2018年5月28日月曜日

野村萬斎《樋の酒》・仕舞三番・観世銕之丞《龍田・移神楽》~片山九郎右衛門後援会能

2018年5月26日(土)13時~17時 最高気温30℃ 京都観世会館

片山九郎右衛門能《芦苅》からのつづき

狂言《樋の酒》シテ太郎冠者 野村萬斎
    アド主 深田博治 アド次郎冠者 内藤連
    後見 野村太一郎

仕舞《小鍛冶キリ》片山清愛
  《女郎花》  観世淳夫
  《花筐・狂》 観世喜正
  地謡 片山九郎右衛門 青木道喜 古橋正邦 橋本忠樹

能《龍田・移神楽》シテ神巫/龍田明神 観世銕之丞
    ワキ旅僧 宝生欣哉
    ワキツレ従僧 則久英志 野口能弘
    アイ里人 野村太一郎
    藤田六郎兵衛 吉阪一郎 亀井広忠 前川光長
    後見 青木道喜 大江広祐 梅田嘉宏
    地謡 片山九郎右衛門 武田邦弘 古橋正邦 河村博重
       味方玄 分林道治 橋本忠樹 観世淳夫




わたしの席のまわりには東京時代の顔見知り(遠征組)も何人かいらっしゃって、面白いのは終演後の拍手。
わたしも含めて東京組は(余韻を楽しみたいから)拍手は基本的にやらないのに対し、関西の見所は五月雨式。シテ・ツレ、ワキ、囃子方の順に、数段階に分けて拍手が鳴る。東京はツンと取り澄ました感じ、関西は温かみのある雰囲気。
拍手については東京式が好きだけれど、土地柄・文化の違いがあるのも観能の醍醐味。


この日は、舞台にも東京の役者さんたちが御出演されていて、ちょっと不思議な感覚だった。ふとした時に、自分がまだ中央線沿線に住んでいるような錯覚を抱くことがあるが、あの感覚に似ている。



狂言《樋の酒》
久しぶりの萬斎さん。髪が長くなっていて、すこしお痩せになり、カッコよさも増していた(萬斎ファンにはたまらなかったかも)。
最近見慣れてなかったせいか、舞台の上でまぶしいくらいにキラキラ、光り輝いて見える。

京都の茂山家の狂言ももちろん好きだけど、萬斎さんの舞台は伝統を受け継ぎつつも、都会的で垢抜けてる。型も発声もたしかだし、太郎冠者のいたずらも茶目っ気たっぷりで、素直に面白い。

東京にいた頃は、チケットが取りにくくなるという理由から、お目当てのシテ方さんの公演に萬斎さんの狂言があると「orz....」だったが、虚心に観ると、みずみずしい舞台をつくる素敵な役者さんだ。




仕舞《女郎花》観世淳夫
仕舞三番のなかで際立っていたのは、観世淳夫さん。凄い進化!!
わたしが能を観始めた4年前は、まだ(運命を呪いながら?)嫌々やっているような感じが見受けられたが、今では、顔つきや舞台に臨む姿勢がまるで違う。
舞そのものも別人のよう。

緩急のつけ方や、ぐっと体幹を凝縮させ密度を高めるような「気」の入れ方が、心なしか九郎右衛門さんに似てきた気がする。
舞にかんしては、この年代では出色の出来。
場数を踏み、腹を括り、膨大な稽古量をこなしたうえでのこの変化。
このままいけば、きっと、いい役者さんになりはると思う。
がんばれ、淳夫さん!!



能《龍田・移神楽》
昨夏の観世定期能で観た九郎右衛門さんの《龍田・移神楽》を思い出すなあ、と感慨にふけりながら拝見。
この日の銕之丞さんの移神楽は、昨夏の九郎右衛門さんのとは型が所々違うのと、後場の装束が少し違っていた。

九郎右衛門さんの《龍田・移神楽》では、後シテは瓔珞をたっぷり垂らした天冠に、「天の逆矛」(龍田明神の御神体)をつけていたのに対し、銕之丞さんの後シテは、瓔珞のない天冠に赤紅葉を戴いたもの(赤紅葉のほうがスタンダードらしい)。

銕之丞さんの神楽、きれいだった。
藤田六郎兵衛さんの五段神楽の笛も(神楽は森田流で聴くのが好きだけれど)、藤田流独自のユリ?というのだろうか、装飾音が効いていて素晴らしかった。


そして、先ほどの《芦苅》でも思ったけれど、宝生欣哉さんのワキは断然いい! 
舞台がキュッと引き締まり、物語の輪郭がはっきりする。

けっして目立ちすぎず、脇座にさりげなく存在しているだけなのに、非常にきめ細かな配慮が行き届いていて、それが舞台の出来に大きく作用する。

舞台がひとつの大きな身体ならば、ワキの存在はその指先のようなもの。
指の先の先まで、神経が行き届いて初めて、人の心を動かす演技ができる。
だから、ワキがいい加減だと舞台もいい加減になってしまう。

繊細な指の先の先までの演技、それが欣哉さんのワキなのだ。
お忙しいだろうけれど、関西にも、もっと来てください、お願い、欣哉さん!

(と、書いたけれど、過労を促進させたらダメですね。健康第一。それに、スケジュールをチェックしたら、欣哉さんの京都での舞台もけっこう多かったのでした。)












2018年5月27日日曜日

片山九郎右衛門後援会能~《蘆刈》

2018年5月26日(土)13時~17時 最高気温30℃ 京都観世会館

能《蘆刈》シテ日下左衛門  片山九郎右衛門
    ツレ左衛門の妻 味方玄 ワキ従者 宝生欣哉
    ワキツレ供人 則久英志 野口能弘
    アイ里人 野村萬斎
    左鴻泰弘 曽和鼓堂 亀井広忠
    後見 橘保向 青木道喜
    地謡 浅井文義 観世喜正 古橋正邦 分林道治
       大江信行 橋本忠樹 梅田嘉宏 大江広祐

狂言《樋の酒》シテ太郎冠者 野村萬斎
    アド主 深田博治 アド次郎冠者 内藤連
    後見 野村太一郎

仕舞《小鍛冶キリ》片山清愛
  《女郎花》  観世淳夫
  《花筐・狂》 観世喜正
  地謡 片山九郎右衛門 青木道喜 古橋正邦 橋本忠樹

能《龍田・移神楽》シテ神巫/龍田明神 観世銕之丞
    ワキ旅僧 宝生欣哉
    ワキツレ従僧 則久英志 野口能弘
    アイ里人 野村太一郎
    藤田六郎兵衛 吉阪一郎 亀井広忠 前川光長
    後見 青木道喜 大江広祐 梅田嘉宏
    地謡 片山九郎右衛門 武田邦弘 古橋正邦 河村博重
       味方玄 分林道治 橋本忠樹 観世淳夫




九郎右衛門さんが初役として挑んだ《芦刈》は、カケリ、笠之段、男舞と芸尽くし、舞尽くしの曲。
「没落した色男のぼんぼん」と「甲斐性のある女性」の組み合わせは、上方恋愛の定番だし、舞台となった高津宮(仁徳天皇が造営した難波高津宮跡)付近は、現在の大阪・日本橋あたり。この曲はいわば『夫婦善哉』の原型なのかも……。

そんなふうに抱いていた《芦刈》の表層的なイメージがくつがえり、新鮮な感動を覚えたのがこの日の舞台だった。

考えてみると、相思相愛の男女のハッピーエンドを描いた現在能ってほとんどない。《船橋》も《錦木》も《女郎花》も亡霊となった男女の悲恋がテーマだし。

九郎右衛門さんが番組に書いていらっしゃるように、《芦苅》は「不可思議で理屈ではなくすすみ、深まる」「男女の愛」を描いた、まさに「大人の恋の物語」。
それを、能でこれほど情感豊かに表現できるというのが新鮮で、蒙を啓かれる思いがした。



【一声・シテの出→カケリ】
(シテの出の前に、ツレ・ワキ・ワキツレの順に登場するのだが、橋掛りをゆく味方玄さんと欣哉さんのハコビが絶品!)

