2015年3月21日土曜日

新作能《針間》披露公演&梅原猛氏講演


2015316日(月)  開場1420分 開演15

講演 梅原猛 -牛飼いから帝になった二人の皇子の物語
        

解説 新作能《針間》  藤田六郎兵衛
  (梅若玄祥師がNHKの録画撮りのため到着が遅れたこともあり、
   飛び入りで、新作狂言《根日女》出演小学生による舞披露)

 

半能 《針間》
 兄・おけ王(後の仁賢天皇)大槻文蔵
 弟・をけ王(後の顕宗天皇)大槻裕一
 小盾(国司)梅若玄祥  
 伊等尾(志染村の首) 福王和幸
 囃子 藤田六郎兵衛 田邊恭資 山本哲也
 地謡 観世銕之丞 赤松禎友 寺澤幸祐

 

 

 

藤田六郎兵衛師による挨拶のあと、梅原猛先生の公演。

新作能《河勝》、《世阿弥》に続いて三作目となる本作《針間》は、
いちばん出来がよく、自信作とのこと。

創作は難航して、去年の夏に完成予定だったのが、伸び伸びになって、
クリスマスになり、さらにそれも「なかったことにしてくれ」と頼んで、
完成したのが今年の1月下旬。

それから舞や囃子の譜をつけていったので、
六郎兵衛師や大槻文蔵師はここまで来るのに大変苦労したそうです。

         
          

        
ちなみに、梅若玄祥師は「いちばん台詞の少ない役でお願いします」と
おっしゃっていたそうですが、出来上がってみると台詞が多く、
おそらく殺人的スケジュールのなか憶える時間がなくて、
この日も玄祥師の台詞の部分は、地謡の赤松師が謡本を読みながら
代行されていました。


さて、
新作能《針間》は、播磨国風土記1300周年を記念して兵庫県加西市の
依頼によりつくられたもの。
                     






あらすじは、
            

456年10月(ということは、飛鳥時代より前の古墳時代!)、
皇位継承争いにより父を殺された2人の兄弟皇子(おけ王とをけ王)は、
命を狙う雄略天皇から身を隠すため、志深村首・伊等尾(いとみ)の家で
牛飼に身をやつし数年を過ごす。

            
そんなある日、伊等尾が催す宴に国司が招かれる。
宴の席で歌を所望された弟のをけ王は、謡い舞いながら、
その歌詞の中で自らの正体を明かす。

                      
国司はこれを都に報告し、2人の皇子は都に迎えられ、
まずは弟が、つづいて兄がそれぞれ即位して天皇となる、
めでたしめでたし
                
というお話。


この日の新作能披露では、
宴のなか、伊等尾(福王和幸)と国司(梅若玄祥)の前で
兄弟皇子(大槻文蔵・裕一)がまずは1人ずつ舞い、
さらに相舞をして、最後に国司の梅若玄祥が
身分を明かした皇子たちを祝って舞うハイライト部分を上演。


本番はどうなるか分かりませんが、今回は出演者皆さん直面。
地謡も囃子方もそれぞれ謡本と譜を見ながらの上演となりました
(たぶん、地謡や囃子方の中には真面目にきちんとお稽古されてきて、
謡本や譜面を見る必要のない方もいらっしゃったのだと思います。)








さすがだったのは、シテ・ツレの大槻文蔵師・裕一さんと
ワキの福王和幸さん。
台詞も舞も所作も通常の公演と変わらずきちんとされていて、
どのような公演でも、つねに完璧を目指すプロフェッショナルな姿勢が
現れていました。

でもそれ以外は、全体的に、なんというか(本音を書くのは難しい)。

お忙しいのだろうし、
新作能ができたてほやほやで時間がなかったのだから仕方がなく、
ほかにもさまざまな事情がおありかとは思います。
今回の上演は主にプレス発表が目的で、
無料招待客はありがたく拝見させていただくべきなのでしょう。
 
が、
正直申し上げると、申し合わせを拝見しているような印象。
お調べの時も、揚幕の奥(or楽屋)から話し声や笑い声が聞こえてきて、

(中略)

         

……それでも、時間を割いて足を運んだ甲斐があったのは、
大槻文蔵師と裕一さんの舞が拝見できたこと。

牛飼いに身をやつしているので、ブルーグレーの水衣を腰のあたりで紐で結び、
ダークグレーの(裕一さんはうす紫)の袴(?)のようなものを着用し、
ヘアスタイルは蔓を首のあたりで結わえて、古代の労働者風の装束。

そんなみすぼらしい身なりをしていても、高貴な生まれは隠せないことを
格調高い舞で見事に表現されていました。

裕一さんも美しく端正な舞姿。
関根祥丸さんよりもさらに5歳くらいお若いのかしら。
次々と逸材が出現するので、これからが楽しみです。


追記;
予想はしていたのですが、やはりこの《針間》も詞章が現代語。
地謡の一部は古文だったので、そこだけなんかホッとするというか……
              

現代語の詞章は、たとえ節がついていても学芸会のセリフっぽく聞えて
お能の型や所作、雰囲気とのギャップがあってチグハグ。

関西出身の私にとって加西市は馴染みのある場所ですし、
播磨国風土記に記された地元の伝承を能楽にして伝えていきたい、
という趣旨は素晴らしく、それにはとても賛同します。
                    
だからこそ、美しく、お能らしい詞章で作曲してほしかったと
個人的には思うのです。



 

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