2019年6月19日水曜日

《水無月祓》《賀茂》《春栄》~賀茂社がつなぐ縁・河村青嵐大会

2019年6月16日(日)河村能舞台
河村能舞台のお隣・俵屋吉富「夏越の祓・水無月」

番外仕舞《海士キリ》河村紀仁
    《夕顔》  樹下千慧

本日の曲目について 河村晴久

番外独吟《賀茂》田茂井廣和

番外仕舞《水無月祓》河村晴道

番外舞囃子《春栄》 河村晴久
 赤井要佑 曽和鼓堂 石井保彦

ほか舞囃子、独吟、仕舞など



この日の演目は、下鴨神社にゆかりが深く、この時期にぴったりの《賀茂》と《水無月祓》、そして、新元号「令和」にちなんだ《春栄》。

奇遇にも、数日前に読んだ本に河村家と下鴨神社との不思議なつながりや、樹下千慧さんがこの道に入ったきっかけがつづられていた。

その本というのは、村上春樹作品の英訳者として知られるハーバード大名誉教授のジェイ・ルービン氏のエッセイ『村上春樹と私』。ルービン氏が、能楽(謡曲)研究者でもあることも同書ではじめて知る。


少し長くなるが、この日の演目とも関係するので『村上春樹と私』に書かれた経緯をかいつまんで説明すると;


河村家では、毎年正月元旦の早朝6時から下鴨神社の橋殿で謡・仕舞の奉納する。
そのため大みそかには、橋殿の大掃除を行うのが習わしで、1990年代初めの大晦日にも河村家の人々は橋殿を掃除していた。そこへ声をかけてきたのが、河合亨という人物だった。

河合亨氏が大晦日に下鴨神社に来た理由は、その前日にまでさかのぼる。

河合さんが12月30日に下鴨神社に参拝した折、自分と同じ名前の河合神社という摂社があったため、賽銭を入れようとしたところ、間違って財布ごと賽銭箱に投げ込んでしまった。

あわてた河合氏は、賽銭箱に手を入れて財布を取り出し、賽銭を入れてから帰宅したが、一度神様に差し上げたものを取り戻すのは良くないと思い直し、翌日、再び下鴨神社に参詣した。その時、掃除中の河村晴久さんと出会ったという。


以来、河合亨さんと河村晴久さんとの交流が始まり、河合さんのいとこで仏教大企画課の樹下隆興さんとも親しくなって、晴久さんは同大学の講座「能へのいざない」を担当されるようになった。
また、樹下さんの御子息で当時小学生だった樹下千慧さんも、晴久さんのもとへお稽古に通うようになる。

樹下千慧さんは長じてプロの能楽師となり、現在は若手のホープとして活躍。

河村晴久さんがルービン氏と知り合ったのも、「能へのいざない」の受講者から、当時京都に在住していたルービン氏の講演のことを聞いて聴講したのがきっかけだった。
(河村家の人々はのちにハーバード大に招かれ、レクチャーやデモンストレーションを行っている。)


河村晴久さんは言う、
「下鴨神社は鴨川と高野川の合流点で、川が合うところから、古来、人に出会う場所です。能でも《班女》《水無月祓》《生田敦盛》などでは、下鴨に行って尋ねる人に出会います。本当に現在も出会いがあるわけで、これも賀茂の神様のお導きです。」と。


……たまたま読んだ本に、この日の演目にからんだエピソードが書かれているなんて! これも何かの縁かもしれない。
晴久さんの会を拝見していて、感慨深さもひとしおだった。



番外仕舞《海士キリ》河村紀仁
《夕顔》  樹下千慧
河村紀仁さんの舞はお父様の晴道さんゆずりの品の良さ。
樹下千慧さんは、「いったいこの身体のどこから出てくるのだろう?」と思うくらい、年齢以上に深みのある謡だ。
《海士》も《夕顔》も、今年三回忌を迎える故・林喜右衛門師への追善を込めたものだという。
《夕顔》の最後、「雲のまぎれに失せにけり」で、ふう~っと紫雲にまぎれて消えてゆくようにフェイドアウトする地謡と、身体に力をためながら徐々に膝を折り美しく下居するシテの所作から、追慕の念が伝わってきた。



番外独吟《賀茂》田茂井廣和
田茂井廣和さんははじめて拝見する。廣道さんのお父様なんですね。
「石川の、瀬見の小河の清ければ」で始まる謡は絶品! 糺の森を流れる清流に心が洗われてゆく。しみじみと胸に響く。もっと聴いていたかった。

「流れはよも尽きじ、絶えせぬぞ手向けなる━━」
この独吟もまた、お手向けの謡。



番外仕舞《水無月祓》河村晴道
仕舞は、茅の輪くぐりの御利益を語る地謡に合わせて舞うところ。
夏越の祓をする人は千年の寿命を保つ、と地謡が謡い、「お祓いのこの輪をば越えたり」で、シテは茅の輪をまたいで越える所作をし、「悪しき友あらば祓い除けてて交へじ、身に祓いのけて交へじ」で、幣を祓うように、扇をもつ右手を左右に振る。

最後は、「いざや神に参らん、この賀茂の神に参らん」で、扇を置いて合掌。

巫女の清らかさを感じさせる、品格のある舞。
身も心も浄化され、祓い清められる清々しさ。

下鴨神社の目と鼻の先にあるこの能舞台で、下鴨神社とゆかりのあるシテ方さんたちの舞を観るという、この上ない贅沢。



番外舞囃子《春栄》河村晴久
新元号・令和は、万葉集・梅花の歌序「初春令月、気淑風和」がもとになったとされているが、今回、河村晴久さんが《春栄》を番外舞囃子に選んだのは、詞章のなかに「令月」という言葉があるからだという。

「令」には「神様のお告げ」の意味もあるから、河村家にまつわる賀茂社での不思議な出会いや、不思議な縁ともリンクする。

舞囃子の詞章にはその「令月」の箇所が含まれていて、地謡が「嘉辰令月とはこの時を云ふぞめでたき」と謡う。調べてみると、「嘉辰令月」とは、「めでたい日と月」のことらしい。

弟・春栄の助命が叶い、さらに権守の養子に迎えられ、これから栄えてゆく未来を祝して、シテが晴れ晴れとした舞を舞う。

河村晴久さんの男舞は、余裕とゆとりのある殿様然とした、物腰の豊かな舞。舞台も見所も、めでたく晴れやかな気分に包まれる。

来週の観世会例会の《通小町》では、どんな妄執ぶりを見せてくださるのだろう。

赤井要佑さんの笛も素敵だった。
この方の笛は同じ森田流でも、東京の寺井家、それも、寺井政数系の笛を思わせる。これからが楽しみな笛方さんだ。


社中の方々もお上手な方が多く、とくに仕舞《山姥クセ》を舞われた方がすばらしかった。






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