ロビーに展示された、小次郎信光の系図・解説のパネルと作り物の模型 正月飾りのように可愛い作り物は、画像左から《紅葉狩》、《船弁慶》、《胡蝶》、《遊行柳》 |
狂言《箕被》シテ夫 石田幸雄 アド妻 野村萬斎
能《遊行柳》老人/老柳の精 友枝昭世
ワキ宝生欣哉 ワキツレ大日方寛 御厨誠吾
アイ野村万作→野村萬斎
藤田六郎兵衛 曽和正博 柿原崇志 小寺佐七
後見 中村邦生 友枝雄人
地謡 香川靖嗣 粟谷能夫 粟谷明生 長島茂
友枝真也 狩野了一 金子敬一郎 大島輝久
働キ 佐々木多門
国立能楽堂12月の月間特集は「観世信光――没後五百年」。
ロビーには、信光の系図(世阿弥の甥・音阿弥の子)や解説を書いたパネルや作り物の模型が展示されていました。
作り物を活かし、舞台面が華やかなことと、展開が劇的でワキが活躍することなどが信光作品の特徴だそうです。
信光作品の過去の公演のパネルも展示されていて、わたしが観た《皇帝》(シテ梅若紀彰、2014年)や《玉井》(シテ塩津哲生、2015年)もあって懐かしい。
《皇帝》も《玉井》も場面展開がスピーディで舞台上に多数の演者が登場し、作り物以外にも小道具が使われていて、ほんとうに華やかで楽しかったなー。
狂言《箕被》
連歌狂いの夫に愛想を尽かして出ていこうとする妻、というどこにでもありそうなお話。
(骨董収集とか、殿方は趣味に凝りだすと家計とのバランスを無視して際限がなくなるから、現代でも奥様は大変だとテレビなどを観てよく思う。)
商売を放り出して、連歌にうつつを抜かす夫(石田幸雄)のなじる妻(野村萬斎)。
趣味に没頭する言い訳として夫が持ちだしたのが、書を読み歌を詠んで立身出世し、会稽の太守となった前漢の政治家・朱買臣の逸話でした。
あとで調べてみると、石田幸雄扮する夫が引いた「(朱買臣は)錦の袂を会稽山へ翻す」という言葉は、能《実盛》の詞章にも出てくる詞(典拠は『平家物語』)なんですね。
そんなわけで、暇の印に渡された箕を被いて妻が出ていこうとすると、その姿にインスピレーションを受けた夫が発句「いまだ見ぬ二十日の宵の三日月(箕被)は」を詠み、妻が気の利いた返句「今宵ぞ出づる身(箕)こそ辛けれ」を返すと、夫は妻の才能に気づかされて惚れ直し、最後は元の鞘に収まってめでたしめでたし。
夫が《芦刈》の詞、「浜の真砂はよみ尽し尽くすとも、此の道は尽きせめや。唯弄べ名にしおふ。難波の恨みうち忘れて、ありし契りに帰りあふ縁こそ嬉しかりけれ」と謡い舞うなど、見どころもあるのだけれど、
なんだろう?
体調のせいだろうか、石田さんと萬斎さんならもう少し面白くてもよいはずなのに、可でも不可でもなくというか、あまりなんにも感じなかったのです。
わたしの周囲の客席でも舟を漕いでいる人が多く(なかには大いびきの人も!)、わたし自身、初見で他の舞台とは比較できないので、この作品自体がこんなものなのか、よくわからない。
連歌という、歌の徳を讃えた狂言なのでしょうね。
歌には男女和合の功徳もあるらしいし。
別れる別れないと言いつつも、夫婦ってそんなものだよね、と思ったことでした。
友枝昭世の《遊行柳》につづく
0 件のコメント:
コメントを投稿