2019年1月13日(日)11時~17時45分 京都観世会館
能《翁》シテ 大江又三郎
千歳 樹下千慧 三番叟 茂山忠三郎
面箱 井口竜也
杉信太朗 吉坂一郎・清水皓祐・荒木建作
谷口正壽 井上敬介
後見 浦田保浩 大江信行
狂言後見 鈴木三の津 山口耕道
地謡 杉浦豊彦 古橋正邦 河村博重
吉浪壽晃 分林道治 田茂井廣道
梅田嘉宏 河村和晃
能《難波・鞨鼓出之伝》シテ尉/王仁 青木道喜
ツレ男 河村浩太郎 ツレ木華開耶姫 浦部幸裕
アイ梅の精 松本薫
狂言《鎧》果報者 茂山千作
太郎冠者 茂山千五郎 すっぱ 網谷正美
仕舞《屋島》 浦田保浩
《野守》 杉浦豊彦
地謡 橋本雅夫 橋本礒道 味方團 浦田親良
能《羽衣・彩色之伝》シテ天人 観世清和
ワキ白龍 福王茂十郎
ツレ喜多雅人 中村宜成
杉市和 林吉兵衛 河村大 前川光長
後見 片山九郎右衛門 林宗一郎
地謡 井上裕久 河村和重 河村晴道
片山伸吾 味方團 橋本忠樹
大江泰正 大江広祐
仕舞《老松》 片山九郎右衛門
《東北》 井上裕久
《鞍馬天狗》林宗一郎
地謡 武田邦弘 牧野和夫
橋本擴三郎 宮本茂樹
能《小鍛冶》シテ童子/稲荷明神 深野貴彦
ワキ三条宗近 小林努 ワキツレ橘道成 原陸
アイ宗近ノ下人 山口耕道
森田保美 曽和鼓堂 河村眞之介 前川光範
後見 深野新次郎 河村晴久
地謡 浦田保親 越賀隆之 味方玄
浅井通昭 橋本光史 吉田篤史
松野浩行 河村和貴
はじめての京都観世会初会。
1階は補助席も満席、2階も大入りの大盛況。
おもしろいのは、東京の数番立公演では、お目当ての舞台だけ観て帰ってしまう観客が多いのに、ここ京都では7時間近くの長丁場にもかかわらず、最初から最後までほぼ満席状態が続いていたこと。
京都の人って、ほんとにお能が好きなんですね。
翁付脇能《難波・鞨鼓出之伝》
新帝(仁徳天皇)誕生を寿ぐ《難波》は、今年の日本の正月にぴったりやないですか!
《翁》、《難波》、そして、武具を忘れた平和な時代を描く狂言《鎧》がひと続きになっていて、新年と新たな御代への予祝的要素が濃厚な、なんともめでたい番組構成である。(もちろん《羽衣》と《小鍛冶》も!)
わたし自身は《難波》という曲は観たことがある気がするだけで、じつは初見だと思う。しかも珍しい小書付き。これは必見だった。
京都観世会報誌『能』1月号に寄稿された天野文雄先生の論考に、観世流の小書「鞨鼓出之伝」について詳しく述べられている。
それによると、現行の観世流《難波》と他の四流の《難波》との間には、いくつかの大きな違いがあるという。
(他の四流の《難波》が原形。本来は《難波梅》という曲名だったそうである。)
観世と他流との大きな違いを以下に上げると;
観世以外の四流の《難波》
①前ジテは来序で中入
②後ジテ登場前の待謡がない(金剛のみ例外)
③後シテは〈楽〉を舞う
④装束も悪尉系の面に鳥兜といった異人の装束となる
⑤後場で鞨鼓台の作り物が出る
観世の現行《難波》(小書なし)
①前ジテの中入は来序ではなく、通常のもの
②後ジテ登場前に待謡がある
③後ジテは〈神舞〉を舞う
④面装束も邯鄲男に透冠という脇能神舞物の出立となる
⑤後場で鞨鼓台は出ない。
(中森晶三『能の見どころ』によると、観世の《難波》で神舞を舞うのは、昔、大事な催しの折に、ほかに〈楽〉の曲が出たため、脇能の《難波》を神舞物にしたためだという。)
観世の現行《難波》と他四流の《難波》の折衷案的演出として考案されたのが、「鞨鼓出之伝」だった(考案者は観世元章。明和の改正の結果、この小書が生まれたらしい)。
「鞨鼓出之伝」において、観世・小書なし《難波》と他流の《難波》の演出要素がどのようにミックスされているのかというと、
