2018年10月19日金曜日

仙洞御所~御所・離宮・参観第1弾

2018年10月17日(水)15時30分~16時10分 京都御苑内・仙洞御所

少しずつ色づきはじめた仙洞御所

宮内庁に参観を申し込んで行ってきました。
退位した上皇・院が住まわれた仙洞御所。「仙人の住処」という意味の「仙洞」から、この名がつけられたといいます。
(今上天皇の譲位後のお住まいも「仙洞御所」と呼ばれますね。文化庁も京都に移転することだし、いっそ、こちらにお住まいになればいいのに。)

度重なる火災で、現在では庭園と2つの茶室が残るのみですが、往時は台覧能なども盛んに行われ、庭園内には小野小町と大友黒主の有名な歌合せで例の草紙を洗ったとされる「草紙洗の石」もあります。
(この仙洞御所が後水尾天皇の御所として完成したのは1630年。年代が違うから、実際に草紙を洗った場所ではないのでしょうけど。)

作庭は作業奉行だった小堀遠州ですが、改修拡張などにより、遠州が手がけた当時の遺構はごくわずかしか残っていないそうです。



北池にかかる石橋
 ↑仙洞御所の庭園は橋がとても美しく、心が和みます。

この石橋の北側の淵は「非蔵人淵」と呼ばれ、「恋路のあやまちありて、ここへ入水せし」、とされています。
どこか《恋重荷》を思わせますが、蔵人見習いの非蔵人はおそらくまだ若い男性だったのでしょう。いつの時代も、恋は魔物……。
こういう静かな庭園のなかに、いにしえ人の熱い情念が感じられるのもロマンティックです。





醒花亭(せいかてい)
↑あでやかな朱に塗られた土壁に杮葺屋根の茶屋「醒花亭」は、当御所内最古の建物。
「醒花亭」の名は、李白の詩「夜来月下に臥し醒むれば花影雲飛して人の襟袖に満つ。雅なること魄を氷壺に濯ぐが如し」に由来します。
(内部にはその扁額がかかっているとのこと。)

その名の由来の通り、侘び寂びというよりも、華麗で雅な印象の茶室です。





醒花亭茶室内部
↑付書院の違い棚は、稲妻形の障子がはめこまれた斬新なデザイン。
土壁の朱とあいまって、モダニズム建築を彷彿とさせます。





柿本社
↑万葉の歌聖・柿本人麻呂を祀った神社。
詩歌を好む文化人だった御水尾天皇の趣味がうかがえます。




八つ橋
↑ 『伊勢物語』の八つ橋に由来するこの橋は、その名の通り稲妻形のジグザグにつながれた石橋。以前は木橋だったといいます。
橋を庇のように覆う藤棚がみごと。
藤花の季節にまた訪れたいですね。





州浜
↑いかにも王朝庭園らしい優美な曲線を描く州浜。

州浜の玉石は、小田原藩主の献上。海岸の石を領民に集めさせ、石一個につき米一升を与えたことから「小田原の一升石」と呼ばれたそうです。




小田原の一升石
石一つにつき米一升で集めさせただけあって、ひとつひとつの石がとても美しい。
大きさはなるべくそろえているけれど、形・色・模様がひとつずつ違っていて、それぞれの個性を感じさせます。




紅葉橋
↑紅葉の季節にはまぶしいくらいの美しさでしょう。
(紅葉シーズンは早くから参観の予約が埋まってしまいます……。)

橋の下では、カモさんたちが楽しそうに泳いでいました。





又新亭(ゆうしんてい)
↑明治17(1884)年に近衛家から献上された茶室「又新亭」。
当時、近衛家には裏千家十一世玄々斎が出入りし、この又新亭も、裏千家の茶室・又隠(ゆういん)の写しだそうです。玄々斎好みの茶室ですね。

上の画像からは見えませんが、茶室の急勾配の茅葺屋根と、他の部分の緩やかな杮葺屋根が調和して、趣きのある侘びた佇まいになっています。

それにしても、修復の跡がまったく見えないので、ここ数か月の地震・台風・大雨でも無事だったのでしょうか。
一見、脆そうに見えてじつは耐久性が高いのか、修復技術が高いのか、それとも宮内庁が全力で守り抜いたのかは定かではありませんが、無傷に見えるのが驚きです。







↑又新亭の丸い下地窓。
細竹と木材を格子ではなく、破れ井桁に組んだ瀟洒なデザイン。








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