2018年7月2日月曜日

桂歌丸さんの《竹の水仙》


昨年三月、桂歌丸さんの高座を生まれて初めて拝見した。
その日、間近で見た演目は《竹の水仙》だった。

その数か月前まで誤嚥性肺炎で何度も入院されていたため、おそらく高座に上がる時も自力では上がれず介助が必要だったのだと思う、幕が上がった時には酸素吸入器をつけたまま、すでに高座に上がっておられた。
身体はひどく痩せ細っていらっしゃったが、それがかえって、人生によって削り込まれ、芸と経験によって磨きぬかれた茶杓のような、簡素な美しさを感じさせた。

高座を聴いている時も、話芸はもとより、その身振り手振りの舞のような優雅さに心惹かれた。
余計な力が抜けて、ただひたすら一瞬一瞬に魂を込めて生きている、その姿が今でも目に焼きついている。

高座に上がって一瞬一瞬を命懸けで生き抜き、竹に花を咲かせ続けて、寿命を縮めていかれたのだろう。
おそらくそれが御本人の本望だったのかもしれない。

あの日、私の隣にはひどく疲れた様子の高齢の女性が座っていたが、歌丸さんの落語を聴くうちに雰囲気が変わり、最後はとても幸せそうに笑っていた。
まわりの人たちも、まるい、幸せそうな顔をしていた。
わたしも、ほんのり心があたたかくなった。

そうやって歌丸さんは病身を押して高座を勤めつづけ、観客の心に竹の花を咲かせつづけて、落語初心者だったわたしの心にも落語好きの小さな火を灯してくださった。

ご冥福をお祈りするとともに、心より感謝の意を捧げたい。
ありがとうございました。















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