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2019年5月9日木曜日

卯之葉神事と舞楽《萬歳楽》《地久》《太平楽》

2019年5月6日(月)住吉大社第一本宮~吉祥殿
第一本宮での卯之葉神事
「卯之葉神事」は、住吉大社の御鎮座が神功皇后摂政11年辛卯年卯月上の卯日だったことに由来します。太陽暦となった現在は、卯の花が咲く5月の最初の卯日に斎行されるようです。



この神事では榊ではなく、卯の花(ウツギ)の玉串が捧げられ、画像のように神職たちも卯の花を頭や胸につけています(葵祭みたい)。

献香や献茶、そして巫女さんたちによる神楽の奉納などがありました。
(わたしは特別拝観の神館などをまわってたので、神事はちょこっと拝見した程度。)



神事の終了後は吉祥殿に場所を移して、いよいよ舞楽と天皇御即位奉祝能《大典》の奉納です。
結婚式・披露宴に使われる吉祥殿

奉納舞楽プログラム 天王寺楽所
雅楽《君が代》

舞楽《振鉾》

左方平舞《萬歳楽》 平調

右方平舞《地久》 高麗双調

左方武舞《太平楽》 太食調

雅楽《長慶子》


天王寺楽所による舞楽は、凛として隙のない宮内庁楽部にくらべると弛みがあるけれど、それが素朴でゆったりとした独特の魅力になっていて、とっても癒されます♪

α波が脳全体にじわじわと広がり、セロトニンの分泌が促されて……エステでアロママッサージを受けるよりも心地いい! 心も体もほろほろとほぐれてゆく。

舞楽の舞は太極拳の動きに似ているから、場の気の流れが良くなり、体内の循環も良くなって、連休中の疲れやコリがジュワーッと溶けていく感じ。

舞楽、はまりそう! 雅楽のCDを聞きながら眠りにつくと熟睡できるかも。



以下は自分用のざっくりしたメモなので、ご興味のない方は読み飛ばしてください。

舞楽《振鉾(えんぶ)》2人舞
舞楽演奏の際に最初に舞われる儀式曲で、場を清めるお祓い的なもの。横笛・太鼓・鉦鼓のみの伴奏。鉾を上下左右に打ち振る舞。
三節構成
(一節)左方(唐楽・赤色系装束)の舞人が龍笛の奏でる新楽乱声にのせて舞い、天に供す。
(二節)右方(高麗楽・緑色系装束)の舞人が高麗笛の奏でる高麗乱声にのせて舞い、地に和す。
(三節)左方右方の舞人が各々の乱声で同時に舞い(合鉾:あわせぼこ)、祖霊に祈りを捧げる。

左方平舞《萬歳楽》 この日は4人舞
天皇即位礼大饗に必ず用いられ、文武の徳を表徴した舞楽。平調。賢王が国を治めるときに法皇が飛来して「賢王萬歳」と囀ったので、その声を楽にし、姿を舞にしたとされる。三部構成(出手→萬歳楽→入手)。平調。
左方襲装束、赤色系の袍(片肩袒)、鳥甲。

右方平舞《地久》 4人舞
平調。(1)高麗双調音取→(2)地久破→(3)地久急
右方襲装束、鼻高の赤い面、鳳凰甲

左方武舞《太平楽》 4人舞
文武天皇の御代に伝えられた舞曲で、漢の高祖と楚の項羽の故事にちなんでつくられた。勇壮に舞う武の舞だが、平和を祈願する舞で、天皇即位礼大饗を彩る剣舞。《朝小子》《武昌楽》《合歓塩》の3つの楽曲を、序(道行)、破、急に配した大規模な曲。
(1)太食調調子
(2)太平楽序(出手)
(3)太平楽破(武昌楽)、鉾で舞う
(4)太平楽急(合歓塩)、急の舞の途中で舞人が剣を抜くと、太鼓のパターンが変化。麻痺とは刀を斬りまわしながら舞台を一巡する。
(5)舞いおさめると再び太平楽が奏され(重吹:しげぶき)→入手
中国甲冑装束、太刀を佩き、鉾をもつ。胡簶(やなぐい)の矢は戦闘時とは違って、上を向き、平和の意思を示す。

