2018年5月28日月曜日

野村萬斎《樋の酒》・仕舞三番・観世銕之丞《龍田・移神楽》~片山九郎右衛門後援会能

2018年5月26日(土)13時~17時 最高気温30℃ 京都観世会館

片山九郎右衛門能《芦苅》からのつづき

狂言《樋の酒》シテ太郎冠者 野村萬斎
    アド主 深田博治 アド次郎冠者 内藤連
    後見 野村太一郎

仕舞《小鍛冶キリ》片山清愛
  《女郎花》  観世淳夫
  《花筐・狂》 観世喜正
  地謡 片山九郎右衛門 青木道喜 古橋正邦 橋本忠樹

能《龍田・移神楽》シテ神巫/龍田明神 観世銕之丞
    ワキ旅僧 宝生欣哉
    ワキツレ従僧 則久英志 野口能弘
    アイ里人 野村太一郎
    藤田六郎兵衛 吉阪一郎 亀井広忠 前川光長
    後見 青木道喜 大江広祐 梅田嘉宏
    地謡 片山九郎右衛門 武田邦弘 古橋正邦 河村博重
       味方玄 分林道治 橋本忠樹 観世淳夫




わたしの席のまわりには東京時代の顔見知り(遠征組)も何人かいらっしゃって、面白いのは終演後の拍手。
わたしも含めて東京組は(余韻を楽しみたいから)拍手は基本的にやらないのに対し、関西の見所は五月雨式。シテ・ツレ、ワキ、囃子方の順に、数段階に分けて拍手が鳴る。東京はツンと取り澄ました感じ、関西は温かみのある雰囲気。
拍手については東京式が好きだけれど、土地柄・文化の違いがあるのも観能の醍醐味。


この日は、舞台にも東京の役者さんたちが御出演されていて、ちょっと不思議な感覚だった。ふとした時に、自分がまだ中央線沿線に住んでいるような錯覚を抱くことがあるが、あの感覚に似ている。



狂言《樋の酒》
久しぶりの萬斎さん。髪が長くなっていて、すこしお痩せになり、カッコよさも増していた(萬斎ファンにはたまらなかったかも)。
最近見慣れてなかったせいか、舞台の上でまぶしいくらいにキラキラ、光り輝いて見える。

京都の茂山家の狂言ももちろん好きだけど、萬斎さんの舞台は伝統を受け継ぎつつも、都会的で垢抜けてる。型も発声もたしかだし、太郎冠者のいたずらも茶目っ気たっぷりで、素直に面白い。

東京にいた頃は、チケットが取りにくくなるという理由から、お目当てのシテ方さんの公演に萬斎さんの狂言があると「orz....」だったが、虚心に観ると、みずみずしい舞台をつくる素敵な役者さんだ。




仕舞《女郎花》観世淳夫
仕舞三番のなかで際立っていたのは、観世淳夫さん。凄い進化!!
わたしが能を観始めた4年前は、まだ(運命を呪いながら?)嫌々やっているような感じが見受けられたが、今では、顔つきや舞台に臨む姿勢がまるで違う。
舞そのものも別人のよう。

緩急のつけ方や、ぐっと体幹を凝縮させ密度を高めるような「気」の入れ方が、心なしか九郎右衛門さんに似てきた気がする。
舞にかんしては、この年代では出色の出来。
場数を踏み、腹を括り、膨大な稽古量をこなしたうえでのこの変化。
このままいけば、きっと、いい役者さんになりはると思う。
がんばれ、淳夫さん!!



能《龍田・移神楽》
昨夏の観世定期能で観た九郎右衛門さんの《龍田・移神楽》を思い出すなあ、と感慨にふけりながら拝見。
この日の銕之丞さんの移神楽は、昨夏の九郎右衛門さんのとは型が所々違うのと、後場の装束が少し違っていた。

九郎右衛門さんの《龍田・移神楽》では、後シテは瓔珞をたっぷり垂らした天冠に、「天の逆矛」(龍田明神の御神体)をつけていたのに対し、銕之丞さんの後シテは、瓔珞のない天冠に赤紅葉を戴いたもの(赤紅葉のほうがスタンダードらしい)。

銕之丞さんの神楽、きれいだった。
藤田六郎兵衛さんの五段神楽の笛も(神楽は森田流で聴くのが好きだけれど)、藤田流独自のユリ?というのだろうか、装飾音が効いていて素晴らしかった。


そして、先ほどの《芦苅》でも思ったけれど、宝生欣哉さんのワキは断然いい! 
舞台がキュッと引き締まり、物語の輪郭がはっきりする。

けっして目立ちすぎず、脇座にさりげなく存在しているだけなのに、非常にきめ細かな配慮が行き届いていて、それが舞台の出来に大きく作用する。

舞台がひとつの大きな身体ならば、ワキの存在はその指先のようなもの。
指の先の先まで、神経が行き届いて初めて、人の心を動かす演技ができる。
だから、ワキがいい加減だと舞台もいい加減になってしまう。

繊細な指の先の先までの演技、それが欣哉さんのワキなのだ。
お忙しいだろうけれど、関西にも、もっと来てください、お願い、欣哉さん!

(と、書いたけれど、過労を促進させたらダメですね。健康第一。それに、スケジュールをチェックしたら、欣哉さんの京都での舞台もけっこう多かったのでした。)












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