2018年9月8日土曜日

井上八千代「澪の会」~京舞井上流

2018年9月7日(金)19時~21時 片山家能楽・京舞保存財団



小唄《打水》      井上八千代
 佐藤隆三作曲・春日とよ作曲・四世八千代振付。手踊り。

小唄《白扇》別題《末広》井上八千代
 哥川亭作詞・吉田草紙庵作曲・四世八千代振付。扇。

小唄《露は尾花》    井上八千代
 四世八千代振付。

小唄《河庄》      井上八千代
 竹柴蟹助作詞・豊竹巌太夫作曲・四世八千代振付。手踊り。

地唄《玉取海士》    井上葉子
 初世八千代振付。手籠・扇。

地唄《葵上》      井上八千代
 木ノ本屋巴遊作・初世八千代振付(二世補作か?)扇。

座談会



新門前通の片山家能楽・京舞保存財団で3か月に1度開かれる「澪の会」。
十何年も皆勤賞で通い続けている人もいるらしいけれど、そうなるのもうなずける。井上八千代の至高の芸を、信じられないほど間近で拝見できる、とにかく凄い会である。

座敷舞とは無縁だったわたしは、うぶな、タブラ・ラサの状態で拝見したものだから、ガツンッと強い衝撃を受けた。テレビやホールで観るのとは、受ける印象がまるで異なる。本来、座敷での鑑賞を想定してつくられた京舞はこうした場で観てはじめてその真髄が、胸にずっしりと、ダイレクトに伝わってくるのだと実感する。

しかもここは、観世流片山家と井上流京舞の数々の名手を輩出し、現在も育みつづけている「芸能の聖地」、メディアにもよく登場する、あの敷舞台である。

京間三間の稽古舞台の床板は、かつて京都御所の南東にあった観世能楽堂が終戦間近に建物疎開で取り壊された折に、片山博通・幽雪(当時博太郎)父子が、面装束とともに必死の思いで救出した舞台板が使われたもの。
先人たちの汗と涙と脂のしみついた舞台床には、無数の傷とともに、数々のドラマやエピソード、長い歴史が刻まれている。


休憩時間になると、その大切な稽古舞台に、「どうぞおあがり下さい」とお弟子さんらしきスタッフの方がが観客に勧めてくださった。ちょっとビックリ、感動、畏れ多いことである。
片山家・井上流の御先祖の写真が見守る格天井の敷舞台を、感慨深い思いで、味わうように踏みしめる。身体で感じる舞台板の感触。足の裏の感覚は、自分が思う以上に鋭敏なのだとこのときはじめて気づいた。



【小唄四題】
入場時に小唄と地唄の詞章(資料)が渡されるので、何の知識もないわたしにも分かりやすい。資料には片山博通(八世九郎右衛門)の解説もついていて、能との関連を知る手掛かりになる。

冒頭の《打水》は四世八千代の振付だが、附が見つからなかったため、当代八千代さんが新たに振付をされたという。そのため今回は手踊りではなく、桔梗と薄をあしらった団扇が使われた。
水を打った庭の飛び石を歩くような足遣いがしっとりとしていて、草露を避けるしぐさが恋に悩む女心を感じさせる。虫の声に耳を澄ます初秋の風情。


それにしても、その身体能力、下半身、体幹の揺るぎなさ、盤石さには、ただただ圧倒される。「おいどを落とす」構えから生み出される、無限の広がりと表現の深さ。
八千代さん曰く、「おいどを低く落とすことで、上半身が自由になる」という。
このあと、井上葉子さんが《海士》を舞われて、それもとても素敵だったが、おいどを落した腰の位置の低さ、下半身の揺るぎない安定感の差は歴然としていた。


着流しで、寝そべるようにして、両脚を横にサッと出してサッと曲げるという難度の高い振りの時も、着物の裾が魔法のようにまったく乱れない。
鍛えに鍛え抜かれた筋肉と、驚異的な柔軟性、高度な熟練の技に息をのむ。



地唄《玉取海士》
薄紫の単衣姿の井上葉子さんが舞われた。
能《海士》の玉ノ段からの引用が3分の2近くを占めているが、八千代さんがおっしゃるには、観世流よりも金剛流の型に似ているという。
とはいえ、歌舞伎の海老反りのように後ろに反らしてそのまま倒れ込んだり、扇を口にずっとくわえたまま舞ったりと、能にはない型もふんだんに盛り込まれ、若い葉子さんのしなやかな身体が織りなす舞には、独特の凛とした嫋やかさがある。

ラスト近くの乳の下を掻き切る箇所で、ハッとする。
開いた扇で、スーッと真一文字に胸の下を斬る型は、先月拝見した九郎右衛門さんの仕舞《玉之段》を彷彿させたのだった。



地唄《葵上》
三部構成の地唄。
第一、二、三部がそれぞれ序・破・急となり、「急」のなかに緩急がつけられていると八千代さんがおっしゃっていた。
その言葉通り、第一部(序)の冒頭は、動きを極力抑えた静かな表現。スリ足や大左右、シオリ返シなどの能によく似た型によって、王朝絵巻のように華やかな東宮妃時代を懐かしむ心があらわされる。

中段の第二部は一転(破)、「もつれもつれてナ」のような世話物的なくだけた調子になり、女性らしい舞の振りが多用される。こういうところがいかにも花街の座敷舞らしく、光源氏との逢瀬が情念豊かに描かれる。

第三部(急)は、ふたたび能《葵上》からの引用に戻り、恨みと妬心が極度に昂る、うわなり打ちのシーンとなるが、ここは、腰をぐっと落とした深沈なる下半身で、気持ちの昂ぶりを内に、内にためた表現。そのぶん、その内奥にメラメラと燃える暗い焔を感じさせる。
おいどを落とすからこそ可能になる、複雑に入り組んだ心の深みの表現。
見事だった。



【座談会】
休憩を挟んだ後半の座談会では、観客があらかじめ記入した質問用紙の内容をもとに、八千代さんが実演を交えながら、気さくに、誠実にお話をしてくださった。飾らないお人柄は片山家の方々に共通のものだろうか。
その素晴らしい芸とともにお人柄もとても魅力的で、またぜひうかがいたい!












1 件のコメント:

  1. わたしも当日その場に居りました。12月も伺いたいと思って居ります。

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