2018年12月23日日曜日

友枝昭世の《藤戸》~大槻能楽堂自主公演

2018年12月22日(土)14時~16時45分 大槻能楽堂
西国旅情~お話、狂言《福の神》からのつづき

能《藤戸》シテ母/漁夫の霊 友枝昭世
   ワキ佐々木盛綱 殿田健吉
   ワキツレ従者 則久英志 平木豊男
   アイ盛綱の下人 善竹忠亮
   竹市学 横山晴明 白坂信行 三島元太郎
   後見 狩野了一 友枝雄人
   地謡 粟谷能夫 出雲康雄 粟谷明生 長島茂
      高林呻二 粟谷充雄 金子敬一郎 内田成信


これまで拝見した友枝昭世さんの舞台の中でいちばん好きなのが、袴能《天鼓》だった。後シテの、あの透き通るように純粋な舞姿が強く印象に残っている。

《天鼓》と《藤戸》とは、強者に我が子の命を奪われた親と、殺された子の亡霊をそれぞれ前・後シテに配置し、改心した権力者による管絃講が営まれるという点でよく似た構成でありながら、前・後シテとも、主人公たちのキャラクターはきわめて対照的だ。

わたしの勝手な思い込みかもしれないけれど、人間臭く生々しい《藤戸》は、友枝昭世さんの芸風や個性とはあまりそぐわない(要するにニンに合わない)気がするが、それを当代きっての名手がどう演じられるのか、とても興味があった。

この日の大槻能楽堂は、立見客もぎっしり詰めかけるほどの超満員。東京の見所でお見かけしたお顔もちらほら。冬至にもかかわらず、熱気に包まれていた。



【前場】
ワキの佐々木盛綱一行が登場する。
病気療養後に復帰した殿田さん、久しぶりに拝見する。復帰されて誠に喜ばしい。
しかし、まだ本調子ではなく、お辛そうに見える。以前には決してなかった絶句があるなど、かなり無理をして舞台に立たれているのではないだろうか。



〈シテの登場〉
お囃子が素晴らしい。とくに、竹市学さんの笛。
藤田流らしい吹き込みの強さ、鋭さに加えて、この方の笛には独特の翳りと繊細な趣きがあり、曲趣に寄り添いつつ、その情感を高めている。
この年代の囃子方さんで、ここまで芸位の高い人はほかにはいないと思う。
現役笛方さんのなかではいちばん好きかもしれない。


一声の囃子の竹市さんの笛に聞き惚れていると、気がつけば、シテがすでに一の松まで来ていた。

まったく気配を感じさせないし、身体は不動を保っているのに、全身から激しい勢いが感じられる。
まるで、訴訟に来た群集をかき分け、息せき切って、盛綱の前に出たような強い勢い。
「よくもっ! よくもっ!」という激しい感情がメラメラと立ち昇っている。



〈シテの訴え〉
息子を殺して海に沈めただろう!と詰め寄る母親にたいして、シラを切る盛綱。

あなたに浅瀬を教えて、殺されたのは、「まさしき我が子にて候ふものを!」と、シテは語気を強めて、盛綱に迫る。


わが子を返せと詰め寄るところでは、
「なき子を同じ道になしてたばせ給へ」と、シテは自分も殺してほしいと、ワキの右側に向かって突き進むが、わけもなく跳ねのけられる。

さわに、「我が子返させ給へや」で、ワキのほうへ左手をつよく突き出し、狂乱のあげく、モロジオリ。


(本公演冒頭の村上湛氏のお話によると、片山幽雪師はこの場面で、ワキの刀をねらって突進していくとおしゃっていたという。
その刀で相手を刺すのか、それとも自分を刺すつもりなのかわからないが、「殺気をもって行かなあかん」、というのが幽雪流のやり方だったらしい。)


わたしの席からはワキに向うシテの後姿しか見えなかったため、殺気までは感じ取れなかったが、友枝昭世さんにしては珍しいほど、リアルで写実的な、はげしく強い感情表現だったと思う。



〈流儀による詞章の違い〉
番組と一緒に喜多流の詞章も配布された。
観世の詞章と比較してみると、けっこう違っていて面白い。(*付記参照)



【後場~友枝昭世の本領発揮!】
〈後シテ登場〉
下掛りでは太鼓が入るため、後シテの登場楽は、一声ではなく、出端になる。
太鼓の入った出端のほうが管絃講らしく聴こえる。

揚幕が上がると、冷たく、暗い水底から、漁師の亡霊がぬるりと浮かび上がり、そのまま水面をすべるように、陰々とした昏さで橋掛りを進んでいく。

ああ、このハコビ。
やっぱりこの方は、こういう、この世ならぬ存在のほうがしっくり合う。


後シテの第一声も、観世のものとは違っていた。

「うたかたの、哀れに消えし露の身の、何に残りの心なるらん」

陰鬱な声と謡。果てしないほどの「うかばれなさ」。


痩男の面は、アゴを出さずに顔をすっぱりと覆うようにつけられ、シテの身体・魂と面・装束が完全に一体化し、漁師の亡霊が水にぐっしょり濡れたまま舞台に現れたかのような錯覚を起こさせる。
げっそりと落ちくぼんだ眼窩には暗い光が宿り、シテの身体が向きを変えるごとに、目玉がギョロギョロと動いているように見える。

両生類のように粘着性のある、恨みがましい姿。

殺害場面の再現で身体を刺し抜かれる場面では、刀に見立てた竿で突きさす所作を、グサッグサッと写実的に演じるのではなく、映画の回想シーンでスローモーションがかかったような映像芸術的表現。

そこから浮きぬ沈みぬ流されて、水底に沈んでいく型の哀れさ、悲しさ。

陰隠滅滅たる、底なしの怨みの淵に観客を引き込んでおいてから、
最後の、「彼の岸に至りて」で、竿をパッと放す。

その瞬間、
シテの身体がふわっと軽くなったように見え、漁夫の魂が怨みの苦悩から、ふっと解放されたのが感じられた。

最後は、「成仏得脱の身と成りぬ」で、合掌。



この解脱の瞬間の表現が、とりわけ見事だった。




*付記
たとえば、漁師を殺したことについて、最初はシラを切っていた盛綱が、やがて認めて、しだいに母親に同情的になるところ。
観世の詞章では、盛綱は「あら不憫や候」とか、「かの物の跡をも弔ひ、妻子をも世に立てうずるにてあるぞ」など、憐みの言葉や、遺族の面倒を見ることなどを口に出して伝えている。

それにたいして、喜多流の詞章では、そうした言葉は盛綱の口からは出ず、地謡によって「うつつなき有様を見るこそ哀れなりけれ」と謡われたり、母親を送り届けるアイの下人を通して間接的に伝えられたりするのみである。

つまり、喜多流の詞章だと、改心していく盛綱の心の軌跡が見えにくく、なぜ、あれほど強く詰め寄っていた母親が、急におとなしくなって、下人とともに家に帰るのかも分かりにくい。

おそらく、喜多流の詞章のほうが原型に近く、観世の詞章は分かりにくさを解消するために、のちに改訂が加えられたのかもしれない。







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