一声の囃子で登場したシテは、ブルーの水衣に、白と青の段熨斗目、白大口という、春の水辺を思わせる爽やかな出立。
葦の挟草を右肩に載せ、男笠を目深にかぶり、どこか哀愁を漂わせる。

(この男笠が、網目が緻密で塗りの見事な笠で、おそらく幽雪師がこだわり抜いた特注品のひとつかも。)

挟草をもって舞うカケリは、先日観た《屋島》(修羅能)のカケリとも、狂女物のカケリとも違っていて、狂おしさよりも、日下左衛門の育ちをあらわす品の良さと、孤独な影を思わせる憂いを含んだカケリ。



【笠之段】
冒頭は鬱屈した胸の内をあらわすためか、謡に力みが感じられたが、笠之段からは「暗」から「明」に転じ、水の都・大阪の起源となった難波津の活気あふれる海辺のようすと、古代宮殿の繁栄が、舞と謡と目線の動きでいきいきと描き出される。

彼方へざらり、此方へざらりと、芸術品のように美しい笠をもって舞う九郎右衛門さんの精彩に富んだ笠之段は、何度も巻き戻して再生したいくらい!



【夫婦再会→夫の衝撃・逃亡】
葦売りが夫であることに気づいた妻は、男に葦を一本持ってくるよう従者に伝える。
シテは葦を笠の上に載せて、女が乗る輿まで運んでゆくが、相手の顔を見てハッと気づき、葦を取り落とす。

この「葦を笠に載せて運ぶ」、という型は幽雪師の演能メモにあったものだろうか。扇に物を載せて差し出すような奥ゆかしさがあり、育ちのいい日下左衛門の所作にふさわしい演出だった。


妻に遭遇した衝撃のあまり、三の松まで逃げ隠れた男は、そのまま下居して彼方のほうを向き、深く、思いに沈む風情。

このときのシテを覆う深く暗い影が、九郎右衛門さんの解説文にあった「女性の訳ありな出世」という言葉と重なり合う。
日下左衛門が煩悶したのは、零落したわが身を恥じただけではなく、妻の「訳ありな」過去を、その豪華な身なりから読み取ったからではないのだろうか……。



【和歌のやり取り→復縁】
妻は一の松へ行き、はるばる迎えに来たことを告げる。そして、もしかするともう別の女性がいるのではないかと男に尋ねる。

そこで男は三の松で、歌を詠む。
「君なくて悪しかりけりと思ふにぞ、いとど難波の浦は住み憂き」

このときの九郎右衛門さんの謡! 
狂おしいほど、切々と謡いあげた恋心。
なんて、せつないのだろう!
恋するひとと別れて、どれほどせつなかったか、やるせなかったか。
明るくにぎわう難波の浦さえも、どれほど鬱々として住みづらかったか。
君がいなければ……。
聴いていて、胸がジーンと熱くなる。


そこで、女も一の松から、歌を返す。
「あしからじ、よからんとてぞ別れにし、何か難波の浦は住み憂き」

味方玄さんの恋情豊かな、潤いのある謡。

二人がいる橋掛りの空間だけ、心を通わす男女のしっとりとした時間が流れ、観ているほうもドキドキ、ときめいてくる。

別のシテで《芦苅》を見た時は、夫婦は唐突によりを戻して、和歌の徳を説き、めでたしめでたし、という印象を受けたけれど、この舞台を観て納得。

現在物でも芝居や写実に傾くことなく、男女の繊細な心の機微を「謡」と「間」と「佇まい」で表現したのが、九郎右衛門さんと味方玄さん、この二人の名手だった。



【男舞】
要所要所で、ビシッと止まる瞬間のカッコよさ。
緩急のリズムに漂う男の色気。
キリリと袖を巻く所作の凛々しさ。
ときおり、ツレの女を見つめ、巻き上げた袖を差し出す。
恋女房との再会・復縁。幸せと喜びと、ほんの少しの苦悩、悲哀……複雑な感情が織り交ざった九郎右衛門さんの男舞。

仲よく連れ立って帰った二人だけれど、はたして、ハッピーエンドの先にあるものは……?
観客に想像の余地を残して、シテは常座で留拍子を踏んだ。





片山九郎右衛門後援会能・狂言《樋の酒》につづく







2018年5月24日木曜日

京都能楽養成会・平成三十年度(第二回)研究発表会

2018年5月21日(月)17時30分~19時30分 京都観世会館

仕舞《竹生島》  湯川稜
  《杜若キリ》 惣明貞助
  《野守》   向井弘記
   地謡 宇高徳成 辻剛史 山田伊純

舞囃子《富士太鼓》梅田嘉宏
   杉市和 吉阪一郎 河村裕一郎
   地謡 分林道治 深野貴彦 樹下千慧 河村春奈

舞囃子《胡蝶》  辻剛史
   杉市和 吉阪一郎 河村凛太郎 前川光範
   地謡 宇高徳成 惣明貞助 山田伊純
      向井弘記 湯川稜

舞囃子《弓八幡》 河村春奈→休演(居囃子に変更)
   杉市和 吉阪倫平 河村裕一郎 前川光範
   地謡 味方玄 分林道治 深野貴彦 樹下千慧

狂言《口真似》 井口竜也
   茂山虎真 茂山竜正
   後見 茂山千作

半能《野守》 シテ 樹下千慧
   ワキ 岡充
   杉市和 吉阪一郎 河村凛太郎 前川光範
   後見 分林道治
   地謡 片山九郎右衛門 味方玄 梅田嘉宏 河村春奈





夜の能楽堂はしっとりとした空気に包まれ、昼間とはまた別の雰囲気だ。
俗世から隔絶され、能だけを凝縮して閉じ込めた異空間に入るようで、時間の流れさえ違う気がする。

初めて拝見する養成会の発表会はいわば公開稽古能のようなものなのだが、若手も指導する側も、ビリビリと火花を散らすような真剣勝負の世界がそこにはあった。
優雅に泳ぐ白鳥たちの水面下の姿を垣間見るような、独特の空気を感じた。



まずは金剛流の仕舞三番。
こちらに来てから金剛流のイメージが、良い意味でガラリと変わった。京都の金剛流は、舞も謡も格段に洗練され、強くてしなやかな芯が通っている。

湯川稜さんの《竹生島》にはシャープな鋭さとキレがあり、とりわけ印象深い。
舞囃子で《胡蝶》を舞われた辻剛史さんはまだ少年というべき年齢だろうか、おそらく成長期で体もやや不安定だが、能に対する真摯な思いが舞にあらわれた清々しい《胡蝶》だった。
地謡にもどこか雅やかな趣きがあった。



舞囃子《弓八幡》は、シテが休演されたので居囃子になり、味方玄さんがシテの謡を担当された(謡だけでなく舞っていただければ……なんて、贅沢なことを思ったり(笑))。
小鼓の吉阪倫平さんは天才ぶりがさらに磨かれ、ご自分の顔よりもはるかに大きい小鼓を小気味よく打ち、美しい音色を響かせる。
河村裕一郎さんの大鼓にも熱が入り、太鼓の光範さんとともに若い力が炸裂。地謡も加わってさらに熱気が高まり、最高に盛り上がった居囃子だった。



そして、この日の白眉は半能《野守》!
シテの樹下千慧さんは東京でも何度か拝見したことがあるけれど、快進撃を続ける若武者のような急成長ぶりに心底驚いた!

