2019年12月30日月曜日

味方玄《正尊 起請文・翔入》~片山定期能十二月公演

2019年12月22日(日)京都観世会館
片山九郎右衛門《邯鄲》からのつづき
京都府庁旧本館
《正尊 起請文・翔入》味方玄
義経 片山伸吾 静 味方慧
江田源三 分林道治 熊井太郎 大江広祐
姉和光景 大江信行
立衆 橋本忠樹 宮本茂樹 河村和貴
河村和晃 河村浩太郎
武蔵坊弁慶 宝生欣也
下女(くノ一?)松本薫
杉信太朗 吉阪一郎 河村大 前川光範
後見 片山九郎右衛門 味方團
ワキ後見 殿田謙吉 平木豊男
地謡 橋本礒道 橘保向 武田邦弘
青木道喜 古橋正邦 河村博重
田茂井廣道 清沢一政


さて、この日は番組自体が豪華なうえに、京都観世会の看板役者2人がシテを勤めるという「日頃のご愛顧に感謝して出血大サービス!」的なデラックス版。

早々に売り止めになったため超満員が予想され、いつもよりかなり早めの開場40分前に到着のに、すでにビックリするほどの人、人、人! 
これまで見たことないような長蛇の列に「今日は立ち見かなあ……クスン」と覚悟していたら、意外にもいつもの見やすい席を確保できました(o^―^o)ニコ。
東京圏からの遠征組も多かったようだし、今年は観世会例会もいつもの年より客の入りが多かったそうだから、盛り上がってますね、京都のお能は。


《正尊 起請文・翔入》
味方玄さんの正尊に、準主役の弁慶役が宝生欣哉さん。立衆が大勢出て、今年最後の観能にふさわしい華やかでにぎやかな舞台でした。

いちばんの見どころは、なんといっても起請文の場面。
シテの玄さんが「お~~じょぉ~~(王城)の鎮守」とか「驚かしたてまつぅ~るぅ~~」など、独特の節回しで読み上げる。お腹の奥底でメラメラと紅蓮の炎が燃えたぎっているような、気迫と熱気が感じられる。

味方玄さんの直面は、顔の皮膚から肉体の生々しさが消え去り、素顔そのものが無機質な能面に変化している。じっと目を凝らして見ていても、シテはまったく瞬きをしない。角膜が乾燥しないのだろうか?

役に完全に没入し、生理現象を超越した高い集中力が見てとれる。坐禅やヨガなどで瞑想が深まると脳内でシータ波が出るというけれど、もしかすると味方玄さんの脳波もそんな状態かもしれない。


斬り組の場面では、若手と中堅が大活躍!
飛び安座や仏倒れで、立衆たちがバッタバッタと斬られていく。なかには、本舞台と橋掛りでチャンバラ劇が同時に展開し、敵役2人が同時に斬られる「ダブル仏倒れ」という贅沢な演出も!

とくに欣哉さんの弁慶と、大江信行さんの姉和との一騎討は見応えがあった。どちらかというと欣哉さんが牛若丸で、大江さんが弁慶、もしくはダビデとゴリアテの戦いのように見えなくもない。
一の松で欄干から身を乗り出し、弁慶をグイッとにらみつける大江信行さんの鬼気迫る存在感は、主役の2人を凌駕するほどだった。来年も注目したい役者さんだ。


最後は捕縛された正尊が揚幕の奥に連れ去られ、ツレの義経(片山伸吾さん)が常座で留拍子。

片山一門の殺陣といえば、昔、NHKで一場面だけ再放送された《夜討曽我・十番斬》で、片山九郎右衛門さんと味方玄さんの斬組があったのを思い出す。九郎右衛門さん(当時片山清司さん)に斬られた玄さんの仏倒れが、超新星のようにピカッと光り輝いていた。今でもあれ以上の仏倒れは観たことがない。
あのとき彼は、恐怖心を完全に抹殺した「能の鬼」と化し、まさに立像が倒れるがごとく、直立のままバッタリと一直線に倒れてたのだった。そして、あのときも目をぐっと大きく見開いたまま、倒れきった後までまったく瞬きをしなかった。


この2人の御舞台を堪能できて、幸せな一年の締めくくりでした。


どうぞ皆さまも、良き新年をお迎えくださいませ。




2019年12月27日金曜日

片山九郎右衛門《邯鄲》~片山定期能

2019年12月22日(日)京都観世会館

《邯鄲》盧生 片山九郎右衛門
舞童 梅田晃熙 勅使 殿田謙吉
大臣 宝生欣也
輿舁 平木豊男 宝生尚哉
宿の女主人 茂山茂
杉市和 飯田清一 谷口正壽 前川光長
後見 小林慶三 大江信行
地謡 青木道喜 古橋正邦 河村博重
分林道治 味方團 宮本茂樹
河村和貴 大江広祐

