2019年6月4日火曜日

大倉流祖先祭~大槻能楽堂改修記念

2019年6月4日(火) 大槻能楽堂
番組(拝見したもののみ記載)
舞囃子《高砂》分林道治
 赤井要佑 社中の方 木村滋二 中田弘美
 味方玄 寺澤幸祐 武富康之

舞囃子《花月》大槻裕一
 赤井要佑 社中の方 上野義雄
 上野雄三 上野雄介 上野雄吾

舞囃子《玉之段》赤松禎友
 斉藤敦 社中の方 辻芳昭
 大槻文蔵 武富康之 大槻裕一

舞囃子《淡路》金剛龍謹
 斉藤敦 社中の方 山本哲也 中田弘美
 金剛永謹 種田道一 惣明貞助

《水無月祓》味方玄×桂吉坊

舞囃子《蓮如》青木道喜
 杉市和 社中の方 木村滋二 中田弘美
 片山九郎右衛門 味方玄 分林道治

舞囃子《鷺》大槻文蔵
 赤井啓三 社中の方 辻芳昭 三島元太郎
 上野朝義 上野雄三 長山耕三

舞囃子《自然居士》味方玄
 斉藤敦 社中の方 山本哲也
 片山九郎右衛門 寺澤幸祐 大槻裕一

舞囃子《卒都婆小町》金剛永謹
 斉藤敦 社中の方 辻芳昭
 種田道一 金剛龍謹 惣明貞助

舞囃子《安宅・瀧流之伝》梅若紀彰
 赤井啓三 社中の方 山本哲也
 片山九郎右衛門 青木道喜 寺澤幸祐

舞囃子《放下僧》梅若猶義
 赤井啓三 社中の方 上野義雄
 梅若紀彰 分林道治 大槻裕一

舞囃子《船弁慶》金剛永謹
 杉市和 社中の方 上野義雄
 種田道一 金剛龍謹 惣明貞助

舞囃子《三輪》大槻文蔵
 杉市和 社中の方 山本哲也 三島元太郎
 梅若紀彰 梅若猶義 赤松禎友

舞囃子《班女》上野雄三
 赤井啓三 社中の方 上野義雄
 上野朝義 上野朝彦 上野雄介

舞囃子《安宅》金剛龍謹
 杉市和 社中の方 辻芳昭
 金剛永謹 種田道一 惣明貞助

舞囃子《邯鄲》片山九郎右衛門
 左鴻泰弘 社中の方 山本寿弥 上田悟
 青木道喜 味方玄 長山耕三

ほか、舞囃子、居囃子、一調など多数。



ひと言でいうと、すっごい会だった。
好きな能楽師さん、超一流の能楽師さんたちの真剣立合勝負。
とくに片山九郎右衛門vs梅若紀彰vs味方玄という、今を時めく舞の名手の三つ巴の激突がとにかく、凄まじかった。

九郎右衛門さんと梅若紀彰さんの対決で思い出すのは、4年前の佳名会・佳広会(亀井忠雄・広忠師社中会)。
あのときは、九郎右衛門さん、紀彰さんがそれぞれ舞囃子を2番ずつ舞われて、「犬王・道阿弥vs世阿弥の立合もかくやらん」と思わせるほど、わが観能史に残る名試合だった。
あの日の感動をさらに上回るような舞台に出逢えるなんて!!

以下は、簡単なメモ。


舞囃子《高砂》分林道治
この日はじめて気づいたけれど、分林さんの《高砂》は、九郎右衛門さんの芸風によく似ている。緩急のつけ方も、足拍子のタイミングも、型の微妙な角度まで。片山一門の中堅は皆さん見応えがあります。

赤井要佑さんの笛を聴くのははじめてかも。赤井啓三さんの御子息かな? 美しい音色の良い笛。関西の笛方さんはほんと粒ぞろい。



《水無月祓》味方玄×桂吉坊
さすがは源次郎さんのお社中、上手い方が多い。
なかでも桂吉坊さんは米朝一門だけあって、長唄・三味線・笛・太鼓だけでなく、小鼓も相当な腕前。音色もきれいだし、掛け声も見事。謡のお師匠様は味方玄さんでしょうか? 本業だけでも超多忙なのに、それぞれの芸事をこのレベルまでお稽古されるなんて……努力家で多才な方なんですね。



