2018年3月25日日曜日

喜多能楽堂~能楽堂建築シリーズ8


「七つの年から芸道に入って、丁度七十年。その間に、震災、戦災と、二つも舞台を焼いてしまったのだから、いままでの家元の誰もが味わったことのない、苦い経験を嘗めたものです。……舞台さへ再建出来れば……わたしが死んでも死に切れないと思うのはこのことだけです。なんとかして、わたしの眼の黒いうちに、実現させたいと、明け暮れ希求して熄まないところでした」     ━━『六平太藝談』


入り口を飾るのは、焼失した喜多舞台の門扉でしょうか

かくして、六平太の悲願だった能楽堂の再建(再再建!)は昭和30年に実現し、「十四世喜多六平太記念能楽堂」として蘇った。
その後も改築・改修を重ね、現在に至る。

能楽堂には、それぞれの歴史や建設・再建・移転までの長く険しい道のりがあり、建てた人々・建設・再建に奔走した人々・関わった人々の思いが詰まっている。

能楽堂は、そこを拠点とする能楽師の方々のかけがえのない財産。そのことに思いを馳せつつ、心して訪れなければ。





前田青邨が監修し、江崎孝坪が筆をふるった鏡板。
伸びやかで豪壮な松。





通常は地謡座の横にある貴人口の位置が、喜多能楽堂では地裏の奥になっている。
それゆえ笛柱が壁付けではなく、一本の独立した柱として立っているのも、この舞台の特徴。
(このほうが地謡の人も通りやすいのでは? と思ったりもする。)






脇正面から2階席を見上げた図。




2階席から舞台を見下ろす


2階席前方から舞台を見たら、こんなふうに。
舞台全体がけっこう見やすい。






脇正面から舞台を見るとこんな感じ。
この能楽堂は、座席の段差がたっぷりあるので、前の席の人の頭が邪魔になることはほとんどない。

ほかの能楽堂も、これくらい段差あるといいのだけれど。



1階ロビー

窓にはきちんと障子がついているのが、さりげないこだわりを感じます。





階段踊り場




2階の休憩室

いつもだいたい、窓際に座って電車を眺めています。




これも2階ロビー



壁には喜多流歴代名手たちの写真パネルが。






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