雅楽《長慶子》
諸員退出の楽として舞楽の最後に必ずそうせられ、慶祝の意をあらわす。




2019年4月9日火曜日

京舞井上流 澪の会《三面椀久》

2019年4月7日(日)19時~21時 片山家能楽・京舞保存財団

第1部 義太夫上方唄《三面椀久》
  椀久  井上八千代
  面売り 井上安寿子

第2部 座談会

祇園白川の夜桜
桜が見頃を迎え、京都はいつにも増して観光客でごった返し、澪の会も休日だったこともあり、あっという間に満員御礼に。整理券を求めて並ぶ行列のなかには、「都をどり」の出演を終えて南座から駆けつけた女義太夫の方々のお顔もあった。


さて、この日の演目は《三つ面椀久》。
井上流ではめったに上演されない大曲で、八千代さん自身は五世井上八千代襲名公演以来、なんと18年ぶりに舞われるという。

能楽片山家と京舞井上流が共有する稽古舞台
歴代当主と家元の写真が見守っている

「18年前に初めて舞った曲が自分のなかにどれくらい残っているのか試してみたかった」と、八千代さんはおっしゃっていたが、わたしには名人芸を通り越して、人間離れした超人芸に見えた。襲名披露公演での《三面椀久》は拝見していないが、おそらく、そのころに比べて長い時間をかけて熟成発酵させた、味わい深い内容だったのではないだろうか。


《三つ面椀久》はその名の通り、田舎大尽・傾城・幇間の三種の面で三役を舞い分けるのが見どころ。コミカルな舞だが、それを舞いこなすには極めて高度な技と芸力と身体能力が要求される。義太夫と上方唄の掛け合いも聴きどころのひとつ。


また、《三つ面椀久》の前半部分には、一中節の《賤機帯(しずはたおび)》からの引用も含まれている。《賤機帯》は、能《隅田川》《桜川》《班女》に取材したもので、愛しい相手を求めてさまよう狂女の心情が、傾城松山に恋い焦がれて精神を病んでいく椀久の姿と折り重なる。それゆえ、椀久の狂いには、少し女っぽい風情があるという。


東京の椀久は、片岡仁左衛門が舞われたような美しい椀久。それに対して、もっさりした垢抜けないところが、上方の椀久の魅力だと、八千代さんはおっしゃっていた。



安寿子さんが担いでいた面売りの屋台

前置きが長くなったが、いよいよ上演。

舞台下手の襖がスッと開き、椀久役の八千代さんがすべるような足取りで入ってくる。舞台が、硬質な空気に一変する。この登場の仕方がなんともカッコいい。

裾模様の入った深緑の着物に半幅帯を貝の口に前結びにして、黒い紗の羽織を狂女風に脱下ゲにつけいる。杖を上方に振る所作は、能《善知鳥》を思わせる。


ところどころに、椀久らしく、肩を詰めて後ろから前に下げる所作や、頭をぐるぐるまわす所作が入る。前者は「傾城松山に気持ちが届かず、しょぼくれた気持ち」を、後者は「どうしたもんや。。。」と途方に暮れた気持ちを表しているという。


やがて、面売り三太郎に扮した井上安寿子さんが登場。名古屋帯を矢の字に結んだ浅黄色の色無地姿に、面売りの屋台を天秤棒で担いでいる。


《三面椀久》は、一応、二人舞ということになっているが、相舞はほとんどなく、椀久と面売りの掛け合いが少しあるだけ。あとは面売り単独の舞のあいだに、椀久が後ろを向いてクツロギ、少し息を整える。椀久のパートは超ハードな舞や技の連続なので、この呼吸を整える休憩タイムは必要不可欠ではないだろうか。


