今年4月に奉納された神戸観世会ののぼり旗 |
湊川神社神能殿は、言わずと知れた神戸観世会の牙城。
もう二週間も前のことだけれど(更新が追い付いていない)、下川宜長師のお社中会・下川正謡会にうかがいました。
湊川神社境内 |
ひっきりなしに観光バスが停まり、参拝者があとを絶ちません。
楠木正成と、観阿弥・世阿弥とのつながりを示す系図 |
能楽堂を入って正面には、世阿弥と楠木正成のつながりを示す系図のパネルが。
これは、楠木正成の妹(大楠公妹御前)が観阿弥の母で、世阿弥の祖母であるという説にもとづいています。
表章をはじめ一部の研究者は、この説に大いに異を唱え、かつては梅原猛と侃侃諤諤の議論が交わされたようです。
(これについては、表章著『昭和の創作「伊賀観世系譜」梅原猛の挑発に応えて』に詳しい。)
ともあれ、湊川神社の祭神・楠木正成と観世宗家・鹿島守之助(鹿島建設)との血縁関係説にもとづいて建てられたのが、この神能殿なのです。
地裏の壁には神棚が |
この能楽堂の大きな特色のひとつが、地裏側の壁に神棚があること。
また、舞台の四方には、注連縄が正月だけでなく常時はりめぐらされています。
観阿弥・世阿弥を祀る神棚のアップ |
神棚に祀られているのは、中央が楠木正成の妹(大楠公妹御前)、両脇が観阿弥之命、世阿弥之命の三柱。
神棚と御幣 |
神棚の前に、御幣が見えますでしょうか。
神能殿では、能楽は御祭神に奉納するものという考えから、上演に先立ち、祈誓謡「使命(よさし)」がつねに奏上されるそうです。
大曲の観世会館から移設された能舞台 |
観世会は明治前半まで梅若の舞台で演能していたましたが、明治33年、おもに三井家の寄付で東京大曲に観世会館を建設。
その大曲にあった能舞台が25世観世宗家の篤志により、1972年、ここ神戸の地に移設されたそうです。
総桧造りの檜皮葺入母屋破風屋根の舞台。
鏡板の老松は、川合玉堂監修、今中素友筆。
ロビーの世阿弥像 |
さて、下川正謡会ですが、神戸観世会はまったく未知の世界で新鮮でした。
ご出演された囃子方さんは、
笛・斉藤敦、小鼓・古田知英・高橋奈王子、大鼓・辻芳昭、太鼓・中田弘美
太鼓の中田弘美さん以外ははじめての方ばかり。
地謡のプロ能楽師さんも、初見。
番組には地謡のお名前が記されていなかったので、まったく覚えられず残念。
なかに、福王和幸さんに似たクールビューティーな方がいらっしゃいましたが、神戸の上田姓だから、おそらく御親戚でしょうか。
社中の方々も皆さん、うまい方ばかり。
某著名文化人(西本願寺降誕会でもお見かけした)も素謡と舞囃子にご出演されていて、舞囃子の小鼓はもちろん、奥様。
御二方とも、存在感のある方々で、舞台がいっそう華やいでいました。
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