《腹不立》出家 茂山七五三
アド 茂山逸平 茂山千之丞

仕舞《巻絹》河村博重
  《車僧》橋本忠樹
武田邦弘 古橋正邦
田茂井廣道 清沢一政

《正尊 起請文・翔入》味方玄
義経 片山伸吾 静 味方慧
江田源三 分林道治 熊井太郎 大江広祐
姉和光景 大江信行
立衆 橋本忠樹 宮本茂樹 河村和貴
河村和晃 河村浩太郎
武蔵坊弁慶 宝生欣也
下女(くノ一?)松本薫
杉信太朗 吉阪一郎 河村大 前川光範
後見 片山九郎右衛門 味方團
ワキ後見 殿田謙吉 平木豊男
地謡 橋本礒道 橘保向 武田邦弘
青木道喜 古橋正邦 河村博重
田茂井廣道 清沢一政


【邯鄲】
忘れもしない、私が能を観はじめた5年前、初めて感動した舞台が片山九郎右衛門さんの《邯鄲・夢中酔舞》(国立能楽堂企画公演)だった。
あのときのクライマックスの光景は、いまでも胸に焼きついている。

盧生がゆっくりと身を起こしたあと、時間が凝固したような長い沈黙がつづいた。
はたしてシテは無事なのか? 
もしかすると一畳台に激しくダイヴしたせいで、脳震盪でも起こしたのではないだろうか……?

緊迫した静寂ののち、シテはようやく沈黙を破り、「盧生は、夢醒めて……」と謡い出した━━「永遠の一瞬」ともいえる絶妙な「間」だった。

観世寿夫があの名舞台で井筒をのぞいた時のような、計算され、洗練しつくされたあの美しい「間」が、観能ビギナーだった私を能の世界へ引き入れてくれた。

この日の《邯鄲》でもあの時の「間」が再現され、盧生が身を起こしたあとに長い沈黙がつづいた。
ただ、5年前の《邯鄲》では舞台も見所も水を打ったように静まり返っていたが、この日は見所の物音で、あの「永遠の一瞬」が惜しくも乱されたのだった……。


一畳台での〈楽〉も、5年前とよく似た感覚を抱いた。
シテは、空気中とは異なる重力空間に存在していた。手足に水圧のような抵抗を受け、まるで水中で舞っているかに見える。引立大宮の四角い箱型空間が透明なアクアリウムと化し、シテは夢の中でゆらめくように遊泳していた。
生死の境で魚になって泳ぐ夢を見る『雨月物語』の「夢応の遊鯉」がふと頭に思い浮かび、《邯鄲》の世界と折り重なっていった。


ほかにも、とりわけ印象深かった箇所が2つある。

ひとつは〈楽〉を舞い終えて興に乗ったシテが、橋掛りで至福の境地に浸るところ。
昼夜・四季のすべての美しさが目の前に展開し、この世の頂点を極めた盧生は「面白や、不思議やな」とまばゆい栄華に酔いしれるのだが、この時シテは橋掛りの欄干にゆったりと腰をかけ、甘美な悦楽にしばし耽溺する。

橋掛りの欄干に無造作に腰をかけるという、大胆な型を観るのはこの時が初めてだった。
シテの創意だろうか?
クタッとくつろいだ姿勢から、いかにも圧倒的な幸福に浸りきって我を忘れた青年らしい、どこか生ぬるく隙のある、ぽわ~んとした脱力感が伝わってくる。


もうひとつは、盧生が夢から醒めて「何事も一炊の夢」と悟ったのち、「南無三宝南無三宝」と唱えるところ。
この時シテはおもむろに一畳台から立ち上がり、正中に出て、急に激しい調子で「南無三宝! 南無三宝!」と歓呼する。「なんだ! そうだったのか! そういうことだったのかぁ!!」と、全身から熱い感動がほとばしるように。

ここも、青い果実のようなちょっとベタな感情表現が、どことなく若者らしさを感じさせた。盧生のつかの間の「悟り」の先にあるのが何なのか、あれこれ想像をめぐらせたくなる。


アイの宿屋の女将は、5年前の《邯鄲》と同じ茂山茂さん。はまり役だ。ハコビがなんとも女らしく、婀娜っぽい。
笛も5年前と同じく杉市和さん。囃子方は俊英ぞろい。推しの大鼓方・谷口正壽さんがこの日も冴えていた。そして、端然と下居した大臣役の宝生欣哉さんの不動の佇まいが、ひたすら美しかった。


片山定期能《正尊 起請文・翔入》につづく



2019年9月27日金曜日

浦田保浩《天鼓・弄鼓之舞》~京都観世会9月例会

2019年9月22日(日)京都観世会館
片山九郎右衛門《三井寺・無俳之伝》からのつづき
2階ロビーに展示されていた《天鼓》の唐団扇と鞨鼓

能《天鼓・弄鼓之舞》浦田保浩
 ワキ福王和幸 アイ茂山千五郎
 森田保美 久田舜一郎 谷口正壽 前川光範
 後見 杉浦豊彦 深野新次郎
 地謡 河村晴久 河村博重 片山伸吾
        味方團 吉田篤史 松野浩行
    大江泰正 河村和晃



最後の《天鼓・弄鼓之舞》もよかった!
京都観世会は円熟期を迎えた中堅の層が厚く、充実している。シテの浦田保浩さんもいい役者さんだ。とくに王伯のような老人は、こういう若くもなく、老いてもいない、いぶし銀の技を持つ巧者が演ると好いものである。

