2019年9月23日月曜日

 吉浪壽晃の《東岸居士》~同研能

2019年9月21日(土)嘉祥閣

解説 吉田篤史

狂言《寝音曲》鈴木実 増田浩紀

能《東岸居士》 吉浪壽晃
 ワキ岡充 アイ茂山千三郎
 赤井要佑 吉阪一郎 渡部諭
 後見 井上裕久 浦部幸裕
 地謡 寺澤幸祐 浅井通昭
    吉田篤史 寺澤拓海



まずは、吉田篤史さんの解説から。
いつもながら、この方の解説は分かりやすい! 

能は、仮面劇、音楽劇、扮装劇、歌舞劇、詩劇の5つの要素を持った演劇。「ほかの演劇と大きく異なるのは、能の発端となったのが神事・仏事の一環として行われていた儀式だったということです。そのため、ふつうの演劇以上に静寂を大事にしています。ですからどうか演能中は携帯・スマホのアラームが鳴らないよう、今一度、お確かめください」と、すんなり演能中のマナーの注意へと誘導していくところもさすが。

この日の謡のお稽古は、《東岸居士》の「御法の船の水馴棹、御法の船の水馴棹、みな彼の岸に至らん」の部分。《東岸居士》にはこの箇所が3回登場する。観能前に一度謡っておくだけで、曲の底に流れる仏教的なテーマがより深く入ってくる気がする。

(解説メモ)
《花月》と《東岸居士》《自然居士》の違い。花月は少年なので、装束は紅入。居士は青年なので、装束・扇ともに紅無。喝食の面も少年っぽいものを《花月》に使い、大人びた顔立ちのものを《東岸居士》《自然居士》に使う。



能《東岸居士》
 吉浪壽晃さんのお舞台を拝見するのは、この1年で3度目になる。
いつも質の高い舞台を届けてくださる吉浪さんの《東岸居士》は期待通りの満足度。
私にとって初見の曲だったこともあり、なにも描かれていない白いカンバスに吉浪さんの東岸居士のイメージが描かれていくのはなんとも心地よく、幸せな体験だった。

シテの出立は、青地大口にグリーンの水衣。袈裟に紅色の名物裂が2枚ほど混じっていて、寒色系の装束に紅が挿し色になっている。こういうところにシテの趣味の良さが感じられる。
喝食の面は美形度が高く、並の増女よりも美貌の能面だった。頬のえくぼがコケティッシュで妖艶。
吉浪さんの東岸居士は、姿にも声にもみずみずしい潤いがある。

中之舞から舞クセ、鞨鼓と続く舞尽しでは、シテの実力がいかんなく発揮され、中性的で、妖しく、艶っぽい舞姿に東岸居士の魅力が凝縮されていた。清水寺の門前に集まった中世の群集を惹きつけたであろう居士のスター性をしのばせる。


京都のワキ方さんは謡のうまい方が多い。岡充さんも例外ではなく、美声の吉浪さんとの掛け合いではこちらの耳を十分に楽しませてくれた。

井上一門の地謡もいつもながら良かったし、赤井要佑さんの味わい深い笛と、渡部諭さんの気迫のこもった大鼓も、京都ではあまりない組み合わせで、聴き応えがあった。


そして、アイの茂山千三郎さん。
この日の早朝、お兄様の千作さんが逝去されたのを観能後に知った。舞台中の千三郎さんは顔色が少し優れない御様子だったが、立派に清水寺門前の者を勤められていた。

千作さんは舞台でしばしば転倒されていたし、休演もされていたので心配していたが、まさか大病を患っておられたとは。まだ70代前半。これからもっと芸に深みと味わいが増してくる年代だった。関西では若手・中堅は充実しているが、味のあるベテラン狂言方が少ないので、とても残念に思う。個人的には、千作さんの笑顔は私の祖母の笑顔に似ていて、あの笑顔を見ると懐かしいような、ホッとするようなそんな気分になったものだった。あのほんわかした愛嬌のある笑顔は、東京にはない、関西人の笑顔だった。





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