2018年5月4日金曜日

『僕らの能・狂言 13人に聞く!これまで・これから』金子直樹


長いあいだ手元にあったのに、なかなか読む勇気が出なかった。
本書は観世元伯さんのインタビューで締めくくられる。
おそらくそこで、元伯さんはご自分の未来を語っていらっしゃるのだろう。
そう思うと、辛くて、怖くて、最初の九郎右衛門さんのページから読み進むことができなかった。

数日前に、ようやく読了。
何から何まで、元伯さんのお考えにまったく同感だった。
わたしはかねてから、能を演劇ととらえる見方に抵抗があったのだが、「『能は能』だと思っています」という元伯さんの言葉に大きくうなずいてしまった。


「わからない人にはわからないだろう」ということをやってきたのがお能だと僕は思うのです。わかりやすさを追い求めて、上演する側が考えすぎてこねくり回すと、お能の感覚がどんどん薄れていってしまう。(観世元伯)


ほんとうにその通りだと思う。
分かりやすくするのではなく、「なんだか分からないけれど、美しい!」とか、「意味は分からないけれど、惹き込まれる! また観てみたい!」と、言語や意味を超えた次元で観客を惹きつけることこそ大事だと、わたしは確信している。能を観るようになったきっかけが自分もそうだったから。


元伯さんも、「『広さ』よりも『深さ』を求めて行かないとダメでしょう」と語っている。
言語や意味を超えた次元で観客を惹きつけるには、能の持つ力を信じて、それをどこまでも深めていくことこそが大切だと思うし、おそらく元伯さんご自身もそういうお考えだったと想像する。


だからこそ、元伯さんは新作能やコラボ企画にはあまり積極的には参加されず、あくまで能の本道を突き進む姿勢を貫いていらっしゃった。


人が革新的な何かをやろうとも関知しないスタンスという意味です。かといってお高く留まるつもりはなくて、ただ自分の仕事に対しては常に真摯でありたいのです。(元伯)


ほんとうに貴重な囃子方、かけがえのないリーダーを能楽界は失ってしまった……。


観世元伯さん、片山九郎右衛門さん以外にも、インタビュイーの人選はまことに的確で、金子直樹氏の慧眼には感服する。
なかでも安福光雄さんは、もっと評価されてしかるべき大鼓方さんだと以前から思っていたから良い選択だったと思う。

舞台全体の調和に重きを置く光雄さんはこう語る。

「僕が最近思っているのは、大鼓ってあまり表に出すぎてはいけないと思うのですよ。囃子ごとに関してのまとめ役、さらには舞台のシテなども含めて、すべてのまとめ役でないといけないと思っていて、そういう責任感は感じています。」


わたしはどちらかというと職人肌の囃子方さんが好きだ。
舞台では決して我を出さずに、掛け声や打音でシテや地謡の邪魔をすることなく、淡々と凄いことをこなしていく、こういう囃子方さんは本当の意味で信頼できし、観ている側も舞台に集中できる。
元伯さんもそうだったし、安福光雄さんもそのおひとりだ。


また光雄さんは、関西の囃子方についてこのように述べていらっしゃる。

「やはり西のほうが何となく、まったり、ゆったりしている印象がありますね。僕は好きなんです。良い意味で調和感がありますね。」


「まったり」「ゆったり」とは感じないけれど、こちらに来て関西の囃子方さんはとても調和が取れていることを実感する。聴いているほうも楽しくなってくるのだ。
東京のほうは(人によって違うけれど)どこか個人芸的な要素があるのかもしれない。
(もちろん、個人芸をバチバチに炸裂させたうえでの調和、というのが理想なのだけれど。)



こうした貴重なインタビューを能楽師の方々からうかがえたのも、金子氏の的を射た質問と、話を引き出す巧みな誘導力の為せる業。ふだんから役者の方々と良い人間関係を築いていらっしゃるのだろう。
加えて、金子氏ご自身の見方や問題意識もうかがうことができたのも収穫だった。心から能・狂言を愛し、能楽界の未来を憂えていらっしゃることが言葉の端々から伝わってくる。

本年度の国立能楽堂の7月公開講座では「公演記録映像でふりかえる・能」と題して、金子直樹氏の講演がある。

これ、行きたかったなー、昨年だったらよかったのに。
長年、数々の名舞台を観てこられた金子氏がどの公演を選ぶのか、どんな言葉を述べられるのか、非常に興味がある。

関西にも同様の講座があればいいのに……。









0 件のコメント:

コメントを投稿