている。

七百年の時の流れが、瞑想的で泰然自若とした慈童の佇まいから感じられた。


(「楽」の前のクセの大半が、床几に掛かる居グセの変形だったので、
ここは他流のように舞グセのほうが良かったように思う。
舞の美しい紀彰師だから尚更もったいない気がした。)



おだやかで濁りのない、澄み切った楽の舞は、慈童の心そのもの。

袖を翻すたびに、永遠に生きることへの哀しみが漂ってくる。


彼が不老不死を得たのは、枕に記された妙文の功徳とされているが、
シテの天衣無縫な舞を見ていると、
彼が誰も怨むことなく人生を受け入れ、
深山のなかで恬淡と生きたからこそ不老長寿になれたのだとわたしには思えた。



最後は、魏の文帝の臣下に枕を差し出し、文字通り本来無一物となって、
無色透明の無邪気な心で山路の千家に帰ってゆく。


幕出から幕入まで、七百年の時間を描き切った見事な舞台だった。






2016年1月1日金曜日

梅若謡初之式

2016年1月1日(金)  15時~16時4分   梅若能楽学院会館

一昨年の梅若謡初式の飾り

新年小謡《若》出演者一同
舞囃子《老松》梅若玄祥
舞囃子《東北》梅若長左衛門
舞囃子《高砂》梅若紀彰
舞囃子《弓矢立合》玄祥 紀彰 長左衛門
  松田弘之 鳥山直也 亀井広忠 林雄一郎

連吟《養老キリ》富田雅子 他女流一同
仕舞《羽衣キリ》角当行雄
仕舞《鞍馬天狗》松山隆雄
仕舞《猩々》   井上燎治
連吟《鶴亀キリ》山崎正道 他出演者



注連縄が張り巡らされた能舞台は宗教空間としての色を強め、
冷え冷えとした清浄な空間に身を置くだけで気が引き締まる。


カチカチと切り火が切られ、
切戸口から入った半裃姿の出演者が
地謡座からワキ座までずらりと並んだ様子は壮観。


能楽堂に射し込む傾きかけた陽の光が演者たちの凛々しい顔を照らしながら
特殊な舞台照明のように刻一刻と趣きを変えてゆく。




舞囃子《老松》
少しお痩せになったのだろうか、
お顔が面長になり、下半身が締まって見える。
強い気迫と重厚な謡と舞。
新年にふさわしい神さびた老松の風格。





舞囃子《高砂》
観能を始めてまもない2年前に初めてこの謡初式にうかがった時も
紀彰師は《高砂》を舞われていて、
わたしはその燦爛たる舞姿に心を奪われたのだった。


この日の紀彰師は、ミルクをたっぷり入れた抹茶カプチーノ色の半裃姿。

紀彰師の舞を拝見するのは昨年8月の「紀彰の会」ぶりだったけど、
相変わらず端正で美しい洗練された舞姿。
2月と4月には御舞台もあるので、こちらも非常に楽しみ。

お囃子も、とくに広忠さんと雄一郎さんは猛烈に気合が入っていて、
カッコイイ《高砂》だった。

夢のようにあっという間に終わってしまった。





舞囃子《弓矢立合》
詞章は以下のようなものだそうです。

「釈尊は、釈尊は、大悲の弓の智慧の矢をつまよつて、三毒の眠を驚かし、愛染明王は弓矢を持つて、陰陽の姿を現せり、されば五大明王の文殊は、養由と現じて、れいを取つて弓を作り、安全を現して矢となせり。また我が朝の神功皇后は西土の逆臣を退け、民尭舜と栄えたり。応神天皇八幡大菩薩水上清き石清水、流の末こそ久しけれ。」
    24世観世左近『よくぞ能の家に』(青空文庫)より抜粋



