2018年4月27日金曜日

茂山一族デラックス狂言会プレイベント ~茂山家三世代のいま

2018年4月26日(木)14時~15時45分 高槻現代劇場レセプションルーム

本公演のみどころ 聞き手・くまざわあかね
狂言《魚説教》 出家 茂山千作 施主 茂山千五郎
質疑応答



上方で能楽鑑賞して思うのは、関東では、「首都圏(東京圏)」をひとつの単位として比較的まとまっているのに対し、関西では、京都と大阪(神戸も?)で芸風や雰囲気がかなり異なるということ。

これは関西の文化全般にいえるのかもしれないけれど、京都と大阪では文化や気質がまるで違う。
そして、京阪文化圏の境界線に位置するのが、ここ高槻かもしれない。


この高槻現代劇場でも、毎年、片山九郎右衛門さんと野村萬斎さんによる明月能が行われ、九郎右衛門さんの講座「能はゆかしい・おもしろい」もこのレセプションルームで開かれる。茂山家の狂言公演もあり、さらに大阪勢ではTTR能プロジェクトのワークショップもよく開催されているらしい。

そんなわけで下見も兼ねて、茂山家公演のプレイベントに参加した。


聞き手のくまざわあかねさん(落語作家)は伝統芸能に造詣が深く、先日の文楽襲名公演でもご祝儀飾りのなかにお名前があったほど、文楽の方々とも親交が厚い。
(『寝床』や『軒づけ』など、義太夫とかかわりのある落語が少なくないのも関係しているのかも? 義太夫も落語も、一人で語り分けるという共通点があるし。)


京都茂山家とも親しい間柄で、宗彦さん・逸平さんらとともに狂言の御本を出されているし、昨年テレビで放送された狂言公演では、舞台の進行に合わせた実況中継を茂山七五三とされていて、これが最高に面白かった!


この日も、茂山千作・千五郎さんとともに、前半は和気あいあいとしたトークで始まった。

茂山家らしいなあと思ったのは、千作さんは千五郎さんの父であり師でもあるから、てっきり親子でも子弟の壁というか、上下関係を弁えた距離感があるのだと思っていたけれど(もちろんあるのだろうけれど)、予想に反してお笑い芸人のボケとツッコミのようなノリで、千作さんの天然ぶりに千五郎さんが突っ込む突っ込む! ← ボケキャラの人には突っ込まずにはいられない関西人のさがだと思う。たぶん。



お話はお稽古の指導の仕方の違いなど。
茂山家でも、「こうやってこうやればいいねん」みたいな感覚派と、「これはこうだから、こういうことやねん」という理論派に分かれ、千作・千五郎系は感覚派(弟の茂さんは理論派)、千之丞系は理論派(なので、あきら・童司さんは理論派)なのだそう。


さて、狂言《魚説教》は、和泉流でしか観たことなかったので《魚説法》と覚えていたけれど、大蔵流では《魚説教(うおぜっきょう)》なんですね。

千作さんの出家僧には、ほんわかした温かみがある。
魚の名前を並べて説教しているのがバレて怒られた時の、いたずらを見つけられた子供のような笑顔にこちらの心も和んでくる。

東京の山本東次郎家が肩に力の入った堅苦しい感じなのに対し、こちらは肩の力がほどよく抜けた脱力系。
修業の辛さを感じさせず、芸格を誇示せず、軽みと親しみやすさを信条とする芸風。お豆腐のように柔らかく、淡白で、飽きのこない、味わい。
お豆腐が、流し込まれた型に沿って素直に形づくられるように、時代や場所に逆らうことなく、お豆腐の性質・本質はそのままに、その時々に合わせて形を変えてゆく。


東京で東次郎家の《月見座頭》や《木六駄》、《粟田口》などの舞台に感動し、その至芸の奥深さに触れてから、こちらに来て茂山家の舞台を観る、というこの順番は、狂言という芸と知るうえで自分にとっては幸いだったと思う。


最後の質疑応答では千五郎さんが、わたしの(いつもながらの)アホな質問にも丁寧かつ的確に答えてくださって、「そういうことだったのか」と納得。






2018年4月23日月曜日

彦山権現誓助剣 ~五代目吉田玉助襲名披露・第2部

2018年4月21日(土)16時~20時40分 国立文楽劇場

五代目吉田玉助襲名披露のご祝儀

《彦山権現誓助剣》の六助とお園

毛谷村六助        吉田玉男
吉岡一味斎の姉娘・お園  吉田和生
吉岡一味斎の妹娘・お菊  吉田勘彌
京極内匠         吉田玉志
若党友平         吉田文昇  ほか    

