2018年5月27日日曜日

片山九郎右衛門後援会能~《蘆刈》

2018年5月26日(土)13時~17時 最高気温30℃ 京都観世会館

能《蘆刈》シテ日下左衛門  片山九郎右衛門
    ツレ左衛門の妻 味方玄 ワキ従者 宝生欣哉
    ワキツレ供人 則久英志 野口能弘
    アイ里人 野村萬斎
    左鴻泰弘 曽和鼓堂 亀井広忠
    後見 橘保向 青木道喜
    地謡 浅井文義 観世喜正 古橋正邦 分林道治
       大江信行 橋本忠樹 梅田嘉宏 大江広祐

狂言《樋の酒》シテ太郎冠者 野村萬斎
    アド主 深田博治 アド次郎冠者 内藤連
    後見 野村太一郎

仕舞《小鍛冶キリ》片山清愛
  《女郎花》  観世淳夫
  《花筐・狂》 観世喜正
  地謡 片山九郎右衛門 青木道喜 古橋正邦 橋本忠樹

能《龍田・移神楽》シテ神巫/龍田明神 観世銕之丞
    ワキ旅僧 宝生欣哉
    ワキツレ従僧 則久英志 野口能弘
    アイ里人 野村太一郎
    藤田六郎兵衛 吉阪一郎 亀井広忠 前川光長
    後見 青木道喜 大江広祐 梅田嘉宏
    地謡 片山九郎右衛門 武田邦弘 古橋正邦 河村博重
       味方玄 分林道治 橋本忠樹 観世淳夫




九郎右衛門さんが初役として挑んだ《芦刈》は、カケリ、笠之段、男舞と芸尽くし、舞尽くしの曲。
「没落した色男のぼんぼん」と「甲斐性のある女性」の組み合わせは、上方恋愛の定番だし、舞台となった高津宮(仁徳天皇が造営した難波高津宮跡)付近は、現在の大阪・日本橋あたり。この曲はいわば『夫婦善哉』の原型なのかも……。

そんなふうに抱いていた《芦刈》の表層的なイメージがくつがえり、新鮮な感動を覚えたのがこの日の舞台だった。

考えてみると、相思相愛の男女のハッピーエンドを描いた現在能ってほとんどない。《船橋》も《錦木》も《女郎花》も亡霊となった男女の悲恋がテーマだし。

九郎右衛門さんが番組に書いていらっしゃるように、《芦苅》は「不可思議で理屈ではなくすすみ、深まる」「男女の愛」を描いた、まさに「大人の恋の物語」。
それを、能でこれほど情感豊かに表現できるというのが新鮮で、蒙を啓かれる思いがした。



【一声・シテの出→カケリ】
(シテの出の前に、ツレ・ワキ・ワキツレの順に登場するのだが、橋掛りをゆく味方玄さんと欣哉さんのハコビが絶品!)

一声の囃子で登場したシテは、ブルーの水衣に、白と青の段熨斗目、白大口という、春の水辺を思わせる爽やかな出立。
葦の挟草を右肩に載せ、男笠を目深にかぶり、どこか哀愁を漂わせる。

(この男笠が、網目が緻密で塗りの見事な笠で、おそらく幽雪師がこだわり抜いた特注品のひとつかも。)

挟草をもって舞うカケリは、先日観た《屋島》(修羅能)のカケリとも、狂女物のカケリとも違っていて、狂おしさよりも、日下左衛門の育ちをあらわす品の良さと、孤独な影を思わせる憂いを含んだカケリ。



【笠之段】
冒頭は鬱屈した胸の内をあらわすためか、謡に力みが感じられたが、笠之段からは「暗」から「明」に転じ、水の都・大阪の起源となった難波津の活気あふれる海辺のようすと、古代宮殿の繁栄が、舞と謡と目線の動きでいきいきと描き出される。

彼方へざらり、此方へざらりと、芸術品のように美しい笠をもって舞う九郎右衛門さんの精彩に富んだ笠之段は、何度も巻き戻して再生したいくらい!



【夫婦再会→夫の衝撃・逃亡】
葦売りが夫であることに気づいた妻は、男に葦を一本持ってくるよう従者に伝える。
シテは葦を笠の上に載せて、女が乗る輿まで運んでゆくが、相手の顔を見てハッと気づき、葦を取り落とす。

この「葦を笠に載せて運ぶ」、という型は幽雪師の演能メモにあったものだろうか。扇に物を載せて差し出すような奥ゆかしさがあり、育ちのいい日下左衛門の所作にふさわしい演出だった。


妻に遭遇した衝撃のあまり、三の松まで逃げ隠れた男は、そのまま下居して彼方のほうを向き、深く、思いに沈む風情。

このときのシテを覆う深く暗い影が、九郎右衛門さんの解説文にあった「女性の訳ありな出世」という言葉と重なり合う。
日下左衛門が煩悶したのは、零落したわが身を恥じただけではなく、妻の「訳ありな」過去を、その豪華な身なりから読み取ったからではないのだろうか……。



【和歌のやり取り→復縁】
妻は一の松へ行き、はるばる迎えに来たことを告げる。そして、もしかするともう別の女性がいるのではないかと男に尋ねる。

そこで男は三の松で、歌を詠む。
「君なくて悪しかりけりと思ふにぞ、いとど難波の浦は住み憂き」

このときの九郎右衛門さんの謡! 
狂おしいほど、切々と謡いあげた恋心。
なんて、せつないのだろう!
恋するひとと別れて、どれほどせつなかったか、やるせなかったか。
明るくにぎわう難波の浦さえも、どれほど鬱々として住みづらかったか。
君がいなければ……。
聴いていて、胸がジーンと熱くなる。


そこで、女も一の松から、歌を返す。
「あしからじ、よからんとてぞ別れにし、何か難波の浦は住み憂き」

味方玄さんの恋情豊かな、潤いのある謡。

二人がいる橋掛りの空間だけ、心を通わす男女のしっとりとした時間が流れ、観ているほうもドキドキ、ときめいてくる。

別のシテで《芦苅》を見た時は、夫婦は唐突によりを戻して、和歌の徳を説き、めでたしめでたし、という印象を受けたけれど、この舞台を観て納得。

現在物でも芝居や写実に傾くことなく、男女の繊細な心の機微を「謡」と「間」と「佇まい」で表現したのが、九郎右衛門さんと味方玄さん、この二人の名手だった。



【男舞】
要所要所で、ビシッと止まる瞬間のカッコよさ。
緩急のリズムに漂う男の色気。
キリリと袖を巻く所作の凛々しさ。
ときおり、ツレの女を見つめ、巻き上げた袖を差し出す。
恋女房との再会・復縁。幸せと喜びと、ほんの少しの苦悩、悲哀……複雑な感情が織り交ざった九郎右衛門さんの男舞。

仲よく連れ立って帰った二人だけれど、はたして、ハッピーエンドの先にあるものは……?
観客に想像の余地を残して、シテは常座で留拍子を踏んだ。





片山九郎右衛門後援会能・狂言《樋の酒》につづく







0 件のコメント:

コメントを投稿