だいぶ昔に、十津川村の玉置神社を訪れたことがある。車で行けども行けどもたどり着けないような、秘境中の秘境だった。
玉置神社ほどではないにしても、天河弁財天も相当遠くて不便な場所にある。
でも、ずっと憧れていた聖域だ。
厳島、竹生島と並ぶ三大弁財天のなかでも、「日本第一の弁財天」と称えられただけあって、空気が驚くほど清らかで、ひと呼吸ごとに肺や体が浄化され、高い霊的エネルギーがあたりに立ち込めているのが感じられる。
そして何よりもここは、あの観世元雅が訪れて《唐船》を舞い、そのとき着けていた阿古父尉を奉納した神社としても知られている。
阿古父尉面の裏には、「唐船 奉寄進 弁財天女御宝前仁為允之面一面心中所願成就円満也 永享二年十一月 観世十郎敬白」と筆書きされ、将軍義教から疎んじられた当時の元雅の悲痛な思いがべっとり沁みついている。
中村保雄の「天河の能」(平凡社『天河』収録)によると、昭和50年には、元雅奉納のこの尉面を着けて片山九郎右衛門(幽雪師)が天河弁財天で《天鼓》を舞ったという。
そのほか、天河社は能楽に限らず、芸能者・アーティストたちの一大聖地であり、あのブライアン・イーノも「日本で最初の公演は、是非ここ天河神社で!」と申し出たほど、その神威は海外にまでひろく知れ渡っている。
また、在原業平が天河弁財天の洞窟に入って入定したという伝説があるなど、数々の伝説・伝承に彩られている。
この日の大祭にも、ほかの神社とは趣きの異なる独特の雰囲気があった。
御神楽奉奏《浦安の舞》 |
最初は檜扇で舞い、後半からは、巫女舞らしく鈴に持ち替えて舞う。
空気があまりにも澄んでいて、まるで空気そのものが笛や篳篥の音色を発しているように思えてくる。
美しい空気と「気」の振動が起こす、美しい音色。
鈴の音も他の場所で聴くのとはぜんぜん違っていて、天上の音のような精妙な響き。
来迎図で天人が奏でる音楽のようで、とても心地よく、癒される。
アメノトリフネとタマシズクの祈り |
この地には、南朝方に仕える傳御組(おとなぐみ)が現在も組織されているという。
祝詞にも南朝の名残りが色濃く残り、儀式にも神仏混交の要素が多分に含まれている。
それゆえなのか、天河社は単立の宗教法人として神社本庁からは独立している。
巫女神楽につづいて執り行われた「天鳥船 神々のお渡り」もかなり変わっていた。
解説によると、真菰(まこも)でつくられた船を神殿に奉り、音霊、言霊奉納を通して八百万の神々のお力を賜って新しい時代の開きと御代の平和を祈る、というものらしい。
シンセサイザーの音楽と霊的空間が溶け合い、エネルギーに満ちた祈りの言葉が場を震わせるこの儀式は、『火の鳥・黎明編』のなかの原始的な祈りのようでもあり、前衛的なパフォーマンスアートのようでもあり、とにかく不思議な神事だった。
俵米初穂や神饌、福餅、御神酒が供えられた斎灯殿 |
この儀式は、奥宮弥山山頂にて火鑚(ひきり)できった神聖な清き神火と、熊野の御神火が結ばれるというもの。
二つの聖地の聖火が結ばれ、その煙が龍のように天高く昇っていく。
まるで龍神たる天河弁財天が示現したかのよう。
煙が鎮まると、法螺貝の音が響き渡り、人びとは太鼓を叩き、般若心境を唱えながらぐるぐると護摩壇のまわりを回りはじめる。
神道、仏教、修験道、念仏踊り……さまざまな宗教がまじりあい、境界がぼやけて、宗教が未分化だったころの、日本古来の始源の信仰へと還ってゆく。
天河社門前の町並み |
天河弁財天 神事能《葵上・梓之出》につづく
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