新酒の飲み比べのように三者三様の舞を味わう贅沢な舞囃子でした。

仕舞もベテラン御三方の舞を堪能。
締めには、《鶴亀キリ》の梅若らしい格調高い謡。


謡と囃子と舞で祓い清められた元日となりました。




2015年8月23日日曜日

第弐会 紀彰の会 ~舞への誘い

2015年8月22日(土) 最高気温34度 13時~15時45分 梅若能楽学院会館


J・S・バッハ シャコンヌ  梅若紀彰
      ヴァイオリン 河村典子

仕舞《嵐山》    土田英貴
   《半蔀クセ》  安藤貴康
   《舎利》    足疾鬼 谷本健吾  韋駄天 松山隆之
         地謡 角当直隆 山崎正道 梅若長左衛門 長島充

舞囃子 《三輪》  梅若紀彰
      松田弘之 鵜澤洋太郎 亀井広忠 小寺真佐人
      地謡 土田英貴 角当直隆 梅若長左衛門 安藤貴康

    (休憩)

舞囃子 《善知鳥》 梅若紀彰
      松田弘之 鵜澤洋太郎 亀井広忠 
      地謡 松山隆之 長島充 山崎正道 谷本健吾

仕舞《箙》       角当直隆
   《筺之段》    長島充
   《弱法師》    山崎正道
   《卒塔婆小町》 梅若長左衛門
      地謡 土田英貴 松山隆之 梅若紀彰 谷本健吾 安藤貴康

    (休憩)

舞囃子《熊坂》   梅若紀彰
      松田弘之 鵜澤洋太郎 亀井広忠 小寺真佐人
      地謡 土田英貴 安藤貴康 松山隆之
          谷本健吾 長島充 山崎正道 角当直隆 

附祝言
懇親会


      

第弐回紀彰の会は(チラシでは)内容がやや不明で、比較的マニアックな番組。
と思っていたら、
フタを開けてみると、紀彰師の感性が随所に生かされた意外性に富む公演だった。


J・S・バッハ シャコンヌ  梅若紀彰
羽生くんがフィギュアで使っても良さそうな激しくドラマティックなバッハのシャコンヌ。
これを能楽の舞に合わせると、いったいどんなふうになるのだろうと思っていたら、
随所に工夫が凝らされて、見どころが多く、完成度の高い作品に仕上がっていた。

まずは、ヴァイオリンの河村氏が洋服姿に白足袋を履いて揚幕から入場。
切戸口からは紀彰師。

この日は曲ごとに主役の紀彰師が紋付き袴をお召替えなさっていたのですが、
冒頭のシャコンヌでは、薄紫の紋付きに細かい縦縞のグレーの袴。
すっきり爽やかな印象です。

ため息がでるほど繊細優美なハコビから始まり、
扇で雨を受けるような型があるかと思えば、
時計回り、さらに反時計まわりへと螺旋状に旋回する型もあり、
そうかと思えば扇を投げて拾う舞や、
猩々乱のような流れ足や頭振り、枕ノ扇もあり、
さらには扇で水を汲む型や、扇を筆に見立てて文字を書く型など、
紀彰さんのオリジナリティとアレンジのセンスがいかんなく発揮された一番。

それぞれの場面でストーリーを夢想しながら観るともっと楽しいのかもしれないけれど、
そんな余裕はなく、ただただ独創的で美しい舞に見入っていた。

マーラーの交響曲第5番アダージェットやカヴァレリア・ルスティカーナのインターメッツォ
などもお能の舞に合う気がする。
でも、能楽堂で演奏するにはヴァイオリンかチェロの無伴奏曲がいいのでしょうね。

河村氏の演奏も素晴らしく、
岩に砕ける滝の水飛沫のようにぶつかり合い溶け合った素敵な共演だった。


(この後、紀彰さんが舞台に再び登場し、お能が初めての人のために簡単な解説。
地声をはじめて拝聴する。舞の直後だったので、息が上がって大変そう。)


仕舞 《嵐山》 豪快な飛び返り。
    《半蔀》 安藤さんにぴったりな曲。 丁寧な舞。きれいな声。
         他の方の舞の時に杖や扇を差し出す所作もきれいで、勉強になる。
    《舎利》 梅若会と銕仙会のコラボ仕舞。 見ていて楽しい。



