"It could be said that the image of Yugen―― a subtle and profound beauty――is like a swan holding a flower in its bill." Zeami (Kanze Motokiyo)
2015年5月12日火曜日
父 幽雪を偲んで 幽謳会春季大会
2015年5月10日10時始 京都観世会館 (素謡《半蔀》から拝見)
番外独吟 《松虫》クセ 片山九郎右衛門
仕舞・連吟・独吟など
10時45分頃
素謡 《杜若》、《半蔀》
仕舞 《龍田》
12時頃
舞囃子 《羽衣》、《西行桜》、《藤戸》、《花筐》
出演囃子方 杉市和 曽和尚靖(鼓堂) 河村大 前川光長
連吟 《井筒》クセ
13時30分頃
素謡 《隅田川》 武田大志
《正尊》 義経 橋本忠樹 姉和 梅田嘉宏
連吟 《杜若》
15時頃
舞囃子 《砧》、《山姥》、《唐船》、《融》替之型
番外仕舞 《江口》 片山九郎右衛門
土曜日に実家の用事で帰省したので、翌日、京都観世会館へ。
玄関ロビーには祭壇が設けられ、笑顔の幽雪さんの遺影に花が添えられていた。
お焼香をあげ、手を合わせると、亡くなられたという実感が込み上げてくる。
この能楽堂を見守る神さんになりはったんやなぁ……。
観能歴の浅い私は、幽雪さんの舞台をごくわずかしか拝見していない。
昨年5月の国立能楽堂企画公演での仕舞《砧》とテアトル・ノウの舞囃子《三笑》だけ。
それでも幽雪さんの存在感とそこから発散される凄まじい「気」は、
胸に深く刻まれています。
この日も、幽雪さんの愛した《砧》の砧の段を、九郎右衛門さんと味方玄さんが
地謡後列に並んで、師匠に手向けるように謡っていらっしゃった。
「蘇武が旅寝は」から「いざいざ衣うとうよ」までは強めに熱く謡いあげ、
そこからしだいに謡い鎮めて、
「月の色、風の気色、影に置く霜までも」は幽かに、やさしく、
「ほろほろ、はらはらはらと……」のところは抑制を効かせた謡い。
感傷的になりすぎない謡いが、かえって見る者の心に沁みる。
主催者の九郎右衛門さんは当然ながら出ずっぱりで、
連吟以外はすべて地頭として出ていらっしゃったのだけれど、
どの曲も九郎右衛門さんの声がはっきりと聞き分けられるほど声量豊かに、
まっすぐな心で(時々顔を真っ赤にしながら)謡っていらっしゃるのが伝わってきた。
幽雪さんに捧げるために天まで届くよう、
一曲一曲、全力投球していらっしゃるのだろうか。
こちらも居ずまいを正して、一曲一曲、噛みしめるように味わう。
どこか切なく、芳しい味わい。
先月、Eテレで放送された《吉野琴》でツレをされた梅田嘉宏さんは
ハコビと所作が美しく、私が注目していた能楽師さん。
この日の素謡《正尊》でもツレの姉和をされていて、謡いがとても素晴らしく、
いつか御舞台を拝見したいと思った。
お社中の方々も皆さんレベルがとても高くて、扇の扱いや謡いはもちろん、
何もしていない時の佇まいが美しく、品がある。
御高齢の方は姿勢がやや屈み気味でも、
うねりのある繊細な枝ぶりのような趣を醸していて素敵だった。
そして、幽雪さんへの献花となった最後の番外仕舞《江口》。
白い袴に着替えて切戸口から現れた九郎右衛門さんは、白象に乗る普賢菩薩そのもの。
装束や面はつけなくても、肉体の生々しさは消えて、この世ならぬ存在となり、
握りしめた左手の強さだけが、彼がまだ人間であることを伝えている。
胸が締めつけられるような哀調の漂う優美な舞姿。
舞い終えた時の、九郎右衛門さんの名状しがたい表情が忘れられない。
思へば仮の宿に心とむなと人をだに諌めし我なり
これまでなりや帰るとて
すなはち普賢菩薩と現はれ舟は白象となりつつ
光とともに白妙の白雲に打ち乗りて
西の空に行き給ふ
有り難くぞ覚ゆる
有り難くこそは覚ゆれ
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