狂言《茸(くさびら)》のように、つま先立ちで座って、膝から下だけを細かく動かしながら8の字に移動する箇所もあったが、その時も、八千代さんの着流しの裾はまったく乱れない! 顔色一つ変えず、息も上がらず、涼しい顔でこの技をこなしておられた。


後半では八千代さんが三つの面をすばやく着け替え、三者三様の所作や物腰、身のこなしを一瞬にして切り替える。その鮮やかさ、見事さに息を呑む。
面は口にくわえる「くわえ面」なので、ただでさえ呼吸困難になりがちなはず。そのハードさたるや、実際に演った者しかわからない辛さ・苦しさがあると聞く。


しかし、大曲の重さ、困難さに反比例するように、八千代さんの舞や所作はじつに軽妙だ。この軽やかさ。超一流の人だけが表現しうる、この「かろみ」。


「年を重ねると、力の抜き方が分かる」「息を詰めるところ、固めるところと、息を抜くところ、身体を楽に遣うところとが、分かってくる」と、八千代さんはおっしゃっていたが、その言葉通り、身体を自由に、軽妙に使いこなしていらっしゃる。


田舎大尽は、「ごつんと、もっさりした」やや武骨な物腰。
傾城は、しどけなく寝そべるなど、艶っぽい所作。
太鼓持ちは、思わず笑いだしたくなるようなひょうきんさ。
この早変わりを、一瞬で表現していく。


要所要所で足拍子が入るのだが、同一平面上のお座敷だからこそ、足拍子の振動がこちらにダイレクトに伝わり、これが身体の芯に共鳴して心地よく作用する。


名人の足拍子は、その役によって周波数を変えるものなのかもしれない。

足拍子の振動を通じて、椀久の狂気、愛しく切ない気持ち、うたかたの享楽に身をゆだねる陶酔がこちらにも伝染し、いつしか椀久と一体となって大尽遊びの快楽のなかに引き込まれていた。

最高の芸とは、観る者の身体に感じさせる芸だとあらためて思う。


整理券を求めて長時間並ぶのは正直しんどいけれど、やっぱり来てよかった!
また来たい、なるべく見ておきたい、いや、また身体で感じたい。



追記:5世井上八千代による《三面椀久》は今年の秋、東京・国立劇場でも上演されるそうです。




2019年1月19日土曜日

先斗町歌舞練場~京都日本画新展・記念シンポジウム

209年1月19日(土)14~16時 先斗町歌舞練場
先斗町歌舞練場、武田五一設計、1927年

今月25日から「えき」KYOTOで開催される日本画新展2019のシンポジウムへ。

会場となった先斗町歌舞練場は、建築的にも興味深い場所です。



屋根の上には、舞楽面「蘭陵王」の像

歌舞練場入口の屋根の上に鎮座している謎の像。

一瞬、ロマネスクの怪物? ゴシック建築のガーゴイル? と、思ってしまいますが、これは舞楽面の「蘭陵王」を象ったもの。
蘭陵王は歌舞音曲の神様なので、歌舞練場の守護神にぴったりです。

蘭陵王の両脇に、小さな太鼓があるのが見えますでしょうか?

先斗町が鴨川と高瀬川に挟まれている、つまり「川」と「川」に挟まれているのを、「皮」と「皮」に挟まれた太鼓に見立て、太鼓が「ポン」と鳴ることから、「ぽんと町」と呼ばれるようになった、という名前の由来の一説を図像化したもののようです。

なんだか、遊び心がありますね。 



レトロすぎるほどレトロな外観
内部もけっこう老朽化が進んでいます。
それでは、なかに入ってみましょう。




シンポジウムのプログラムは以下の通り。

オープニング:先斗町の舞妓さんによる舞
  《梅にも春》
  《祇園小唄》《鴨川小唄》
   地方 かず美さん
   舞妓 市結さん、市すみさん、市愛さん

パネルディスカッション
   原田マハ(小説家)
   林潤一(日本画家)
   野地耕一郎(泉屋博古館分館長)
   丸山勉(日本画家)
コーディネーター 田島達也(京都市立芸大教授)



