2016年3月23日水曜日

神遊 20周年第50回記念 最終公演《姨捨》後場

神遊 20周年第50回記念 最終公演《姨捨》前場からのつづき

能《姨捨》シテ里女/老女 観世喜正
     ワキ都人 宝生欣哉 ワキツレ大日方寛 御厨誠吾
     アイ里人 山本泰太郎
     一噌隆之 観世新九郎 柿原弘和 観世元伯
     後見 観世清和 観世喜之 奥川恒治
     地謡 梅若玄祥 観世銕之丞 片山九郎右衛門 山崎正道
        馬野正基 味方玄 坂真太郎 坂口貴信


【一声
幕があがり、その空間の裂け目から白い蝶が羽化するように、
ゆっくり、そうっと、そうっと、
神聖な儀式のごとく厳かに歩みを運び、後シテの老女が現れる。


喜正さんの御本を拝読した時から憧れていた廿八宿星長絹が、
金色の月の光を受けてみずから耀き、
銀泥で捺染された星々が神秘的な光を放っている。


その息を呑むような美しさはゴッホの《ローヌ川の星降る夜》を思わせる。
冷たく蒼い星空が美しければ美しいほど画家の孤独や悲しみが際立つように、
老女の姿が光り輝くほど、彼女の言い知れぬ胸の内が偲ばれる。


蜻蛉の翅のように儚く透き通る、繊細な白い紗の長絹。

矢来観世家が銕之丞家から分家する際に贈られたという明治期のこの装束は、喜正さんには裄丈が短く、肘・膝をかなり折り曲げたまま着けていらっしゃるのかもしれないけれど(これは肉体的に相当大変なことだと思う)、観ていて違和感はなく、装束と姥の面をつけた後シテは、更級の月の精のように清らかな老女が舞台に顕現した姿に見えた。



【クリ・サシ・クセ
老若男女・貴賎を問わず、世界をあまねく照らす無辺光の有り難さ。

強吟・弱吟を織り交ぜて謡いあげられた極楽浄土の世界。
最強の地謡陣の謡によって観る者の五感が刺激され、
玉の楼閣を吹き抜ける糸竹の調べや
宝の池を縁取る並木の花々と芳香、迦陵頻伽の妙なる声が、
仮想現実のように浮かび上がる。


老女が語った浄土のありさまは、
凍死寸前のマッチ売りの少女がマッチを擦って見た光景のように
老女が飢えと孤独と衰弱のなかで目にした幻影のようにわたしには思われた。



序ノ舞
「昔恋しき夜遊の袖」で太鼓が入り、
その音色が雲間から射す月光のように凛然と響き渡ると、
場の空気がいっそう静まり、舞台が別の次元へと高められてゆく。


5人の20年が結晶した序の舞の「序」。
それぞれがそれぞれに呼応し、
脈動するようにほんの少し上下するシテの足先が、
老女の幽かな生命力をほのめかすよう。


二段に入り、シテは角で扇を左手に持ち替え、
そのまま左に回りこんで太鼓前で安座。
左手に抱え込んだ開いた扇に、水鏡のように月を映し込み、
しばしうっとりと眺め、陶然とした表情を浮かべる。

やがて扇に映じた月のなかに
幼い甥を育てた日々が浮かび上がったかのように、
懐かしげに扇をじいっと見入る。


そして、扇から顔をそむけるように右(脇正)を向いて、
絶望とも諦念ともつかない、名状しがたい表情を浮かべる。
月の満ち欠けのごとき世の無常、人の心の移り変わりを受け入れつつも嘆き、
やるせない妄執の念に苦悶するかのように。


この弄月之型で姥の面は奇跡のように息づき、
雄弁な表情で、見る者の感情と想像力をさまざまに掻き立てる。

無機物を有機的に操るシテの精妙な面の扱いに圧倒された。
老女が浮かべたあの表情は今でも胸を締めつける。


満点の星空のもと、
手が届きそうなほど大きくて近い姨捨山の月に照らされて
老女は静かに舞う。

悲しくて、孤独で、孤独で、孤独で、そして幸せな境地。



やがて空が白みはじめ、老女の姿は薄らいで透明になり、
立ち去る旅人たちを彼女はひとり見送る。


ひとり捨てられて老女が
昔こそあらめ今もまた姨捨山とぞなりにける


老女は正中ですうっと静かに下居して、
両手を前で合わせて終演。




ありがとう、そして、
さようなら、神遊。








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