《神歌》翁 井上裕久
千歳 林本大
地謡 生一知哉 吉井基晴
今村哲朗 山田薫
仕舞《高砂》 生一知哉
《梅枝》 塩谷恵
吉井基晴 今村哲朗
藤井丈雄 上野雄介
能《大典》シテ天津神 山階彌右衛門
ツレ天女 山中雅志
ワキ勅使 原大 原陸 久馬治彦
斉藤敦 清水皓祐 辻雅之 上田悟
後見 生一知哉 塩谷恵
地謡 井上裕久 吉井基晴 林本大
佐野和之 藤井丈雄 大久保勝久
ワキ働キ 有松遼一
ふだんはブライダル会場に使われる吉祥殿・明石の間で上演された天皇御即位奉祝能(会場内は撮影禁止なので舞台の画像はありません)。
300席ほど用意されていましたが、立見客もギッシリで、すし詰め状態。観客の総数は500人を超えていたでしょうか。
吉祥殿の階段の壁にはあの詞章が。 |
お目当てはもちろん、改元がないと上演されない稀曲《大典》。
内容は、勅使が平安神宮で即位大典の奉告祭を行うと天津神と天女が現れ、即位を祝して舞を披露するというもの。この日の上演時間は40分ほど。
(なので演能が許されるのは、観世宗家御兄弟や片山家当主といった限られた人なのかもしれません)。
大正天皇の即位に際し、日露戦争と第一次大戦のはざまにつくられたこの曲は、いわゆる観梅問題で揺れた能楽界の激動期につくられた曲でもあります。
当時の思想を反映して、詞章には「戎狄蛮夷」「忠実勇武の民」「国威を発揚」といった差別用語や軍国主義的な言葉が並んでいますが、この日は元の詞章のまま上演されました。
7月に横浜能楽堂で片山九郎右衛門さん・味方玄さんがシテ・ツレを舞われる際には、舞台を平安神宮ではなく伊勢神宮に変え、詞章も現代に合うものに変更するとのこと。舞や音も新たに作り直すそうなので、きっと令和らしい、素晴らしい舞台になることでしょう。
以下は、細かい部分の自分用のメモ。
吉祥殿ロビー |
大小前に一畳台と社殿の作り物。なかにはシテ。
(1)ワキ勅使、ワキツレ従者の登場
天皇即位の奉告のために、勅使と従者が平安神宮にやって来る。→舞台を「住吉大社」に変えてもよかったかも。
ワキの登場楽・次第の斎藤敦さんの笛が美しい。この日の上演では笛がいちばんよかった。
そして、ここの詞章がとってもタイムリー。
たとえば、地謡「悠紀・主基(ゆき・すき)の御田も穂に穂をさかせつつ……黒酒白酒も数々の甕に溢るるばかりなり」は、大嘗祭で使われる神饌、つまり、亀卜で選ばれた悠紀・主基2つの地域で収穫された米と、その米から作られる黒酒・白酒について謡ったもの。
悠紀・主基については最近のニュースで初めて知って、「中国・殷の時代に盛んだった亀卜が現代の日本でも行われるの?!」と家族でびっくりしたくらい。だって、凄いじゃないですか。あの、遺跡から発掘され、博物館でしか観たことのない亀甲占いが、現代も行われているなんて!
住吉大社にも、神功皇后が設けたとされる御田があり、毎年6月に御田植神事が行われます。亀卜で選ばれるといいな。
(2)天女の舞
勅使たちが報告の式を無事に終え、社殿に向って伏し拝んでいると、かぐわしい香りが漂い、瑞雲がたなびき、妙なる音楽が聞こえてきて、天女が現れます。
天女の出立は、鳳凰白地舞衣に緋大口、黒垂、鳳凰天冠、唐団扇。面はツレ面ではなく、シテ級の超美形の増。
ツレの山中雅志さんは初めて拝見するけれど、円熟期の能楽師さんらしい、安定した舞。袖の扱いもうまい。
(3)神舞
天女が舞い終えると、社殿がにわかに振動して、御神体が現れるのですが、なんというか、最初から社殿の作り物がずーっと揺れっぱなしで、鳴動しすぎな感じも……。
引廻しが下ろされると、床几に掛かったシテが姿を現します。
装束は、袷狩衣(衣紋づけ)に白地の紋大口、黒頭、菊花(天皇即位の舞だから?)をつけた透冠。面はたぶん三日月。
シテは神舞を舞い、最後は天女が二の松で、天津神が常座で左袖を同時に巻き上げ、シテの留拍子。
見せ場をクローズアップした華やかな舞台。
改元早々に拝見できて、貴重な体験でした。
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