半能(袴能)なのでワキの次第と道行のあと、後場のノット&ワキ謡となり、出端の囃子で塚の中から後シテの声が聞こえてくるのだが、このときのシテの謡にハッと息を呑む。

もしも番組を見ずに舞台だけを観ていたら、相当実力のある(一流といっていいほどの)中堅のシテ方さんだと思っただろう。
作り物の中からの謡だけで、これだけ観客の心をつかむのは並大抵のことではない。
謡だけでなく、作り物から出てからの舞働にも鬼神らしい重みと迫力があり、ワキの岡充さんとの掛け合いも剣術の立ち合いのような激突感があった。

地頭の九郎右衛門さんも終始厳しい指導者の顔つき。舞台全体から凄まじい熱気が立ち込め、一瞬たりとも目が離せない。

若い方々の進化をこんなふうに目の当たりにすると、嬉しくてワクワクする!
若手も指導者も、皆さん、能・狂言が心の底から好きなのだ。

降誕会祝賀能とのかけ持ちだったけど、行ってよかった!!
熱い情熱とひたむきな思いをひしひしと感じて、こちらの胸も熱くなった。














2018年5月22日火曜日

宗祖降誕会・祝賀能~西本願寺南能舞台

2018年5月21日(月)12時30分~15時40分 西本願寺南能舞台

能《屋島》シテ 片山九郎右衛門
   ツレ 大江信行 ワキ 福王茂十郎 アイ 茂山千五郎
   杉市和 大倉源次郎 石井保彦
   後見 青木道喜 田茂井廣道 梅田嘉宏
   地謡 河村和重 河村晴久 河村晴道 味方玄
      片山伸吾 分林道治 橋本光史 大江泰正

狂言《口真似》茂山七五三 茂山あきら
       後見 島田洋海

仕舞《箙》   浦田保浩
  《車之段》 橋本雅夫
  《西行桜》 武田邦弘
  《国栖》  井上裕久
    杉浦豊彦 味方團 深野貴彦 橋本忠樹 宮本茂樹

能《胡蝶》シテ 大江又三郎
   ワキ 福王知登 アイ 茂山忠三郎
   杉信太朗 曽和鼓堂 河村大 前川光長
   後見 井上裕久 林宗一郎 大江広祐
   地謡 浦田保浩 古橋正邦  吉浪壽晃 浦田保親
      浅井道昭 浦部幸裕 吉田篤史 河村和貴




【西本願寺南能舞台】
南能舞台(重文)は最大級の古能舞台とされ、切妻を飾る太閤桐の蟇股がアカンサスの柱頭彫刻を思わせる荘厳華麗な佇まい。
いかにも天下人が好みそうな豪奢なつくりだが、能舞台の軒下欄間に施された透かし彫りには優しく繊細な趣きもある。
(残念ながら能舞台も、見所となった対面所も撮影禁止。)


切妻造の巨大な屋根で覆われているため、舞台上に直射日光が射しこむことはほとんどない。その代わり、敷き詰められた白洲が太陽光を反射するため、舞台は天然の間接照明で照らされる。


以前、武蔵野大学の講演会で片山九郎右衛門さんが、西本願寺の能舞台では古くて良い面・装束ほど映え、新しい面・装束では浮いてしまうとおっしゃっていたが、たしかにその通り。
精緻な文様の細やかさ、最高級の染料を何度も何度も重ねた染めの技術・洗練された織の技術、使い込まれるなかで沁み出す味わいと落ち着き。そうした装束をまとい、この類まれな舞台にふさわしい能を舞ってはじめて、タイムカプセルに包まれたようなこの特別な場と調和する。




能《屋島》
《屋島》の後シテの装束は、金糸をふんだんに織り込んだ贅を尽くした衣装。
吹き抜ける風が、屋島の浦風のように袖や裾を靡かせ、一種の舞台効果となっていた。


通常の屋内能舞台のベッタリした均一な照明ではなく、時間とともに、雲の流れとともに刻々と移ろう自然光が、面に独特の陰翳をつくり、場面場面でのシテの心の動きがその表情にあらわれてくるかのような錯覚を起こさせる。


そうした南能舞台ならではの照明効果も計算に入れたのだろうか、
この日上演された《屋島》では、錣引きの場面こそ写実的な型があったものの、ほとんどの場面でシテはドラマティックな所作を排し、ひたすら不動のまま床几に掛かり、地謡の謡に黙って聞き入るやり方をとった。


日差しの加減の変化に合わせて、前シテの尉面は老成した義経の魂を皺の中に刻み、後シテの平太が思索的で内省的な表情を浮かべ、憂いに沈む。

不動で無言のまま床几に掛かっているからこそ、能面が地謡の声で語り出し、胸の内を吐露しているようにも思えてくる。


厭世観の漂うカケリのあと、シテは「(月に白むは)剣の光」で腰から抜いた太刀を振りかざす。
その瞬間、陽光を浴びた刃がキラリと光り、妖刀を思わせる鈍い輝きを放った!

自分ではどうにもできない闘争本能に駆り立てられるように、シテは流血を誘う妖刀をふるい、見えない敵を華やかな所作で斬り倒してゆく。

「打ち合ひ、刺し違ふる」と右足を挙げて斬りこみ、敵を突き刺す。
その鋭く華麗な太刀捌きとは裏腹に、シテの背中にはどこかメランコリックな影が射していた。
戦闘を繰り返すことの空しさをどうすることもできない武士の性、悪人の姿。


これこそ西本願寺の宗祖・親鸞が救いたかった悪人の姿かもしれない。




【自主休憩→対面所・虎渓の庭鑑賞】
祝賀能は休憩なしなので、(ほんとうは観たかったんだけど)狂言の時間に自主休憩。
見所となっている対面所(国宝)をじっくり鑑賞した。

対面所は門主との対面に使われた場所で総面積204畳の大広間。中央は座敷能舞台としても使われ、絢爛豪華な金碧障壁画や欄間彫刻で装飾されている。

とくに、別名「鴻の間」の由来ともなった「雲中飛鴻」という欄間彫刻は圧巻! 
これはもう透かし彫りというよりも、まるでコウノトリの精巧な丸彫りを嵌め込んだよう。迫力ある立体感・量塊感に目を見張る。

門主が着座した対面所の上段・上々段には中国の故事にちなんだ西王母や唐子の障壁画と、ほのかな明かりを通す付書院や瀟洒な違い棚が設えられていて、なにかもう、現代ではないような、異次元の空間だ。

座敷奥の、行燈の光にぼんやり浮かぶ金泥・金箔や極彩色の色彩が鈍く沈んで、陰翳礼讃さながらの世界! 
あまりの美しさに、何度もため息をつく。
ここだけ、時の流れが沈澱している……。


祝賀能の入場場所となった虎の間玄関(国宝)と対面所をつなぐ東狭間の間には、無数の書物が描かれた天井画がある。
天井画の中央にはチェシャ猫のようにちょっと不気味でユーモラスな表情をした猫が描かれ、ネズミから書物を守るべく睨みをきかせていた。


東狭間の間に接する縁側通路からは、特別名勝「虎渓の庭」が一望できる。
御影堂の屋根を借景にして廬山に見立て、巨大な青石で山水画のような峻厳な岩山をつくった豪放な枯山水。石橋の向こうには大きなソテツが生い茂る。
武家好み、殿様好みの庭にしばし見入る。





【仕舞と能《胡蝶》】
祝賀能では演者は全員半裃姿で出勤。
仕舞も厳粛な雰囲気で、杉浦豊彦さん地頭の地謡がとくによかった。

能《胡蝶》では、間狂言の時にアゲハ蝶が飛んできて、作り物の梅の花に一瞬吸い寄せられたが、「あ、違った!」と思ったらしく、ふたたび方向転換してヒラヒラと飛んでいった。
なんとも気の利いたハプニング!
屋外能舞台には自然と偶然がプロデュースするこんな演出もあるから面白い。


この日は快晴。
見所の桟敷席は張り出した書院の屋根と軒先の幕で覆われ、ほどよい日陰。ときおり風が吹き抜けて清々しく、気持ちがいい。
格好の観能日和、最高の舞台とロケーション。
阿弥陀如来と親鸞聖人、門徒の方々に感謝!










