2018年10月10日水曜日

奈良豆比古神社の翁舞

2018年10月8日(月)20時~21時 奈良豆比古神社・拝殿
奈良坂を歩くからのつづき


秋季例大祭の宵宮祭で行われる翁舞。
はじめてうかがいましたが、東京や名古屋など遠方から観覧にいらした方々も多く、境内は老若男女でにぎわっていました。

奈良豆比古神社の翁舞は、三人の翁による立合があるなど、能《翁》の古態をとどめるとされています。

現行の能《翁》との形式上の違いもさることながら、今回拝見して感じたのは、翁も三番叟も、意識が「地」に向き、大地に根ざしている、ということ。

「天地人の拍子」など秘説として説いた『翁の大事』が、16世紀以降、吉田神道の吉田家から観世・宝生大夫に伝授されていたことは知られていますが、おそらく能《翁》も、吉田神道の影響を受ける以前は、「天地人」の「天」への意識は今ほど強くなく、もっと「大地」に根ざした舞だったのではないでしょうか。



本殿は、中殿に平城津比古大神、左殿に春日宮天皇(志貴皇子)、右殿に春日王を祀る

奈良豆比古神社の祭神は、産土神の平城津比古大神(奈良津比古大神)、志貴皇子(諡号・春日宮天皇)、春日王(志貴皇子の第2皇子)です。

伝承によると、春日王(田原太子)が「白癩」にかかった際、春日王の2人の王子が春日神に病気平癒を祈願して舞い、父の病を癒したのが起源とされます。
(この伝承については、奈良坂という土地や《翁》の起源とも関係が深く、別記事「奈良坂を歩く」で考察しています。)




奈良豆比古神社の翁舞の構成は、
(1)拝礼・着座→(2)前謡→(3)千歳の舞→(4)翁太夫の一人舞→(5)大夫+脇二人による三翁の相舞→(6)三番叟の前舞(揉ノ段に相当)→(7)三番叟と千歳の問答→(8)三番叟の後舞(鈴ノ段に相当)、となっています。

つまり、「能《翁》の翁の舞に対応する部分(1)~(4)」と、「三番叟の舞に対応する部分(6)~(8)」の間に、「(5)三翁の立合」が入る、という構成です。

また、(7)の三番叟と千歳の問答も《翁》の古態と残すといわれ、そのほか、細かい部分で、奈良豆比古神社翁舞ならではの特徴が見られます。

以下、順を追って見ていくと。。。

(1)-1 拝礼
夜7時半ころ、篝火がたかれ、神主(代理)が祝詞を奏上。
8時になると、笛・小鼓・地頭・地謡・脇・三番叟・千歳・大夫の順で、「渡り床」と呼ばれる橋掛りのような廊下を渡って拝殿に至り、正面の本殿に向かって一人ずつ拝礼します。

拝礼の仕方は、能《翁》のシテのように烏帽子が着くくらい深々と下げるのではなく、大夫も他の演者と同じで、片方を立膝にしたまま頭を下げます。




(2)前謡
画像右手が、正面の本殿がある方向。
着座の並びは、向かって右端から、千歳、翁太夫、その隣四人が地謡、左端が笛方。
画像では見えませんが、笛方の斜め隣、本殿に正対する拝殿後方に小鼓2丁。
こちらに背を向けている2人が脇、脇の隣が三番叟、大鼓、となっています。

一同が着座したら、
大夫「とうとうたらりたらりら、たらりあがりららりとう」
地謡「ちりやたらりたらりら たらりあがりららりとう」
と前謡が始まります。

この辺りの詞章は、現行の能《翁》とそれほど変わらないようでしたが、節がまったく違っていて、もっと平板で素朴な感じです。



(3)千歳の舞
「鳴るは瀧の水、鳴るは瀧の水、日は照るとも」で、千歳の舞が始まります。
千歳は13歳前後の少年が舞うという決まりとのこと。

能《翁》の千歳の舞のように、タタタタタという特徴的な足拍子や袖を巻く所作はありましたが、キビキビとした跳躍的要素は少なく、いかにも神聖な儀式という雰囲気。

千歳の頭に巻いている紐のような飾りが、頭頂部で2本立っているところなど、本殿の千木を思わせます。

もしかすると、稚児である千歳は神の依代であり、生きた社殿として神降しをするために舞う、という意味合いがあるのかもしれません。




(4)翁太夫の一人舞
千歳舞につづくのは、翁大夫による一人舞。
この翁面は室町時代のもので、ふだんは奈良豆比古神社のほかの古面とともに、奈良国立博物館に移管されているとのこと。


