2014年10月4日土曜日

国立能楽堂十月定例公演 《三輪》

狂言《鎧》 茂山千五郎 茂山宗彦 茂山千三郎

能《三輪》 シテ浅井文義
 ワキ宝生欣哉 アイ茂山茂
 囃子:藤田六郎兵衛  飯田清一 亀井忠雄 観世元伯
 後見:浅見真州 谷本健吾 (装束係?鵜澤光)
 地謡:浅見慈一 馬野正基 北浪貴裕 長山桂三
        坂井音雅 坂井音隆 坂井音晴 安藤貴康


《三輪》は好きな曲のひとつ。
作り物は出るけれど、シテにもワキにもツレがいないシンプルな構成なのに、
三輪山を御神体とする大物主信仰や仏教、大和朝廷系の天照信仰など、
さまざまなエッセンスが盛り込まれた複雑で濃厚な内容。

鬘物と脇能の要素がミックスされているのも鑑賞していて楽しい曲です。

前場では、三輪の神が里の女に身をやつして、僧の前に現れ、
「罪を助けてたび給へ」と救済を請う。

前シテの里の女は、「増」の面に、とても豪華な紅無秋草の唐織という出立。
手には数珠と、秋草の入った籠を持って登場。

橋掛りに現れたシテは、
女性の悲しみを体現したかのような、憂いに満ちた表情と物腰。
今の自分の気持ちとしっくり合っていて、
物語の世界にどんどん引き込まれていく。


ワキの欣哉師が相手の心の奥底に語りかけるような
思いやりのこもった真摯なまなざしをシテに注ぎ続けていて、
その姿を見ているだけでも癒される……。

こういう曲のワキは、人生経験豊富で
酸いも甘いも噛み分けたうえで世の無常を悟って出家した、
みたいな風格のある人が望ましい。
そういう意味で、欣哉師は拝見するたびに素敵なワキ方になっていく気がする。


私は脇正面が好きなのだけど、
ワキのこうした細やかな表情や演技が堪能できるのも
脇正面の醍醐味の1つ。

それから、《三輪》のように作り物の中で物着をする曲では、
物着の様子を鑑賞できるのも脇正面の楽しみです。


作り物の中での物着はシテにとっても後見にとっても大変なのだろうけれど、
作り物の奥に入った副後見の谷本師も、
作り物の外から装束を着せつけた浅見師も
手際良く、そして何よりも姿勢を一切崩さずにシテに着付けをされていて、
「後見」だけで一つの芸として成り立つのだと感じ入ってしまった。

とても大切な装束を、人間ではなく本物の神様に着せつけるような
(限られた時間内での)丁寧で行き届いた着付け。
熟練の後見の無駄のない動きはとても美しく、一番の仕舞を観ているよう。


物着を終え、杉の木立の作り物から現れた三輪明神(後シテ)は、
風折烏帽子に長絹、緋大口。
そしてなぜか、面は曲見(洞白作)。

《三輪》のような曲では、里女などの前シテには深井か曲見を使い、
神が顕現した後シテでは、神秘的な増を用いることが多いけれど、
この日は、前シテに増、後シテに曲見が使われていて、
おシテの意図は何だったのだろうと、拝見した後も謎のままでした。
衆生済度のために三輪明神が人間と同じ迷いの心を持っていることを
強調するためでしょうか。

よく分からないまま、演能は進み、神楽に突入。
この日も観世元伯師の太鼓が冴えていて、
エコーがかかったような澄んだ掛け声が能楽堂に響き渡る。
(元伯師の太鼓を聴くと、幸せな気分になります♪)

元伯師も、亀井忠雄師も、
これくらいのレベルになると、打音から濁りがまったくなくなり、
精製に精製を重ねたような純度の高い透明な音になる。

この透明度の高い音に、藤田師の鋭い笛が加わり、
神々しく舞うシテを精妙な音のヴェールが包み込み、
舞台も見所も、神代の岩戸の前へとトリップしていく。

いつしか囃子は神舞に転調して、
男神とも女神ともつかない、
両性具有にして、三輪明神でもあり、天照大神でもあるシテが、
人間の迷いと、女の悲しみを一身に背負って
狂おしく、美しく、厳かに舞いながら、
玄賓の夢の中に消えていくのだった……。

と、夢見心地のまま幕を閉じた、秋らしい好い舞台でした。

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