西本願寺・降誕会~お茶席など

2018年5月21日(月)  西本願寺

念願かなって、西本願寺の降誕会に行ってきました。
本願寺の建築物・障壁画・彫刻などはどれも国宝・重文級のものばかり。
大切に、大切に、時間とお金をかけて修復されて……いろいろな人の思いと技が受け継がれ、その蓄積がここにある。人々に愛され、大事にされてきた建物は、なんだかとても幸せそう。
国宝・唐門(桃山時代)
1980年の修復で極彩色に塗られた見事な彫刻群。
正面は唐破風造。



唐門の側面は入母屋造

唐獅子牡丹や竹に虎、雲に麒麟などの丸彫り彫刻のほかにも、
中国の故事にちなんだ彫刻も。





張良の故事
↑能でもおなじみの「張良、沓を捧げつつ♪」と、龍にまたがった張良が沓を捧げる場面。




馬上の黄石公
↑ 「馬の上なる石公に♪」と、沓をはかせてもらい、兵法を授ける黄石公。






許由の故事
↑中国の伝説の君主・尭帝が、高潔な許由に皇位を譲ろうとするが、その話を聞いた許由は山に隠れ、「汚らわしいことを聞いた」として川で耳を洗い流す、という故事を描いたもの。




巣父の故事
↑許由が川で耳を洗っていると、巣父が牛に水を飲ませようとやってくる。
許由の話を聞いた巣父は「牛に穢れた水を飲ませるわけにはいかぬ」と立ち去ったという。




国宝・浪の間の玄関(江戸時代)

切妻に軒唐破風を組み合わせた壮麗な玄関。
切妻には、二羽の鳳凰が翼を広げています。

バシャバシャ写真を撮っていると、能楽師さんたちがぞろぞろ入ってゆく。
「なんだろう?」と思っていると、一台の車が止まり、中から憧れのあの方が!
びっくりした!
(じつは撮影していた建物が楽屋だったというオチ……。)




お花は黄花芍薬、姫檜扇、馬の鈴草
通常は、飛雲閣でお茶席なのですが、現在は修復中。
なので、お茶席は野点になりました。

流派は薮内流。
薮内流と西本願寺との関係は古く、薮内家二代真翁が西本願寺の茶頭に迎えられて以来、同家が本願寺の茶頭師家を勤めているそうです。



亀屋陸奥「憶昔」

お菓子は、西本願寺御用達の御供物司・亀屋陸奥の「憶昔(いくじゃく)」。
飛雲閣の東に付属する茶室「憶昔」にちなみ、飛雲をあしらったもの。
浜納豆の奥行きのある味わいが楽しめるやわらかい落雁。



亀屋陸奥も西本願寺と古くからつながりがあり、その歴史を物語るのが銘菓「松風」です。

亀屋陸奥『松風』
石山合戦の際、門徒の貴重な兵糧となった銘菓
司馬遼太郎が愛した菓子としても有名

銘菓「松風」は、石山本願寺と織田信長の合戦の際、本願寺の兵糧方を勤めていた亀屋陸奥の三代目が、兵糧にもなるように考案した焼菓子。

のちに信長と和睦を結んだ本願寺第十一世顕如は、能の名手だった下間少進邸を訪れた際、庭を吹き抜ける松風に興趣を覚え、「わすれては波のおとかとおもふなり、まくらにちかき庭の松風」という歌を詠む。
この歌にちなんで、顕如が亀屋陸奥の兵糧菓子に「松風」の銘を贈ったという言い伝えがあります。
表面はケシの実をまぶし、なかは白味噌風味でもちっとした独特の食感で、ユニークな味わい。
(「松風」は茶席に出されたのではなく、自宅でいただいたものです。)


茶席と建築で西本願寺の歩んだ歴史に思いを馳せつつ、いざ、祝賀能へ!







2018年5月19日土曜日

幽謳会春季大会

2018年5月13日(日) 京都観世会館

素謡《卒都婆小町》
舞囃子《江口・甲ノ掛》《西行桜・彩色》
素謡《朝長》《当麻》
舞囃子《養老・水波ノ伝》《誓願寺・乏佐ノ翔》

番外仕舞《岩船》 片山九郎右衛門



三年ぶりに訪れた幽謳会。
あらためて番組を見てみると、千家十職や老舗扇屋当主、京都名門企業の方々など、京都の名家・名士のお名前がズラリ(十松屋さんのワキ謡、プロ並みだった)。
いろんな意味で、見応え・聴応えのある会でした。

九郎右衛門さんは当然ながら地頭に出ずっぱりで、この地謡が凄かった!
素浄瑠璃、いや、素語りのように、地謡だけで一つの芸として十分に人を惹きつけ、感動させることができるくらいの見事な「気」と「技」の充実度。

やっぱり、能の土台、基礎は、地謡なんだ。
土台がしっかりしていないと、素晴らしい舞台を築くことはできないのだと、改めて実感する。


いつも思うことだけど、九郎右衛門さんはどんな時にも気を抜かず、一曲、一曲に誠心誠意、ひたむきに向き合う。素人会でも玄人会でも分け隔てはない。


曲に的確な解釈を施しつつ、気力と魂を込めて謡う謡には、曲中の主人公の魂も宿っている。
とくに《朝長》の終曲部には、謡に朝長自身の霊が乗り移り、地頭である九郎右衛門さんの分身が朝長と一体になったような、迫力と臨場感に圧倒され、魂が震えた。

今月初旬に東京で《朝長》を舞ったときの身体感覚・昂揚感を、そのまま地謡に注入し移し替えたような、体温のぬくもりと熱い血流を感じさせる地謡だった。







2018年5月15日火曜日

上御霊神社

2018年5月12日(土)  上御霊神社


桟敷席で足が痛いため、河村青嵐会の途中でおさんぽへ。
近くの上御霊神社に立ち寄りました。

アヤメ科の中で「いち早く咲く」鳶尾(一初)も見納め

その昔、御霊神社のお堀には杜若が群生していたそうです。

門前に住んでいた尾形光琳は、その杜若を写生して《燕子花図》や《八橋図》を制作したのではないかとも言われています。


今では、御霊さんのシンボルフラワーに
戦後、お堀の水が枯れ、杜若の群生もなくなりました。
そこで氏子さんたちが乾燥に強い鳶尾(いちはつ)を栽培。
現在はおよそ四千株の鳶尾が境内を彩っています。

また、御霊神社の祭日は18日であることから、「一八(いちはつ)」とも書くこの花は、御霊さんのシンボルフラワーとして地元の人々に愛されているそうです。



出番を待つ御霊祭の豪華な神輿

5月18日には、京都で最古の祭りとされる御霊祭が開催されます。
当日は、神輿のほかにも牛車や稚児行列があり、平安装束をまとった人々が大通りを練り歩くとのこと。

とはいえ、豪華なお祭りの影には、古都の暗い歴史が潜んでいます。

なんといってもここは、実兄である桓武天皇によって餓死させられたともいわれる早良親王(崇道天皇)をはじめ、強力な怨霊たちを祀る神社。

この神社のある土地は、京都御所の真北に位置します(かつての大内裏の鬼門)。
その重要な場所に強い怨霊神を祀ることで、王城を守護してもらうという、なんともご都合主義的な御霊信仰なのですが、こういう古代日本人の思想は、たとえば能の《采女》や《天鼓》《恋重荷》にも反映されているのかもしれません。