舞囃子《蓮如》青木道喜
青木道喜師作曲の《蓮如》。
盤渉早舞っぽい舞事が入ります。詞章はあまり聞き取れなかったけれど、蓮如の功績や教義的なものが織り込まれていたような。来年あたり、本願寺の能舞台で上演されるのでしょうか。



舞囃子《自然居士》味方玄
味方玄さんの舞台は、能よりも舞囃子が好きだなあ。味方さんの能は感動する時と、そうでないふつうの時があるけれど、舞囃子はほとんどすべて素晴らしい。
そしていつも思うのは、片山一門のなかでいちばん「幽雪」的なものを感じさせるのが味方玄さんだということ。恐ろしいくらいの集中力と、舞台に対する妄執ともいえるくらいの、燃えたぎる執念と情念。舞台に立ったときの目つきと気迫が、幽雪師の生き写しのよう。




舞囃子《安宅・瀧流之伝》梅若紀彰
東京を離れるときに心残りだった能楽師さんの一人が、梅若紀彰さん。
関西ではめったに拝見できないから、最初に番組をいただいたときは狂喜乱舞したくらい。ずっと、この日を心待ちにしていた。

4年前の佳名会・佳広会の時は、《安宅・延年之舞》と《邯鄲》を舞われたけれど、この日は《安宅》の「瀧流之伝」。深緑の色紋付と黄土色の袴という、いつもながらおしゃれな出立。

「瀧流」では、盃に見立てた扇を目付柱の前に投げ、盃を流れに浮かべる型を見せたり、橋掛りへ行く代わりに(舞囃子なので)脇正で水の流れを見込み、曲水を流れる盃を目で追いかけたりするなどの所作が入る。

次はいつ拝見できるだろう?
そう思うと一瞬一瞬が貴重で、一瞬一瞬を心に刻み付けるように味わっていた。舞囃子1番では足りないくらい。《三輪》の地頭もされていたけれど、紀彰さんの神楽物、観てみたかったな。
また、関西にも来てくださいね。

(紀彰さんの舞台でいちばん感動したのが、第一会紀彰の会の《砧》。あのときの太鼓は観世元伯さんだった。元伯さんを最後に観たのも、紀彰さんの社中会だった。東京の能楽師さんを拝見すると、懐かしさとともに、悲しい思い出もこみあげてくる。せつなくて、胸が苦しくなるけれど、こうして思い出して書き記すことが、きっと最高の供養になると思うから。)




舞囃子《邯鄲》片山九郎右衛門
九郎右衛門さん、凄かった!!
切戸口から舞台に入って来た時から、殺気めいた気迫がみなぎっていて、なにかもう、ここではない、別の次元にいた。
おおげさではなく、怖れというか、畏怖の念すら覚えた。
もはや立合ではなくなっていた。
比較対象が存在しない。
ただひとり別次元の高みで君臨する、無双の王者だった。

その姿を前にして、
わたしの身体がまばたきを拒否していた。
全身が「目」となって、ただただ、貪欲にその姿を追っていた。
まばたきを忘れているのに、
目が乾く間もなく、涙があふれてくる。

ストーリーの展開も、意味も、もうどうでもよかった。
ただもう、異次元の凄いものを目の当たりにして、その感動で跳ね飛ばされそうになりながら、必死でしがみつくように舞台を凝視していた。

お菓子を食べていた前列の女性グループも、おしゃべりしていた年配の団体も、ポカンと口を開けて舞台に見入っていた。
見所全体が九郎右衛門さんとともに、ここではない別の次元に運ばれて、意識が遠のくような美しい夢を見ていた。

わたしの理想とする、言葉も意味も超えた舞台。

この感覚をいつまでも覚えていたい。
ありがとうございました。






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