冒頭の舞妓さんの舞が素敵でした。
この日は最前列に座っていたので、間近で拝見できてラッキー。

この時期にぴったりの春らしい演目で、舞妓さんたちのお着物も、水色やラベンダー色、菜の花のような明るい黄色など春らしい色合い。

「ぽっちり」の帯留めもゴージャスにきらめき、髪には正月らしい松竹梅の簪。
日本の女性美の結晶のようなあでやかさ。

腰や肩の動きがなんとも優美で、手の表現がしなやかで、やわらかい。
美酒に酔ったように、うっとりと見惚れてしまう。美しいものって、どうしてこんなに人を幸せにするのだろう。

地方さんの声にも、凛としたなかに艶っぽい色気があって、素敵だなぁ。

それにしても、舞妓さんだからお稽古歴もそう長くないと思うのですが、やっぱりプロって凄い! これだけ人を惹きつける魅力があるのですもの。
プロとしての心構えを持ち、厳しい稽古を重ねた人のもつオーラ。人に見られて、憧れられて、輝きを増す独特のオーラを彼女たちはまとっている。
たおやかで、露のようにきらりと輝く美しい舞。いつまでも観ていたかった。



パネルディスカッションでは、パネリストそれぞれが好きな日本画を3点ずつ紹介して、その良さを語るというコーナーがあり、紹介された作品を以下に挙げるとこんな感じ。

原田マハ氏は、竹内栖鳳《若き家鴨》、福田平八郎《淪》、上村松園《序の舞》。
林潤一氏は、菊池芳文《小雨ふる吉野》、西村五雲《日照雨》、山口華楊《鶏頭の庭》。
野地耕一郎氏は、池大雅《竹石図》、柳原紫峰《蓮》、村上華岳《春泥》。
円山勉氏は、村上華岳《峯茂松》 、長谷川等伯《楓図》、雪舟《天橋立図》。
田島達也氏は、狩野山雪《籬に草花図》、円山応挙《牡丹孔雀図》、岡本神草《口紅》。

このなかで、とりわけこだわりポイントの解説が面白かったのが、野地耕一郎氏。

柳原紫峰の《蓮》はわたしは未見なのですが、朝もやに包まれた湖に浮かぶ睡蓮の花が描線を使わずに、しっとりとした水気とともに描かれていて、是非見てみたいと思った。
千總が所蔵していて、時おり千總ギャラリーに展示されるようなので、チェックしてみよう。

村上華岳の《春泥》は、華岳がぜんそくを患ってから描いたもの。通常、線を引くときは息を詰めて描かないといけないが、喘息を患った華岳にはそれができない。《春泥》に描かれた線は、華岳の呼吸に合わせて、脈動している、それがこの絵の醍醐味だと野地氏は言う。
残念ながら、この絵は個人像なので、めったに見ることができないそうだが、何かの折に出展されていたら、味わってみたいと思った。



ロビーからは鴨川が一望できる。


歌舞練場の窓から眺めた鴨川の風景

冬のカップルには寄り添っている雰囲気があって、絵になります。




冬の三条大橋と春を待つ桜の木。





2018年11月8日木曜日

南座新開場・吉例顔見世興行~白鸚・幸四郎・染五郎襲名披露

2018年11月7日(水)16時30分~21時 京都四条南座
修復保存された桃山風破風造りの外観
東京時代は一度も来なかったから、めっちゃくちゃ久しぶりの南座!
しかも、南座新開場&高麗屋三代襲名披露というおめでたい公演。舞台も劇場もすごく良くて、とくに幸四郎の弁慶が秀逸だった。
1月の東京公演に比べると、ひと皮もふた皮も剥けて、襲名披露公演で各地をめぐるうちに「染五郎」から「幸四郎」へと見事に脱皮した彼に、京都の観客も心からの拍手喝采を送っていた。