能では、恨みを抱いて死んでいったであろう天鼓や采女(あるいは山科荘司)が、自分にひどい仕打ちをした権力者による供養に感謝し、わりとあっけらかんと御代を讃えたり、恨んだ相手を守護したりします。
そのことに対して、現代人はもやもやした違和感を抱いてしまいがちですが、いにしえの人々には素直に納得のいくことだったのだろうと、こういう御霊神社を訪れるとなんとなく分かる気がします。


ちなみに、王城の鬼門には早良親王を単独で祀る崇道神社があります。
鬼門を守護するためには、まさに毒を以て毒を制す、というわけですね。







この神社の「御霊の杜」が応仁の乱勃発の地となったのも、おそらく偶然ではないのでしょう。
神を畏れ敬う人間の心が薄らぐと、人々に祟りをなす悪心がいつ目覚めるか分からない……ここは、そうした御霊神への畏怖の念を思い起こさせる場所でもあります。



すぐ近くには猿田彦神社も









2018年5月14日月曜日

青嵐会~河村能舞台

2018年5月12日 10時15分~17時30分  河村能舞台



番外能《雷電》シテ 河村紀仁
   ワキ 原大 ワキツレ 原陸 アイ 茂山忠三郎
   杉市和 曽和鼓堂 谷口正壽 前川光長

番外仕舞《笠之段》  林宗一郎
    《自然居士》 河村和重
    《笹之段》  河村晴久

番外舞囃子《須磨源氏・窕》 河村晴道
    杉市和 吉阪一郎 谷口正壽 前川光長 




こちらも、行きたかった能楽堂。
家紋の入った門幕をくぐると、そこは、つくばいと飛び石の置かれた趣のあるお庭。さらに履物を脱いで上がった先には、桟敷席に囲まれた能舞台が。
ドキドキ胸が高鳴るような、ときめく空間。


屋根の下に繊細な透し彫りの入った欄間のある凝った造り


河村晴道さんの社中会へは、東京のセルリアンタワーで開かれた「府中青嵐会三十五周年記念会」にうかがったことがあり、大変豪華な会だったと今でも記憶に残っている(地謡に川口晃平さんが参加されていたのも印象深かった)。
その河村晴道さんの会を、こうして本拠地で拝見できるなんて!

社中の方々もお師匠様の芸風をよく受け継いでいらして、皆さん舞姿のラインがきれいで、とくに手の表情がこまやか。
これは京都のお素人の方々に共通していえることだけれど、美しい間合いというものを心得ていらして、舞のなかに余白や余韻がごく自然に織り込まれている。きっと、美しい余白のある暮らしをされているのだろう。

そして、東京の時と同じく、河村晴道さんの御社中会は番外能・仕舞・舞囃子も充実すぎるほどの充実ぶり(以下は簡単なメモ)。



番外能《雷電》シテ 河村紀仁
河村晴美資産の御子息のお舞台。まだ大学在学中か、卒業されたばかりでしょうか。

前場では、黒い影のようなものが、音もなく、スーッと現れる。
黒頭に怪士の面をつけたシテの登場の際の、気配を消した妖しげな雰囲気が見事。菅丞相の亡霊のメラメラと内に秘めた恨みが立ち込めていた。

後場は凶悪な顰(しかみ)の面で、一畳台の飛び乗り・降りも鮮やか。
そして、先日の大江定期能でも思ったけれど、京都の若いシテ方さんって、面遣いや袖捌きのうまい人が多い。
関西の能楽界が力を入れている養成会の成果だろうか。
それと、河村能舞台も大江能楽堂も修学旅行生を対象にした公演をよく行っているそうだから、そうしたなかで若い人たちも面装束をつけて舞台で舞うという経験を、早くから積んでおられるのかもしれない。

舞台馴れしているように感じさせるほど、袖を巻き、被くところが決まっていて、良い舞台でした。将来が楽しみなシテ方さん。



番外仕舞《笠之段》林宗一郎
林喜右衛門師に似てこられたなあと思うところが、舞の端々に感じられた。

東京からこちらに戻った時にぜひとも拝見したかったのが、林喜右衛門師の舞台(喜右衛門師の仕舞や舞囃子は観たことがあったが、能ではなかったのだ)。
しかし、間に合わなかった……。

林喜右衛門師こそ、もっと評価されてしかるべき方だった。
もっと東京に招かれて能を舞ってしかるべきだったし、NHKで放送されて映像を残しておくべき方だった。
無念で、残念だ。

でも、最晩年の喜右衛門師の芸の一端に触れることができただけでも幸いだったのかもしれない。
その芸系を受け継ぐ方々の舞台をこうして拝見できるのも、能楽愛好者として幸せだと思う。

話は変わるけれど、
林一門の地謡は、宗一郎さんが地頭で入った時と、そうでない時とでは随分違う。
宗一郎さんが入らないときは、京観世(五軒家)本来の謡なのだろうか。
京都の名水のような、やわらかい謡。
宗一郎さんが地頭で入ると、フォッサマグナの向こうの、すこし硬度の高い水が加わる。
宗一郎さんの謡も素敵だけれど、京風の謡もとても魅力的だ。そういうヴァリエーションを楽しみながら、聴いていた。




 
番外舞囃子《須磨源氏・窕》 河村晴道
おそらく河村晴道さんは、林喜右衛門師の芸風をもっともよく受け継いでいる方ではないだろうか。
端正で品格があり、そのうえ晴道さん独自の繊細優美さがある。

観世寿夫はいくつかの著書のなかで「中年の役者は、力量があればあるほど、その人間としての体臭の強さのようなものに観客の反発を買うおそれがある」とか「役者の主張やナマな肉体は、中年以上の場合、どうも邪魔なものとして浮き上がってくるようだ」と言っている。

河村晴道さんは、そうした中年役者特有の体臭やナマな肉体、余計な自己主張を観客に感じさせない、稀有な役者さんのひとり。
舞姿にも清潔感があり、彼が舞う光源氏には貴公子らしい気品が漂うとともに、兜率天に行って「女たらしぶり」を改心したような、聖人君子的な清廉さがあった。


「窕」の小書のため、能であれば早舞の途中に橋掛りの三の松でクツログところを、舞囃子では舞台上で下居のまま、しばし静止する。
この、何もしない静止の状態がじつに雄弁で、シテの美しい不動の姿が観客の想像力を喚起し、時間の空白のなかに源氏物語の世界が絵巻物のように彩り豊かに展開してゆく。

シテの動きそのものが表現過剰に陥らず抑制が利いているからこそ、一瞬のなかに無限の世界が描き出される。


わたしは目の前に展開される美しい世界に惹き込まれ、まるく大きな幸福感に満たされていた。









2018年5月7日月曜日

《鞍馬天狗・白頭》~大江定期能

2018年5月6日(日)13~17時 大江能楽堂
能《女郎花》・狂言《舟船》からのつづき
御簾のかかった高土間の上が二階席
この日は正面二階席も観客でいっぱいに
仕舞《賀茂》   大江広祐
  《杜若キリ》 浅井文義
  《網之段》  井上裕久
  《鵜之段》  片山伸吾
  地謡 大江又三郎  吉浪壽晃 吉田篤史 浦部幸裕

能《鞍馬天狗・白頭》シテ 大江信行
  牛若 大江信之助 花見 深野百花 
  花見 大江栞理 大江真桜 大江雪乃
  ワキ 小林努 能力 茂山千三郎
  木葉天狗 松本薫 井口竜也 鈴木実
  齊藤敦 吉阪一郎 山本哲也 前川光範
  後見 大江又三郎 大江広祐
  地謡 浅井文義 片山伸吾  吉浪壽晃 深野貴彦
     宮本茂樹 大江泰正 鷲尾世志子 浦田親良
附祝言