舞囃子 《三輪》          
ようやくお囃子登場。
(松田師以外第一回紀彰の会よりも(あくまで)比較的若いメンバーだけれど、
流儀は同じ、森田流、大倉流、葛野流、観世流。
シテによってやりやすい流儀があるのかしら。)

紀彰師の出立は、灰緑色の紋付きにブルーグレイの袴。

この曲に関しては地謡とお囃子の調子がいまひとつ。
松田師は好い笛方さんだけれど、この《三輪》での笛はピンとこなかった。
他の囃子方もどうも神楽に乗りきれてない感があって、
大好きな《三輪》の世界に耽溺したいのに、何かが邪魔をしている。

「神楽を奏して舞ひ給へば」で、お囃子の沈黙を破って、
太鼓が頭の鋭い掛け声とともに入っていくのだけれど、
ここも太鼓が決め手となる箇所だけに、どうしても物足りなく感じてしまう。
地謡も総じて弱く、盛り上げるところも盛り上がらず。
(囃子も地謡も悪くはないのだけれど、シテとのバランスが。)

                
紀彰師自身の舞は際立っていた。
特に、型と型のあいだの静止しているところ。
シテの精神的・肉体的気の充実と、彼を取り巻くすべての気の流れとの
絶妙な均衡と拮抗のなかで生み出された静止の状態、
それが紀彰師のせぬひまだった。

舞の一瞬一瞬をとらえたくて、まばたきするのも惜しいくらい。



舞囃子 《善知鳥》 
休憩をはさんで、第二部。
お色直しをされた紀彰師の出で立ちは、緑がかった墨色の紋付きに灰茶の袴。
この紋付きが何ともいえない深みとコクのある色合いで素敵だった。
(《善知鳥》の曲趣にもぴったり。)

クセで「報いをも忘れける事業をなしし悔しさを」と生前の殺生業を悔いつつ、
杖を持って立ち上がり、舞は静から動へと移っていく。

うとうと呼ばれて、子はやすかたと答へけり

シテが「うとう」と謡って足拍子を踏むと、ここからドラマティックに転調する。
第二部になると、お囃子も面目躍如。
とくに、追打ノカケリでは大小鼓が炸裂し、激しい鼓に引かれたシテは憑かれたように
正先に置かれた笠を小鳥に見立てて杖を振り、鳥打ち猟を再現する。

「親は空にて血の涙を」でシテは杖を地謡と笛座のあいだにサッと投げ(お見事!)
「降らせば濡れじと」で笠を手に取り、
「菅蓑や笠を傾け」で笠を掲げて血の雨を避け、
しばらく笠での舞事のあと、
「血の涙に目も紅に沁み渡るは紅葉の橋の」で、笠を目付柱手前に投げ(こちらも見事!)、
今度は扇を手にして、地獄での有様をリアルに描写する。

この世では善知鳥に見えていた鳥が地獄では怪鳥となって(シテが羽ばたく)、
鉄の嘴と罪人を苛み、胴の爪で罪人の眼球をつかむ。
シテは鉤爪のように手指を立てて、目をくりぬく型をする(無惨!)。
猛火にむせんで声も出ず、ついに「羽抜鳥の報いか」でがっくりと安座。

さらに地謡が、うとうが鷹となり、雉となったシテを追い回す有様を語り、
最後は僧に弔いを託して終曲。

《善知鳥》では地謡も緩急を巧みに操り、
お能一番にも匹敵するほどの充実した舞囃子だった。




仕舞《筺之段》   九皐会からの唯一の出演者。
            以前拝見した時も思ったけれど、きれいな舞。
   《弱法師》   謡が玄祥師に似て、うまい。
   《卒塔婆小町》 シテの雰囲気と曲調が合っていて、
             他の人には出せない味わいがあった。

    