【前場】
老齢に鞭うつような、途方もない悲劇に見舞われた老人のヨボヨボ感、ヨロヨロ感を出しつつも、所作や姿に内から滲み出るような品がある。
深い悲しみに沈むなかで品格を保つシテの佇まいが、こちらの心を揺さぶってくる。

「忘れんと思ふ心こそ忘れぬよりは思ひなれ」

ほんとうに、そう。やり場のない気持ちはどうあがいても折り合いがつかない。忘れようと思っても、その気持ちこそがつらい……。


シテの心を慰め、やさしく介抱するように、私宅に送り出すアイの茂山千五郎さん。
前日に御父上を亡くされたばかりの千五郎さんが、愛児に先立たれて嘆き悲しむシテに、そっと寄り添う。
いつもより厳しく青ざめた表情の千五郎さんの間狂言には、鬼気迫るものがあり、強い決意のようなものを感じさせた。大切な肉親を失った王伯とアイの気持ちが混じり合い、独特の空気が漂う。


【後場】
出端の囃子で後シテ登場。
前シテの老父とは打って変わって、みずみずしく艶やかな美少年の姿。童子の面もまことに麗しい。豊かに実った秋の果実のような芳醇な香りを放っている。

なによりも、シテのはずむように弾力のある舞姿が目に焼きついている。
これほど幸福に満ちた亡霊がいるだろうか?

盤渉楽の囃子に合わせて、シテは湖面を飛び跳ねるように、軽やかに水しぶきを上げながら、鼓をうち、舞い戯れ、水に潜っては湖上に浮かび、猩々のようにプルプルプル~ッと首を振り、橋掛りへ進んで前髪をつかみ、欄干越しに、さも愛おしそうに鼓を見込む。
青白い月が幻想的な舞台を照らしている。

愛する鼓にふたたび会えた悦び。
愛してやまない鼓を打つ幸せ。

恨みとか、憎しみとか、そういう悪感情から解放された時、人はこんなにも自由に、軽やかに、天真爛漫になって、愛と幸福感で満たされるのだ。

天鼓の愉悦がはちきれそうなくらい胸いっぱいに広がって、天鼓の身体からあふれ出て、能楽堂全体に充満し、こちらの心にも満ちてくる。

かなしくて、幸せな、幸せな天鼓。



最後に、前川光範さんの太鼓が聴けてよかった。

弄鼓之舞でよかった。



ありがとうございました。






片山九郎右衛門の《三井寺・無俳之伝》

2019年9月22日(土)京都観世会館
京都観世会九月例会《錦木》からのつづき
三井寺の仁王門(重文・室町時代)
この曲の作者もこの門をくぐったのかも

能《三井寺・無俳之伝》片山九郎右衛門
 千満 梅田晃煕 能力 茂山忠三郎
 宝生欣哉 平木豊男 宝生尚哉
 杉市和 飯田清一 河村大
 後見 大江又三郎 青木道喜
 地謡 浅井文義 河村和重 河村晴道
  分林道治 大江信行 宮本茂樹
      河村和貴 大江広祐

仕舞《道明寺》浦田保親
  《松風》河村晴久
  《松虫キリ》鷲尾世志子
  《善界》浦部幸裕

能《天鼓・弄鼓之舞》浦田保浩
 ワキ福王和幸 アイ茂山千五郎
 森田保美 久田舜一郎 谷口正壽 前川光範
 後見 杉浦豊彦 深野新次郎
 地謡 河村晴久 河村博重 片山伸吾
        味方團 吉田篤史 松野浩行
    大江泰正 河村和晃




《三井寺》は昨年の片山定期能(シテは味方玄さん)でも拝見しましたが、この日は「無俳之伝」の小書付き。
「無俳(おかしなし)之伝」とは、前場で夢占いをする清水寺門前の者が登場しない演出のこと(「俳」は狂言方の意)。江戸中期につくられたこの小書については、「曲の作為に反する」として批判的な見方をする研究者や能評家もいらっしゃるようです。

演能時間を短縮するたんなる便法とみなされがちなこの小書ですが、狂言方による夢占いの場面をそぎ落としたからこそ、母の深い祈りと神仏への訴えが観る者の心に強く迫る……九郎右衛門さんの「無俳之伝」はそんな小書の真意をみごとに表現した舞台でした。



【前場】
登場楽も気配もなく、ふと気がつけば、いつのまにかシテが登場していた。

シテの出立は、花模様の水色地と青い縦縞の生成地の段替唐織壺折に、秋草花をあしらったシックで豪華な焦茶地の縫箔腰巻という非常に凝った取り合わせ。地味で渋いながらも上質なセンスが光る、贅を尽くした装束。
色艶の美しい塗笠を目深にかぶり、どこか思いつめたような表情をしている。
面は、角度によっては増のようにも見える、超美形の深井。


「南無や大慈大悲の観世音……」

正先で下居して、一心に手を合わせる千満丸の母。
情愛に満ちた深い母性を感じさせるその姿は、さながらイエスの助命を祈る聖母マリアを思わせる。おごそかな一条の光が照らしているかのように、シテの姿がぼうっと浮かび上がる。

