大江宏は、国立能楽堂(1983年)を設計した日本屈指の建築家。
その大江に師事し、横浜能楽堂の復元にも携わった奥冨利幸先生のお話は大変興味深く、建築好きのわたしにはたまらない内容でした。
中庭の緑が迎えてくれるエントランス 木の柱梁をむき出しにした開放的な和風モダンのデザイン |
講座の後半では、大講義室から能舞台・見所→ロビー→エントランスへ移動。
現地で実際に解説していただけたのが今回の大きな収穫だった。
(以下は私見と感想を挿んだ講義メモ)。
大江宏の父・大江新太郎は、明治神宮の造営や宝生会能楽堂(1928年竣工:現在の宝生能楽堂と同じ場所にあった別の建物)の設計を手掛けており、大江宏の作品にも父親の影響が見てとれる。
宝生会能楽堂は、現在の能楽堂では定番となっている入れ子式空間構成(能舞台を能楽堂本体が包含する構造)を初めて取り入れた能楽堂であり、国立能楽堂にもこの構成が採用されている。
国立能楽堂1階平面図 大江は、笛柱→正中→目付柱→広間→玄関広間を対角線上に配した これは方形の屋根を対角線上に配置した外観デザインにつながっている |
大江宏は、観客が玄関広間に入ってくる時点から舞台空間へ進む過程における空間秩序を重視した。
そこで、江戸初期の棟梁・平内政信が残した木割伝書『匠明』の「屋敷図」を参考に、日本の伝統建築の空間構成を採用し、能楽堂に凛とした品格を与え、「気配」を醸し出す空間をつくりあげた。
人が集まる場所は天井を高く、その先の通路は天井を低くして 観客を奥へと導く |
具体的には「屋敷図」の御成門→車寄→中門→広縁→舞台正面に至る曲折した導入経路をベースにして、国立能楽堂におけるエントランス→歩廊→中央ロビー→歩廊→見所という曲折した導入経路を雁行配置。
さらに、空間の明るさを徐々に暗くすることで、観客が外部空間の喧騒から逃れ、心を落ち着かせて見所に入り、舞台に集中できるよう工夫を凝らした。
再び天井の高い中央ロビー ここにもさまざまな工夫が |
人が移動する空間は天井を低く、人が集まる空間は天井を高くすることで、観客を能楽堂の奥へとさりげなく誘導。
障子越しに自然光を採り込んだような、ぬくもりのある灯り |
能楽堂の随所にみられる丸柱なども神社の円柱、あるいは平安時代の寝殿造の柱を思わせ、大江が幼少期から身に着けた日本建築のプロポーションが息づいている。
武蔵野をイメージしてつくられた中庭 壁面は土壁のような質感だが、じつはコンクリート |
コンクリート壁のクローズアップ |
江戸時代の能舞台の規格に沿った、長くて角度の深い橋掛り |
国立能楽堂の橋掛かりは長さ13.5メートル、斜角約26度。
他の能楽堂よりも長くて角度が深いことで有名だが、これは大江が「屋敷図」で定められた江戸期の能舞台の規格にもとづいたものだという。
演者泣かせの長い橋掛りではあるが(わたしの好きな某師が嘆いていた)、《三輪》や《融》の小書など、橋掛かりを使った演出が最高に盛り上がる設計でもある。
壁と天井の間をつなぐ連続木板の隙間には吸音材が埋め込まれている |
肉声が最後列に伝わるのも大切だが、能楽堂は音響が良すぎてもいけない。
建設当時、囃子方にテスト演奏してもらったところ、「響きが良すぎる!」とダメ出しがあった(音響が良すぎると、まるで自分がうまくなったように囃子方が錯覚してしまうからだという)。
そこで、見所壁面上部の庇の上の板の隙間に吸音材を入れ、通常のコンサートホールでは残響時間3秒なのに対し、国立能楽堂では残響時間が1秒になるよう設計したそうだ。
シンプルな切妻屋根(およそ20トン!)の能舞台 屋根は、竹釘で留められた檜皮葺 |
他の多くの能楽堂の屋根が入母屋造なのに対し、国立能楽堂はシンプルな切妻。
舞台天井中央にはエアコンの通気口を設置。
舞台床には吉野檜(当時の金額で一枚500万円)が使われ、突き付け継ぎで、紙一枚の隙間を開けて張られている。
大江宏が手掛けたもう一つの能楽堂、梅若能楽学院会館(1961年)は、大江がモダニズム様式から脱却して、和風モダンへ移行する過渡期的作品とされる。
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国立能楽堂も、梅若能楽学院会館も、大江宏がつくった能楽堂は、どこか神事的、宗教的な香りがする。
能楽堂に大切な要素は、その場にいる者が本能的に感じる、侵しがたい神聖性、聖域性ではないだろうか。
それは、今となっては失われつつある能楽堂の姿なのかもしれない。
本当に素晴らしい、神々しい能楽堂です
返信削除コメントありがとうございます😊
返信削除数多くの名舞台を生み出した素敵な能楽堂ですよね🌸