「梅若六郎家所蔵の能面と能装束」幽玄の世界への誘いからのつづき
本展覧会では面・装束・扇の展示のほか、平成12年に名古屋能楽堂で梅若実(当時六郎)が舞った《道成寺》のダイジェスト版も上演された。この舞台が凄かった!
18年前といえば、実師は50代初めの絶頂期。
小鼓の大倉源次郎師、笛の藤田六郎兵衛師、鐘後見の梅若紀彰師は40代、ワキの宝生閑・地頭の大槻文蔵師は60代と、いずれも40代~60代の脂の乗り切った年代だ。
観能歴の長い人が「昔は凄かった。でも、今はねぇ……」みたいなことを言うのをよく耳にするが、あれは単なる回顧主義ではなく、正真正銘の事実なのだと思い知らされた。才能あふれる人たちの全盛期に居合わせた観客は幸せだと羨ましく思う。
この名古屋能楽堂での《道成寺》は、紀伊国屋書店から出ているDVD『能・道成寺』にも収録されている。展覧会での上演はダイジェスト版なので、「乱拍子→急ノ舞→鐘入り→蛇体登場→鱗落とし→エンディング」を鑑賞した。
冒頭から乱拍子の凄烈な迫力が押し寄せてくる!
源次郎師の小鼓と、梅若実(六郎)師の一騎打ち。
凝縮されたエネルギーがぶつかり合い、炸裂し、火花を散らす。
それは、敵対する闘いではなく、衝突しながらも調和する絶妙な駆け引きであり、スリルあふれる神経戦のような、極度に張りつめた緊張感の攻防だった。
ホウ、オーーッと源次郎師が、命を削るような掛け声をあげて鼓を打てば、実(六郎)師が相手の急所めがけて刀を打ち込むように足遣いをし、大蛇がズルッズルッととぐろを巻くように身をくねらせる。剣豪どうしの果たし合いとは、このようなものだろうか。
密度の高い静寂を打ち砕くように、激しい急ノ舞でシテと囃子が瀧のごとく奔流し、そこから一気に鐘入りへとなだれこむ。
「たちばなの道成興行の寺なればとて、道成寺とは名づけたりや……」、実師の哀調を帯びた謡。ダイナミックな舞のなかにヒロインの傷ついた心が見え隠れする。
後シテは、白頭に白般若。
白般若の面は、今回展示されている出目洞水満矩「白般若」の写しだった。
実師は、女の悲しみをより深く表現するために、この白般若の面を使ったという。
はじめてこの白般若の面をかけて《道成寺》を舞ったとき、白洲正子から「とうとう、お父様を抜いたわね!」と絶賛されたそうだ。それゆえ、この面にはことのほか思い入れがあると聞く。
前記事で書いたように、梅若家の白般若の面は、髪の分け目から左右に二筋の毛筋が入っているのが特徴。毛筋は鬘で隠れて見えないが、白頭の隙間から見える般若の顔には深い悲しみの影が宿っていた。怨みのなかに、身を切るような悲しみと恋慕の情が揺れ動いている。
数珠を揉んで調伏するワキの宝生閑のまなざしは、どこかあたたかく、慈しみの心が感じられる。
傷ついたヒロインの昔語りに耳を傾ける、あのやさしさ、あたたかさ。
敵意で対決するのではなく、相手を包み込むように、数珠を揉み、蛇体を追う。
「弔い」のための調伏。
能《葵上》にも使われる位の高い白般若をつけているからだろうか、蛇体のシテにも恐ろしさはなく、ほのかに品があり、か弱げなところがある。
実(六郎)師が描いた真砂庄司の娘。
宝生閑の相手をいたわるような物腰。
その悲しく、あたたかい空気を音で奏でるお囃子。
美しい所作で、力強く確かな手際で鐘を落とした鐘後見。
いずれも素晴らしく、心に残る《道成寺》だった。
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