特別展「北野天満宮 信仰と名宝」の関連企画として、京都文化博物館が主催する「北野をあるく」という歴史散歩イベントに参加してきました。
天神さんでは梅が真っ盛りで、すっごい人、人、人。。。
そんなカオスのなか、ブンパクと北野天満宮宝物殿の学芸員さんが案内してくれはりました。
ツアーは「北野天満宮境内散策コース」と「上七軒など北野エリア散策コース」の2部制。まずは、境内散策コースから。
一の鳥居 |
現在の一の鳥居は大正時代に建てられたもので、現在の二の鳥居が、本来の一の鳥居でした。
現在の一の鳥居が立つあたりには、かつて北野経王堂があったといいます。
北野経王堂は、明徳の乱の戦没者を弔うべく万部経会(法華経を一万部読誦する法会)を催すために、足利義満が建てた仏堂です。
万部経会の日は大勢の人でにぎわい、北野経王堂は三十三間堂よりも大きなランドマーク的建築物だったようですが、残念ながら、明治期に廃寺となりました。
影向の松のある松林 |
菅原道真の没後40年近くが過ぎたころ、右京七条にすむ少女・多治比文子(たじひのあやこ)、近江国比良宮神主・神良種(みわのよしたね)の男童に、それぞれ菅原道真の霊が憑依し、北野の右近の馬場に一夜にして千本の松が生える場所がある、そこに祠を建てるようにとの神託が下りました。
こうして建てられたのが、北野天満宮です。
現在、参道脇に立つ松林は、一夜にして生えた千本松の名残りということですが、どうでしょうか。。。
母子牛 |
なかには、子牛を連れた母牛も。
安産祈願によさそうですね。
お母さん牛なので、顔の表情が柔和でやさしそう。
国宝・三光門の彫刻 |
いかにも桃山時代らしい絢爛豪華な彫刻が見事。
それでいて彩色も彫刻のバランスも抑制が効いていて、日光東照宮ほど派手でけばけばしくない。シックな木目が余白としてうまく生かされていて、こういう美意識って素敵だと思う。
三光は日・月・星の光を意味しますが、三光門には、太陽と月の彫刻しかなく、星の彫刻が欠けています。これは、大極殿から望むと、ちょうどこの門の上に北斗七星が輝いて見えるからだそう。
「星欠けの三光門」は夜空に輝く星をも取り込んだ、究極の借景ですね。
拝殿向って左には、紅和魂梅 |
右には、老松 |
道真の「飛梅伝説」は、能《老松》や歌舞伎《菅原伝授手習鑑》の梅王丸・松王丸・桜丸のベースにもなっています。以下は伝説の概略。
菅原道真の京都の邸宅では、梅・桜・松の木が植えられていました。
大宰府に旅立つおり、道真は「東風吹かば匂ひおこせよ梅の花 主なしとて春を忘るな」というあの有名な歌を詠みます。梅は主人を慕って大宰府へとまっしぐらに飛んでいきました。いっぽう、桜は悲しみのあまり枯れてしまい、道真は「梅は飛び桜は枯るる世の中に 何とて松のつれなかるらん」という歌を詠みます。主人に「つれない」と責められた松は、梅を追って大宰府へ向います。
かくして、老松(追い松)と飛梅(紅梅殿)は天満宮の御神木となったのでした。
ちなみにここ、北野天満宮では、御神木がウィルスに感染した場合に備えて、住友林業に依頼して御神木の紅和魂梅をクローン化しているそうです。
拝殿 |
社殿側面 |
(土間があるから「石の間」)
神々の鎮座する聖域・本殿は静かで落ち着いた雰囲気。
裏の社(やしろ) |
北野天満宮では、本殿の背面にも「御后三柱」という神座があります。
御后三柱とは、菅原氏の祖神・天穂日命、道真の祖父・清公、父・是善のこと。
廻廊(重要文化財) |
もっと引きで撮れたら廻廊の良さが伝わってくるのですが、人の姿がたくさん入ってしまうので、こんな感じに。。。
地主神社 |
地主神社が建つのは、楼門からまっすぐ延びる参道の正面。
これは、もともと地主神社があったため、天満宮の本殿は地主神社の正面をよけて建てられたからだといいます。
御土居 |
ここが御土居のほぼ西端にあたります。
西側の御土居は、次の記事で紹介する紙屋川(天神川)に沿ってつくられていました。
近世以降、この御土居より東(御土居の内側)が洛中、西(御土居の外側)が洛外といった感覚が形成されていったようです。
次の記事では紙屋川をはじめ、天神さん周辺の北野エリアを見ていきます。
(土蜘蛛の塚などもあって、面白かった!)
「上七軒など北野エリア散策コース」につづく
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