「いまだ若木のみどり子に再びなどか逢はざらん、再びなどか逢はざらん」

魂の奥底から振り絞るような悲痛な祈りの言葉が、清水の観音さまに訴えかける。

やがてシテは、にわかに啓示を受けたかのようにハッと覚醒し「あら有難や候……あらたなる霊夢を蒙りて」と数珠をもつ手で合掌し、三井寺めざして中入。

音楽的な要素を最小限にとどめた静謐で崇高な場面。オリジナルの《三井寺》にはない、この小書ならではの良さが際立つ前場だった。




【後場】
茂山忠三郎さんの小舞「いたいけしたるもの」は後場の眼目のひとつ。張り子の顔、練稚児、しゅくしゃ結びにささ結びと玩具尽しのこの小舞を、じつに身軽で身のこなしで舞っていた。飛び返りはまるで無重力空間で舞うかのよう。体重の重みを感じさせない軽やかな着地も見事。
「ジャモ~ン、モォ~ン、モオォ~ン」と三井寺の鐘をつくところも、空気を震わせて伝わってくる妙なる音の残響、音の波の揺らめきが巧みに表現されていた。



〈カケリと鐘ノ段〉
狂女越一声を経て、ナガシのような囃子からカケリに入る。
澄みきった秋の夜空に浮かぶ月。冷たく照らす銀色の月に誘われるように、シテはルナティックなカケリを舞う。魂がなかば遊離したような、夢うつつの狂気の舞。

そこから一転、中国の故事を引いて、鐘をつく理由を説く議論の場面では、冷静で理知的な面をのぞかせる。


鐘ノ段では、本物の鐘をつくように色とりどりの錦の紐を巧みに操る写実性と、作り物と一体化した舞のような優雅な所作が印象的。

名文をちりばめたクセで、シテは静かに面をテラして鐘の音を聴く。その姿を介して、琵琶湖の湖面に響きわたる三井寺の名鐘の澄んだ音色が聴こえてきた。



浦田保浩《天鼓・弄鼓之舞》につづく




2019年9月25日水曜日

京都観世会九月例会~《錦木》

2019年9月22日(日)京都観世会館
速水御舟《錦木》

能《錦木》浅井通昭
 ツレ女 橋本忠樹 里人 山口耕道
 旅僧 福王知登 喜多雅人 中村宜成
 左鴻泰弘 林大和 山本哲也 井上敬介
 後見 井上裕久 橋本光史
 地謡  吉浪壽晃 味方玄 浦部幸裕
         浦田保親 林宗一郎 深野貴彦
         梅田嘉宏 樹下千慧

狂言《舎弟》茂山千之丞
 茂山逸平 丸石やすし

能《三井寺・無俳之伝》片山九郎右衛門
 子方 梅田晃煕 アイ茂山忠三郎
 宝生欣哉 平木豊男 宝生尚哉
 杉市和 飯田清一 河村大
 後見 大江又三郎 青木道喜
 地謡 浅井文義 河村和重 河村晴道
  分林道治 大江信行 宮本茂樹
      河村和貴 大江広祐

仕舞《道明寺》浦田保親
  《松風》河村晴久
  《松虫キリ》鷲尾世志子
  《善界》浦部幸裕

能《天鼓・弄鼓之舞》浦田保浩
 ワキ福王和幸 アイ茂山千五郎
 森田保美 久田舜一郎 谷口正壽 前川光範
 後見 杉浦豊彦 深野新次郎
 地謡 河村晴久 河村博重 片山伸吾
        味方團 吉田篤史 松野浩行
    大江泰正 河村和晃



台風接近中の3連休の中日、祇園饅頭で栗赤飯と栗もち(観能のお供♡)を求めてから観世会館へ。
この日のひそかなお目当ては、山本哲也VS河村大VS谷口正壽という、当代関西を代表する大鼓方さんの聴き比べ。いずれ劣らぬ脂の乗った実力派。大鼓がこんなに好きになったのも、この3人の大鼓方さんのおかげです。


能《錦木》
《錦木》と聞いて真っ先に思い浮かぶのが、2年前に拝見した梅若紀彰さんの《錦木・替之型》。これは国立能楽堂企画公演「近代絵画と能」シリーズの舞台で、速水御舟の《錦木》をテーマにしていた。紀彰さん扮する《錦木》の男は御舟の絵から抜け出たような、一途に恋する青年だった。

求愛を再現する場面では、家のなかで細布を織る女と、家の外で錦木を立ける男とが、たがいの気配を感じながら相手を意識している。きっと、女の気持ちをそれとなく感じられたからこそ、男は3年間も錦木を立てつづけたのだろう……そう思えた《錦木》だった。


浅井通昭さんの舞台を拝見するのは初めてだったが、この日の《錦木》は京都観世らしさが前面に押し出されていて、ここでしか味わえない《錦木》だと思った。

京都観世の醍醐味は、なんといっても「謡」。京観世の伝統に裏打ちされた「謡」である。
シテとツレの連吟の美しさ、地取の低音の渋く深みのある響き。
豊かで充実した謡の世界によって、あの世でしか結ばれなかった男女の、せつないまでに熱い情愛がひしひしと伝わってくる。地謡の地取が、陸奥の架空の里に、物哀しい秋の空気と陰翳を与えていた。