【須磨浦の段】 
 お菊 竹本三輪太夫
 内匠 豊竹始太夫
 友平 竹本小住太夫
 弥三松 豊竹咲寿太夫
 鶴澤清友

【瓢箪棚の段】
 中 豊竹希太夫
   鶴澤寛太郎
 奥 竹本津駒太夫
   鶴澤藤蔵  ツレ 鶴澤清公

【杉坂墓所の段】
 口 豊竹亘太夫
   野澤錦吾
 奥 豊竹靖太夫
   野澤錦糸

【毛谷村六助住家の段】
 中 豊竹睦太夫
   野澤勝平(野澤喜一朗改め)
 奥 竹本千歳太夫
   豊澤富助



襲名ブームに沸く伝統芸能界、文楽も春からおめでたい襲名披露公演!
とはいえ、わたしが拝見したのは《彦山権現誓助剣》の半通し上演のある第2部のみ。
(桐竹勘十郎さんの狐忠信もすっごく観たかったけど、通しで観るのはしんどいから……)。

それにしても東京で観る文楽とは、やっぱ、ちゃう。

文楽劇場に行く前に法善寺横丁に寄ってみてんけど、なんかもう、欲望やら熱気やら、いろんなもんが渦巻く、アジア的カオスの世界。
《夏祭浪花鑑》の、あのネバついた湿度の高いエネルギーを肌で感じる。
大阪のおばちゃんも、どこ行ってもバンバン気さくに声かけてきはるし(他人の心に土足で踏み込むんやなしに、ほんまにフレンドリーで、自然に打ち解けてきはる感じ)。

文楽観てても休憩時間になると、まだ幕が閉まらないちに、観客の皆さん、おもむろに立ち上がり、出口のほうにドドド―ッと押し寄せ、わたしがホールから出てきた頃には、もうすでにソファの陣取り合戦を済ませ、ものすごい勢いでお弁当を食べてはる……。
(休憩時間30分もあるのに!?)

こうゆう、前のめりでエネルギッシュな土壌から、文楽が生まれ、はぐくまれてきたんやね。



さて、今回観た《彦山権現誓助剣》は、全11段のうち4段上演する半通し狂言。梅野下風&近松保蔵合作で、天明6(1789)年に竹本座で初演されたもの。

上演される四段までのストーリーをかいつまんで話すと━━。
長門国郡(毛利)家の剣術指南役・吉岡一味斎は、彦山麓の毛谷村に住む六助に、彦山権現の鳥居前で剣術奥義の一巻を授けるが、その後、娘お菊に横恋慕した京極内匠から逆恨みされ、闇討ちにあう。一味斎の遺族(妻お幸、娘お園・お菊)は父の仇・京極内匠を探して旅に出る。姉妹は二手に分かれ、妹お菊は幼児・弥三松と若党・友平とともに須磨浦にたどり着く━━というところから「須磨浦の段」が始まる。


上演機会の多い「毛谷村六助住家の段」の面白さもさることながら、文楽劇場初上演となる「須磨浦の段」「瓢箪棚の段」も見応えがあり、とくに「瓢箪棚の段」の瓢箪棚(夕顔棚)上での立ち廻りがすっごく面白い!

瓢箪棚の上の立ち廻りシーン
くさり鎌を振り回すヒロイン・お園と、名刀蛙丸を構える悪役・京極内匠
背後には、主遣いの吉田和生さんと桐竹勘十郎さん(前回の配役)の顔もぼんやりと。


【瓢箪棚の段】
武術の心得がある女性キャラクターとしては、女主人の仇討ちをする《加賀見山旧錦絵》のお初がいるけれど、文楽一の女剣士といえば、なんといっても本作ヒロインのお園。

しかもお園は身長六尺あまり(180センチ以上)の長身で怪力の持ち主でもあるという設定。 
「瓢箪棚の段」では、くさり鎌をブルンブルン振り回して、父の仇・京極内匠に立ち向かうという、なんとも、いかつ~い美女なのです。

この瓢箪棚、なかなか凝った造りになっていて、お園との死闘の中で、京極内匠が棚から飛び降りるシーンは見どころの一つ。
内匠の主遣いと左遣いが、人形を操りながら呼吸を合わせてピョンと飛び降り、足遣いが瓢箪棚の背後から回り込んで、着地した人形の足もとにすかさず入り込むという、(内匠なだけに!)たくみな早業。
もちろん、舞台下駄は脱いでいたようだけど、主・左・足遣いともに相当な技術力を要すると思う。


【須磨浦の段】
瓢箪棚に先立つ「須磨浦の段」。前半は、お菊と愛児・弥三松との親子の情が描かれる。弥三松を撫でるお菊の手の優しいこと……。慈愛のこもった柔らかさが感じられ、人形の吉田勘彌さんと三輪太夫の動きと声が一体となって、しっとりしたお菊の性根を浮かび上がらせていた。
この愛情深い前半の描写があるからこそ、後半で京極内匠にいたぶられながら、なぶり殺しにされるお菊の哀れさと、彼女に横恋慕した内匠のサディスティックな残虐さが際立つ。
良い人形遣いは人形と面差しが似てくる気がする。吉田勘彌さんも、お菊の面差しとダブるようなところがあった。


【杉板墓所の段】
お待ちかねの毛谷村六助の登場。
「良い人形遣いは人形と面差しが似てくる」と書いたけれど、吉田玉男さんなんか、もう六助にそっくり!
眉間のシワから、眉の角度、への字に結んだ口の形まで、ほとんど分身といってもいいくらい。

それから、人形の重心の置き方。
六助の下半身の丹田あたりに重心が置かれ、座った姿勢の時もきちんと腰が入っていて、兵法の達人らしい構えが常にできている。
主遣いだけでなく、左遣いも差し金をギュッと引いて、膝に置かれた手で、六助の前のめりの姿勢を美しく決めている。

微塵弾正(じつは京極内匠)との御前試合の時も、いったんヒョイッと身をかがめて斬りこむときの、間合いと気合、呼吸の感覚も、剣術そのものの間合いと気合、息遣いが的確に再現されていて、さすが!