舞囃子《熊坂》   梅若紀彰
最後の一番は、紗の黒紋付きに黄土色の袴でキリッと。

舞囃子+シャコンヌで4番目にしていちばん激しい曲。
いったいどれほど強靭な肉体なのだろう。
素人には想像もつかないけれど、
疲れをまったく感じさせない、ダイナミックなアクションの連続。
そして最後には、
仲間たちの弔い合戦に臨み、はからずも敗北して命を落とした熊坂の無念さも滲ませて。

パンフレットに書かれていた通り、舞の表現力の可能性を堪能したお舞台だった。


終演後は1階ロビーにて懇親会があり、わたしも能楽関係の懇親会に初参加。
紀彰さんはもちろん、引っ張りだこで、ファンの方々と写真を撮ったり談笑したり。
他の出演者の方々も顔を出していらっしゃった。
女流能楽師のレイヤーさんが浴衣の着流しを、男性のように対丈でお召しになり、
帯(角帯?)もお腹ではなく、腰のあたりで締めていて、
宝塚の男役のようにカッコいい。
(女流の皆さんはこのように浴衣を着るのだろうか。)
わたしも夫の浴衣を借りて真似してみたくなったけれど、
わたしにはムリムリ。
あれは、美人でスタイルが良くて、さらには姿勢や所作など、
日ごろの鍛錬があるからこそ成り立つ着こなしなのだろう。

ところで、ロビーに張ってあったポスターとチラシに気になるものがあった。
今年12月19日「朗読と演奏で綴る 谷崎潤一郎 文豪の聴いた音曲」という公演。
(紀彰師は朗読で御出演。)
自宅で三味線を弾く谷崎の写真がポスターになっていて、これがなんとも趣深い。
音で味わう谷崎ワールド、気になる……。







2015年7月22日水曜日

梅若会定式能7月《鵜飼・空之働》

能 《鵜飼・素働→空之働》 シテ 梅若紀彰
   
  ワキ 森常好 ワキツレ 舘田善博  アイ 河野佑紀
  一噌庸二→小野寺竜一、住駒光彦、柿原光博、観世元伯
  地謡 梅若長左衛門 山崎正道 鷹尾維教 角当直隆
     松山隆之 河本望 井上和幸 梅津千代可
  後見 山中迓晶 赤瀬雅則


《鵜飼》のシラバタラキってどんなのだろう、とワクワクしていたのですが、
小書の表記ミスとのことで、「空之働(むなのはたらき)」に変更。

「空之働」も珍しい小書らしく、その名の通り、
後シテは(謡う以外は)坐禅中の禅僧のように安座したまま何もしません。
何もしないことで、仏教の大いなる世界観を表すという途轍もない小書。


【前場:ワキとアイの問答】
安房の清澄から甲斐の石和にやって来た旅僧一行が、里人に一夜の宿を求めるが、土地の大法によって旅人に宿を貸すのは禁じられていると断られ、代わりに川崎の御堂に泊まるよう勧められる。ただし、その御堂には、夜な夜な光るものが上がってくるので用心するよう忠告される。

このあたり、世阿弥作の《鵺》とよく似ていて、
おそらくこの部分も、榎並左衛門五郎作の本曲に世阿弥が改変を加えた箇所だと言われている。

いずれにしろ、旅人を冷遇する里人たち(集団)の無情を描くことで、鵺や鵜飼(密漁者)といった暗黒の世界に住むアウトロー的存在の憐れさや隠された心根の優しさを後の場面で浮き彫りにするという、効果的な伏線となっている。



前シテの登場→ワキとの問答】
一声の囃子とともに、松明を振り立てながら前シテ登場。
どこか悲しげで品格のある尉面。


鵜舟にともす篝火の消えて闇こそ悲しけれ


シテの梅若紀彰さんは、独特の陰影と奥行きを感じさせる魅力的な役者さん。
(誰もが持つ)人間のダークサイドを垣間見せるこうした役がよく似合う。


御堂で休んでいた僧たちは、鵜を引き連れてやって来た鵜飼と出会い、殺生をやめるよう諭す。
会話の中で従僧はこの鵜飼こそ、数年前に一夜の宿を貸してくれた人物だと気づく。

