2018年10月16日火曜日

片山九郎右衛門さんの能はゆかしい おもしろい~高槻明月能《小鍛冶・白頭》プレイベント

2018年10月15日(月)14時~16時10分 高槻現代劇場レセプションルーム

(1)名古屋での《小鍛冶・黒頭》の映像を観ながらのストーリー解説
(2)自然災害と能による鎮魂
(3)謡体験《小鍛冶キリ》
 ~ティータイム(コーヒーor紅茶)~
(4)仕舞《小鍛冶キリ》
(5)装束体験&解説
(6)質疑応答



東京にいたころ、高槻明月能とそのプレイベント「能はゆかしいおもしろい」に思いを馳せ、こちらに住んでいる人を羨ましく思ったものでした。
その講座にこうして気軽に足を運べるようになったのも、水道橋のこんぴらさん&お稲荷さんにお参りをしてきたおかげです。

そんな霊験あらたかなお稲荷さんが大活躍するのが今年の明月能。
正直言うと、公演発表当初のわたしのリアクションは「小鍛冶か……」と、テンション低めでした。近年の刀剣ブームで飽きるほど上演されてるし、九郎右衛門さんの《小鍛冶・黒頭》も銕仙会で拝見したし……。
でも、九郎右衛門さんのお話を聞くうちに、わたしの浅はかな先入観が解消されてくる気がするから不思議。九郎右衛門さんの言葉は目からウロコの情報満載で、とにかく、楽しい!




【映像を観ながらのストーリー解説】
映像は名古屋片山能だろうか、少し前のものらしく、皆さん若い!(名古屋なので笛は藤田六郎兵衛さんだ……)。

小書「黒頭」での上演で、前シテは2年前の銕仙会《小鍛冶・黒頭》で観た時と同じ喝食にオスベラカシ、モギドウの扮装(九郎右衛門さん曰く「アナーキーな扮装」)で、手には稲穂。
宗近役は宝生欣哉さん。
欣哉さんは背丈が九郎右衛門さんと同じくらいなのでいろいろとやりやすく、相槌も打ちやすかったという。
福王さん(知登さん?)の宗近でやったときは、膝を槌で叩かれちゃったとか……。

九郎右衛門さんがおっしゃるには、《小鍛冶》という曲がいちばん伝えたい大事なメッセージは、間狂言で語られる「人間、なせばなる!」ということだそう。

唐突に勅命が下った宗近は、非常に困った状況に追い込まれる。ぎりぎりまで追い詰められたときのひらめき、火事場の馬鹿力の大切さ、それがこの曲のテーマ。

こういう視点は九郎右衛門さんらしいというか、数々の試練・修羅場・ピンチを乗り越えてきた九郎右衛門さんの実体験、生き方みたいなものが投影されているような気がする。


また、《小鍛冶》にはいくつか小書があるが、小書なしのバージョンでは童子(後は小飛出)の面に赤頭で、稚気=神様という表現になり、「黒頭」になると喝食(後は泥小飛出など)+黒頭で、闇夜の雷光のような凄みのあるイメージとなる。
そして、明月能で来月上演される「白頭」には神韻縹緲たる趣き、「無」から何かが現れてくるような雰囲気がある。
どの曲でも「白頭」の小書がついたときに最もダメなのは「汚れて見えること」。
小書に「白」がつくときは、清らかで、美しく、透明感がなければならない、とおっしゃっていた。
(「清らかで、美しい透明感」、これこそまさに、昨年、九郎右衛門さんの白式神神楽を観た時に感じたイメージそのまま!)


《小鍛冶》の勅使(ワキツレ)として登場する橘道成は、《道成寺》で「橘の道成興行の寺なればとて、道成寺とは名づけたりや」と謡われる通り、勅命で道成寺を建立した人。こんなところで登場してたんですね。




【自然災害と能による鎮魂】
インタビュアーの質問に答えてのお話だったけれど、先月の台風21号で、片山家の装束を収めていた土蔵も被害に遭い、土壁がはずれた(崩れた)という。
その直後の9月7日に、わたしは澪の会で片山家能楽・京舞保存財団にうかがったけれど、そのときはまったく気づかず、井上八千代さんも何もおっしゃらなかった。
大切な大切な装束がそんなことになっていたなんて。九月の前半は、九郎右衛門さんも舞台続きで、そのなかでの大きな災難。知らなかった……。




謡《小鍛冶キリ》の体験
《小鍛冶》のキリはけっこう難しい。でも、九郎右衛門さんと謡うのは楽しい!

