2017年7月9日日曜日

《二人静》前半・国立能楽堂普及公演~音阿弥没後550年

2017年7月8日(土) 13時~15時40分 国立能楽堂
狂言《入間川》からのつづき

能《二人静》シテ菜摘女 梅若万三郎
      ツレ静の霊 梅若紀彰
   ワキ勝手宮神主 福王和幸 アイ神主の従者 茂山逸平
   松田弘之 幸清次郎 亀井広忠
   後見 加藤眞悟 松山隆之
   地謡 伊藤嘉章 馬野正基 青木一郎 八田達弥
      長谷川晴彦 梅若泰志 古室知也 青木健一



初世万三郎と二世梅若実の兄弟がいかに気が合っていたかを示すエピソードとして、二人静の相舞のことが『亀堂閑話』と『梅若実聞書』にそれぞれ語られている。

万六時代の再来のような、両家の名舞手どうしの共演か!?
と思ったが、今回は相舞ではなく、《二人静》の小書「立出之一声」(静の霊が橋掛りから菜摘女の舞を操り、のちに二人の相舞となる演出)の祖型となった観世元章の試案を上演するというもの。

プログラムによると、これは、観世文庫の「小書型付」にもとづく演出で、通常はシテとなる静御前は前半に少し登場するのみで、今回シテとなる菜摘女が後半(クセも序ノ舞)も一人で舞い通すとのこと。

つまり、本来の《二人静》は憑き物の曲だったが、のちに相舞が加わり、現在は相舞のほうがはるかにメジャーになっているのを、音阿弥特集にちなんで、おそらく音阿弥が舞ったであろう形(《二人静》の古態?)での上演を試みる、ということなのかもしれません。




〈ワキの神主登場→アイの神主の従者に呼び出されてシテの登場〉
若菜摘の神事を行うので女たちに申し付けよ、との神主の命を受けて、従者が菜摘女を呼び出す。

一声の囃子で登場したシテの菜摘女は、白水衣に縫箔腰巻の出立。
手には若菜を入れた籠。
面は出目満永の小面。
無垢な可愛らしさよりも、憑依体質というのだろうか、いかにも霊に魅入られ、その媒介者になりやすそうな「美しい器」を思わせる顔立ち。


幕から出たシテの姿には生気がなく、橋掛りをゆくハコビも小刻みで弱々しい。
以前よりも背中が屈んで見える。
不調なのだろうか。  それとも……。

この日のシテは絶句する場面も多く、前半は、生の無常を感じさせた。
(それでも、後半には万三郎師ならではの耽美的な世界が展開します。)


〈静の霊登場〉
女が若菜を摘んでいると、どこからともなく、呼びかける声が━━。

揚幕の奥に佇む静御前の霊。

紀彰さん、やっぱりきれいだ……。

見所のごく一部にしか見えない、鏡の間との境目くらいの揚幕の奥にいる段階から、ツレはすでに、まぎれもなく静御前の霊になっている。
いや、実際には美しすぎて、静御前以上になにか高貴な存在に見え、怖ろしいくらいの気品が漂ってくる。

幕から出ると、その気品がさらに香り立つ。

(たぶん)桜と扇の文様がちりばめられた豪華な唐織に、面は河内の増。
紀彰さんには玲瓏な増女がよく似合い、所作やたたずまいがその美しい顔にじつにふさわしい。
声や謡も、あの世から彷徨い出たような、深い思いのこもった愁いのある響き。

(面・装束も両家のものだろうか。こちらの競演もため息もの。)

静御前の霊は、我が身の罪業が悲しいので、一日経を書いて弔うよう社家の人や村人たちに頼んでほしいと菜摘女に言伝をして、かき消すように消え失せてしまう。


ツレの静御前の霊は、橋掛りだけのわずかな登場。
それでも、この時だけはシテの影が薄れるほどの神秘的な存在感を示し、忘れがたい印象を残したのだった。



《二人静》後半へつづく



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