この時のワキツレの「いかに申し候」というタイミングや言い方に、その人の力量が出ると思うのだけれど、舘田さんの詞には唐突感はなく、もやもやとした記憶がふーっと意識の表面に浮上して形になったような自然な切り出し方だった。



【鵜之段】
従僧をもてなした鵜飼は、一殺多生のことわりによって里人たちに簀巻きにされて溺死したことを告げ、自分こそその鵜飼の霊であると明かす。

法や正論を盾に異端者を排除するマジョリティーの狂乱的暴力性がこの曲のサブテーマになっているように思わせる。
邪悪なのは、殺生を行う鵜飼なのか、殺生を私刑によって裁く里人たちなのか。


鵜飼は僧侶に回向を頼み、懺悔の徴として鵜漁の様子を再現する。

この鵜之段はさすがだった!
左手に持った扇を、鵜を解き放つようにパッと開き、水底を見込んで魚を追いまわし、追いこんだ魚を扇ですくい上げる――。
鵜舟から降りて水に浸かる鵜飼、暗い水面に映る篝火、威勢よく解き放たれる若鵜たち、驚いて追いまわされる魚たちの黒い影。
舞と謡によって鵜飼の情景が、躍動する鳥と魚と人間の姿がありありと目に浮かび、水の音まで聞こえてくるよう!


罪も報いも後の世も、忘れ果てておもしろや

紀彰さんの鵜飼は漁に興じながらも、一抹の悲しみを感じさせる。
「おもしろうてやがて悲しき」の句のように、その悲しみの影はしだいに色濃くなっていく。


闇路に帰るこの身の名残惜しさをいかにせん。

殺生の宴は終わった。
悲しみの影はいよいよ濃くなり、鵜飼はワキの前で合掌したのち、漆黒の闇へと消える。

水墨画のように悲しみの濃淡で描きだされた鵜之段だった。



中入り】
間狂言のさなか、舞台裏からダダダダッ、ドドドドッと駆けまわる足音。
きっと汗だくの修羅場のような状態なのだろうか。


【後シテ登場】
待謡が終わらぬうちに、後シテが半幕で登場して、両手で前髪を掻きあげた後、
いったん下がって、ふたたび早笛とともに登場。

《鵜飼》の早笛はあまり速くなく、閻魔大王の登場にふさわしい重厚感がある。
面は小癋見なのかなー、なんだかとってもいかつい、小癋見らしいコミカルさのない恐ろしい感じのする面。

本舞台に入ると、正中でいきなり飛び安座。
そして前述のごとく、じっと安座のまま謡う。
シテの息が上がって謡が乱れ、「空之働」という小書の困難さが伝わってくる。


真如の月や出でぬらん

ここでようやく後シテは立ち上がって、(玄祥師による解説によると)イロエ的な働キが演じられる。
要するに、舞台をめぐる舞事なのですが、この部分は短く、後シテはふたたび飛び安座して、ふたたび座ったまま――。



これを見、彼を聞く時はたとひ悪人なりとても

ここでようやく閻魔大王はふたたび立ち上がって、なんと、そのまま退場!?
ワキが後を受けて留拍子(だったかな? 呆気にとられてよく憶えていない。)

禅の老師が謎めいた公案を残したまま立ち去ったような、
そんな余韻と困惑のうちに舞台は幕を閉じたのだった。



2015年6月29日月曜日

佳名会・佳広会

2015年6月27日(土) 10~18時   国立能楽堂

【出演シテ方:舞囃子出演順】
和久荘太郎
坂口貴信
片山九郎右衛門
谷本健吾
辰巳満次郎
川口晃平
木月孚行
朝倉俊樹
亀井保雄
観世銕之丞
観世喜正
山崎正道
高橋章
梅若紀彰
梅若玄祥
観世清和
浅井文義
大坪喜美雄

