2018年3月7日水曜日

オペラ《ホフマン物語》

2018年3月6日(火)14時~18時 新国立劇場 オペラパレス



オペラは久しぶり。もっと来るべきだった。
東京と他の都市との大きな違いのひとつが、オペラ環境の充実度。
ことオペラ劇場に関しては、誠に残念ながら関西の諸都市は東京に完敗だし、とりわけ新国立劇場の存在は大きい。



オペラ《ホフマン物語》は、第2・3・4幕をそれぞれE.T.A.ホフマンの小説『砂男』、『クレスペル顧問官』、『大晦日の夜の冒険』を下敷きにした、オッフェンバックの未完の遺作。

この日観た《ホフマン物語》は、一見奇抜な印象を与えるものの、ホフマンの三作品の象徴的なモティーフを巧みに配しており、原作に比較的忠実な演出といえるかもしれない。

たとえば、第2幕で使われる「望遠鏡」。
ホフマンがこれをのぞきこみ、レンズの向こうにいた自動人形のオランピアに見惚れる場面は、原作『砂男』で主人公が窓の外を懐中望遠鏡で眺めたとき、それまで特別な関心を抱かなかったオランピアのこの世ならぬ美しさに初めて気づき、恋に落ちたときの様子を踏襲している。

小説『砂男』のなかで望遠鏡は重要な役目を果たす小道具であり、ホフマンの影響を受けたとされる江戸川乱歩の『押絵と旅する男』でも、双眼鏡をのぞいた先に、美しい娘の姿(実は押絵で象った八百屋お七)を見留め、一目で恋に落ちる。


鏡やレンズなどの光学機器への傾倒・偏愛はホフマンと乱歩に共通するものであり、彼らの作品では、レンズを介して世界を見ることが意識や次元の変容を招くきっかけとなる。
フィリップ・マルローの演出は物語のカギとなるレンズや鏡を、舞台に効果的に織り込んでいた。


第3幕では、原作『クレスペル顧問官』で重要な要素となる「ヴァイオリン」を舞台床と上部に装飾的に配し、さらに舞台床を斜面状に傾け、長テーブルを座礁した難破船のように床面に突き刺すことで、小説に描かれたクレスペルのギクシャクした動作や狂気すら感じさせるエキセントリックな性格を描写している。


第4幕では、高級娼婦の色香に惑わされて鏡像を盗まれた男の話『大晦日の夜の冒険』のモティーフとなる「鏡」が、舞台天井部を大判のモザイクのように覆い、欲望のままに踊り狂うヴェニスの男女を官能的に映し出し、あるときは教会の天井画のだまし絵のように、あるときは極彩色の錦絵のように、ホフマンの世界を視覚的に表現する。


演出・美術・照明を担当したフィリップ・アルローは作中の人物像について初演時にこう述べている。

「……詩人は短命であり、その鋭敏は感受性ゆえに、五感を通して掴んだすべての波動が火傷のように彼らの魂を焦がし、その深い傷がもたらす痛みが詩句に結晶するのです。このオペラでは、詩人ホフマンの運命が絶望という名の黒い糸で紡がれていきます。彼は、登場の瞬間から、死に至る病、つまり絶望を抱える主人公なのです。その彼を取り巻くのは、死、性、芸術への欲求という三つの側面を持つ女性です。当時の人々の欲望のひとつでもある、工業技術の完璧な成果たる人形で、そえゆえに死の恐怖を一切感じないオランピア、死が生をもたらす芸術の象徴として、歌えば肉体が滅んでいくものの、歌わなければ魂が死んでしまう表現者アントニア、退廃の極みにあり、エロスを体現し、まるで死を飼いならすかのように男を次々と葬り去りながら自分は輝き続ける娼婦ジュリエッタ……」


フィリップ・アルローは色彩感覚に優れた演出家で、第2幕では機械仕掛けのオランピアをあらわす人工着色料のようにカラフルな蛍光色、第3幕では胸を病む歌姫アントニアの死の香り漂う黒とグレー、第4幕では肉感的なジュリエッタの色であるワインカラーで舞台を彩り、ヒロインのキャラクターを端的に可視化していた。


ただ、あまりにも「死」を意識しすぎたせいか、もしくは、繊細で短命な詩人としてホフマンを描きたかったからなのか、アルローの演出では最後、ホフマンは絶望のあまり、ピストルで頭を撃ち抜いて自殺する。

舞台に横たわるホフマンの無慙な遺体が、「On est grand par l'amour et plus grand par les pleurs!(人は恋によって成長し、涙を流してさらに大きくなる!)」というミューズたちの希望に満ちた言葉と合わずしっくりこなかったが、ここは、精神錯乱の果てに塔から身を投げ墜死した『砂男』の主人公の姿と重なるところでもある。


そして何よりも、遺体となったホフマン役のティミトリー・コルチャックの姿が最高に美しく、それだけでもう、何も言うことはない。
今公演初役というコルチャックはじつに魅力的なテノールで、いまでも〈クラインザックの歌〉が耳の中でこだましている!
情感豊かで表現力あふれる彼の歌声を聴くと、こちらも胸がドキドキ高鳴り、アドレナリンがどっと分泌され、ひとりでに涙があふれてくる。


多彩な悪役をこなしたバス・バリトンのトマス・コニエチュニーのアクの強い存在感と重厚な声量の素晴らしさは、ここで書くまでもなく申し分ない。

そして、三人の歌姫もコルチャックの相手役を見事に勤め、なかでもアントニア役の砂川涼子さんの、胸を病んだ女性にふさわしい脆く壊れやすい透明感のある歌声に惹きつけられた。
〈逃げてしまったの、雉鳥は〉が特に好きだから、よけいにそう感じたのかもしれないけれど。












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