間狂言では、女の両親が反対したため、女は男の求愛を受け入れられなかったこと、3年通い続けた男が死に、それを悲しんで女も亡くなり、男が積み上げた錦木とともに悲恋の男女が錦塚に葬られたことが語られる。


シテは端正な顔立ちで、直面がよく似合う。
所作や舞がやや硬質に見えたが、それがかえって、錦木を立て続けた男の執念ともいえるひたむきさを感じさせる。

黄鐘早舞は大小物のため、太鼓は出端だけの出番。
黄鐘早舞は男舞と似ているが、凛々しい男気よりも、亡霊となった男の舞う儚さ、心の影の部分、憂悶の名残りのようなものが微かに漂っていた。

最後は「朝の原の野中の塚とぞなりにける」で、シテは飛び返って左袖を被き、立ち上がって左袖を巻いて留拍子。
歌語りのなかの男女の悲恋にふさわしい、陸奥の秋の抒情を感じさせる舞台だった。



片山九郎右衛門の《三井寺・無俳之伝》につづく




2019年9月23日月曜日

 吉浪壽晃の《東岸居士》~同研能

2019年9月21日(土)嘉祥閣

解説 吉田篤史

狂言《寝音曲》鈴木実 増田浩紀

能《東岸居士》 吉浪壽晃
 ワキ岡充 アイ茂山千三郎
 赤井要佑 吉阪一郎 渡部諭
 後見 井上裕久 浦部幸裕
 地謡 寺澤幸祐 浅井通昭
    吉田篤史 寺澤拓海



まずは、吉田篤史さんの解説から。
いつもながら、この方の解説は分かりやすい! 

能は、仮面劇、音楽劇、扮装劇、歌舞劇、詩劇の5つの要素を持った演劇。「ほかの演劇と大きく異なるのは、能の発端となったのが神事・仏事の一環として行われていた儀式だったということです。そのため、ふつうの演劇以上に静寂を大事にしています。ですからどうか演能中は携帯・スマホのアラームが鳴らないよう、今一度、お確かめください」と、すんなり演能中のマナーの注意へと誘導していくところもさすが。

この日の謡のお稽古は、《東岸居士》の「御法の船の水馴棹、御法の船の水馴棹、みな彼の岸に至らん」の部分。《東岸居士》にはこの箇所が3回登場する。観能前に一度謡っておくだけで、曲の底に流れる仏教的なテーマがより深く入ってくる気がする。

(解説メモ)
《花月》と《東岸居士》《自然居士》の違い。花月は少年なので、装束は紅入。居士は青年なので、装束・扇ともに紅無。喝食の面も少年っぽいものを《花月》に使い、大人びた顔立ちのものを《東岸居士》《自然居士》に使う。



能《東岸居士》
 吉浪壽晃さんのお舞台を拝見するのは、この1年で3度目になる。
いつも質の高い舞台を届けてくださる吉浪さんの《東岸居士》は期待通りの満足度。
私にとって初見の曲だったこともあり、なにも描かれていない白いカンバスに吉浪さんの東岸居士のイメージが描かれていくのはなんとも心地よく、幸せな体験だった。

シテの出立は、青地大口にグリーンの水衣。袈裟に紅色の名物裂が2枚ほど混じっていて、寒色系の装束に紅が挿し色になっている。こういうところにシテの趣味の良さが感じられる。
喝食の面は美形度が高く、並の増女よりも美貌の能面だった。頬のえくぼがコケティッシュで妖艶。
吉浪さんの東岸居士は、姿にも声にもみずみずしい潤いがある。

中之舞から舞クセ、鞨鼓と続く舞尽しでは、シテの実力がいかんなく発揮され、中性的で、妖しく、艶っぽい舞姿に東岸居士の魅力が凝縮されていた。清水寺の門前に集まった中世の群集を惹きつけたであろう居士のスター性をしのばせる。


京都のワキ方さんは謡のうまい方が多い。岡充さんも例外ではなく、美声の吉浪さんとの掛け合いではこちらの耳を十分に楽しませてくれた。

井上一門の地謡もいつもながら良かったし、赤井要佑さんの味わい深い笛と、渡部諭さんの気迫のこもった大鼓も、京都ではあまりない組み合わせで、聴き応えがあった。


そして、アイの茂山千三郎さん。
この日の早朝、お兄様の千作さんが逝去されたのを観能後に知った。舞台中の千三郎さんは顔色が少し優れない御様子だったが、立派に清水寺門前の者を勤められていた。

千作さんは舞台でしばしば転倒されていたし、休演もされていたので心配していたが、まさか大病を患っておられたとは。まだ70代前半。これからもっと芸に深みと味わいが増してくる年代だった。関西では若手・中堅は充実しているが、味のあるベテラン狂言方が少ないので、とても残念に思う。個人的には、千作さんの笑顔は私の祖母の笑顔に似ていて、あの笑顔を見ると懐かしいような、ホッとするようなそんな気分になったものだった。あのほんわかした愛嬌のある笑顔は、東京にはない、関西人の笑顔だった。