【囃子方:出演順】
一噌隆之
飯田清一
金春國直
鵜澤洋太郎
藤田六郎兵衛
杉信太朗
観世新九郎
幸正昭
観世元伯
大倉源次郎
亀井俊一
松田弘之
亀井広忠

田中傳左衛門
田中傳次郎



卒倒しそうなくらい絢爛豪華な社中会。
まさにシテ方の競演、素人の方々もとてもうまく、たいへん見応えがあった。

なかでも、九郎右衛門さんと紀彰さん。
犬王と世阿弥の立合もかくやらんと思うほどの凄まじくも美しい対決で、
思わず身を乗り出しそうになってしまう。

お二人とも季節先取りで絽の紋付をお召になっていて、
紀彰さんは地謡の時は黒紋付、舞囃子の時は《邯鄲》と《安宅・延年之舞》の時とでそれぞれ違う趣味の好い色紋付袴をお召になっていた。

そして、お二人とも舞囃子2番を舞われたのだけれど、
ともに2番目の、紀彰さんの《安宅》と九郎右衛門さんの《歌占》が最高に素晴らしく
(気迫みなぎる延年之舞と鬼気迫る地獄の曲舞、見事な技の連続に背筋がゾクゾクした)、
いずれも能1番を拝見したような充実感・大満足感。

この二人の舞台はなるべく見ておきたい。
とりあえず、来月の銕仙会と梅若会が楽しみ!!


観世宗家は明らかに社中会モードで、脱力した舞。
玄人会の「これぞ!」という舞台の時と、気の放出量がぜんぜん違う(笑)。
社中会に御出演される時は、きれいだけれど、どこか放心したような感じになるのですね。


囃子方で印象に残ったのは、金春國直さん。
この半年間で長足の進歩を遂げられて、そうそうたるメンバーの中で堂々と、御家元らしい風格を漂わせながら演奏していらっしゃった。
なんだか感無量。
(わたしも國直さんと同じ年のころに父を亡くしたので、よけいに感慨深いのかもしれない。)


それにしても九郎右衛門さん、忙しすぎじゃないかな。
この日もとんぼ返りで翌日は京都観世会館で《采女》のシテ、
その次の日は京都能楽養成会発表会の監督(?)。
そして次の週末は、東京の観世会で《西行桜》のシテ。
さらにその週の金曜日は銕仙会で《是界》のシテ。
その次の週末は大津で《蝉丸》のシテ。
それぞれの舞台の合間に、素人玄人弟子と御子息のお稽古、地方の小中学校巡業、各理事のお仕事、そしてご自分のお稽古……。
うーん、ファンとしてはお身体が心配です。
九郎右衛門さんはどんな舞台でも(社中会の地謡でも)全力投球されるし、
そこがいいところで、そのひたむきな姿に憧れ、惹かれるのだけれど。









2015年1月1日木曜日

梅若謡初之式

元旦15時から     梅若能楽学院会館

新年小謡    「梅」   一同

舞囃子 《老松》   梅若玄祥

      《東北》   梅若紀彰

      《高砂》   梅若長左衛門

      《弓矢立合》 玄祥&長左衛門&紀彰

     囃子方 松田弘之 鳥山直也 亀井広忠 林雄一郎


連吟   《養老》キリ     女流一同

仕舞   《羽衣》キリ     川口晃平

      《鞍馬天狗》     松山隆之

      《猩々》        山中迓晶

連吟   《鶴亀》キリ     一同




去年も梅若に始まり、梅若に終わったので、今年も元旦は梅若から。


《老松》と《東北》を意識して、
緑地に梅紋柄の(一張羅の)着物を着る予定だったけど、
粉雪が舞っていたので、急遽、普段着の着物に変更。
元旦早々、我ながら根性なし……。

梅と松のお飾りや着物姿の観客、しめ縄、切り火。
お正月の能楽堂って好きだな。
空気も冷んやり、張りつめていて、身が引き締まる思い。


荘重で重厚な《老松》。
玄祥師の足拍子で、今年一年の活を入れてもらった気がする。


《東北》は、ただただ、うっとりため息……。
(大変失礼ながら)紀彰さんには謡が上手いという印象はあまりなかったのだけれど、
先日の《砧》の時に、舞はもちろん謡も「凄い!」と思い始め、
今日拝見して、さらにその思いが強まった。

