2017年10月9日月曜日

燦ノ会《楊貴妃》

2017年10月8日(日) 14時~16時40分 喜多能楽堂
仕舞《天鼓》《項羽》狂言《咲嘩》からのつづき

能《楊貴妃》 楊貴妃ノ霊 佐々木多門
   ワキ方士 宝生欣哉  アイ常世国ノ者 河野佑紀
   槻宅聡 森澤勇司 亀井広忠
   後見 友枝真也 粟谷浩之
   地謡 塩津哲生 大村定 長島茂 狩野了一
      金子敬一郎 友枝雄人 内田成信 大島輝久



観世流でしか観たことのなかった《楊貴妃》。
詞章や道具の扱い、引廻の取り外しや作り物から出るタイミングなど、観世流とはところどころ違っていて興味深い。
(喜多流の詞章は、燦ノ会のHPからダウンロードできるので助かります。)


【宮の中からのシテの謡】
詞章の大きな違いは、太真殿の作り物のなかからシテが謡いだす第一声に「あら物凄の宮中かな、あら物凄の宮中かな」が入るところ。
このあと、「昔は驪山の春の園に……」とつづく。

この作り物の中からのシテの謡には哀切な響きと、思いを秘めたような情感があって、胸にジーンとくる。

今年2月の土岐善麿の能《鶴》のときも、幕の中からの謡だしがとても良く、多門さんの謡が大きく変化したのを感じた。
この日の謡もたんに良いだけではなく、柳眉の麗人が深い眠りから目醒めたような抒情的な味わいがあり、舞台の空気をこのシテならではの曲の色に染めていく。


ワキが蓬莱宮の荘厳華麗なようすを描写したあとの、このシテの謡。
絢爛豪華な宮殿が立ち並ぶなか、独りポツンと置き去りにされた絶世の美女、その孤独さや寂寞感が際立つ「あら物凄の宮中かな」の謡だった。



(個人的メモ)
観世では引き回しが下されるのが「六宮の粉黛の顔色なきも理や」あたりなのが、喜多では「雲の鬢づら」「花の顔ばせ」のシテ・ワキの掛け合いあたりとなり、
シテが作り物から出るのが、観世では「仙宮に至りつつ」or「比翼も友を恋ひ」なのに対し、喜多では地次第「そよや霓裳羽衣の曲」の箇所となる。



【釵は天冠ごと】
それからいちばん驚いたのが、引廻しが下ろされたときに、楊貴妃が天冠をかぶっていなかったこと!!

観世では最初から天冠をかぶっていて、立て物(釵)だけ取り外してワキに渡すのですが、喜多では天冠ごと渡すのですね。
(知らなくて、最初、着け忘れたのかと思ってしまった。)

シテの出立は、秋の草花づくしの豪華な紅入唐織壺折に緋大口。
天冠の立て物は、楊貴妃の気品が引き立つ月輪。

面は小面だろうか。
この女面、はじめはイノセントで可憐な少女のように見え、イロエを舞ううちに蠱惑的な表情を見せ、序ノ舞では憂いのある高貴な女性に見えてきて、楊貴妃の多面性を映し出すよう。
使用された面は黄金比からすると下顎の比率が長いのだが、顔だちが整いすぎていないほうが、角度や陰影によって表情が変化しやすいのかもしれない。もちろん、シテの技量のなせる業でもある。



【ワキの表現力】
欣哉さんのワキを拝見するのもテアトル・ノウぶりで、久々。

同じく禅竹作の《小督》の仲国と同様、ともするとビジネスライクに見えてしまう役柄を、ヒロインの心にそっと寄り添う、深みのある人物像として描いていて、やはり欣哉さんは非凡だと思う。

とくにロンギの「さらばといひて出舟の伴ひ申しかえるさと、思はばうれしさの猶いかならんその心」のところ。

貴妃の魂魄をひとり冥界に残して去るのは忍び難いが、そればかりはいかに方術をもってしてもどうしようもない、死者を現世に連れて帰ることはできない、という苦渋が滲み出ていて、美しい姿勢で楊貴妃に背を向けたその背中が、孤独な佳人への憐憫の情を語っていた。




【序ノ舞→終曲】
貴妃の懐旧の念をそのまま映像化したような序ノ舞。
純白の梨の花が雨に打たれているような、しっとりとした趣きがあった。

舞い終えて自ら冠をとったシテは、「しるしの釵また賜はりて」で冠をワキに渡し、
「暇申してさらばとて」でワキと舞台上ですれ違い、ワキは橋掛りへ。
「気味にはこの世逢ひ見んことも」で、ワキは深くお辞儀をしたのち、シテと思いを込めて見つめ合う。

「恋しや昔」でシテがシオリ、「はかなや別れの」で宮の中へ入ると、
「常世の台に伏し沈みてぞ」で、深い淵に沈みこむようにすーっと下居し、
「留まりける」で、枕の扇。






0 件のコメント:

コメントを投稿