中信美術館~錦秋の季節に

2019年9月21日(土)中信美術館

嘉祥閣でお能を観たついでに、近くにある中信美術館に立ち寄ってみました。
今の時期は「錦秋の季節に」と題して、秋をテーマにした京都中央信用金庫所蔵品展が10月11日まで開催されています。


住宅街の片隅にひっそりと佇むこぢんまりとした美術館。
私も初めて訪れたのですが、思った以上に充実した内容で、展示品の素晴らしさに比べて来館者は少なく、ゆっくり、ゆったり鑑賞できるので超穴場です。





印象に残った作品メモ

上村松篁《秋野》
野菊や芝草、イヌタデ(赤まんま)、露草など秋草が生い茂る野原に描かれた2羽の鶉。

『伊勢物語』に登場する深草の里の女の歌「野とならば鶉となりて鳴きをらむ狩りにだにやは君は来ざらむ」、そしてこの歌をカヴァーした藤原俊成の「夕されば野辺の秋風身にしみて鶉鳴くなり深草の里」、こうした和歌の世界がシンボリックに絵画化されている。

鶉の羽毛や秋草の葉脈は写実的に、芝草の配置や全体的な構図はリズミカルで文様的・装飾的に描かれ、画面全体は黄色いトーンでまとめられ、月光に照らされた秋の野の情緒が伝わってくる。

秋になって男に飽きられ、忘れ去られた我が身を鶉になぞらえた女の寂寥感が織り込まれた重層的な作品。


小田部正邦《秋桜花》
はじめて拝見するが、1939年生まれの現代画家らしい。
縦長の画面にはグレーを背景に、ピンクと白のコスモスが描かれている。
ちょうどゴッホがひまわりのように、このコスモスも蕾から満開、散りかけ、花びらが散って咢だけになったものまでがひとつの画面に描かれており、まるで人の一生、とくに女の一生を見るような気がした。

余白をたっぷり取り、配色も構図もシックで洗練されている。自分の部屋に飾るとしたらこういう絵がほしい。

ほかにも、澄んだブルーが美しい平山郁夫《薬師寺の月夜》、河合玉堂風の里山の秋を描いた堂本印象の《秋深む》など魅力的な作品に出会えた。




美術館の斜め前にあったレトロな飴屋さん




2019年9月17日火曜日

神泉苑観月会~能《鷺》の舞台

2019年9月14日(土)神泉苑
池に浮かぶ龍頭舟(左)と善女龍王社(右)
平安遷都にともない造営された神泉苑。
かつては天皇専用の禁苑でしたが、この日は特別拝観日になっていて、苑内全域が公開されていました。

824年の旱魃の際、東寺の空海と西寺の守敏が法力による雨乞い対決を行い、空海が善女龍王(龍神)を勧請して、勝利したことは有名ですね。以来、どれほど日照りが続いても、神泉苑の池だけは涸れることがなかったといいます。

863年に疫病が蔓延した時には、ここで御霊会が行われ、それが祇園祭の起源になったことでも知られています。

能楽愛好家のあいだでは、能《鷺》の舞台としてもおなじみの神泉苑。
そんな由緒ある苑で開かれた観月会に行ってきました。



龍頭舟
例年の観月会では龍頭舟が出て、池を周遊しながらお茶席が楽しめます。
でも、今年は舟が雨漏り(?)のため舟遊びができず、舟は池に浮かんでいるだけ。

お茶席(月見団子とお薄)は本堂前の野点席だけになってしまいました。(>_<)





肝心のお月さんはきれいに出てはりました!
この日は十六夜。
満月よりもほんの少し欠けた月輪が、詫びた風情で好いものです。




善女龍王さまに御供えされた秋の草花と月見団子。

どうかこれ以上、この国に暴風雨が吹き荒れることなく、慈雨をもたらしてくださいますように。




義経と静御前が出会った法成橋
本堂から善女龍王社にのびる法成橋は「一願成就」の橋。
願い事を一つだけ念じながらこの橋を渡って善女龍王にお参りすると、願いが叶うとされています。
家族のことをお祈りしながら渡ったのですが、さっそく良い兆候が!

またこの橋は、静御前が雨乞いの儀式で白拍子の舞を舞った際に、源義経と出会った場所ともいわれています。

お能の題材にもなりそうな運命の出会い。
ロマンティックな橋なんですね。





白い水干に紅長袴といった白拍子の舞姿が水面に移り、さぞかし美しかったことでしょう。義経が恋に落ちるのも無理はありません。

毎年5月には「静御前の舞」がこの橋の上で奉納されるそうです。




善女龍王社と拝殿
善女龍王社前の舞殿では、音楽演奏が奉納されました。





音楽療法士のMiseraさん(歌、琴、ライアー)とジャズピアニストのクイン・アルバイトマンさんによるセッション。

まずは、イザナギ・イザナミが歌った神代の歌「あわのうた」で、身体内部と外の空気とを調和させ、音の波動で身心を整えます。

その後、十六夜にちなんだ筝曲「十六夜日記」、アメイジング・グレイス、Jazzyなナンバーなど、1時間半ほどのライヴが続きました。

神聖なパワースポットと清浄な音楽が溶け合ったヒーリング効果の高い音の世界にどっぷりと浸るひととき。Miseraさんのクリスタル・ヴォイスが素敵で、めちゃくちゃ癒されました!