面をかけていないこともあり、声がのびやかに通る。
以前に感じた独特の癖も抜けて、美声そのもの。
姿といい声といい、本物の梅の精が謡っているようで、見惚れつつ聴き惚れてしまう。
梅の香がほのかに漂うような甘美な舞。
なんかもう、天下無敵という感じで鳥肌が立った。

去年は《皇帝》とか《大瓶猩々》とか大人数で演じる曲が多かったので、
今年は《野宮》みたいなしっとりした鬘物をもっと拝見したい。



そして、待望の《高砂》!
広忠さんの《高砂》と《石橋》の演奏が特に好きなのだ。
パワー全開でノリノリの高砂を期待していたのだけど、
今日の神舞は短縮ヴァージョンだったのだろうか、
なんか、あっけなく終わってしまった……。


《弓矢立合》の後、連吟を経て仕舞。


川口さんはスリムになって、精悍になっていらっしゃった。
色白の貴公子といった風情で、謡も舞もきれい。
松山さんの《鞍馬天狗》もキレがあって勇壮かつ爽やか。
山中迓晶さんはひそかに注目しているシテ方さん。
いかにも梅若らしく、ふんわりと華やかでありながら折り目正しい。
好きな芸風だ。


今年は観世宗家系の公演もあるし、梅若能楽学院、にぎやかになりそう。










                    

2014年12月29日月曜日

紀彰の会(5)~《砧》Part3

シテの中入りと間狂言の後、ワキの芦屋何某が再び登場。
例の名詞「無慙やな三とせ過ぎぬることを怨み……」となる。

これまで《砧》のワキは、宝生閑・欣哉師のを拝見してきて、
森常好師の芦屋何某を見るのは初めて。
森常好師は好きなワキ方の1人だが、どうしても先の2人と比べてしまう。

宝生閑の「無慙やな……」は別格で、
枯れてかすれた声が発するこの一語に万感の思いが込められていて、
胸にぐっと突き刺さった。

欣哉さんは情感のこもったまなざしで、
静かにシテの思いと怨みを受け止める包容力のあるところが魅力だった。

一方、この日の森常好師は、美声は相変わらず素晴らしかったけれども、
シテに対する思いや愛情がいまひとつ伝わってこなかった。
(そのことが、最後の「法華読誦の力にて」でシテが成仏する場面の唐突感の一因となり、
それがこの舞台での唯一の欠点となったように思う。)



さて、ワキの待謡の後、いよいよ後シテの登場。
そして、いよいよ元伯さんの太鼓の出番となる。

観世元伯さんの能《砧》の太鼓を聴くのはテアトル・ノウに続いて2度目。
テアトル・ノウの時は、鎮魂の鐘の音のような金属音っぽい、高い打音だったように記憶しているけれど、この日の太鼓はどことなく「懴法」を思わせる、重く、低い打音に聴こえた。

冥界から霊を呼び寄せる梓弓の弦の音色も、このように重く沈んだ音なのだろうか。

後シテは白綾壺折に清涼感のある浅葱の大口をまとい、杖をついて現れる。
泥眼の表情には怨みめいた感情はみじんも感じられず、ひたすら悲しげで可憐な目をしている。
つらい恋をしている女の目だ。

シテは地獄のありさまを語り、蘇武の故事にちなんで砧を打ったのに、どうして夢にさえ見てくれなかったのか(私の思いが届かなかったのか)と、夫に激しく詰め寄る。

思いのたけをぶつけたのち、地謡の調子が一変。
夫の法華経読誦の力によって(夫がまだシテを愛していて、シテのもとに帰ってくるつもりだったことがシテに通じて)、シテは成仏することになっているのだけれど、ここが(シテのせいでは決してないのだが)観る者に唐突な印象を与えてしまう。

