2018年6月17日日曜日

梅若万三郎の《大原御幸》~大槻能楽堂自主公演能 能の魅力を探る 洛陽の春

2018年6月16日(土) 14時~16時45分 大槻能楽堂

お話 六道を見た女院 馬場あき子

能《大原御幸》シテ建礼門院 梅若万三郎
   後白河法皇 塩津哲生
   阿波内侍 上田拓司 大納言局 青木健一
   万里小路中納言 福王茂十郎
   大臣 福王知登 輿舁 広谷和夫 喜多雅人
   供人 禅竹忠一郎
   赤井啓三 久田舜一郎 谷口正壽
   後見 大槻文蔵 赤松禎友
   地謡 浅井文義 多久島利之 山本博通 上野雄三
      寺澤幸祐 武富康之 齊藤信輔 大槻裕一



万三郎師の能を観ると、こういう舞台を観ることはもうないのだろうといつも思う。《定家》の時も、《朝長》も、《野宮》も、《当麻》の時も。
そしてこの日ほど、そうした思いを強くしたことはなかった。もう、こんな《大原御幸》を、建礼門院を、観ることは二度とないだろう。

大槻能楽堂を訪れたのは、学生時代に山崎正和先生の講座で文蔵師の御舞台を拝見して以来(ほとんど前世の記憶……)。なので所属能楽師の方々についてはごく一部しか存じ上げなかったが、その表現力の高さに感じ入った。
囃子と地謡が入ることで、いっそう深まる静けさ、侘しさ、閑寂な気配。
尋ねる人も稀な大原に時おり聞こえる斧の音、猿の声、梢吹く風……まるで効果音のように聞こえてくる囃子。その音色の精妙な響きが、山里のうら寂しく澄んだ空気を伝えてくる。鬱蒼と生い茂る、湿度の高い新緑の香りさえ漂ってくる。
とりわけ赤井啓三さんの笛、そして谷口正壽さんの大鼓に魅了された。

ワキの福王茂十郎さんの謡も見事。その存在感・品格の高さは当代ワキ方随一(この舞台を観て、好きなワキ方さんのひとりになった)。



【前シテ】
かくして舞台は用意され、大藁屋の引廻シが降ろされた。

作り物のなかに三尊形式で坐する三人の尼僧。
中央の建礼門院の顔が、なぜか一瞬、老女に見えた。
長い歳月を掛けて皺を刻んだ老いの顔ではなく、一夜にして白髪になった老女の顔に。
若く美しい女面をつけているにもかかわらず、どうしてそう見えたのかは分からないけれど、時の流れを飛び越えた人間の顔のような印象を受けたのだった。


【後シテ】
幕が上がり、後シテが現れる。
蜻蛉の羽のように薄い紫の水衣をまとったその姿の、尋常ではない美しさ、気高さ。

シテはただそこに存在するだけで、建礼門院のすべてを、魂そのものを具現化していた。
そこには、我というもの、作為というものが微塵もなく、
「私が悲しい」「自分が憐れ」なのではなく、この世の悲しみ、苦しみを一身に背負い、静かに引き受けている、端然とした優雅さ、高貴さがあった。

三島由紀夫は(おそらく銕仙会で観た)《大原御幸》についてのエッセイのなかで、「地獄を見たことによって変質した優雅」「屍臭がしみついている優雅」について語っているが、胸が強く締めつけられるほどのほんとうの美というものは、地獄を見て、屍臭がしみついたその汚点さえも、シミや汚れという景色として、美の一部に変換し、美をいっそう深めていくのだろうか。

そうして、かぎりなく深まった美の体現者が、梅若万三郎の建礼門院だった。
残酷な環境のなかで染み着いたくすみや濁り、そしてその果ての諦観がなければ、真の美などありえないことを、その姿が教えてくれた。
悲惨な記憶を抱えた彼女の内奥に沈澱する汚濁や不純物は、「褪色の美」を際立たせる翳りだった。

もう、シテから一瞬たりとも目を離したくはなかった。
地謡の謡も、囃子の音色も、後白河法皇の言葉も、そのすべてをシテの存在が吸収・媒介し、シテの存在を通して、わたしはそれらを感じていた。



【六道語り】
万三郎師の床几に掛かる姿は、気の遠くなるような修練の結晶。
翡翠のような半透明の輝きを放ちつつ、磨きこまれた鈍く艶のある声で、地謡と一体になりながら粛然と語り出す。

それは法皇に請われるままに紡ぎ出した語りだったが、いつしか死者への弔いとなり、鎮魂の祈りとなり、成道への請願となっていった。

語り進むにつれて、シテのおもてはおごそかさを増し、時として菩薩のような神々しさすら感じさせる。
性急に六道語りを求めた法皇の顔にも、どこか癒され慰められたような安らぎが漂っていた。

語る者、語られる者、そしてそれを聞く者に作用する、語りのちからがここにはあった。

法皇を乗せた輿が橋掛りをしずしずと遠ざかる。
常座に立つシテは静かにそれを見送り、
やがて、
果てしなくつづく寂寞とした山里の日常へと還っていった。



付記1:解説の馬場あき子さん、ますますご壮健で拝聴できたことに感謝。
解説では、その後も長く生き続けた建礼門院に言及し、女人の生命力の不思議さ、たおやかさのなかにある強さについて語っていらしたが、ご自身がそのお手本のような存在だと思う。

付記2:今回で大槻能楽堂自主公演能はなんと、祝650回を迎えたとのこと。
記念に文蔵師の《翁》のポストカードをいただいた。
このような素晴らしい舞台・配役を企画してくださったことに、深謝!

付記3:三島由紀夫ついでに。彼の遺作『天人五衰』のラストシーンは、おそらく《大原御幸》をなかば意識して書かれたものだと思う(タイトルにもそのことが暗示されている)。『天人五衰』では、白衣に濃紫の被布を着た月修寺門跡・聡子に過去のことを語らせず、本多が人生の最後に訪れた寺を阿頼耶識の殿堂として、記憶もなければ何もない場所として描いている。








0 件のコメント:

コメントを投稿