 クラシカルな破風、折り上げ格天井、桟敷席の欄干も保存再生。

今回の改修は、最新技術を用いて耐震補強を施しつつ、昭和初期の名建築「南座」の魅力を維持保存して次世代へ伝えてゆくというもの。
文化財のかけがえのない価値を知り尽くした京都ならではの、伝統と最新のテクノロジーを融合させた理想的な改修のあり方だと思う。



アール・デコ風の照明器具のシェードも洗浄保存。
光源だけLED化されている。

昭和初期の意匠や建築ディテールもそのままなのがうれしい。


夜の部】
第一《寿曽我対面》
  工藤左衛門祐経  仁左衛門
  曽我十郎祐成   孝太郎
  曽我五郎時致   愛之助
  大磯の虎     吉弥
  化粧坂少将    壱太郎
  梶原平三景時   松之助
  八幡三郎     宗之助
  近江小藤太    亀鶴
  鬼王新左衛門   進之介
  小林妹舞鶴    秀太郎

第二 二代目松本白鸚・十代目幸四郎・八代目市川染五郎
   襲名披露口上
   白鸚 幸四郎 染五郎 藤十郎 仁左衛門

第三《勧進帳》 長唄囃子連中
  武蔵坊弁慶    幸四郎
  源義経      染五郎
  亀井六郎     友右衛門
  片岡八郎     高麗蔵
  駿河次郎     宗之助
  常陸坊海尊    錦吾
  富樫左衛門    白鸚

第四《雁のたより》金澤龍玉作
  髪結三二五郎七  鴈治郎
  若旦那万屋金之助 幸四郎
  前野左司馬    亀鶴
  愛妾司      壱太郎
  医者玄伯     寿治郎
  高木治郎太夫   市蔵
  乳母お光     竹三郎
  花車お玉     秀太郎

さて、肝心の舞台。

《寿曽我対面》
愛之助の五郎の目ぢからの強い見得も良かったけれど、なんといっても、仁左衛門の工藤祐経の存在感、求心力の強さは圧巻だった。
アーチやヴォールトを頂点でつなぎとめるキーストーンさながらに、舞台をぐっと引き締め、まとめあげている。南座でニザ様を拝見できる幸せ。

《口上》
今回の口上は、襲名する三人のほかは藤十郎と仁左衛門のみ。
幸四郎の「歌舞伎職人として修練してまいる所存」という言葉には好感が持てる。そういう職人魂で一意専心に役作りに励んできたことが、次の《勧進帳》にもあらわれていた。

染五郎さんの「(連獅子では)親獅子を抜く心意気で」という言葉も頼もしい。

白鸚さんは「南座」を「御園座(みそのざ)」と二度も言い間違えて、観客のひんしゅくを買っていた。
南座新開場記念公演でもあるのに、さすがにそれはアカンやろ。
その後の休憩時間でも、奥様たちが口々に「失礼よね」と言い合っていたほど。
体調は大丈夫だろうかと、そちらのほうが心配になった。かなり無理をしているのかもしれない。


《勧進帳》
ひと言で言うと、腹の据わった弁慶だった。
1月の東京公演では、頭に血が上って、どこか余裕のない感じがあったけれど、この日は肚のあたりの下半身に重心をどっしりと据えて、肉体的にも精神的にも迷いがなかった。

主君・義経が安宅の関を無事に通ること、この目的達成以外の選択肢は弁慶にはない。そうした鬼気迫る気迫が全身にみなぎり、間の取り方や発声も、初春大歌舞伎の時とは雲泥の差で、弁慶の器の大きさ、度量の深さまでをも感じさせた。
(たぶん、この1年で幸四郎さん自身の人間の器が一回りも二回りも大きくなったのだと思う。)

