2016年10月24日月曜日

橘香会~狂言《川上》・能《藤戸》

2016年10月22日(土) 12時30分~17時10分  国立能楽堂
橘香会~万三郎の《朝長》後場からのつづき

狂言《川上》シテ座頭 野村万作アド妻 高野和憲

能《藤戸》漁師の母/漁師 古室知也
 ワキ佐々木盛綱 福王和幸 ワキツレ村瀬慧 矢野昌平
 アイ盛綱ノ下人 石田幸雄
 成田寛人 鳥山直也 柿原光博
 後見 梅若万佐晴 中村裕
 地謡 青木一郎 加藤眞悟 八田達弥 長谷川晴彦
    遠田修 梅若雅一 梅若久紀 根岸晃一





狂言《川上》は初めて観る。
月見座頭と同じくらいいろいろ考えさせられる。

盲目のまま十年間暮らしていた座頭が、ある日とつぜん霊験あらたかな地蔵から霊夢を賜り、目が見えるようになる。
暗い人生が一気に明るくなった瞬間。
しかし霊夢の内容は、悪縁の妻と別れるなら目を開けてやろう、というものだった。


最後は座頭が妻に押し切られる形で離縁を思いとどまり、再び盲目となって、妻に手を引かれる形で、道祖神のように二人仲良く手をつないで退場となるのだが、

どうなのだろう?
公演チラシの解説には、「夫婦の情愛が描かれる」と書かれているが、そういうハッピーエンドの物語とは大分違っていて、かなりブラックな歪んだ幸せのかたち、人間心理の不可思議さ(あるいは人間心理の本質)が描かれていると思う。

夫婦の幸せのかたちって千差万別で、他人からはうかがい知れない。
悪縁の妻に押し切られ、妻の尻に敷かれることが、つまり、身体の一部となった杖を使って今までどおりの日常を営むことが、座頭にとっては目が見えることよりも「幸せ」なのかもしれない。
(多くの庶民にとっては大きな幸せよりも、日常生活を淡々と営むことのほうが安心できる。日常に安住するほうが心地良い。それが「幸せ」と認識されたりもする。)

自分だったらどうするだろうとか、夫だったらどうするだろうとか、そんなことまで考えさせられる摩訶不思議な魅力が狂言《川上》にはあって、それを野村万作の名演で拝見できたのは幸せだった。


能《藤戸》
梅若研能会の方々はまだお名前と顔が一致しない方が多く、シテの古室知也師も初めて拝見する。
ベテランのシテ方さんだろうか。
ハコビも所作もきれいな方だ。
しかし、《藤戸》の難しさ、とくに前場と後場それぞれでワキに詰め寄る見せ場の難しさをあらためて実感した。

前シテの面は「曲見」。
《朝長》の曲見とは違って、こちらは若曲見かと思うほど、増をそのまま老けさせたような美形の女面。

後シテは「痩男」で、この面をかけ、水衣と腰蓑をつけた出立であらわれた漁師の霊が、前シテよりも20キロ以上減量したように痩せ細って見えたのが凄い。

地謡が好かった。

そして何よりも、前シテの老母をやさしく労わり、慰めながら家まで送る石田幸雄師の思いやりのこもったアイ(盛綱ノ下人)が人情味にあふれ、素晴らしかった。





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