気温38.5度の焦熱地獄のなか、かねてから訪れてみたかった嘉祥閣へ。
この日は同研能の日。
表構えは一般の民家。
なかに入ると、そこには異空間が……。
京都には、そういう素敵な能楽堂がいくつかあります。
ここもそのひとつ。
1961年竣工。
60年近く使い込まれ、汗と涙が染みついたツヤとテリ。
空間そのものに生気が宿り、床板や鏡板が呼吸しているように感じます。
ペディメントには、鳳凰の彫刻。
「嘉祥閣」の額。
見所の隣にはロビー代わりのお座敷も。
お座敷の襖には瀟洒なデザインの引き手。
見所は畳敷きなのですが、ありがたいことに椅子が用意されていました。
こんなふうに舞台の高さが低めなので、椅子に座ると、至近距離から舞台を見下ろす形に。
普段はなかなか観ることのできない、距離と角度からの観能体験。
とても新鮮でした。
嘉祥閣と同じ両替町通には、青木道喜師の冬青庵能舞台があります。
嘉祥閣から徒歩3分くらいかな?
冬青能《海士》と安曇野能楽鑑賞会のポスターが貼られていました。
(冬青能のチラシやポスターのデザイン、印象的できれいですね。)
ここも嘉祥閣と同じころ、1960年に建てられた能舞台のようです。
なかへはまだ入ったことがないのですが「原日出子の京さんぽ」で紹介されていて、とても雰囲気の良い空間でした。いつか訪れてみたいな。
さらに南へ下ると、京都国際マンガミュージアムに遭遇。
廃校になった龍池小学校の校舎を改築して建てられた素敵な博物館です。
龍池小学校は二条良基の邸宅「二条殿」跡に建てられたもので、「龍池」という名称も、二条殿にあった「龍躍池」に由来するといいます。
二条良基といえば、世阿弥に古典の教養を授けた人物としても知られています。
もしかすると「藤若」と呼ばれた寵童時代の世阿弥も、この地にあった二条殿に何度も通ったのかもしれません。
その龍池小学校の跡地(国際マンガミュージアム)の片隅に「龍ノ井」という井戸がありました。ポンプで汲み上げると、いまでも井戸の水が出るのでしょうか?
こちらも国際マンガミュージアムの片隅にたっていた石碑。
江戸時代には、このあたりに銀座(貨幣鋳造を担った場所)が設けられ、金融業や金銀細工職人が多く住んだことから、両替町通と名づけられたようです。
狭くて短い通りですが、いろんな歴史が詰まっているんですね。
(調べると、まだまだいろんなことが出てきそう。)
暑いなかお散歩に付き合ってくださった能友のAさん、ありがとうございました。
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