"It could be said that the image of Yugen―― a subtle and profound beauty――is like a swan holding a flower in its bill." Zeami (Kanze Motokiyo)
2015年3月31日火曜日
神遊49回公演・ワキ方が活躍する能《谷行》
山伏が大勢登場する、いわばワキ方版《安宅》。
さらに、シテが2人(梅若玄祥師と観世喜正さん)でダブルヒーローを演じるという、
とても豪華な舞台でした。
【前場】
まずは、登場楽(お囃子)なしでワキの阿闍梨と、松若母子が登場。
前シテの松若の母(観世喜正)の存在感が際立ち、
下居する佇まいから奥ゆかしい気品が漂ってくる。
唐織には小菊がびっしりあしらわれ、緑・青・灰色をぼかしたようなシックな色合い。
深井の面も凄みのある美人で、ただの山伏見習いの子供の母親とは到底思えない。
高貴な身分の女性が、何か暗い過去があって子供とともに身を隠しているのでは?
と思わせるような、物語性を感じさせる謎めいた美女。
(喜正さんの鬘物を拝見したいのだけど、東京ではなかなかないのですね。
昨秋、喜正さんの《六浦》を見るために、鎌倉能舞台まで足を運んだほど。)
風邪気味の母君を看病していた松若は、母の現世を祈るため、
師・阿闍梨の峰入りに同行することを決意する。
母は泣く泣く、松若を送り出す→一同退場
【中入】
深山断崖に見立てた作り物が脇正面側に置かれる。
(作り物は、一畳台の上に、葉のついた2本の生木を対角線上に立てたもの)
【後場】
京都から葛城に峰入りした総勢7人+子方1人の山伏一行が登場。
阿闍梨の茶色の水衣をのぞいて、あとの山伏はグリーン系(1人だけ水色)の水衣で、
全体的に爽やかな印象です。
一同は縦2列に並んで道行を謡った後、地謡座前に居並ぶ。これも安宅っぽい。
葛城の山深く分け入るにつれ、子方の松若が(おそらく母の風邪がうつったのか)、
体調不良を訴える。
峰入りの途中で病気になった者は谷底へ突き落とすという厳しい大法(谷行)があるため、
阿闍梨は松若を庇おうとするが、他の山伏に悟られる。
ここの阿闍梨(森常好)と小先達(殿田謙吉)とのやりとりが見所の1つ。
とくに殿田さんは、いぶし銀のように渋いワキを演じる方だと常々思っていて、
この日も、情と理性の板挟みになりながらも山伏としての本分を全うするべく
上司の阿闍梨に意見する中間管理職的な山伏の内なる葛藤が
芸の端々からにじみ出ていた。
子供を谷に突き落とす残酷な場面では、
2人の山伏が子方を抱きかかえたまま、例の作り物を通り抜け、
子方を作り物と目付柱の間のスペースに寝かせ、さらに上から茶色の布をかぶせることで、
子供を谷へ突き落とし、石瓦(土木盤石)を遺体の上に被せたことを表すという、
能のミニマルで象徴的な表現力が生かされた演出だった。
こういうのを考案した人って、ほんとにすごいと思う。
山伏一同、男泣き。
阿闍梨は、嘆きも病気の一種だから自分も谷に突き落としてくれという。
そこで一同は長年の修業の成果を発揮するべく祈りの力で松若を蘇生させることにする。
数珠をもみ、一心に念じる山伏たち。
祈りが通じたのか、
ティンバニを思わせる重々しい太鼓の入った大ベシに乗って、役行者(梅若玄祥)が登場。
鈴杖をつく威厳に満ちたその姿。
誰にも真似のできない重厚感、威圧感。
苦行に耐え抜いた行者にぴったりの痩せた精悍な面。
橋掛りを進むだけで舞台の空気が一変し、
死者の蘇生というあり得ない奇跡が起きても不思議ではない雰囲気が醸成されていく。
続いて囃子が早笛に切り替わり、
絶妙のタイミングで幕がサッと開いて、
役行者の使い、伎楽鬼神がスーパーヒーローさながらに颯爽と登場。
本舞台に躍り出るや、作り物の一畳台(谷)に駆けのぼり、
生木の枝を斧でなぎ倒し(すごい勢いで葉っぱが飛び散り、夢ねこ思わず爆笑)、
子方にかぶせてあった茶色の布(土木盤石)を取り払って、
子方を抱きかかえ、役行者の前に差し出す。
(このあたり、前半の能《張良》で蛇神が沓を拾って張良に差しだす動きと重なる。
お囃子も似ているし。)
さらに鬼神は橋掛りに行き、一の松で欄干に片足をのせ、決めポーズ。
揚幕の前で役行者と鬼神のダブル・シテがプレスリリースの撮影会のように、
ポーズを取りまくって、華やかに幕入り。
来年は最終公演。
九郎右衛門さんも御出演されるし、絶対に観にいこう!!
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