━━池内信嘉『能楽盛衰記・下巻』
1881年落成、1903年に靖国神社に移転した芝能楽堂 |
能楽の激動の時代を目撃してきた、都内最古の能楽堂。
明治の三名人をはじめ、数々の名手たちの汗が染みついています。
岩倉具視を筆頭に、この能楽堂建設・経営・維持に腐心した人々の努力はいかほどのものだったでしょう。
21世紀のいま、わたしのような一般庶民が気軽にお能を楽しめるのも、この能楽堂と、その建設および演能に尽力した人々のおかげだと思います。
野ざらしになっているのに、手入れが行き届いている |
「能楽」の額は、加賀藩十二代藩主・前田斉泰が書いたもの。
(宝生九郎の関係でしょうか。)
毎春、この舞台の太鼓座に坐っていた方のことを思い出しました。
ここから桜を眺めていたんだなあ……と。
そこだけが、あたたかい光が当たっているような気がして。
すこし悲しくなって。
そっと、手を合わせました。
冒頭に記したように『能楽盛衰記』によると、桜間伴馬の道成寺では芝能楽堂が大入りの大盛況だったそうですが、現在は、鐘を固定する「輪」は取り外されています。
連子窓も当時のものでしょうか。
『六平太藝談』には「能舞台照明事始」と題して、芝能楽堂の面白いエピソードがつづられています(以下に引用)。
「能舞台にはじめて電燈の点けられたのは、明治27年。その能舞台というのは、後に芝から九段の靖国神社の境内に移されたあれですが、これに電燈の設備をすることになって、清廉さんと私とが、委員格に選ばれたのでした。ところがいざ実行となると、なかなか反対がある。そんなことをやるというのは、今に囃子などに洋服を着せて椅子に腰かけさせるつもりなのか、とか。
(略)今の設備から考えると、ほんとに夢の様な昔話ですが、それでも非常にあかるくなったように感じたものです。
電燈反対者の中には梅若実さんもいましたが、委員側(?)としては、あなたの御出勤は昼間ですから電燈はつきませんと説明して、我慢してもらったなども随分古いおはなしです。」 ━━『六平太藝談』
能舞台に照明をつけるという、今ではごく当たり前のことでも、明治期には反発・反対があったようです。
流儀を跨いでの(しかも、梅若実VS喜多六平太!)侃侃諤諤の議論が交わされていたというから、当時は、情熱どうしがぶつかり合い炸裂した、熱い時代だったんですね。
橋掛りはかなり長い。
こういうところにも、設計者や監督・指揮者のこだわりが感じられます。
外苑休憩所 |
映画のセットみたいにレトロな外苑休憩所。
外のベンチでは、復員服(かな?)を着た人たちが昔の軍歌を歌っていた。
九段会館 |
7年前の震災の際、天井が崩落した九段会館。
現在は立ち入り禁止となっています。
一部保存されるとのこと。
建築史的・美術史的にも価値の高い建物なので、ぜひ残してほしいものです。
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