2014年10月17日金曜日

能を知る会 鎌倉公演・昼の部《六浦》



解説 紅葉二題 中森貫太
                                                     狂言 《狐塚》 野村萬斎 深田博治 月岡晴夫
                                                                        
能 《六浦》
里女・楓の精 観世喜正 
      ワキ大日方寛 ワキツレ則久英志 アイ内藤連
      囃子 寺井宏明 飯田清一 亀井広忠 観世元伯
      後見 坂真太郎  遠藤喜久
      地謡 中森貫太 奥川恒治 鈴木啓吾
      桑田貴志 小島英明 佐久間二郎

質疑応答 中森貫太

プログラムを見ての通り、この日は狂言・能ともに役者がそろっていて、能舞台は大入り満員。
すんごい熱気でした。
(帰りに電車内でご一緒した女性は広忠さんの大ファンで、北海道からわざわざいらして、
この日は都内のホテルに泊まるとのこと。
東京からでも遠いと思ったけれど、もっと遠方からいらっしゃる方も少なくないのですね。)

                                                                              
鎌倉能舞台は噂通り、こぢんまりとしていて、舞台と見所が近いのだけれど、
最大の特徴は舞台の高さが低いため、観客と演者がほぼ同一平面上に存在すること。
そのため演者の等身大の大きさが把握しやすい気がします。
(高い舞台上だと、演者は実際以上に大きく見える。)

                                                                            
夢ねこが座っていたところからだと、座っている囃子方と目の高さがほぼ同じになるのも、なんというか、臨場感満点です。
(つまり、ほとんどお見合い状態になるのです……。)

                                                                        
それから、見所の座席がすし詰め状態のようにぎっしり詰まっているので、
閉所恐怖症を喚起するようなところがあります。
(もうだいぶ慣れたけれど、矢来と青山の能楽堂も最初は少し息苦しかった。)

                         
さてさて、
かんた先生の楽しい解説(能の基本情報や《六浦》のざっくりとしたストーリーなど)の後、
萬斎さんの狂言。
(この日は萬斎ファンも多かったので、見所のボルテージは全開!
まわりの女性たちがアツーイ視線を送っているのが夢ねこにも感じ取れるほど。)
やっぱり萬斎さんは、間の取り方や声のテンションの上げ下げ、
表情筋の動かし方などが巧くて、狂言にあまり興味のない夢ねこでも楽しめました。

                            
休憩を挟まずに、いよいよ、喜正さんの能《六浦》。
《六浦》は初見だけれど、鎌倉で《六浦》を見るというのもいいものです。

次第の囃子で都から東国に向かう旅僧が登場し、六浦の称名寺を訪れ、一本だけ紅葉していない楓に気づき、その謂れを通りがかりの里の女に訪ねる。

           
(鎌倉能舞台の揚幕は舞台と平行になっていて、
見所の正面に向かって幕が揚がるようにいてつくられているので、
演者も正面を向いたまま幕から登場します。
ちょっとバラエティー番組っぽいけれど、シテが正面向きで登場するというのが
なんとなく新鮮。)

                          
前シテの里女は、水色の唐織に面は増。
紅無だけれど、摺箔と唐織の間に朱色の重襟のようなものを着けていて、
さらに無紅唐織の八掛も美しい朱色なので、
奥ゆかしくも、あでやかな妙齢の女性といった風情。
紅葉の華やかさを内に秘めた印象です。
増の面が神秘的な雰囲気を醸しだしています。

                                              
寺の本堂の楓が一本だけ紅葉していないのは、
その昔、中納言藤原(冷泉)為相が、他の紅葉樹に先んじて色づいた一本の楓を見て、
「いかにしてこの一本にしぐれけん、山に先だつ庭のもみじ葉」と詠んだことから、
歌に詠まれる栄誉を得た楓は身を退くのが正道であると思い、紅葉を停めたからだと里の女は説明し、
自分こそその楓の精だと明かして、千草の花をかき分けて消え失せる。

                          
中入のあと、一声の囃子で後シテ(楓の精)が登場。
浅葱色の長絹(鎌倉能舞台が新調したもので、この日が「初おろし」だそうです)に同系色の大口。
かげろうのように儚げな長絹には笹の模様があしらわれています。
面は前シテと同じ増。

                                                           
(演能後の質疑応答で、かんた先生が解説されたのですが、
この日、《六浦》で使う面について、シテと囃子方と地謡の間で議論が交わされたそうです。
喜正さんが持参したのは増の面。若くて華やかな印象です。
それに対し囃子方は、喜正さんが演るなら少し年が上の近江女で、しっとりとした序之舞にした方がいいのでは、という意見だったそうです。
もちろん、シテがプロデューサーで演出家なので、シテの意向で行くことになりましたが、シテが用意した面や装束によって曲のテンポや調子がガラリと変わります。
喜正さんは「演者のひとこと」で「華やかに丁寧に勤める」とおっしゃっていて、
まさにその言葉通りのお舞台でした。)

                                                                      
楓の精は四季折々の草花の移ろいを語りながら、ゆったりと舞い始めます。

喜正さんは能役者の中では大柄な方ですが、
鬘物の時は通常よりもさらに中腰になられて、
楚々とした可憐な女性にしか見えない。

その透明感のある美しい舞姿の下では、
白鳥の水かきのように驚異的な身体能力が総動員されているはず。

軽やかな袖を翻すたびに芳香が漂い、
見る者はただただ恍惚感に包まれる。

                                   
この日は、名手揃いの囃子方の調子がいまひとつで、
特に広忠さんにいつもの凄まじい気迫が感じられない。
(たんに、静かな鬘物だったからかもしれないが。)
珍しく、くしゃみをされていたし、お顔もずっと真っ赤だったので、体調を崩されていて、
熱でもあったのだろうか。
太鼓と笛は良かったのだけれど、この能舞台はどうも音響が良いとはいえないようだ。
打音や掛け声が観客の衣服に吸収されている気がした。

                                            
それから、なぜか序之舞でシテの足拍子と囃子がやや合わない場面が何度かあり、
これもちょっと不思議だったのだけれど、
もしかすると事前の打ち合わせと本番との間に齟齬があったのかもしれない。

                           
そんなこんなで、「あれ?」と思うことはあったのだけれど、
地謡は良かったし、
何よりもシテの力量がすべての不都合を補って余りある。

                                                             
増の面が壮絶なまでに美しく、
シテの舞姿と謡がこの世のものとは思えないほど美しい。
俗世の物理的法則から解放されたシテは、
どこからどう見ても、人間ではなく、楓の精が舞っているようにしか見えない。

                                       
鎌倉まで足を運んだ甲斐のある名演でした。

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