富樫が関所を通すところも、弁慶の凄まじい執念に深く感じ入り、富樫のほうでも、男として、人間として、義経一行を通す以外の選択肢はなかったのだと思わせるほど、弁慶の迫力には説得力があった。

義経役の染五郎は、顔がかなり痩せたのではないだろうか、小顔がさらに細面になり、もう少年の顔ではなく、大人の女性の顔のように見える。宝塚の男役に見紛うほどの美貌。男装の麗人のよう。この方は姿勢と所作がとても美しく、つねに冷静沈着で、星のように輝いている。

最後の花道で神仏に感謝するところ。天を仰ぎ、ぐっと目を閉じる。ゆっくりと目を閉じ、しばらく瞑目する。弁慶の万感の思いが伝わってきて、胸が熱くなる。飛び六方で、心が震えた。いい舞台だった。


《雁のたより》
上方和事らしいドタバタ喜劇。
司役の壱太郎の仕草になんとも言えないやわらかみと艶がある。
上方らしい、ふくよかなやわらかみ。

《勧進帳》に引き続き、ここでも幸四郎が髪結いの客の若旦那として出演。鴈治郎とのアドリブともつかない戯言が面白すぎて、客席も笑いが止まらない。
幸四郎さん、凄い体力。千秋楽までもつのだろうか。



歌舞伎をどりの祖・出雲の阿国像
慶長8年(1603年)、この辺りの鴨河原で出雲の阿国がはじめて「かぶきをどり」を披露したと伝えられている。

南座横にある「阿国歌舞伎発祥地」の碑





2018年9月8日土曜日

井上八千代「澪の会」~京舞井上流

2018年9月7日(金)19時~21時 片山家能楽・京舞保存財団



小唄《打水》      井上八千代
 佐藤隆三作曲・春日とよ作曲・四世八千代振付。手踊り。

小唄《白扇》別題《末広》井上八千代
 哥川亭作詞・吉田草紙庵作曲・四世八千代振付。扇。

小唄《露は尾花》    井上八千代
 四世八千代振付。

小唄《河庄》      井上八千代
 竹柴蟹助作詞・豊竹巌太夫作曲・四世八千代振付。手踊り。

地唄《玉取海士》    井上葉子
 初世八千代振付。手籠・扇。

地唄《葵上》      井上八千代
 木ノ本屋巴遊作・初世八千代振付(二世補作か?)扇。

座談会



新門前通の片山家能楽・京舞保存財団で3か月に1度開かれる「澪の会」。
十何年も皆勤賞で通い続けている人もいるらしいけれど、そうなるのもうなずける。井上八千代の至高の芸を、信じられないほど間近で拝見できる、とにかく凄い会である。

座敷舞とは無縁だったわたしは、うぶな、タブラ・ラサの状態で拝見したものだから、ガツンッと強い衝撃を受けた。テレビやホールで観るのとは、受ける印象がまるで異なる。本来、座敷での鑑賞を想定してつくられた京舞はこうした場で観てはじめてその真髄が、胸にずっしりと、ダイレクトに伝わってくるのだと実感する。

しかもここは、観世流片山家と井上流京舞の数々の名手を輩出し、現在も育みつづけている「芸能の聖地」、メディアにもよく登場する、あの敷舞台である。

京間三間の稽古舞台の床板は、かつて京都御所の南東にあった観世能楽堂が終戦間近に建物疎開で取り壊された折に、片山博通・幽雪(当時博太郎)父子が、面装束とともに必死の思いで救出した舞台板が使われたもの。
先人たちの汗と涙と脂のしみついた舞台床には、無数の傷とともに、数々のドラマやエピソード、長い歴史が刻まれている。


