2016年4月18日月曜日

梅若会定式能4月《熊野・読継之伝・村雨留》シテ登場まで

梅若会定式能4月《朝長》・仕舞からのつづき

能《熊野・読継之伝・村雨留》シテ熊野 梅若紀彰
      ツレ朝顔 山中迓晶 
      ワキ平宗盛 舘田善博 ワキツレ 野口能弘
      藤田貴寛 幸清次郎 亀井実
      後見 梅若長左衛門 川口晃平
      地謡 会田昇 山崎正道 鷹尾維教 内藤幸雄
         鷹尾章弘 松山隆之 土田英貴 梅津千代司


相当期待していたその大きな期待をもはるかに上回る驚きと感嘆に充ちた紀彰師の舞台。何度も反芻して心に刻みつけておきたい《熊野》でした。


【ワキの登場→ツレの登場】
名ノリ笛で、ワキ・ワキツレ登場。

ワキは風折烏帽子、朱色の露がアクセントになっている深みのある緑地狩衣に白大口。
このところ、わたしのなかではワキ方注目度No.1の舘田さん。
この日も人間味のある宗盛を好演されていた。

熊野と「この春ばかりの花」を見たいがために老母の病気のことは知りながら、都にとどめおいている旨を宗盛が告げると、次第の囃子に乗ってツレがもったいぶらずにサクッと登場。

ツレの朝顔は、朝露のように爽やかな秋草模様の灰緑地唐織に朱の鬘帯。
病母から託された文を懐中にしのばせた彼女は、いったん常座まで出て、熊野を迎えに遠江国(静岡県)から都に上ってきたことを述べ、橋掛りに戻って道行を謡ったあと、熊野宅に着いた態で幕に向かって案内を乞う。
迓晶師の朝顔はそつがなく、シテに影のように寄り添う献身的な女性のイメージ。



【シテの登場
シテの登場の囃子はアシライ出シ。
《熊野》はアシライ尽くしの曲で、このアシライ出シでは掛け声を長く引き延ばし、コミをたっぷり取る囃子、車出シアシライでは軽快な囃子、短冊のアシライではしっとりしたアシライから、扇を広げて宗盛に短冊を渡す段になるとテンポの速い急調に転じるなど、囃子の聴かせどころが多い。

大小鼓は2人のベテラン。
大鼓の亀井実師は派手さはないのですが、姿勢のきりっとした、いぶし銀の渋い演奏で、シテの謡の邪魔をすることなく(こういう大鼓方は貴重な存在)、文字通り「はやし」方として舞台を引き立てていました。


そのアシライ出シに乗って、熊野の登場!
紀彰師はいつも登場とともに観客の目と心を惹きつけ、虜にする方なのですが、このときも、ただただその美しさにため息。感嘆。

泉鏡花が「絶代の佳人」と呼んだのはこういう女性のことではないだろうか。
時の権力者が夢中になるのも無理はないと思わせる、説得力のある美しさ。

面は、増系の女面だろうか(それとも古風な若女?)。
花見車に見立てたような御所車と花をあしらった白銀とプラチナゴールドの段替唐織。
並みの人間では着こなしが難しそうなゴージャスな唐織を、紀彰師はシックでエレガントにまとっている。
こういう装束も意表をつくし、センスが好い。
ご自身の引き立て方、面・装束の引き立て方を研究し、熟知したうえでの着こなし、佇まい、微妙な所作。

シテは三ノ松で立ち止り、朝顔から渡された老母からの文を読む。
(「老母」ってこの時代だからたぶん40代くらい?)
母の容体が危ういことを知り、動揺を隠せないかのように文を持つ手をかすかに震わす。

いつも思うけれど、紀彰師が面をかけ操ると、面に生気が吹きこまれ、人が面をつけているのか、面から手足が生えているのか分からなくなるほど、シテと面が一体化し、観客は生身の美女を観ているような錯覚に陥る。


意を決した熊野は、もう一度暇を乞うべく、朝顔とともに宗盛邸に赴く。




梅若会定式能4月《熊野・読継之伝・村雨留》花見の道中まで」につづく


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