大江定期能中盤は仕舞4番。
このころからようやく空調が効いてきて、蒸し暑さも和らいでくる。桟敷席の足の辛さといい、いにしえの見所環境を身をもって味わうのも一興。



仕舞《賀茂》 大江広祐
 お兄様の信行さんに似た縦長のスリムな体型だけれど、雷鳴をあらわす足拍子は驚くほど重く、迫力がある。かといって、荒々しくならずに品位を保っているのは、下半身の骨格と筋力が鍛えられ、安定しているからだろう。舞姿にもキレがあり、しっかりした基礎鍛錬を積んでいる方だとお見受けした。


《鵜之段》 片山伸吾
 片山伸吾さんの仕舞は何度か拝見しているけれど、この日の《鵜之段》はよかった! 型の表現が見事で、次々と情景が目の前に浮かび上がってくる! 
 投網を打つように扇をパッと開いて、鵜を放つ型のリアルさ。振り立てた松明の火が暗い水面に紅く映り、魚を追い回す顔の動きで、威勢よく泳ぎまわる魚たちの黒い影が生き生きと見えてくる。罪も報いも顧みず、殺生業に狂い興じる姿が、「月になりぬる」で左上方を見あげた時から一変、夢のような宴が終わった後の悲しさ、名残惜しさが川霧のように辺りに立ち込める。

片山伸吾さんのシテは7月の《須磨源氏》で拝見する予定なので楽しみ。

(仕舞の地謡も、最高だった!)



能《鞍馬天狗・白頭》
 大江信行さんはたぶん地謡でしか拝見したことがなく、坂本龍馬の立姿写真に似ているなあといつも思っていた方。なんとなく、勤王の志士的な雰囲気がある、と勝手に想像。

この日の信行さんは観世会館や国立能楽堂(昨夏の東西合同で拝見)にいるときとは雰囲気が違っていて、次期大江家当主としての威厳のある引き締まった顔つき。
舞台も、子方さんがたくさん出ていても少しも弛緩したところのない、非常に引き締まった良い舞台だった。


【前場】
大江兄弟と深野さんのお子さんが出演した子方さんたちはとっても可愛くて(ニコニコ、キョロキョロする子がいるのも花見稚児ならではの愛らしさ)、舞台の上はまさに満開の桜を見るようにぱあっと明るく、華やかになる。
牛若役の信之助さんはお父様の信行さんに似て背が高く、大人びた聡明そうな顔立ちが牛若役にぴったりだ。


一人残された牛若と言葉を交わす場面では、前シテの山伏が最初は脇正で安座。
情景を地謡が謡いあげるのだが、このときのシテの静止した姿が彫像のように美しく、鑑賞に価する。


「夕べを残す花のあたり」で、シテは夕日の名残を残す花の梢を見上げ、
「鐘は聞こえて夜ぞ遅き」で、目を伏せて静かに鐘の声を聞く。

春の夕べ。
ちょっぴり寂しく、ほんのり甘く、なまめかしい。
地謡の謡とシテの所作から、春の夕暮れのぬるりとした甘ったるい空気が漂ってくるようだった。

やがてシテは「雲を踏んで飛んでゆく」と、大きな羽が生えたようにサーッと橋掛りを過ぎ、揚幕の向こうへ消えて行った。


ここで来序となり、前川光範さんの太鼓が入る。
来序は(出端も)掛け声が命だ。
《女郎花》の出端も《鞍馬天狗》の来序も、光範さんの掛け声が冴える。
こういう掛け声が入るのと入らないのとでは、囃子と舞台の出来が随分違ってくる。


【後場】
重く、どっしりとした大ベシの囃子にのって後シテが登場。
(笛の齋藤敦さんは初めて拝見するけれど、大阪の森田流の方なんですね。)

後シテ・大天狗の装束は、白頭、大兜巾、衣紋づけ白狩衣の上に掛絡、半切、腰に羽団扇を差し、鹿背杖をついている。面は悪尉。
「白頭」の位に合わせ、細身ながらもシテの足取り・所作にはしっかりとした重みがあり、丹田に重力を集中させ、魂を凝縮させたハコビだった。

「霞とたなびき雲となって」で、三の松で左袖を被き、
「峰を動かし」から、ナガシの囃子にのって橋掛りから舞台へ。


舞働にも重厚感があり、羽団扇から持ち替えた長刀さばきも鮮やか。
袖の扱い、面遣いも見事だった。

とくに、天井が低く、幅の狭い橋掛かりでの袖の扱いは、日本一背の高い能楽師であるシテにとって容易ではないと思うのだが、膝や肘を絶妙なタイミングで巧みに屈することで、クルクルッと勢いよく袖を巻きあげ、大兜巾の上から袖をふんわり被いた時の小気味よさ……そのテクニックに脱帽!


大江定期能、楽しかった!
都合がつけば九月の夜能にも、ぜひ行きたい。











2018年5月6日日曜日

大江定期能《女郎花》・狂言《舟船》

2018年5月6日(日) 13時~17時 大江能楽堂

桝席のある桟敷席

能《女郎花》シテ 大江泰正
  ツレ 宮本茂樹 ワキ 有松遼一 アイ 山口耕道
  左鴻泰弘 林大和 河村眞之介 前川光範
  後見 牧野和夫 大江信行
  地謡 井上裕久 浦部幸裕 吉田篤史 深野貴彦
     大江広祐 宮本隆吉 鷲尾世志子 浦田親良

狂言《舟船》太郎冠者 茂山七五三 主人 丸石やすし
  後見 網谷正美

仕舞《賀茂》   大江広祐
  《杜若キリ》 浅井文義
  《網之段》  井上裕久
  《鵜之段》  片山伸吾
  地謡 大江又三郎  吉浪壽晃 吉田篤史 浦部幸裕

能《鞍馬天狗・白頭》シテ 大江信行
  牛若 大江信之助 花見 深野百花 
  花見 大江栞理 大江真桜 大江雪乃
  ワキ 小林努 能力 茂山千三郎
  木葉天狗 松本薫 井口竜也 鈴木実
  齊藤敦 吉阪一郎 山本哲也 前川光範
  後見 大江又三郎 大江広祐
  地謡 浅井文義 片山伸吾  吉浪壽晃 深野貴彦
     宮本茂樹 大江泰正 鷲尾世志子 浦田親良
附祝言


今日ここで観能できたのも、取り壊し予定日に終戦を迎えたという奇蹟と
大江家代々の方々の並みならぬ努力のおかげです


GW最終日、あこがれの大江能楽堂へ。
改築・改修を重ねて今年110歳を迎えた能楽堂、素敵すぎてわくわくする。まるで小津安二郎の世界。
好きだなあ、こういう空間。

見所はおそらく男性が半数以上を占めているだろうか、東京とは雰囲気がだいぶ違う。
老若男女、じつに生き生きとリラックスした感じで、心から能を楽しんでいらっしゃる。ここでは能が、暮らしのなかに溶け込んでいる感じだ。
そうした空気が、いっそう『晩春』で観た見所のイメージと重なる。



能《女郎花》
九州松浦潟から京へ上る水衣に無地熨斗目着流僧が登場する。
ワキの有松遼一さんは研究者と能楽師の二足のわらじを履いているらしいが、謡がうまく(京都の能楽師さんは皆さん謡がうまい!)、姿や所作が洗練されている。

シテの大江泰正さんも「なうその花な折り給ひそ」の幕内からの呼び掛けと幕離れでいわくありげな雰囲気をつくり、面遣いも巧みだった。
(首を前に突き出した感じが、御父上の又三郎師によく似ている。)

