茂山千五郎家の《合柿》からのつづき
能《野宮》シテ六条御息所 梅若万三郎
ワキ殿田謙吉 アイ茂山七五三
赤井啓三 久田舜一郎 亀井忠雄
後見 中村裕 加藤眞悟
地謡 西村高夫 伊藤嘉章 八田達弥 馬野正基
遠田修 長谷川晴彦 梅若泰志 青木健一
いま、このときの三世梅若万三郎にしか表現しえない《野宮》。
老後の初心という言葉どおり、磨き抜かれた洗練の極致といえる芸の力と、身体の衰えとのせめぎ合いのなかで探り当てたギリギリの境界線上に、これまで見たこともない透徹した美しい花が咲いていた。
【前場】
〈ワキの位取り〉
いつもにも増して、殿田さんの位取りが素晴らしい。
ワキの出で――おそらく幕に掛かった瞬間から――御息所の思いを受け止めるだけの深い器と精神性を備えた旅僧になっていて、顔つきや佇まいに寂び寂びとした品格がある。
ワキが鳥居に向かって、「われこの森に来て見れば、黒木の鳥居、小柴垣、昔にかはらぬ有様なり」と謡うと、下村観山の描く『木の間の秋』のような、うら寂しい秋の森の情景が鳥居の周囲に立ち現れてくる。
〈シテの工夫〉
そこへ次第の囃子で、前シテが登場する。
唐織は金茶とプラチナシルバーの秋花模様の段替。
面は、前場・後場とも同じ河内作の増なのだが、前シテの出と後シテの終曲部とでは、わたしにはまったく異なる表情に見えたばかりか、二十歳くらい年の違う女に見えた。
実際、前シテの登場時には、一年前に橘香会で《定家》を観た時から経過した時間の長さと、シテの身体の衰えを感じた。
それが一時的な不調のせいか、年齢によるものかはわからないが、いずれにしろ自然の摂理は避けられない。これまでのような年齢による衰えを感じさせない完璧に美しい舞姿こそ、芸の力が起こした奇跡だったのだ。
しかしこの日の舞台にはそうした自然の摂理を受け入れたうえでの工夫が随所に凝らされ、型を削ぎ落とし、所作を抑制することで、かえって御息所の心が美しいタペストリーのように重層的に織り込まれ、観る者に多様な解釈を与えていた。
(以下、わたしが「工夫」と感じたのはもともとあった型なのかもしれません。)
この日の舞台では、下居が徹底的に排されていた。
「野宮の跡なつかしき」で下居して榊を置くところはカットされ、榊は「あらさみし宮所」で後見に手渡された。
その他、居グセなど正中下居の箇所はすべて床几に掛かる箇所となり、下居してワキに合掌するところもなくなっていた。
また、クセやロンギでシテのシオリが一切なく、御息所がシオルのは、破ノ舞に入る前の一度だけ。
「風茫々たる野宮の夜すがら、なつかしや」で、鳥居に駆け寄りしばし懐旧の念に浸ったのち、後ずさりして、そこで堰を切ったように思いがとめどなくあふれ出て、たまらなくなって二度シオル。
それまでシオリが一度もなかったからこそ、御息所の孤高、気高さ、そして破ノ舞を舞う契機となる内に秘めた激情の奔出が生きてくる。
シテの動きが極端に少ない前場。
床几に掛かって冷たく一点を見つめるシテの姿は、光源氏に対して十分に心を開けずに煩悶し、激しい思いを抑え続けた御息所そのものだった。
赤井啓三師の送り笛と間狂言の途中で入るアシライ笛が、秋の野を吹き抜ける木枯らしのような寂寥感を漂わせ、御息所の言葉にできない胸の内をそっと語っていた。
万三郎の《野宮》後場につづく
0 件のコメント:
コメントを投稿