●能《浮舟》 シテ 柴田稔
ワキ 大日方寛 アイ山本則重
栗林祐輔 曾和正博 亀井広忠
地謡 安藤貴康 岡田麗史 野村昌司 浅井文義
浅見慈一 浅見真州 泉雅一郎 小早川修
後見 長山禮三郎 観世銕之丞
●狂言《土筆》 山本泰太郎 山本凜太郎
●能《善界・白頭》 シテ 片山九郎右衛門
ツレ
観世淳夫 ワキ 宝生欣哉
則久英志 御厨誠吾 アイ山本則秀
竹市学 成田達志
佃良勝 観世元伯地謡 鵜澤光 長山桂三 北浪貴裕 馬野正基
西村高夫 阿部信之 山本順之 清水寛二
後見 大槻文蔵 谷本健吾
締め切りと大きな法事を終えて、久しぶりの観能!
前日までの梅雨模様が嘘のように晴れあがった夏空の広がる銕仙会7月公演へ。
まずは、能《浮舟》から。
柴田稔師の舞台を拝見するのは初めてだけれど、首と右手の震えが気になってしまう。
不随意運動だからご本人の意思ではいかんともし難いのかもしれない。
舞いも謡も、他の部分が良いだけに、身体の震えが残念でもったいない。
シテの面は、甫閑作の増女。
古風な顔で、目鼻立ちがぼんやりしている女面なので、
優柔不断で運命に翻弄される浮舟のキャラクターにぴったり。
清楚な浅葱色の水衣が彼女の可憐さを引き立てている。
地謡が素晴らしく、夕暮れ時の宇治川の美しい情景を切々と謡い上げてゆく。
さなきだにいにしえの恋しかるべき橘の小島が崎を見渡せば
河より遠の夕煙立つ河風に行く雲のあとより雪の色添えて山は鏡をかけまくも
地謡のこの部分と間狂言で引用された浮舟の歌は、
匂宮に抱かれたまま、月夜の宇治川を小舟に揺られていく浮舟が詠んだ歌で、
彼女自身の性格とその後の運命を暗示している。
橘の小島の色はかはらじを
この浮舟ぞゆくへ知られぬ
(常緑樹である橘の葉の色は変わらないけれど、
好色な人間であるあなたの恋心はきっと色褪せてしまうでしょう。
そうなれば、櫂のない小舟のような私はどうなってしまうのでしょう……。)
浮舟は光源氏の弟・八の宮の娘だが、妾腹の子のため認知されず、
母の再婚とともに東国へ下り、再婚先でも養父から疎んじられ、
養父の実子でないために縁談相手からも婚約を破棄される。
都に戻り、薫の大将に見そめられ囲われるが、
薫が彼女を見そめたそもそもの理由は、
亡くなった思い人である大君のことが忘れられず、
その身がわりとして、大君の腹違いの妹・浮舟に思いを寄せたからに他ならない。
薫なりに浮舟を愛してはいたけれど、妻に迎える気持ちなどはなからなく、
あくまで気易く心を許せる逢瀬の相手として愛したにすぎなかった。
浮舟に激しい恋心を抱いた匂宮とて、
彼女に永遠の愛を誓う歌を詠みながらも、その直後には、
浮舟との関係に飽きたら、過去の愛人たちと同じように、
彼女を女一の宮(匂宮の姉)に女房として差し出すことを考えている。
つまり、浮舟は最初から「愛人カテゴリー」に振り分けられていて、
それ以上でもそれ以下でもないのだ。
ただの純愛ではなく、男性の普遍的な心理を描いているところが源氏物語の凄いところ。
(逆に、源氏物語の女性については六条御息所以外みんな「いい子」すぎる気がする。)
匂宮よりも誠実な薫の愛人の座におさまることが、
よるべのない自分にとって最良の生き方だと心の中では思いつつも、
プレイボーイの匂宮との情事を拒めない自分。
浮舟は三角関係に悩んだというよりも、自分の淫乱さ、優柔不断さに
自己嫌悪を抱いたのだと思う。
自らの理性と情念の乖離に悩んだ末、
彼女にとって一切の色恋的な外的刺激を断つ方途が、
自殺であり、出家だったのだ。
――そんなことを考えながら舞台の進行を眺めていると、
気がつけば、すでに居グセに移っていた。
不動の状態だと、シテの身体の震えもなく、こちらも能の世界にすんなりと入っていける。
有明の月澄み昇るほどなるに
シテは目付柱の上方(西の空)を仰ぎ見て、遠い昔に思いをはせる。
宇治川の水面に映る冷たい月。
氷の張った水際に打ち寄せる舟。
甘美な恋のひとときと、その後の迷い、苦しみ、涙、嘆き……。
このときのシテの佇まいがとても美しく、
浮舟が見ている世界が、見る側の目の前にも広がっていく。
中入り後の、後シテの出で立ちは唐織脱下ではなく、朱色の紋大口に白綾。
身投げした時の様子を表しているのだろうか。
鬘をひと房ずつ左右に垂らしていて、野に咲く花のように可憐で愛らしい。
たしかにこういう女性なら、堅苦しい公務や家庭を離れた密やかな世界で
大事に囲っておきたくなるのもうなずける。
* * *
私の中の浮舟は、
三島由紀夫の『豊饒の海・天人五衰』で月修寺門跡となった聡子の姿と重なる。
浮舟も年を重ねれば、聡子のようにかつて苦悶した愛の思い出を
すべて忘却の彼方に葬り去ることができるのだろうか。
銕仙会7月公演《善界・白頭》につづく
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