後ツレの宮本茂樹さんも初めて拝見するが、この方、謡が輪をかけて上手く、脇座での下居姿もしとやかで美しい。いつか舞も拝見したい。

そして何よりも井上裕久さん地頭の地謡が虚弱緩急を自在に使い分け、舞台のレベルをワンランク底上げしていた。

後シテの出立は烏帽子に単狩衣、白大口、面は邯鄲男という、悩める貴公子姿。
「あら閻浮、恋しや」と妄執の情念をたぎらせて地謡が謡うとカケリに入り、左鴻さんの笛がひときわ激しく鳴り響く。
シテのカケリは邪淫の強さを足拍子であらわしつつも、その舞姿には悲しみと優雅さが漂い、愛しすぎたがゆえに誤解が生じて悲劇となる、普遍的な恋の不条理・心の行き違いを描いていた。




狂言《舟船》
関西って、見所のリアクションがいい! 
笑いの感度が鋭敏なのだろうか、観客は打てば響くような反応で、見所と舞台が感応し、その相乗効果で能楽堂が良い「気」に包まれる。

ほんとうに皆さん、肩の力が抜けていて、楽しそう。
小難しいことは何も考えず、楽しめばいい。

この空間にいるだけで、なんだかとても幸せな気分になってくる。
狂言って、ほんとうはこういうものなんだ。




大江定期能《鞍馬天狗・白頭》につづく











  
  




2018年5月4日金曜日

『僕らの能・狂言 13人に聞く!これまで・これから』金子直樹


長いあいだ手元にあったのに、なかなか読む勇気が出なかった。
本書は観世元伯さんのインタビューで締めくくられる。
おそらくそこで、元伯さんはご自分の未来を語っていらっしゃるのだろう。
そう思うと、辛くて、怖くて、最初の九郎右衛門さんのページから読み進むことができなかった。

数日前に、ようやく読了。
何から何まで、元伯さんのお考えにまったく同感だった。
わたしはかねてから、能を演劇ととらえる見方に抵抗があったのだが、「『能は能』だと思っています」という元伯さんの言葉に大きくうなずいてしまった。


「わからない人にはわからないだろう」ということをやってきたのがお能だと僕は思うのです。わかりやすさを追い求めて、上演する側が考えすぎてこねくり回すと、お能の感覚がどんどん薄れていってしまう。(観世元伯)


ほんとうにその通りだと思う。
分かりやすくするのではなく、「なんだか分からないけれど、美しい!」とか、「意味は分からないけれど、惹き込まれる! また観てみたい!」と、言語や意味を超えた次元で観客を惹きつけることこそ大事だと、わたしは確信している。能を観るようになったきっかけが自分もそうだったから。


元伯さんも、「『広さ』よりも『深さ』を求めて行かないとダメでしょう」と語っている。
言語や意味を超えた次元で観客を惹きつけるには、能の持つ力を信じて、それをどこまでも深めていくことこそが大切だと思うし、おそらく元伯さんご自身もそういうお考えだったと想像する。


だからこそ、元伯さんは新作能やコラボ企画にはあまり積極的には参加されず、あくまで能の本道を突き進む姿勢を貫いていらっしゃった。


人が革新的な何かをやろうとも関知しないスタンスという意味です。かといってお高く留まるつもりはなくて、ただ自分の仕事に対しては常に真摯でありたいのです。(元伯)


ほんとうに貴重な囃子方、かけがえのないリーダーを能楽界は失ってしまった……。


観世元伯さん、片山九郎右衛門さん以外にも、インタビュイーの人選はまことに的確で、金子直樹氏の慧眼には感服する。
なかでも安福光雄さんは、もっと評価されてしかるべき大鼓方さんだと以前から思っていたから良い選択だったと思う。

舞台全体の調和に重きを置く光雄さんはこう語る。

「僕が最近思っているのは、大鼓ってあまり表に出すぎてはいけないと思うのですよ。囃子ごとに関してのまとめ役、さらには舞台のシテなども含めて、すべてのまとめ役でないといけないと思っていて、そういう責任感は感じています。」


わたしはどちらかというと職人肌の囃子方さんが好きだ。
舞台では決して我を出さずに、掛け声や打音でシテや地謡の邪魔をすることなく、淡々と凄いことをこなしていく、こういう囃子方さんは本当の意味で信頼できし、観ている側も舞台に集中できる。
元伯さんもそうだったし、安福光雄さんもそのおひとりだ。


また光雄さんは、関西の囃子方についてこのように述べていらっしゃる。

「やはり西のほうが何となく、まったり、ゆったりしている印象がありますね。僕は好きなんです。良い意味で調和感がありますね。」


「まったり」「ゆったり」とは感じないけれど、こちらに来て関西の囃子方さんはとても調和が取れていることを実感する。聴いているほうも楽しくなってくるのだ。
東京のほうは(人によって違うけれど)どこか個人芸的な要素があるのかもしれない。
(もちろん、個人芸をバチバチに炸裂させたうえでの調和、というのが理想なのだけれど。)



こうした貴重なインタビューを能楽師の方々からうかがえたのも、金子氏の的を射た質問と、話を引き出す巧みな誘導力の為せる業。ふだんから役者の方々と良い人間関係を築いていらっしゃるのだろう。
加えて、金子氏ご自身の見方や問題意識もうかがうことができたのも収穫だった。心から能・狂言を愛し、能楽界の未来を憂えていらっしゃることが言葉の端々から伝わってくる。

本年度の国立能楽堂の7月公開講座では「公演記録映像でふりかえる・能」と題して、金子直樹氏の講演がある。

これ、行きたかったなー、昨年だったらよかったのに。
長年、数々の名舞台を観てこられた金子氏がどの公演を選ぶのか、どんな言葉を述べられるのか、非常に興味がある。

関西にも同様の講座があればいいのに……。









2018年5月1日火曜日

吉阪若葉会その2

2018年4月30日(月) 京都観世会館

(拝見したもののみ記載)
舞囃子《井筒》      吉浪壽晃
   《西行桜》     浦田保浩

舞囃子《羽衣》      味方玄
   《三輪・白式神神楽》河村和重
   《当麻》      浦田保親

舞囃子《弱法師・盲目之舞》片山九郎右衛門
   《誓願寺》     青木道喜

舞囃子《養老・水波之伝》 林宗一郎
   《実盛》      河村晴道

舞囃子《杜若》      味方玄

番外独鼓《実方》河村晴道×吉阪一郎

囃子方(出演順)上田敦史 山本哲也 吉阪倫平 前川光範 前川光長 杉信太朗 谷口正壽 左鴻泰弘 森田保美 河村大 
金剛流シテ方 宇高竜成 金剛龍謹 豊嶋晃嗣
観世流シテ方(地謡・独鼓で拝見した方)大江信行 田茂井廣道



GW前半最終日、吉阪一郎さんの社中会へ。
わたしのような新参者にとって大物囃子方さんの会は、未見のシテ方さんを拝見する絶好の機会。
今月と来月の購入済みチケットはどれも東京時代から拝見していた方々の公演だから、観たい京都の役者さんが増えて、もう少し守備範囲が広がるといいな。


それにしても、京都の中堅どころは今を盛りに咲き誇る花々のよう。
シテ方さんも囃子方さんも見ごろ・聴きごろで、舞台のうえは百花繚乱の様相。
御社中の方々も実力派ぞろい、音色はもとより掛け声もいい!
なかには、養老・水波や一調を打った方のようにセミプロレベルのうまい方も。御子息の小鼓もほとんど天才的だし、きっと吉阪さんのご指導も素晴らしいのだろう。


以下は簡単な感想を書いたものです。
(九郎右衛門さんの舞囃子《弱法師・盲目之舞》は別記事に書いています。)




舞囃子《井筒》シテ吉浪壽晃
吉浪さんは初めて拝見する。井上裕久さんたちとともに謡講をされているだけあって美声だし、謡が上手い(井上一門は謡がとりわけ素敵)。
舞は折り目正しい正統派。東京の大松洋一さんにどことなく雰囲気が似ている気がする。
「京の町家で謡をたのしむ」には絶対に行きたい!