この日の前日に観世会館の社中会で、九郎右衛門さん地頭の《安宅》と《隅田川》(そして番外仕舞《仏原》)を拝見した。九郎右衛門さんの地謡は毎回いろんな発見があり、曲について深く知る手掛かりになる。
九郎右衛門さん地頭の地謡は、舞台にエネルギッシュな活力を吹き込み、舞台全体を生き物のように生き生きと脈動させる。

この謡体験も非常にダイナミック。
節の高低・急カーブするようなうねりを、九郎右衛門さんに導かれるままに全身で息を吐き切り、スッと吸うタイミングで謡っていくと、みんなでジェットコースターに乗っているような、エキサイティングな気分になる。
しだいに体が熱くなり、いつのまにか自分が夢中で謡に没頭しているのに気づく。

ふだんふつうの生活をしていると、こんなに全身で腹の底から謡うことってないもの。謡うって、気持ちいい。
参加された方々のお顔も輝いていた。



仕舞《小鍛冶キリ》
九郎右衛門さんは《小鍛冶》キリの部分をご自分で謡いながらの仕舞。能舞台の3分の1くらいのかなり狭いステージなのに、飛び返りが2回もあるなど、かなりアクロバティックな部分。

一流の能楽師さんが凄いと思うのは、モードの切り替えだ。
さっきまでの和やかな雰囲気とは打って変わって、仕舞の時は、その人の魂から放出される「気」のエネルギーが変化する。
場の次元が変容し、殺気にも似た真剣勝負の空気が漂う。



【装束体験&解説】
希望者に九郎右衛門さんが装束着けをしてくださるという恒例の贅沢な企画。
もちろん(?)わたしは恥ずかしくて尻込み派。
勇気ある最前列の女性がモデルに挑戦。

九郎右衛門さんは装束の解説を挟みながら一人で丁寧に手際よく着付け、なおかつ、モデルの女性にも終始やさしく気をつかっていらしゃった。
こういう、四方八方、細部にまで行き届いたきめ細かい心配りが舞台にも随所に生かされていて、それが日常的な習慣になっていらっしゃるのがこの方の凄いところ。



長くなったけれど、ここには書ききれないくらい「なるほど!」と膝を打つようなお話がたくさん詰まっていて、この講座を毎年楽しみにしている常連さんが大勢いらっしゃるのもうなずける。



以下は、自分用のメモ(たぶん自分以外の人には意味不明)。

装束着けに使われた「狐蛇」の面は、原形が般若。昔はけっこう、面が使い廻しされていて、塗りを落として、別の面に塗り替える「転用」があったという。

厚板唐織:もとの意味は、中国から厚い板に挟まれて運ばれてきた布を「厚板」と呼んだことに由来する。

黒頭などの頭は、ヤクの比較的硬い毛である「たてがみ」が使われる。根付きで輸入されていたが、今ではワシントン条約で難しくなった。ちなみに、歌舞伎の連獅子などには、同じヤクの毛でも、比較的柔らかい尾が使われる。

胴着:これを装束の一番下に着るのは、汗を吸うため以外にも、身体の線を丸くするためでもある。同義の袖の下の部分は、手を出し入れしやすいように切ってある。

汗:汗を大量にかく人には、あまり良い役が当たらない(装束を傷めてしまうため)。九郎右衛門さん自身は演能中はあまり汗をかかないが、終演後、緊張が解けて装束を脱ぐとドッと汗をかく。なので、緊張感を持続させて、装束を脱ぎ終えるまで汗をかかないようにしないといけない。
(幽雪さんは舞台前夜から水分摂取をセーブされていたとのこと。)

袴:跨いで履くと切腹の作法になるので、袴を跨いで履かないようにと教えられた。

脱装束の染物(後染?)は、水衣や素襖・直垂など比較的薄いものに使われる。それ以外は、織か縫。友禅染めの装束はごくわずかで、あったとしても太筆でザっと描かれたような、友禅としてはあまり良いものでない装束が多い。

装束は人が思うほど重いものではない(せいぜい10キロ、歌舞伎装束のほうが重い)。しんどいのは、能面をつけることと、紐を強く締めること。紐を強く締めるので、身動きがとれなくなり、重く感じる。

半切の後ろにはゴザを入れているが、大口は全部織物で、裏(後ろ?)が畝織になっている。

装束の管理:相続の際に散逸するのを防ぐため法人化したが、一長一短がある。自分で新調しても法人に寄付することになるため、自分が使う時もレンタル料を払わないといけないというパラドックス……。

装束で大事なのは風合い。役に応じた柔らかさと硬さ。適度な風合いを持つ装束をつくれるのは、西陣でも5~6軒くらい。

装束にアイロンを使うと、金銀箔が変色し、装束の寿命が縮む。

《小鍛冶》の輪冠狐戴は付くときと付かないときがある。

一調の太鼓:七五調の十二文字に対し、八拍子の十六拍を当てはめてゆくのが通常の太鼓。一調では二拍になったり、四拍になったりとわざとシャッフルして変化球を投げてくる。今どこに手が来ているのか、わからない。だいたい、苛められるのは謡のほう。

一調で謡う《杜若》について:業平の恋の遍歴の相手の女性に次々と変化していく。こういう曲は能ではほかにはなく、どちらかというと歌舞伎の《娘道成寺》のような感じに似ている。

《天鼓》は隕石落下からインスピレーションを得て作曲された!






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