(テアトル・ノウと比べてばかりで申し訳ないが、味方玄さんの公演の時は、この終曲の場面で、シテ・地謡・囃子・ワキが一体となって、シテの心の浄化・昇天感を生み出し、一条の光とともに天使の梯子が降りてくるのが見えたのだった。見る側の体調や気分の問題もあるのかもしれないけれど。)


そういうわけで、「紀彰の会」ではシテだけが清らかに成仏して、

他がついてこれていない気がした。
シテの動きやリズムはすでにこの世のものではなく異次元にあるのに、

その他の人たちはまだ現世にとどまっているような――(実際、そういう設定になっているのだけれど。あまりにもゆったりとしたテンポに、江戸っ子の大鼓が肌に合わず、いつもの打音の繊細さが存分に発揮できていないように感じた)。

それほど、シテと能面が一体化・融合化していて、
シテの身体は蜻蛉の羽のように朧げに透き通り、
この世ならぬ存在となっていたのだ。
                     
シテは静かに、水中を漂うようにゆっくりと、橋掛りを進み、
ワキが続き、地謡と囃子方が立ちあがる。
                      


                                                                   
そして最後に太鼓方が太鼓と扇を持って、スッと立ち上がり、
揚幕のほうに向き直って
舞台に終止符を打つように特徴的なリズムで半歩下がり、
絶妙な「間」を置いてから歩み出し、橋掛りを去ってゆく。

その流れるような一連の所作を
私は目で追い、舞台の終幕を惜しむように、
彼の人の姿を心を込めて見送るのだった。




                                                     



                     

               

2014年12月28日日曜日

紀彰の会(4)~《砧》Part2

                        
舞台は、北の方の憂愁と孤独を代弁するかのように、
これ以上ないほどゆっくりと(通常の1.4倍くらいのペースで)進行していく。

この奥深く物悲しい舞台のリズムを土台からがっちり支えるのが、
梅若玄祥率いる地謡陣。

シテが抱く《砧》の世界観を完璧に理解している地頭(地謡)、という最強の支援部隊。
強力な後方支援を得たシテは、独自の《砧》の世界を舞台上に自在に描いていく。


シテ「露の玉簾、かかる身の
地「思いをのぶる、夜すがらかな

高くジャンプする前に身をかがめるようにシテは面伏せ、地謡も低く謡った後、
「宮漏高く立ちて、風北にめぐり」と、高く伸びやかな上ノ詠となる。

この波打つようにドラマティックな節まわしが、観る者の胸をぐわんぐわんに揺さぶり、
私は否が応でも号泣モードに入っていく――。



月のいーろー、風のけしき、影に置く霜までもー」

日本のマニエリスト・抱一の描く秋草図の情景が目の前に出現する。
荒涼とした夜嵐の音が聞こえる冷たい銀色の世界。
そのなかで孤独に舞う、臈たけた北の方。
日本美の極致――。

この日は囃子方も名手揃いだったが、お囃子さえ不要と思われるほど、
シテと地謡が圧倒的な力で、《砧》の世界に観客を引き込んでいく。




それにしても、
モダニズム文学さながらに、シテの意識の流れを自然描写と巧みに融合させながら
美しい詞章で表し、心揺さぶる節付けをした世阿弥の前衛性には改めて驚かされる。

猿楽の芸から、一気にここまでの洗練を果たした世阿弥。
時を超えて、いまここで、世阿弥の作品にじかに触れ、感動することのできる幸せ、不思議さ。
紀彰さんの御舞台を拝見しながら、
芸をつないでいくことの奇跡と貴さに思いを馳せたのでした。



「砧の段」を終え、例の物議を醸す言葉「この年の暮れにも御下りあるまじきにて候」を夕霧から告げられ、
シテは双ジオリして、一縷の望みさえも断たれ、ショックのあまり免疫力が低下して帰らぬ人となる。

(この時、夕霧がシテの背後に回って支えるしぐさをするのですが、
その所作に女主人への労わりがさりげなくこもっていて、
谷本健吾さんの夕霧って、やはり好いなと思ったのでした。)