2018年12月5日水曜日

金剛龍謹《巴》~日本書籍出版協会京都支部・文化講演会

2018年12月1日(土)14時~16時10分 金剛能楽堂
金剛能楽堂ではなく、自宅近くの紅葉。

半能《巴》 シテ 金剛龍謹
    ワキ 有松遼一
    森田保美 林大和 谷口正壽
    後見 廣田幸稔 豊嶋幸洋
    地謡 金剛永謹 豊嶋晃嗣 宇髙竜成 宇髙徳成
    働キ 惣明貞助


金剛流で《巴》を観るのは初めて。
若宗家のお能を拝見するのも初めてだったが、印象的なお舞台で、まだ30歳くらいの方なのにさすが。長刀さばきや所作はもとより、謡が見事で、巴の思いが強く迫ってくる。



【ワキ次第→道行→待謡】
次第の囃子でワキが登場。
半能のため、ワキの次第→名乗り→道行となり、待謡に。

有松遼一さんは、たしか兼業のワキ方さんと聞いていたけれど、ハコビも謡もきれいだし、脇座でじっと座っている姿にも知的な精神性が感じられて、いい役者さんだ。


【シテの登場→ロンギでの型どころ】
後シテの出立は、唐織壺折に白大口、梨打烏帽子に白鉢巻き。手には長刀。
唐織は、美麗な花々に扇面をあしらったゴージャスな装束。
こうした絢爛な装束の選択も金剛流らしい。

面は、巴の健気な性格が強調されたような、愛らしい小面。

義仲の最期の様子が語られるロンギでは、観世流との違いが顕著だった。
(以下は、過去に拝見した片山九郎右衛門さんや味方玄さんの《巴》の型との比較。)

たとえば、薄氷の張る深田にはまって動けなくなったところ。
「手綱にすがって鞭を打てども」の箇所を、観世では両手で手綱に縋りつき、扇で鞭打つ所作であらわしていた。
金剛流では、馬に鞭打つところを、足拍子で表現。

つづく、「前後を忘じて控へ給へり」では、観世では、床几から腰を浮かせて、再び床几に掛かっていた。
それに対し、金剛では、床几から立ち上がって角へ進み、その後、後ずさりして床几のところまで戻ってから座るという、けっこう難度の高い型。


「はや御自害候へ」では、シテは、義仲が見所正面にいる体で、正先で下居して長刀を置き、「巴も供と申せば」で、両手をついてお辞儀。


義仲から形見の刀と小袖をもって木曽に届けるよう命じられると、「涙にむせぶばかりなり」で、巴はシオル。

このシオリが、額に手を近づける通常のシオリではなく、とても印象深い型だった。

シテは顔をグッとうつむけて、顔の下に手を当てる。
小面の瞳から、いまにも、大粒の涙がぽとぽと零れ落ちてくるように。

シオリの角度や位置をわずかに変えるだけで、こんなにも違って見えるなんて。

義仲と運命を共にできなかった巴の無念と心残りが、このシオリに凝集されていて、彼女の悲しみがこちらの胸に深く刻まれた。



【敵の大軍との闘い→義仲との別れ】
シテが、あざやかな長刀さばきで敵軍を追い払い、橋掛りまで攻め込んでいるあいだに、正先には白い小袖が置かれる。

一の松で振り返ったシテは、すでに自害した義仲の遺体を見つけ、驚いて、長刀を投げ捨て、正先まで戻ってくる。

「巴、泣く泣く、賜りて」で、形見の小袖を両手で掲げ、遺体をじっと見つめて暇を告げる。

が、「行けども悲しや行きやらぬ」で、立ち止まり、逡巡し、
「君の名残りをいかにせん」で、名残惜しげに振り返る。


一の松で、シテは下居して物着。
烏帽子、唐織を脱ぎ、白鉢巻きをとって、白装束となったシテは、「小太刀を衣に引き隠し」とあるように、布でくるんだ刀を左手に、笠を右手に持ち、舞台に戻って、笠を掲げながら舞うように舞台を回る。

最後は、小太刀と笠を落として、合掌。
常座で留拍子。


シテの姿から後ろ髪を引かれる思いがにじみ出た、余韻のあるラスト。
いい舞台でした。







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