国立能楽堂二月定例公演《鐘の音》からのつづき
速水御舟《錦木》、絹本彩色、1913年、『巨匠の日本画』より |
能《錦木・替之型》シテ男の霊 梅若紀彰
ツレ女の霊
松山隆之
アイ丸山やすし ワキ高安勝久→休演
ワキツレ→ワキ原大 ワキツレ丸尾幸生
アイ丸山やすし ワキ高安勝久→休演
ワキツレ→ワキ原大 ワキツレ丸尾幸生
一噌幸弘 吉阪一郎 河村眞之介 上田慎也
後見 梅若長左衛門 小田切康陽
地謡 梅若玄祥→休演 観世喜正 山崎正道 角当直隆 坂真太郎
永島充 谷本健吾 中森健之介 小田切亮磨
働キ 川口晃平
働キ 川口晃平
昨年の《菊慈童・酈縣山》(菱田春草《菊慈童》)に引き続き、紀彰さんによる「近代絵画と能」シリーズ第二弾。今回は速水御舟の《錦木》がテーマ。
世阿弥が書いた《錦木》は、御舟だけでなく、アイルランドの詩人イェーツにも霊感を与えた(『鷹の井戸』の着想源となった)。
また、《錦木》は多様な解釈が成り立つ不思議な曲でもある。
シテの男とツレの女が結ばれたのは、死後であるともとれるし、生前であるともとれる。
男が三年も通い続けた女は、たんなる人間の女ではなく、「人生で追い求めるもの」の寓意とも読み取れる。
世阿弥は、陸奥の珍しい風習を採り入れただけでなく、芸道に邁進する者の心構えのようなものをこの曲に込めたのではないだろうか。
速水御舟の人物画にはなぜかグロテスクなものが多いなか、彼が19歳の時に描いた《錦木》には、御舟自身の自画像のような、愁いのある美青年が描かれている。
この絵を仕上げた数か月後に、画家は母方の「速水」姓を名乗り、画号を「御舟」と改めた。
ゆえにこの絵は、世阿弥が《錦木》に込めた意味を汲み取ったうえで描いた、みずからの画業への御舟の決意表明とも受け取れる。
恋する女性を追い求めるように、絵の道を追求していく。
そうした真摯でひたむきな思いがこの絵からは強く伝わってくる。
梅若紀彰さんの《錦木》はどちらかというと、情念の葛藤を表現した舞台だったが、御舟の《錦木》に見られる品のある清潔感が漂い、とくに後シテの装束などに工夫が凝らされ、御舟の絵と共鳴しつつも、紀彰さんならではの創意が随所に感じられた。
【前場】
〈ワキ・ワキツレ登場〉
高安勝久さんの代演でワキを勤められる原大さんは初めて拝見する。
関西で活躍する中堅の方なのだろうか、ハコビがきれいで、謡も、視線の表現もうまく、ワキツレの丸尾さんとともになかなか好いワキ方さんだった。
ワキ方は、佇まいがスッとしているのが大事。
〈シテ・ツレの登場〉
ワキの着きゼリフのあと、次第の囃子でシテとツレが登場する。
河村眞之介さんの大鼓が、音色も掛け声も熟成を増していて、喉の奥でゴロゴロと、音なき音を立てるような掛け声が渋い。
石井流には、苦みばしった芸風の大鼓方さんがそろっている気がする。
幕から先に出たツレは、可愛らしい小面に紅入唐織という出立。
腕には、狭布の細布をあらわす白い装束を掛けている。
松山隆之さんは過去に仕舞などを拝見しただけで、ツレで観るのは初めてだけれど、今回、美しく下居する姿(とくに後見座でクツログ姿)や立ち居振る舞い、謡のうまさから、相当実力のある方だと思った。
恋焦がれられる若い女性役を意識されたのか、謡はオペラのテノールっぽい声質で、女らしさを醸していた。
続いてシテが登場。
落ち着いた緑灰色の水衣にグレーの無地熨斗目着流。
手には、紅サンゴのような錦木。
直面だけれど、現実の男ではなく、亡霊の化身としての男という、この世とあの世のあいだを漂うような絶妙なハコビ。
〈シテ・ツレ同吟→シテの語リ→中入〉
舞台に入った男女は、錦塚をはさんで向き合い、報われぬ恋の苦しみをうたいあげたシテ・ツレの同吟がつづく。
この部分がけっこう長く、節も比較的単調で、間を持たせて見所を引き込むのは誰にとっても難しそう。
シテ・ツレとも立ち姿がきれいなので一幅の絵になり、耳よりも、目に美しい。
その後、正中下居のシテによる錦木・細布の故事と錦塚のいわれの語リが続く。
男女は、ワキの旅僧を錦塚まで案内したのち、ツレは後見座でクツロギ、シテはサシコミ・ヒラキの後、身をひるがえすようにクルリと回って、塚のなかへと消えてゆく。
【間狂言】
鳥の羽で織られた細布には、鷲にさらわれないよう幼子を守る働きがあり、女が細布を織っていたのもそのためであることがほのめかされる。
また、錦木の男は思いが叶わず死に、それを聞いた女も間もなく亡くなたため、二人を憐れに思った女の両親が、朽ちた錦木とともに二人を錦塚に埋葬したことが語られる。
《錦木・替之型》後場へつづく
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