舞囃子《西行桜》シテ浦田保浩
この日は序ノ舞物(とくに太鼓序ノ舞)が多く、序ノ舞の舞い比べ、聴き比べも楽しい。山元哲也さんの独特の打法(大倉流の大鼓はこういう打ち方なのかもしれないけれど)にどうしても目が行ってしまう。
浦田保浩さんのシテは「復曲試演の会」の《野守・白頭》で拝見する予定。良い舞台だといいな。



舞囃子《羽衣》と《杜若》 シテ味方玄
中盤と終盤に配置された《羽衣》と《杜若》。
味方玄さんが、同じ太鼓序ノ舞で「天女」と「草花の精」をどう舞い分けるのかが見どころ。

《羽衣》のほうは、近寄りがたく隙のない高貴な天女といった雰囲気で、味方玄さんの舞を形容するのによく使われる「スタイリッシュ」とか「都会的」といった言葉がぴったりの序ノ舞だった。

「浦風にたなびきたなびく」の羽根扇は、大きく風をはらんだ繊細優美な羽衣さながらのエアリーな軽やかさ。浮遊感と風の流れ、爽やかさを感じさせた。


いっぽう、《杜若》のほうは初夏の沢辺を思わせる潤いのある序ノ舞。
《羽衣》の太鼓序ノ舞とは異なる、このしっとりした風情はいったいどこから醸し出されるのだろう?

その秘密を探るべく、ひたすら目を凝らしてガン見。
腕を下げるときや腕を差し出すときの微妙な速度が《羽衣》のものとは、ほんのわずかに違う。花がほころぶような感じにまで速度を落として、緩急の付け方を変えることで、水に濡れたような風情が漂う。
そして、その潤いが舞に有機性を与え、植物の精であり歌舞の菩薩でありながら、業平に関わった女性たちの化身でもあるような人間味のある雰囲気が醸成されていた。

この舞い分け(これが位取りというものだろうか)はじつに見事!
ほかにも曲ごとに同じ序ノ舞でも、お囃子で細かい変化をつけたりするのだろう。
能ってほんと、うまくできてるなあ。



《三輪・白式神神楽》シテ河村和重
九郎右衛門さん、味方玄さん、林宗一郎さんの地謡が華やかでドラマティック。昨年11月に拝見した九郎右衛門さんの白式神神楽の感動がよみがえる。
(メモ:「千早ふる」でイロエ。神楽二段目で幣つき榊を右肩に載せる。)




《当麻》シテ浦田保親
今年2月の《当麻・二段返》観たかったなー。あと2か月遅ければよかったのに。
と、思いながら見ていました。
「乱れなよ~」の、地謡とシテの掛け合いが印象に残る。
浦田保親さんは下宝能の会《紅葉狩・鬼揃》のツレで拝見したのみだけど、正先で経巻に見立てた扇を広げて読誦する型の表現力が豊かで、注目したいシテ方さんだ。




《誓願寺》シテ青木道喜
青木さんと味方玄さんの後見は最強!と思わせるほど、そつのない後見をなさる方。
(この方が後見だと、シテも安心して舞台に集中できるのではないだろうか。頼れる後見が片山家いらっしゃるのは幽雪師のご指導の賜物、レガシーでもある。)
後見ぶりと同じく、舞のほうも丁寧で端正。
幽雪さんの御本『無辺光』に青木さんのエピソードも出てきて、けっこう面白い。



舞囃子《養老・水波之伝》 林宗一郎
よかった! ノリノリで気分が浮き立つ。
九郎右衛門さんの養老・水波のときもそうだったけど、光範さんの神舞早打ちがめちゃくちゃ、かっこいい!
(この方、掛け声もいい!) 
社中の方もプロに交じって遜色ない演奏で素晴らしかった。
宗一郎さんの舞も魅力的で申し分なく、∞能の《邯鄲》が楽しみだ(地謡に東京の懐かしいシテ方さんたちが参加されるのも楽しみのひとつ)。




舞囃子《実盛》シテ河村晴道
《実盛》、難しい曲だなあ。こちらもけっこう疲れていたから、あまり集中できず。
でも、河村晴道さんは東京時代から拝見していて、こちらに来たらぜひともお舞台を観てみたいと思っていたから、9月の《東岸居士》か12月の《誓願寺》、少なくともどちらか一つは観る予定。



番外独鼓《実方》河村晴道×吉阪一郎
トリは復曲能《実方》の独鼓。
復曲試演の会では河村道治さんは地謡、吉阪一郎さんは小鼓を担当されるから、明らかに番宣?
恐るべし京都観世、難波のあきんども真っ青の商売上手!

かくいう、わたしも復曲試演の会は発表当初からすっごく楽しみにしてます。


九郎右衛門さん型付、大江信之さん節付の《実方》、京都観世会の総力を結集させた復曲試演の会、みんなで観にいこう!









片山九郎右衛門の舞囃子《弱法師・盲目之舞》・吉阪若葉会その1

2018年4月30日(月) 京都観世会館

舞囃子《弱法師・盲目之舞》 片山九郎右衛門
   森田保美 社中の方 河村大
   地謡 河村和重 河村晴道 浦田保親



九郎右衛門さんの舞台は、どうしてこれほど深く胸を打つのだろう。
途中からグッと何かが込み上げてきて、涙で視界がかすんだ。わたしの後ろの席の人もすすり泣いていた。

「型」という枠が、これほど豊かな表現を可能にする無限性を秘めていることを実感させる舞囃子でもあった。



「東門に向かふ難波の西の海」で、シテは右手に扇、左手に杖を持って立ち上がる。

シテが突く杖はほとんど床に触れることなく、ずっと宙に浮いたまま微かに上下しながら、右へ左へ揺れつつ盲目の俊徳丸を誘導してゆく。

中空を揺れるその杖は、松虫の触角さながらの鋭敏な感覚器官のようで、空気のわずかな揺れにも敏感に反応する、俊徳丸の感じやすく繊細な心のあり方を想像させる。

盲目の俊徳丸━━。
シテはほとんど終始、目を閉じ、その瞼に黄昏色のライトが夕日のように反射して、閉じた目を腫れぼったく見せている。
腫れぼったい閉じた目……その顔は弱法師の面を彷彿とさせた。
先日の仕舞《隅田川》の時に九郎右衛門さんの顔が深井の面と二重写しになったように、不思議なことに、この時もシテの顔が弱法師のおもてに見えたのだ。

別に形態模写をしたわけでもないのに、シテの顔が役のおもてに見えるのは、舞い手が役に没入しているからだろうか、それとも、こちらがあまりにも惹き込まれているからだろうか。


「今は入日や落ちかかるらん」で、シテは閉じた目で西の空を見つめる。
見ているのに、見ていない。
彼が見ているのは自分の心のなかだけであり、心の闇に灯る微かな光を見ているようだった。
孤独と苦悶の果てにたどり着いた、孤高という名の、誰にも立ち入ることのできないユートピアに俊徳丸は生きていた。


「満目青山は心にあり」で、シテは何かを心に押し込めるように、掌で胸をドンと強く打つ。

見たいものは、すべて心の中にあった。
難波の浦の致景も、春の緑の草香山も。


あのときの俊徳丸は、自分の心以外の何物も必要としない絶対的な孤独のなかにいた。
誰がどんなに同情しても、共感しても、
どれほど深く彼を愛しても、それを必要としない絶対的な孤独の姿。
それが九郎右衛門さんの描いた弱法師だった。



九郎右衛門さん演ずる俊徳丸の姿は、繊細で傷つきやすく、何よりも孤独を愛し、自分だけの世界に生きる現代人の姿と重なり、さらには、牽引者としてつねに孤独な闘いに挑んでいる九郎右衛門さん自身の姿とも重なった。


弱法師の深い闇、影の部分。
これこそ、わたしが観たかったもの、求めていたものだった。






吉阪若葉会その2へつづく