さすがに師走の末ともなると観光客もまばらで、京の町は歩きやすく過ごしやすい。
この日は、空也踊躍念仏(ゆやくねんぶつ)を観に、六波羅蜜寺を訪れた。
平安中期に空也上人によって創始された踊念仏は、鎌倉時代に幕府によって弾圧され、以来800年にわたり、この寺でひそかに修されてきた。この念仏踊りが「かくれ念仏」とも呼ばれるゆえんである。
(秘儀だった空也踊躍念仏は、1970年代に重要無形文化財に指定されたのを機に一般公開された。)
寺の入り口には、お約束の「マニ車(一願石)」。
念仏踊りが行われる本堂には老若男女100人以上が詰めかけ、読売新聞や京都新聞などの取材も入っていた。
けっこう有名というか、人気なんですね。念仏踊り。
【住職による解説〕
まずは、ご住職による解説から。
空也上人の出生については諸説あるが、ご住職によると、醍醐天皇の第二皇子として生まれ、長じて出家したという。
村上天皇の御代の天暦5年(951年)、京都で疫病が流行した。空也上人は十一面観音を彫り、疫病封じを祈願。
さらには、梅干しと結び昆布を入れた「皇福茶(おうぶくちゃ」という薬湯を考案し、庶民にふるまい、疫病の拡散を防ぐべく火葬を奨励したという。
(この皇福茶は今でも正月三が日に参拝者にふるまわれ、この日も御守りと一緒に販売されていた。無病息災の効能があるらしい。わたしもお正月用に購入。)
そうした空也の尽力が功を奏して、疫病は沈静化。村上天皇はその褒美として、空也のために六波羅蜜寺の前身・西光寺を建立した。
疫病の流行は収まったものの、人々の恐怖心は癒えず、京の人々は、今でいうPTSDのようなトラウマ的うつ状態に陥っていた。
そこで空也が人々の心の傷を癒すために創案したのが、念仏踊りだった。
空也の念仏踊りは瞬く間に広まり、鎌倉期には大流行したが、民衆の団結力を恐れた幕府がこれを弾圧。念仏踊りは地下に潜り、「かくれ念仏」として一般の目に触れることなく、この寺で、ひそかに執り行われてきた。
そうした背景から、空也踊躍念仏には以下のような特徴がある。
(1)「南無阿弥陀仏」という言葉を、聞かれても分かりにくいように「モーダーナンマイトー」という、意味不明な響きに変えている。
(2)誰かが来てもいつでも中止できるよう、言葉に終わりが決められていない。ゆえに、唐突に終了する。
(3)般若心経などの普通のお勤めのなかに、念仏を紛れ込ませている。
住職の話によると、この念仏踊りには、罪業消滅の功徳があるとのこと。
「この日集まった一般の皆さんも、念仏僧とともに、モーダ―ナンマイト―、と唱えることで、一年の罪穢れを祓い、希望に満ちた良い新年を迎えましょう!」とご住職。
そんなわけで、みんなで念仏の練習をしたあと、いよいよ本番!
【空也踊躍念仏】
本堂の内陣には、大きな厨子が三つ並んで壇の上に立っている。
空也が彫ったという本尊・十一面観音は、12年に1度開帳される秘仏のため、中央の厨子のなかかどこかに納められているのだろう。
まずは、5~6人の僧侶が壇のまわりを取り囲み、十一面観音の真言と般若心経を唱える。
やがて僧侶たちは首から下げた伏鉦(ふせがね)を叩きながら、念仏を唱和しはじめた。
鉦を叩き、念仏を唱え、二歩進んでは体をかがめて静止、二歩進んでは体をかがめて静止、という動作をくり返しながら、壇のまわりをまわっていく。
さらに念仏は、例の「モーダーナンマイトー」へと移っていく。
僧侶たちは、「モーダー」で、大きく前かがみになって体を下に向け、
「ナンマイトー」で、体を上に向けて、大きく反らせる。
鉦を叩きながら、下を向いたり、上を向いたりするしぐさ。
何かの絵巻物か図絵で観たことがある。
いずれにしろ、ハードなエクササイズだ。
観衆たちも念仏に加わり、堂内は熱気を帯び、しだいにヒートアップしていく。
みんなで声を出し、単純な動作をリズミカルに繰り返す。
それだけのことだけれど、この単純な動作を集団で熱中して行うことで、鬱々とした気分が晴れ、吹き飛ばされていく。
踊念仏がもてはやされた理由が少しわかった気がする。
頭を使うのではなく、集団で声を出し、体を動かすこと。
現代のストレス対策にもいいかもしれない。
(ドグラ・マグラ風に)チャカポコ、チャカポコ。
モーダーナンマイトー、モーダーナンマイトー。
チャカポコ、モーダーナンマイトー、モーダーナンマイトー。
チャカポコ、チャカポコ。
すると、突然!
唐突に住職の絶叫が聴こえ、カン、カン、カン!と鉦が鳴り響いたかと思うと、念仏も伏鉦もぴたりとやんだ。
蜘蛛の子を散らすように、僧侶たちがコソコソと逃げ去ってゆく。
あっけない幕切れ。
これぞ、「かくれ念仏」。
最後は観衆も内陣に入り、お焼香をして御本尊をお参り。
帰りに「肌守り」をいただいた。
これが肌守り。お財布やスマホカバーに入れて、いつも持ち歩くと厄除けになるそう。
罪穢れが払われて、スッキリした気分。楽しかった。
外部の彩色は近年、塗り替えられたものなのであざやか。
阿古屋塚~玉三郎奉納につづく
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