休憩時間になると、その大切な稽古舞台に、「どうぞおあがり下さい」とお弟子さんらしきスタッフの方がが観客に勧めてくださった。ちょっとビックリ、感動、畏れ多いことである。
片山家・井上流の御先祖の写真が見守る格天井の敷舞台を、感慨深い思いで、味わうように踏みしめる。身体で感じる舞台板の感触。足の裏の感覚は、自分が思う以上に鋭敏なのだとこのときはじめて気づいた。



【小唄四題】
入場時に小唄と地唄の詞章(資料)が渡されるので、何の知識もないわたしにも分かりやすい。資料には片山博通(八世九郎右衛門)の解説もついていて、能との関連を知る手掛かりになる。

冒頭の《打水》は四世八千代の振付だが、附が見つからなかったため、当代八千代さんが新たに振付をされたという。そのため今回は手踊りではなく、桔梗と薄をあしらった団扇が使われた。
水を打った庭の飛び石を歩くような足遣いがしっとりとしていて、草露を避けるしぐさが恋に悩む女心を感じさせる。虫の声に耳を澄ます初秋の風情。


それにしても、その身体能力、下半身、体幹の揺るぎなさ、盤石さには、ただただ圧倒される。「おいどを落とす」構えから生み出される、無限の広がりと表現の深さ。
八千代さん曰く、「おいどを低く落とすことで、上半身が自由になる」という。
このあと、井上葉子さんが《海士》を舞われて、それもとても素敵だったが、おいどを落した腰の位置の低さ、下半身の揺るぎない安定感の差は歴然としていた。


着流しで、寝そべるようにして、両脚を横にサッと出してサッと曲げるという難度の高い振りの時も、着物の裾が魔法のようにまったく乱れない。
鍛えに鍛え抜かれた筋肉と、驚異的な柔軟性、高度な熟練の技に息をのむ。



地唄《玉取海士》
薄紫の単衣姿の井上葉子さんが舞われた。
能《海士》の玉ノ段からの引用が3分の2近くを占めているが、八千代さんがおっしゃるには、観世流よりも金剛流の型に似ているという。
とはいえ、歌舞伎の海老反りのように後ろに反らしてそのまま倒れ込んだり、扇を口にずっとくわえたまま舞ったりと、能にはない型もふんだんに盛り込まれ、若い葉子さんのしなやかな身体が織りなす舞には、独特の凛とした嫋やかさがある。

ラスト近くの乳の下を掻き切る箇所で、ハッとする。
開いた扇で、スーッと真一文字に胸の下を斬る型は、先月拝見した九郎右衛門さんの仕舞《玉之段》を彷彿させたのだった。



地唄《葵上》
三部構成の地唄。
第一、二、三部がそれぞれ序・破・急となり、「急」のなかに緩急がつけられていると八千代さんがおっしゃっていた。
その言葉通り、第一部(序)の冒頭は、動きを極力抑えた静かな表現。スリ足や大左右、シオリ返シなどの能によく似た型によって、王朝絵巻のように華やかな東宮妃時代を懐かしむ心があらわされる。

中段の第二部は一転(破)、「もつれもつれてナ」のような世話物的なくだけた調子になり、女性らしい舞の振りが多用される。こういうところがいかにも花街の座敷舞らしく、光源氏との逢瀬が情念豊かに描かれる。

第三部(急)は、ふたたび能《葵上》からの引用に戻り、恨みと妬心が極度に昂る、うわなり打ちのシーンとなるが、ここは、腰をぐっと落とした深沈なる下半身で、気持ちの昂ぶりを内に、内にためた表現。そのぶん、その内奥にメラメラと燃える暗い焔を感じさせる。
おいどを落とすからこそ可能になる、複雑に入り組んだ心の深みの表現。
見事だった。



【座談会】
休憩を挟んだ後半の座談会では、観客があらかじめ記入した質問用紙の内容をもとに、八千代さんが実演を交えながら、気さくに、誠実にお話をしてくださった。飾らないお人柄は片山家の方々に共通のものだろうか。
その素晴らしい芸とともにお人柄もとても魅力的で、またぜひうかがいたい!