矢劔大明神
矢劔(やつるぎ)大明神は、神泉苑の鎮守稲荷社だそうです。
大正期に創建されたお社とのころですが、夕闇に浮かび上がってきれいでした。



恵方社
歳徳神(大歳神)を祀る恵方社。
歳徳神とは、その年の福徳を司る神さまで、福徳神のいらっしゃる方角がその年の「恵方」となります。
この恵方社は毎年大晦日の晩に、恵方に向きを変えるそうです。
回転するお社なんですね~。おもしろ~い!




鯉塚と亀塚
この池にすむ鯉と亀の霊を弔う鯉塚・亀塚。
神泉苑の池には、鯉や亀がたくさんすんでいて、観月会の最中でも生きのいい鯉がバシャバシャ跳ねる音が聞こえてくるほど。

鯉は龍の化身でもあります。

亀も亀塚の形状を見ればわかるように、中国の霊獣「贔屓(ひき)」によく似ています。「贔屓」は龍が生んだ竜生九子のひとつで、こちらも龍と深いつながりがある生き物。
龍神のすむ神泉苑で大切に祀られているのも肯けます。




弁天堂
水とゆかりの深い弁財天さま。
ここも強いパワーが感じられる場所でした。






2019年9月15日日曜日

五条楽園~遊郭建築の宝庫

源融の六条河原院跡から高瀬川沿いに南下すると、大正時代か昭和初期にタイムスリップしたような建築物のたち並ぶ一画が見えてきます。


ここは、いわゆる旧赤線地帯。
いにしえの遊郭建築が今も残る「五条楽園」(七条新地)です。

2010年に京都府警による一斉摘発があり、それ以降、御茶屋・置屋が休業しているということですが、逆にいうと、ごく最近までこうした建物が現役で稼働していたんですね。ちょっとオドロキ。

なかには、それらしき店が今でも闇営業でもしてそうな雰囲気のある場所も……アブナイ界隈に足を踏み入れたようで、わくわくします。





タイル張りの外壁やステンドグラスの丸窓、瀟洒なデザインの格子や欄間など、昔のカフェー建築には独特の趣きがあります。

谷崎潤一郎の『痴人の愛』のナオミが女給として働いていたのも、こんな場所だったのでしょうか。




宿や 平岩
いかにも遊郭建築らしい、唐破風屋根の京町家。
かつての遊郭「平岩楼」は、いまは「宿や 平岩」として、女性一人でも泊まれる宿泊施設になっています。





鍾馗さまがキュート!
カラフルなタイルやペイントが、鍾馗さまとミスマッチしていて面白い。





高瀬川の畔にも色里の名残りが感じられて、どことなく艶っぽい。

欄干の源氏香図のデザインが、かつてこの橋を渡った遊女たちの源氏名と共鳴していて、設計者の美的センスが感じられます。




三友楼
ここ五条楽園は、武士や富裕町人が通った高級花街の島原とは違い、比較的下層の庶民を相手にした場所だったようです。
それでも、これだけ意匠を凝らした風情のある建物を建てるなんて、当時の人々の美意識の高さがうかがえます。




「三友樓」の屋号
五条楽園(七条新地)は、江戸時代から存在した五条新地、六条新地、七条新地という遊郭が大正時代に合併したもの。
こうした遊郭が、源融の広大な六条河原院の邸宅跡に建てられていたんですね。





五条楽園最大のお茶屋とされる三友樓。
「空き家かな?」と思ったら、建物の奥のほうで灯りがほのかに見えます。
使われているみたいでよかった!

このあたりの遊郭建築も、年々取り壊されていると聞きます。





お茶屋「梅鉢」
こういうかけがえのない素敵な建物が、消えていくのは忍びない。
なんとかリノベーションをして、どんな形であれ残っていてほしいものです。





ライティングが色っぽいけど、ここもゲストハウスか何かかな?




遊郭のシンボルの丸窓。
ここも旅館でしょうか。




サウナの梅湯
ドラマか映画のセットに使えそう。

往時の五条楽園を舞台にした小説はないか探してみたのですが、意外となくて、唯一見つかったのが、花房観音という現代女性作家が書いた『楽園』という作品。読んでみたら、官能小説のような内容でした。

もっと谷崎や川端康成(『雪国』)のような情緒のある作品があるといいのだけれど、庶民のための色街だったから、文人・文化人はあまり通わなかったのでしょうか。



五條會館
1917年に建てられた築100年以上の木造三階建の歌舞練場「五條會館」。
本来はもっと大きな建物でしたが、駐車場をつくるため、北側部分(画像でいうと手前の部分)が切断され、白い壁で塞がれています。

老朽化が進んだことから、昨年(2018年)に入札物件となり、大手リノベーション会社によって買い取られたそうです。
現在、再生プロジェクトが進められている模様。

不動産再生活用事業を数多く手がけている会社だけに、この五條会館の趣きある建物の良さを生かしたリノベーションが行われることを期待しています。
よみがえれ、五條会館!