(4)翁の一人舞

この翁の一人舞の詞章も、通常の能《翁》の詞章とさほど違いはないのですが、変わっていたのは、上の画像のように、三番叟の鈴ノ段のような、片手を腰にあてて、もう片方の手を下に差し出す田植えのような所作がしばしば入ること。

やはりこうした民俗芸能としての《翁》は、天下泰平国土安穏も大事ではあるけれど、それよりも農耕儀礼・豊作祈願のほうがより身近で切実な願望だったことが、舞の所作からもよく分かります。





(5)三翁の立合

大夫の一人舞に、脇2人が加わり、奈良豆比古神社翁舞の最大の特徴である「三翁の立合」が始まります。

現行の能《翁》にも、小書「十二月往来」「弓矢立合」「父尉延命冠者」「船立合」など、複数の《翁》による立合形式がありますが、それらは直面だったり、父尉や延命冠者の面が使われていたりするのにたいし、こちらは三人とも翁面(白式尉)を使用。

金春流の「十二月往来」が奈良豆比古神社の翁舞にいちばん近いのでしょうか(観世流の「十二月往来」は二人の翁による立合)。金春流の「十二月往来」はわたしは未見なので何とも言えませんが、今度拝見して確かめてみようと思います。

奈良豆比古神社の翁舞の三翁の立合は、画像のように、三人で本殿を向いて両腕を広げている所作がほとんど。時おり左右に身体を向けて腰をかがめる程度で、舞らしい舞はなく、本殿の神々に向かって予祝的な文言を奏上するのがメインという印象でした。




(6)三番叟の前舞(揉ノ段に相当)
翁太夫と脇二人が退場する翁帰りのあと、三番叟の前舞が始まります。
軽快な跳躍、大鼓の威勢のいい掛け声や「オンハー」という三番叟の掛け声、両袖を巻き上げて肩に担ぐような型など、能《翁》の揉ノ段に共通する要素もある一方で、
画像のように体を左右に傾けたり、体を横にゆすったりするなど、なんとなくおサルさんっぽいコミカルなしぐさも見受けられます。

よく指摘されるように、猿楽の芸に近似しているといわれる修正会・修二会の芸態を受け継いでいるのかもしれません。



(7)三番叟と千歳の問答
前舞につづっく三番叟と千歳の問答は、現行の大倉流・和泉流にはない文句。
天野文雄先生の『翁猿楽研究』によると、車大歳神社の翁舞や観世座年預系《翁》詞章に類似しており、年預(地方の大夫)の《翁》の影響を受けているとのこと。

所作も変わっていて、三番叟が問いかければ、千歳は正面を向き、千歳が問いかければ、三番叟が正面を向く。両者が向き合って問答をすることがないことから、ここにも翁舞の古態が残されているといわれています。




(8)三番叟の後舞(鈴ノ段)に相当
問答が終わり、鈴を三番叟に渡すと、千歳は退場。
いよいよ後舞(鈴ノ段)へ。
後舞では、鈴ノ段に特徴的な「種まき」や「面返り」のような型が見られ、さらに激しく身をくねらせる動作も入ります。

笛も独特で、素朴だけれど、すこし魔的な、マジカルな音色がなんとも素敵でした。




最後は、ふたたび演者が一人ずつ拝礼し、「渡り床」を渡って、戻っていきます。



記念にいただいた冊子と護符


奈良豆比古神社の翁舞、堪能しました。
それにしても、古い面・装束の保存状態の素晴らしいこと!
翁講中や氏子の方々が、いかにこのお祭りを大切にされているのかが伝わってきます。
こうして継承し、続けていくのは並大抵のご苦労ではないと思いますが、どうかこれからも末永くつづきますように。

ありがとうございました!!










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