2018年6月12日火曜日

復曲試演の会《実方》~片山九郎右衛門&京都観世会

2018年6月10日(日)12時30分~17時15分  京都観世会館

講演「水鏡に映った実方の面影」西野春雄

復曲能《実方》シテ 片山九郎右衛門

  ワキ 宝生欣也
  アイ 茂山七五三 茂山忠三郎
  杉市和 吉阪一郎 河村大 前川光範
  後見 味方玄 梅田嘉宏 松井美樹
  地謡 浦田保親 河村晴道  吉浪壽晃 橋本光史 分林道治
     大江信行 林宗一郎 深野貴彦 橋本忠樹 大江広祐

仕舞《白楽天》  大江又三郎
  《小塩クセ》 河村和重
  地謡 橋本雅夫 武田邦弘 浅井通昭 河村浩太郎 大江泰正

仕舞《生田敦盛キリ》片山伸吾
  《胡蝶》    河村晴久
  《融》     青木道喜
  地謡 橋本擴三郎 古橋正邦 河村博重 松野浩行 樹下千慧

能《野守・白頭》シテ 浦田保浩
  ワキ 小林努 アイ 茂山逸平
  森田保美 林吉兵衛 谷口正壽 前川光長
  後見 井上裕久 宮本茂樹 鷲尾世志子
  地謡 杉浦豊彦 越賀隆之 浦部幸裕 味方團
     田茂井廣道 吉田篤史 河村和貴 河村博晃 




型付・片山九郎右衛門、節付・大江信行、監修・西野春雄━━京都観世会の総力を挙げて復曲された能《実方》。
国立能楽堂図書室で梅若六郎(当時)と大槻文蔵シテの《実方》(観世元頼本ヴァージョン)を観たことがあるけれど、今回あらたに「松井文庫本」をもとに復曲された《実方》は従来のものとは趣きが異なり、良い意味で予想を裏切るものだった!

「並びなき美男」で舞の名手でもある歌人・実方が水鏡して恍惚となるところは、たんなるナルシシズムにとどまらない、ワイルド的倒錯とデカダンスを秘めた耽美的世界の極致。
九郎右衛門さん扮する実方が自己陶酔に耽溺する姿は、怖いくらい官能的で、夢と夢とが折り重なり交錯する世界は、どこか鈴木清順の映画を彷彿とさせた。




【前場】

杉市和さんの名ノリ笛と宝生欣哉さんの漂泊の詩人らしいハコビが、陸奥の荒涼とした冬枯れの景色と、冷たく乾いた空気を感じさせる。

道端に実方の塚を見つけた西行は、正先の向こうに塚がある体で、和歌の先達に手向けるべく本曲の主題となる歌を詠む。「朽ちもせぬその名ばかりを残し置きて、枯れ野の薄、形見ぞとなる」(新古今では「形見とぞ見る」)


《砧》の「無慙やな三年過ぎぬることを怨み」を思わせる、胸にぐっと迫るワキの追悼の謡。
この手向けの言葉に引き寄せられるように、「形見とぞなる」で幕がふわりと上がり、シテが幕の中から呼びかける。



初同でさらに冬の陸奥の荒漠たる気色が描き出され、寂寥感が増してゆく。

(緩急・高低・強弱吟を駆使した謡の節付、囃子の巧みなアレンジ、どれもが素晴らしく、とりわけ地謡の完成度の高さは見事!)

復曲能《実方》は、前場・後場それぞれにクリ・サシ・クセがある特異な構成になっており、前場のクセは居グセ。
公演記録で観た《実方》よりもさらに所作や動きを削りに削り、「静」を際立たせた居グセだった。


前場の最後、「今は都に帰るとて」で下居から立ち上がるときは、杖にすがりつくように立ち上がる「老い」を強調した演出。




【中入り→間狂言:二つの夢の入れ子構造・陸奥左遷説への反証】

前シテ老人は、賀茂の臨時祭で舞うために都に帰るといい、雲の波路を行くように橋掛りを進み、三の松で「臨時の舞を御覧ぜよ」と、いったんワキを振り返り、そのままゆっくりと中入り。

クセが2つあるという以外に《実方》が通常の複式夢幻能と違うのは、前場もワキの夢の中の出来事だと設定されている点だ(これが間狂言で明らかにされる)。


堂本正樹いわく「夢の中の老いた霊がさらに若き日を追憶して夢見る、二重構造になっている」という、「二つの夢」が入れ子構造になっており、複雑に入り混じる夢の世界をどう表現するかが後場のカギとなっていた。


また、実方の陸奥赴任は左遷であるという通説への反証として、今回の間狂言では、陸奥赴任を「名誉ある拝任」と実方が受け止めたことをあらわすため、「悠々たる体にて陸奥の国に御下りありて」という言葉が加えられた。




【後場】

後シテ・実方の亡霊は、ほどよく褪色した青竹色の狩衣に灰紫の指貫、太刀を佩き、追懸をつけ、初冠にはみずみずしい竹葉(実方のトレードマーク)を挿した出立。
面は古色を帯びた、すこし翳りのある中将。全体として長身細身に見える、すっきりとした貴公子姿だった。

(従来の《実方》は後シテを老貴人に設定し尉面を用いたが、若い貴人姿で颯爽と登場するのが今回の目玉のひとつ。ちなみに大槻文蔵師所蔵の、老いと若さを兼ね備えた新作面「実方」もあるらしい。)


後場のクセは、舞グセ。

前半は大小前に立ったまま不動の姿勢を保ち、上ゲ扇から閑かで優美な舞へ。
「水に映る影」で、左袖を巻き、「見れば、わが身ながらも美しく」と、開いた扇で顔を隠し、その隙間からそっとのぞく。


シテは川面に見立てた脇正に見入り、恍惚と安座。

そのまま、シテのまわりだけ時間が止まったように、常座前で安座したまま、水面に映る自分の美貌に酔いしれる。


影に見惚れて佇めり━━


うっとりと安座しつづけるシテは、もはや水鏡に映る自分の姿に見入るのではなく、遠い昔、御手洗川に映った自分の姿に見惚れて佇む自分の姿を追懐し、過ぎ去ったみずからの面影に恋い焦がれ。夢の中の夢に、陶然と浸っていた。

自分に恋する者の瞳に映る自分の姿に、惑溺するように。



【老いの影→雷鳴→終曲】

変則的な序ノ舞(?)に入るころには、中将の面が変容したように目もとが変わり、忘我の境地のようなトロンとした表情を浮かべている。

川面に映る自分の姿に老いの影を認めたシテは、水鏡に見立てた左袖をじっと見る。

しかし従来の《実方》のように、タラタラと後ずさりしたり、ヨロヨロした足取りをするなど、老いの衝撃や老衰のさまを劇的にあらわすことはなく、後場での「若さ」から「老い」への変化は終始曖昧だった。 


「賀茂の神山の時ならぬ」雷鳴が轟き、拍子を踏む実方と別雷神が一体化したような瞬間が訪れる。

一の松でシテが左袖を巻きあげたのを合図に、地謡も囃子もやみ、すべてが静止して、水を打ったような静寂があたりを支配する。


音のない、長い「間」━━。


時空がひずみ、花やかな都から一転、冬枯れの陸奥へと舞台は変わり、夢から醒めた西行が目にしたのは、枯れ野の薄を墓標にした実方の塚。


「跡弔ひ給へや西行よ」と言い残して、亡霊は幕の中に消え、

脇座に立つ西行の耳に、実方の声だけがこだましていた。
















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