市比売神社

源融の六条河原院跡から河原町通を渡ったところにある市比売神社。
その名の通り、平安京の「市」の守護神として創建されました。


御祭神は宗像三女神をはじめ、すべて女神さま。
交易・商売繁盛の守護神である以外にも、女性の守り神とされ、女性の願い事を叶えてくださるそうです。

近くの色街の娼妓たちも信仰していたのかもしれませんね。





びっくりしたのは、マンションに組み込まれるように神社が建っていたこと。
これも時代の趨勢、神社経営も大変だろうから、致し方ないのかな……。






市比売神社は、桓武天皇の平安遷都に伴い、右京・左京の市座を守る神社として795年に創建されました。
もとは、東市座内の七条坊門にあったようすが、秀吉の都市改造計画によって五条南のこの地に移されたそうです。





手水台に刻まれた「瀞(すがすがしい)」は、「清」と「浄」が組み合わさった文字で、「心をすがすがしくしなさい」という意味を表しているとのこと。

最近、ストレスがドス黒く渦巻いてるからなあ……。禊のつもりで、手と口を清めさせていただきました。





本殿もどことなく女性らしい雰囲気。




御神井「天之真名井」
この井戸の水は、洛陽の七名水のひとつ。
市比売神社の神宝・天目碗「天之八塩(あめのやしお)」で汲み出された若水が、歴代天皇の産湯に用いられたという伝承が残っています。
現在も名水として、茶会や花展、書道展に使われているそうです。

飲むのは控えましたが、手を清めると、冷たくて気持ちいい。美肌効果を期待して、頬にもパタパタ。
心のもやもやが洗い流されて、少しはリフレッシュした……かな?




カード塚
クレジットカードやポイントカードなど使い終わったカードは、このカード塚で祓い清めることができます。

クレジットカードなんて人間の欲望や「念」がしみつきやすいものだから、穢れを祓うのにいいのかも。カード破産とかもあるものね。
現代的な発想だけれど、おもしろい。




2019年9月12日木曜日

源融の六条河原院と六条御息所の旧居


「あれこそ籬が島候ふよ。融の大臣、つねは御舟を寄せられ、御酒宴の遊舞さまざまなりし所ぞかし」━━世阿弥作《融》より


京都駅から徒歩15分。
五条大橋の西側、高瀬川沿いに源融の六条河原院跡があります。


かつては京都と伏見をつなぐ運河だった高瀬川。



2本のエノキの巨木が立つ「籬の森」
源融の六条河原院の池には「籬が島」と呼ばれる中島が浮かんでいました。
のちに現在の五条大橋の近くの森が、河原院の籬が島のイメージと重なり、いつしか「籬の森」と呼ばれるようになったといいます。



「此附近 源融河原院址」
鬱蒼と生い茂る2本の巨木。
森の名残りらしく、木蔭は昼間でも薄暗く、ひっそりとしています。
籬の森は、鴨川の氾濫により埋没したそうです。





巨木の背後には小さな祠が、洞窟のようにぽっかりと口を開けていました。





秘密基地のような、祠のなかに入ってみると……。

御神体の榎木の古株のうえに「榎木大明神」と刻まれた石が祀られていました。
キツネさんたちが守護しています。

伝承によると、源融の六条河原院で祭祀されていた稲荷社が起源だといいます。
いまも屋敷神として篤く崇敬されているんですね。





難波の浦から運んだ海水で塩焼きをして、陸奥塩竈の風景を写した六条河原院。
そのイメージは周辺の地域にも深く浸透していきました。

そうした影響の一端が「本塩竈町」という地名からもうかがえます。



塩竈山・上徳寺
付近の寺院が建ち並ぶエリアにも「塩竃山(えんそうざん)」の山号をもつ上徳寺があります。

光源氏の巨大邸宅・六条院が、源融の六条河原院をモデルに構想されたことはよく知られていますね。

東は現在の寺町通、西は柳馬場通、北は五条通のやや北、南は六条通のやや北に及ぶ広大な敷地が光源氏の大邸宅「六条院」だったとされますが、位置も規模も、源融の「六条河原院」とほぼ一致します。

また『源氏物語』には、光源氏の六条院が、六条御息所の旧宅(秋好中宮が母・六条御息所から相続した旧居近辺)の上に造営されたことが記されています。

「六条京極のわたりに、中宮の御旧き宮のほとりを、四町を占めて造らせたまふ」(「若紫」の巻)


源融と六条御息所。
古代ロマンの二大亡霊ゆかりの地。
それがこの高瀬川沿いの六条河原院跡といえるでしょう。

紫式部も世阿弥も、作品を書くにあたり、この地を訪れたのかもしれません。

後代、ここは色街として栄え、趣深い遊郭建築がいまも残されています。
(それについては別記事「五条楽園━━遊郭建築の宝庫」をご参照ください。)




高瀬川沿いの路上で涼んでいたにゃんこ。