*主遣いと左遣いの熟達度の差をいちばん認識するのが、じっと静止している時。玉男さんなどは、静止している姿がほんとうに美しい。能の居グセにも通じる美しさ。額から流れる汗が目にしみて辛そうだけど、微塵も動かない。
それに対して、左遣いはどうしても時折動いてしまう。主遣いの動きがつかめず、フライングしそうになるのかもしれないけれど。



【毛谷村六助住家の段】
メジャーな段だけど、展開早っ!

虚無僧に扮して六助を斬りつけたお園が、相手の名を聞いたとたん、急にしおらしくなり、押しかけ女房気取りで頬かむりをして、立ち働く豹変ぶり。
(六助を婿に迎えて吉岡家を継がせるつもりだと、一味斎は生前、お園に言い聞かせていた。)
困惑していた六助も、お園が一味斎の娘だと知るやいなや、そばにあった茶碗で祝言の盃を酌み交わし、「女房殿」と呼びかける変わりよう。

そうかと思うと、家族の感動の対面の場面で、障子の立て付けがガタガタ悪くてなかなか開かないという芸の細かさ……こういうところで笑いを取るのも、大阪のノリやね。









2018年4月16日月曜日

雨上がりの休日に ~ 京都・大坂青嶂会

2018年4月15日(日)     京都観世会館

(味方玄さんの社中会にて、拝見したもののみ記載)
舞囃子
《通小町・立廻リ》 社中の方
  杉市和 成田達志 河村大
  地謡 片山九郎右衛門 小林慶三 味方玄 田茂井廣道

《三輪》社中の方
  左鴻泰弘 吉阪一郎 前川光長
  地謡 片山九郎右衛門 橘保向 味方玄 大江信行

《海士・五段・替之型》社中の方
  左鴻泰弘 吉阪一郎 白坂信行 前川光範
  地謡 片山九郎右衛門 味方玄 味方團 河村浩太郎

番外仕舞《隅田川》 片山九郎右衛門

能《井筒》社中の方
  ワキ原大 アイ松本薫
  杉市和 吉阪一郎 河村大
  後見 味方玄 味方團
  地謡 片山九郎右衛門 古橋正邦 分林道治 大江信之
     梅田嘉宏 河村和晃 大江広裕 河村浩太郎





雨上がりの新緑がみずみずしい午後、九郎右衛門さんの仕舞《隅田川》を観た。

「思えばかぎりなく、遠くも来ぬるものかな」で、シテが繊細な動きで描き出す、京から東国までの気の遠くなるような距離感、わが子に恋い焦がれる激しい思いに導かれ、さすらいの果てに遥々たどり着いた長い、長い道のり。
その時の九郎右衛門さんの表情に、深井の女面の面影がうっすらと重なり、瞳があるのに無いようにも見えるそのまなざしには、母の情愛と渇望が宿っていた。

「さりとては乗せてたび給へ」と、嫋やかに合掌したその手に込められた、一途な願い。
そこには、どんなに苦しい荒波にもまれても、失わない女性美、芯の強い女らしさが感じられ、まさしく鬼神をも動かすさずにはいられない婉然たるしなやかさがあった。

渡守に乗船を頼むやり方にはいろいろあり、なかには船頭に強く迫る役者さんもいるけれど、柔よく剛を制すで、あんなふうに清淑に手を合わす女性の切実なまごころを断ることのできる人間がいるだろうか?
誰もが思わず手を差し伸べたくなるような、真摯な懇願の姿。
この方の合掌には、人が何かを願うとき、何かに感謝を捧げるときの思いの強さ、誠実なひたむきさが込められていて、それが観る者の心に深く伝わってくる。


わたしが九郎右衛門さんの舞台をこよなく愛する理由の一つは、彼が思い描く女らしさの理想像にどうしようもなく惹きつけられ、それを、彼自身があますところなく体現しているからかもしれない。





そして、
味方玄さんの御社中はいつもながらレベルが高く、どの方も舞姿がきれい。社中の規模も大きいのに、一人一人にご指導が行き届き、その熱心なご指南にお弟子さんたちもしっかりと応えていらっしゃって、いずれ劣らぬ素敵な舞台だった。


お囃子も個人的に好きな役者さんが多く、九郎右衛門さん地頭の地謡も素晴らしく、とりわけ《三輪》の地謡は最高にドラマティックで、謡の描写力の豊かさを堪能した。

能《井筒》のクセの地謡についても、いろいろ気づかされることがあり、実り多き会でした!

(最後の番外仕舞も拝見したかったのですが、所用のため、後ろ髪を引かれる思いで退席しました……。)