「鞨鼓出之伝」では、
(1)中入は来序ではなく、通常の中入
(観世・難波の演出)
(2)後ジテの登場前に待謡がある
(観世・難波の演出)
(3)後ジテは〈楽〉を舞う
(他四流・難波の演出)
(4)面装束は邯鄲男、透冠
(観世・難波の演出)
(5)後場で鞨鼓台の作り物が出る
(他四流・難波の演出)
となる。
ところが、
この日、京都観世会で上演された「鞨鼓出之伝」は、天野先生が解説した「鞨鼓出之伝」とは異なり、意表を突くものだった。
具体的にいうと、上記「鞨鼓出之伝」の(1)~(5)の特徴のうち、観世・難波の演出要素であった(1)(2)(4)が、すべて他四流の難波の演出に倣い、前ジテは来序で中入りし、待謡はカットされ、面装束は悪尉系の面に鳥兜の出立だった。
わたし自身は通常の《難波》も「鞨鼓出之伝」も未見だったので、今回のような他流と同じ演出法での上演はよくあることなのか、それとも京都観世会ならではの新たな試みなのかは分からない。
いずれにしろ、小書なしの観世・難波や「鞨鼓出之伝」よりも、この日の演出のほうがすっきりとして整合性がとれているように感じた。
後シテ王仁は百済出身(伝承では百済に渡来した唐人)なので、〈神舞〉よりも〈楽〉を舞うのがふさわしいし、〈楽〉を舞うのであれば、神舞物の邯鄲男に透冠という出立よりも、悪尉に鳥兜のほうがしっくりくる。
たんに既存の演出をなぞるだけでなく、再考を重ねて、曲への理解を深めたうえでの京都観世会の上演。観客にとっても、何が飛び出してくるかわからない面白さがあるし、演出意図を自分なりに探っていくと、いろいろ気づかされることがある。
【ほかに印象に残ったことを箇条書きに】
●翁付脇能なので、《翁》の後に音取・置鼓があることを期待したが、やはり京都観世会でもカットされていた(泣)。
おそらく時間の都合上だろう、致し方ない。なにしろ、《翁》と《難波》と《鎧》を休憩なしのノーカット、3時間半ぶっ続けでやっていたので、観る方も演る方も、もうこれが限界だったのだから。
とはいえ、音取・置鼓はとても好きだし、京都のお囃子で是非とも聞いてみたい。来年こそは翁付脇能の完全版を!と、切に願います。
●音取といえば、間狂言で梅の精が出てきて、笛(青葉の笛?)を吹く真似をする場面。狂言の笛を吹く真似に合わせて、笛の杉信太朗さんが、音取、ユリ、舞事の笛を吹くという演出が面白かった。
スギシンさんの笛は、最近とみに好い味わいが出てきて、音色も透き通ってきた。
●お囃子では、やはり谷口正壽さんが光っていた。三番三の揉み出しもカッコよく、この方が大鼓を打つと、舞台に覇気のある「気」が注入される。
●後ツレの木華開耶姫がラヴリー! 月輪の天冠に紅地舞衣・緑地大口というクリスマスカラー&白地摺箔着付で、紅白梅を表現したのでしょうか。
木華開耶姫は桜の女神というイメージだったけれど、考えてみれば、日本の「花」って奈良時代までは梅だったから、当然、木華開耶姫のシンボルフラワーも本来は梅だったのかもしれない。
浦部幸裕さんは謡もうまい。井上一門の方々は謡が特にいい!
●鞨鼓台は「古き鼓の苔むして、打ち鳴らす、打ち鳴らす」で、後シテがバチを持って、太鼓を打つ所作をするのに使われれる。「難波の鳥も驚かぬ御代なり、ありがたや」でも、太鼓を打つ所作。
後シテは〈楽〉の前半はバチを持って舞い、途中で扇に持ち替えて舞う。
前シテの面は小牛尉。
後シテは茗荷悪尉系の面だろうか。目尻が下がり、眉間にちょっと悲しげな、憂いのあるシワが寄っている。優しげな表情には、心惹かれるものがあった。
能《羽衣・彩色之伝》につづく
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