2016年8月9日火曜日

片山九郎右衛門の《野守・白頭》~観世会定期能八月

2016年8月7日(日)         梅若能楽学院会館
観世会定期能八月~《半蔀》からのつづき

能《野守・白頭》 シテ野守ノ翁/鬼神 片山九郎右衛門
       ワキ山伏 宝生欣哉
                アイ春日ノ里人 野村虎之介
       杉信太郎 曽和正博 守家由訓 観世元伯
       後見 関根祥雪→山階彌右衛門 武田尚浩 坂口貴信
       地謡 野村四郎 林喜右衛門→休演 岡久広 井上裕久
        高梨良一 小早川修 坂井音雅 武田文志 武田宗典




こういう演出が元々あったのか、それとも九郎右衛門さんの考案なのか、わたしのような観能番数の少ない素人にはわかりませんが、とにかく鮮烈で衝撃的なクライマックス。
十世片山九郎右衛門という人の大きさ、可能性に、またひとつ触れた気がした。


【前場】
草の生えた塚の作り物が大小前に出され、次第の囃子でワキの山伏が登場。

出立は篠懸、水衣、白大口。手には緋と緑(紺?)の房のついた苛高数珠。
この日の欣哉さんは心なしかいつもより力が入って、緊張している御様子。
(とりわけ今夏は九郎右衛門さんとの共演が多い。)




幕が上がり、ゆっくりと間を置いてからシテが姿を現すと、舞台の空気の色が替わり、気温がキュッと下がって、場が引き締まるのを肌で感じる。



それは、上下のブレがまったくない美しいハコビのせいでもあるが、水鳥が薄氷を歩くような独特の杖の突き方が、現実の人間でもなく、亡霊でも魔物でもない、そう、この世の何ものでもない「狭間の存在」めいた印象を観る者に与えるからでもある。





茶水衣肩下に無地熨斗目着流。面は朝倉尉だろうか。
どちらかというと小牛尉に近いような気品のある尉面に見えた。

「白頭」の小書つきなのでシテの一声のあと、サシ・下歌・上歌は省略され、いきなりワキが野守の鏡について尋ね、シテ・ワキの問答に入る。




初同の「立ちよれば、げにも野守の水鏡」で、シテは正中へ進み、ワキは脇座に座り、
「影を映していとどなほ」で、シテは正先にあるとされる水鏡をのぞき込み、
「老いの波は真清水の、あはれげに見しままの」で、老いの身を嘆くように数足下がり、
「昔のわれぞ恋しき」と、若き時代を懐かしむ。





《野守》のモティーフとなった「箸鷹の野守の鏡得てしがな、思ひ思はずよそながら見ん」は古今集・恋に収められた歌で、本曲全体に春日野ののどかな情景とともに華やかな恋の香りがほんのり微かに漂っている。



野守や春日野を詠んだ恋の歌は、万葉集や古今集にいくつかあるけれど、わたしは『伊勢物語』の「初冠」で昔男が美しい姉妹に贈った「春日野の若紫のすり衣しのぶの乱れかぎり知られず」を思い出す。




そして九郎右衛門さん扮する野守ノ翁は、かつては恋多き「昔男」として名を馳せた在原業平の老いた化身であるかのような、品のあるやわらかな艶やかさを感じさせたのだった。





正中下居のときに杖を置き、袖をさばく所作がことさら丁寧で美しい。
こういうところは日常の心がけ、行住坐臥から違うのだろう。
この方の舞台を拝見するにふさわしい人間になるべく、心に刻みつけておきたい。





【後場】
中入で、塚の作り物なかで物着。

ノットの囃子に合わせて、ワキが緋房を前に出しつつ苛高数珠を押し揉み、塚に向かって祈祷する。

そこで太鼓が入って出端の囃子。
ずっと待ち望んでいた九郎右衛門さん×元伯さんの組み合わせ。
わたしがこのお二人のファンになったのも、(そして能の舞台を観て初めて感動したのも)、二年前の《邯鄲・夢中酔夢》を拝見したのがきっかけだった。
わたしにとっては素晴らしい舞台を生み出すミラクル・コンビなのだ。




太鼓の音色と掛け声によって「天地を動かし鬼神を感ぜしめ」るような神秘的な空気がたちこめ、塚のなかから地の底から湧き上がるように何ものかの声が響いてくる。


やがて囃子が急調に変わり、テンポよく引廻しが下ろされると、丸い鏡を楯のように持った鬼神が力強く正中へ飛び出す。




面はたぶん白癋見?
眉間などに朱が入れられていて、さながら歌舞伎の隈取のような迫力みなぎる表情だ。

それに反して出立は法被はつけずに、厚板に半切という意外なほどの軽装なのだが、この理由はのちに判明する。



「台嶺の雲を凌ぎ」での足拍子は天地を鳴動させる重厚感。
とはいえ、決して荒々しくはなく、
神秘の鏡を司る鬼神の品格を感じさせ、脳に心地よく響く不思議な振動を伴っている。



「白頭」の小書により舞働はカットされ(残念!)、
「東方」から「降三世明王もこの鏡に映り」につながり、
《翁》のように天地人の順で鏡を照らしていく。


「南西北方を映せば」で、鏡を幕方向に向け、
「天を映せば」で、水平にした鏡をお盆を持つように両手で持って上方に向け、
「さて大地をかがみ見れば」で、角にて目付柱の下方に鏡を向け、
そこから一転地獄の様子を再現し、
「罪の軽重罪人の呵責」で、軽妙な足拍子を連続で踏み、
「打つや鉄杖の数々」で、右手で打つ所作、
さらに「さてこそ鬼神に横道を正す、明鏡の宝なれ」で、脇座前に行き、ワキの顔を鏡で照らして、その鏡をワキに差し出す。


そして、
「すわや地獄に帰るぞとて」から囃子が一気に急調に転じ、
シテの動きも激しくなり、舞台は劇的に変化。


正中での飛び返りで、シテの身体が宙に浮いたかと思うと、そのまま精巧な軌道を描いて、塚のなかに吸い込まれるように作り物の中央にピタリと着地。 

鮮やか! 見事! 神業!


囃子の背後で身構えていた後見二人がサッと飛び出し、引廻しで塚を覆って終焉。



見所一同が「あっ!」と声にならない叫びをあげ、息を呑んだ瞬間だった。


(あの汗だくになった限られた視界で、あの狭く低いポールの間を少しもずれることなく、飛び返りですり抜けるなんて! 後シテの出で塚から飛び出してきたのを巻き戻すような演出――カッコよすぎる!!)



その後、シテは塚から出ることなく、作り物とともに幕のなかに運ばれていったのだった。





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