2018年1月25日(木) 13時~16時 国立能楽堂
仕舞《花月キリ》観世喜之
地謡 観世喜正 小玉三郎 弘田裕一 駒瀬直也
狂言《宗論》シテ浄土僧 野村萬
アド法華僧 野村万蔵 宿の主 野村万禄
栗林祐輔 森貴史 亀井洋佑
能《鉢木》シテ佐野常世 友枝昭世
ツレ常世妻 狩野了一
ワキ最明寺時頼 森常好 二階堂某 森常太郎
アイ早打 炭光太郎 二階堂従者 小笠原匡
松田弘之 成田達志 亀井忠雄
後見 中村邦夫 友枝雄人
地謡 香川靖嗣 粟谷能夫 粟谷明生 長島茂
友枝真也 内田成信 佐々木多門 大島輝久
言うまでもないことだけど、やっぱり《宗論》は名曲だなあ。
宗教の根本という普遍的なテーマを、押しつけがましくも説教臭くもなく、笑いの中に巧みに織り交ぜて提示している。
ある意味、宗教和解の理想の姿。
世界を見渡しても、現実にはなかなかこうはいかないからこそ今に通じる。
本当はシリアスな問題だからこそ、狂言のなかでは愛嬌たっぷりに茶化しじゃれ合う絶妙のユーモア感覚。
日本でも宗教が暴力的・闘争的だった時代に、こういうシニカルで挑戦的な作品を書くなんて、すごい狂言作者がいたものだと思う。
世界中の人に観てほしい狂言です。
次第の囃子で法華僧(野村万蔵)が登場する。
囃子方は、次の《鉢木》の囃子方とそれぞれ同じ流派。そのまま能の囃子の後見を勤められていた。
栗林さんをはじめ、お囃子がいい。
ちょっと入るだけで、隠し味的に舞台を引き立てる。
シテとアドの息も合っていて、
とくに宗論の肝でもある、「一念弥陀仏即滅無量罪」「または無量の菜!菜!」と唱えれば、塩と山椒だけの粗末なお斎でも、膳の向こうには「牛蒡、湯葉、紅麩、椎茸……ありとあらゆる無量の菜が有る、有る」と思って食べる。これを「一念弥陀仏即滅無量罪」「または無量の菜、菜」と噛み砕いて易しく説く、法文の心が、なんと有難いことか!
というくだりは、名人ならではの滑稽味。
それと最後の、浄土僧と法華僧がたがいに「なもうだ~」「蓮華きょう~」と言い合いながら、片足ずつ上げて、笠と扇を左右に打ち合わせ、踊り念仏or踊り題目をするうち、題目と念仏を取り違えるところ。
ここの舞の型はかなりハードだと思うのですが、息は上がっていたものの、野村萬師の片足立った姿勢の美しさ・確かさ、足腰の強さは驚異的!
超人的な米寿。凄すぎです。
(シテ方・ワキ方のこの年齢で、体の軸がこれだけ安定している人は、たぶんいないと思う)。
ちなみに、狂言の《宗論》を改作した落語の《宗論》もあるそうです。
(落語のほうは、浄土真宗VSキリスト教)
落語THE MOVIEで放送されないかなー。
友枝昭世の《鉢木》前場につづく
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