2019年9月15日日曜日

五条楽園~遊郭建築の宝庫

源融の六条河原院跡から高瀬川沿いに南下すると、大正時代か昭和初期にタイムスリップしたような建築物のたち並ぶ一画が見えてきます。


ここは、いわゆる旧赤線地帯。
いにしえの遊郭建築が今も残る「五条楽園」(七条新地)です。

2010年に京都府警による一斉摘発があり、それ以降、御茶屋・置屋が休業しているということですが、逆にいうと、ごく最近までこうした建物が現役で稼働していたんですね。ちょっとオドロキ。

なかには、それらしき店が今でも闇営業でもしてそうな雰囲気のある場所も……アブナイ界隈に足を踏み入れたようで、わくわくします。





タイル張りの外壁やステンドグラスの丸窓、瀟洒なデザインの格子や欄間など、昔のカフェー建築には独特の趣きがあります。

谷崎潤一郎の『痴人の愛』のナオミが女給として働いていたのも、こんな場所だったのでしょうか。




宿や 平岩
いかにも遊郭建築らしい、唐破風屋根の京町家。
かつての遊郭「平岩楼」は、いまは「宿や 平岩」として、女性一人でも泊まれる宿泊施設になっています。





鍾馗さまがキュート!
カラフルなタイルやペイントが、鍾馗さまとミスマッチしていて面白い。





高瀬川の畔にも色里の名残りが感じられて、どことなく艶っぽい。

欄干の源氏香図のデザインが、かつてこの橋を渡った遊女たちの源氏名と共鳴していて、設計者の美的センスが感じられます。




三友楼
ここ五条楽園は、武士や富裕町人が通った高級花街の島原とは違い、比較的下層の庶民を相手にした場所だったようです。
それでも、これだけ意匠を凝らした風情のある建物を建てるなんて、当時の人々の美意識の高さがうかがえます。




「三友樓」の屋号
五条楽園(七条新地)は、江戸時代から存在した五条新地、六条新地、七条新地という遊郭が大正時代に合併したもの。
こうした遊郭が、源融の広大な六条河原院の邸宅跡に建てられていたんですね。





五条楽園最大のお茶屋とされる三友樓。
「空き家かな?」と思ったら、建物の奥のほうで灯りがほのかに見えます。
使われているみたいでよかった!

このあたりの遊郭建築も、年々取り壊されていると聞きます。





お茶屋「梅鉢」
こういうかけがえのない素敵な建物が、消えていくのは忍びない。
なんとかリノベーションをして、どんな形であれ残っていてほしいものです。





ライティングが色っぽいけど、ここもゲストハウスか何かかな?




遊郭のシンボルの丸窓。
ここも旅館でしょうか。




サウナの梅湯
ドラマか映画のセットに使えそう。

往時の五条楽園を舞台にした小説はないか探してみたのですが、意外となくて、唯一見つかったのが、花房観音という現代女性作家が書いた『楽園』という作品。読んでみたら、官能小説のような内容でした。

もっと谷崎や川端康成(『雪国』)のような情緒のある作品があるといいのだけれど、庶民のための色街だったから、文人・文化人はあまり通わなかったのでしょうか。



五條會館
1917年に建てられた築100年以上の木造三階建の歌舞練場「五條會館」。
本来はもっと大きな建物でしたが、駐車場をつくるため、北側部分(画像でいうと手前の部分)が切断され、白い壁で塞がれています。

老朽化が進んだことから、昨年(2018年)に入札物件となり、大手リノベーション会社によって買い取られたそうです。
現在、再生プロジェクトが進められている模様。

不動産再生活用事業を数多く手がけている会社だけに、この五條会館の趣きある建物の良さを生かしたリノベーションが行われることを期待しています。
よみがえれ、五條会館!




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